第138話「再定義都市ラナシェル ― 英雄の帰還 ―」
――夜が終わった。
空は、あの地獄のような戦いが嘘のように澄みきっていた。
金と白が混じる朝の光が、崩壊した王都ラナシェルの塔や屋根を優しく照らし、
焼け焦げた瓦礫の上に新しい命の色を落とす。
焦げた石畳から立ち昇る蒸気の向こう――
パン屋の煙突から立ち上る白い煙が、初めて人々の“日常”の匂いを運んでいた。
街が、再び息を吹き返していた。
「……すごいね、ユウリ様。」
祈導塔跡の高台に立つリアナが、胸の前で手を組む。
「壊れた祈導層が、もう再構築され始めています。」
風が彼女の金髪を揺らし、祈りの光がその瞳に反射する。
《観測結果。祈りの波形、安定値を維持。人々の心拍数、正常範囲。》
βの穏やかな声が響いた。
《街は、もう大丈夫です。祈りは……正常に機能しています。》
「……そっか。」
ミナが胸の前で手を合わせ、小さく息をついた。
「ミナ、こんな空……ほんとに久しぶり。」
耳がぴんと立ち、ふわりと尻尾が揺れる。
その仕草が、静けさの中に温もりを灯した。
「主様、ボクら、ちゃんと守れたんだね。」
ティアが風の中で笑った。
「今回は……誰も失わなかった。」
「……ああ。」
ユウリが頷いた。
「勝ったというより、“救えた”な。」
彼の視線が王都へと向かう。
崩れた聖堂の広場には、人々が集まり、何かを待っていた。
その中央には――紅の衣を纏う女性。
王女セラフィーナの姿が、朝光の中に立っていた。
「……来てくれたのですね、ユウリ殿。」
王女が歩み寄り、衣の裾を揺らして深く頭を下げた。
彼女の頬には、疲労と安堵の涙が入り混じっている。
「この国を救ってくださって、本当に……ありがとうございます。」
「頭を上げてください。」
ユウリが静かに言う。
「俺たちは、ただ“直すべきもの”を直しただけです。」
だが、王女は首を振った。
崩れた塔の残骸を背に、その瞳は真っ直ぐだった。
「違います。あなた方は、神々が去った後のこの世界に――“祈り”を取り戻してくださったのです。」
朝の光が彼女の背を照らす。
「我々は、あなた方を“英雄”と呼ぶでしょう。」
その瞬間、広場に沈黙が満ち――そして、爆発するような拍手が起こった。
瓦礫の上で膝をついていた人々が立ち上がり、子供たちが手を振り、
祈導士たちが涙を流しながら聖句を唱える。
歓声が波のように広がり、鐘楼の残骸に反響した。
誰もが、朝陽の中に立つ六人を見上げていた。
「へへっ……英雄って言われるの、慣れないや。」
ティアが照れくさそうに笑う。
「主様、ボク、顔真っ赤になってるかも。」
「ミナもちょっと恥ずかしい……」
耳を伏せ、尻尾をもじもじ揺らすミナ。
「でも……うれしい、かも。」
リアナは微笑みながら両手を胸の前で組んだ。
「けれど、彼らの祈りが“生きている”のを見ると……やっぱり、嬉しいですね。」
セリスは静かに目を閉じていた。
風が金の花びらを巻き上げ、朝陽の中で彼女の髪が透ける。
「……また、風が笑ってる。」
《観測補正完了。》
βの声が、柔らかく響いた。
《人々の“ありがとう”という波形は、祈りと同義。――世界は、確かに再定義されました。》
ユウリはその言葉を聞きながら、広場を見下ろした。
太陽が完全に昇り、瓦礫の影が消えていく。
焦げた石畳の隙間から、小さな花が芽吹いていた。
「……やっぱり、俺たちはこの世界を直すために生まれてきたんだな。」
「主様、それ、ボクらの次の目標ってこと?」
ティアが顔を上げる。
「ああ。」
ユウリは頷いた。
「壊れたものを直すだけじゃない。“もう壊れないように作る”。
それが次の――再定義だ。」
《航路、未設定。》
βが光を放つ。
《行き先、指示を。》
ユウリは仲間たちを見渡した。
セリスは風を感じ、リアナは祈りを胸に抱き、ティアとミナは顔を見合わせて笑った。
「……そうだな。」
ユウリが小さく息を吐く。
「まずは――旅をしよう。もう一度、人の世界を見よう。」
「了解っ!」
ティアが拳を上げる。
「また空を飛べるんだね、主様!」
ミナが笑う。
「ミナ、次はきっと、美味しいパン探す!」
「私は……孤児院を訪ねてみたいです。」
リアナの声が穏やかに響く。
「風が呼んでる。行くべき場所を。」
セリスの言葉は、どこまでも透明だった。
《了解。再航路、開示。目的地――“未定義”。》
アーク・ノヴァが静かに浮かび上がった。
朝陽を受けた船体が白く輝き、翼のような粒子が尾を引く。
王都の人々が見上げ、涙と笑顔で手を振った。
子供が声を張り上げる。
「ありがとう――再定義者!」
老いた祈導士が杖を掲げる。
「その名を、我らの時代の光として刻もう……!」
誰もが空を見上げ、ひとつの願いを込めていた。
“どうか、彼らの旅に光があらんことを”――。
アーク・ノヴァの翼が広がり、祈りの風を受けてゆっくり上昇する。
青と金の光が交差し、空へ伸びる光の帯となった。
その輝きは、まるで“人の祈りが具現化した希望”そのもの。
ユウリが静かに呟く。
「行こう。まだこの世界には、直すべき痛みが残ってる。」
《了解。黎明航路、展開開始。》
βの声が響く。
アーク・ノヴァが朝の雲を突き抜けた。
その軌跡が金色の尾を引き、王都の空に虹のような弧を描く。
――それは、祈りの再定義がもたらした“人の夜明け”の証だった。




