第18話「堕獣の群れ、北方より ―咆哮の空―」
昼下がりの陽光が、崩れた街路を金色に染めていた。
アルセリアの空は静かで、風に運ばれる魔力粒子が光の粉のように舞っている。
神々が去って久しい都市に、ようやく“生活”の気配が戻り始めていた。
神殿跡の一角、ユウリは《防衛構文:ドラゴンシールド・モード》の調整を行っていた。
光の術式陣が地面に広がり、複雑な回路が螺旋状に組み上がる。
ティアがその隣で腕を組み、尻尾をぱたぱたと揺らす。
「うーん……これ、もうちょっと火力上げた方がいいんじゃない?」
「防御壁に火力はいらねぇ。燃やすな」
「えぇ~だって炎の方が安心するんだもんっ!」
「安心の定義が間違ってる」
ティアの頬を軽くつついて、ユウリは再び構文を走らせる。
空気がかすかに震え、青い防壁が街の輪郭に沿って展開された。
《結界連動率:83%。安定化まで残り120秒……》
神託端末βの無機質な声が響く。
その球体は神殿の上空に浮かび、薄く光を放っていた。
「よし、これで北門側は――」
その瞬間、βの光が一気に強くなる。
《警戒。北方境界に瘴気濃度の異常上昇。堕獣群反応、接近中――》
「……数は?」
《十四体。主個体を含む。残滓構文の強度、危険域》
「群れで動くとはな……神罰構文の暴走、想定以上だ」
ユウリの声は低く落ち着いていた。
焦りも怯えもない。ただ冷静な判断。
彼の背で、ティア・ドラグネアが尻尾を大きく揺らす。
「やっと来たね、ご主人様! あの黒いの全部倒しちゃえばいいんでしょっ!」
「焦るな。あれは神の失敗作だ。油断すれば喰われる」
「……へへ、喰われる前に燃やせばいいの!」
ティアの口元が戦闘狂のように吊り上がる。
その笑みに、獣の血が滲んでいた。
◇◇◇
北門の外。
霧の向こうで、重たい足音が響く。
ドン――ドン――。
まるで地面そのものが心臓のように脈打つ。
ユウリは剣を地に突き、膝をついて地脈を感じ取った。
「……来るな。三十秒以内だ」
視線を上げる。
黒い影が霧を裂いて姿を現した。
獣の骨を歪めたような異形。
背に生えた翼は皮と金属が癒着し、口の奥で白い炎が渦を巻いている。
堕獣――神の残骸。
その中でも一際大きな影が、低く頭を下げ、
――咆哮した。
耳を裂くような爆音。
空気が震え、廃都の瓦礫が崩れ落ちる。
ティアの髪が激しく揺れ、リアナが思わず胸元を押さえた。
「なに、この……音……! 心臓が、焼ける……!」
リアナの膝がかすかに震える。
かつて神罰の光を浴びた記憶――その残滓が身体に蘇る。
「リアナ、下がれ!」
「だい、じょうぶ……です……!」
彼女は杖を構え、震える手で印を結んだ。
「……《聖域展開》!」
光の輪が広がり、霧を押し返す。
その中心で、リアナの瞳にかすかな炎が宿った。
「……今度は、逃げません」
◇◇◇
「ティア、上空から動きを見ろ!」
「了解、ご主人様!」
ティアの背に炎の翼が展開し、地面を蹴って空へと舞い上がる。
空を裂く熱風が堕獣たちの群れを照らした。
十を超える影が蠢き、地を蹴って疾走してくる。
「数が多すぎる……けど、怖くない」
ティアは槍を構え、笑った。
「だって、ご主人様が見てるもん!」
翼の下で炎が爆ぜた。
「――《龍炎走(Draconic Burst)》!」
赤い光線が大地を裂き、堕獣の群れに突撃する。
爆発と炎が交錯し、灰と血が空を染めた。
だが――。
爆炎の中から、焼けただれた堕獣が立ち上がる。
皮膚が剥がれ、骨の隙間から瘴気が溢れ出る。
燃えても、死なない。
「……マジかよ」
ユウリが剣を構える。
剣身の上に光の構文が走り、彼の瞳が鋭く光る。
「構造を読み取る……再構築開始」
足元の術式陣が浮かび上がり、ユウリの剣が微かに脈打つ。
「《断裂斬(Code Slash)》」
一閃。
空気が裂け、前方の堕獣が縦に断ち割られる。
瘴気が爆発し、血煙が舞う。
しかし次の瞬間、裂けた肉の中からもう一つの頭が生まれた。
「再生構文か……! 面倒な作りしやがって!」
◇◇◇
「ユウリ様っ!」
リアナの声。
彼女の聖光が結界の上で揺らいでいる。
額には汗。祈りを捧げる手が震えていた。
加護を失った体は、神の呪詛を受けるだけで限界に近い。
でも、彼女は祈りをやめなかった。
「わたしの……光は、神のものじゃない……! ユウリ様が――わたしにくれたものですっ!」
その瞬間、リアナの足元に展開していた聖印が明るく輝いた。
結界が再び強化され、瘴気の侵食が止まる。
ティアが空から叫ぶ。
「ご主人様っ! 中央のデカいの、構えてる! なんか吐くよっ!」
「避けろ、ティア!」
咆哮と共に、主堕獣の口から白炎の奔流が放たれた。
地面が焼け、街の外壁が崩壊する。
ティアは炎の翼を広げて防ぐが、衝撃で弾き飛ばされた。
「きゃ――あああっ!!」
ユウリが即座に走る。
「ティア!」
炎と煙の中に手を伸ばし、彼女を抱き止めた。
「ご、ご主人様……まだ、やれる……!」
「無理すんな。焦るな。戦いはここからだ」
ユウリは片手で彼女の頭を支え、剣を構え直した。
灰の空に、再び堕獣の咆哮が響く。
その声はまるで、神の嘲笑のように世界を揺らしていた。
「上等だ……見せてやるよ、神の残骸」
ユウリの目が鋭く光る。
「“改造”ってのがどういう意味か――この街で、教えてやる」
炎と瘴気がぶつかり合う。
アルセリア北門防衛戦、開幕――。




