第132話「崩れゆく祈導層 ― 王都防衛線」
白い雲を突き抜けると、視界が一気に開けた。
そこには、蒼く広がる王都ラナシェルの全景があった。
十日前の祈導層暴走で焦げた街並みは、すでに復興の兆しを見せている。
だがその上空――祈導塔の周囲には、再び不穏な光の渦が立ち上がっていた。
《観測結果。祈導層に異常波。王女セレスティーネによる祈り構文が発動中です。》
βの声に、ユウリが目を細める。
「やっぱりか……あの光、祈りじゃなく“助けを呼ぶ信号”だ。」
ティアが甲板から塔を見つめる。
「主様、またあの祈りを……一人で支えてるの?」
「止められないんだろう。」
リアナが静かに頷く。
「祈導庁の機構は、王家の血を媒介にして動く。彼女にしか、あの制御は担えない。」
ミナが唇を噛んだ。
「でも、今のままじゃ王女様が……!」
セリスが風をまとい、瞳を細める。
「干渉波、また“あの”パターン。ゾルドの構文、まだ死んでいない。」
《補足。王都地下層の構文波に“自己増殖式”を検出。祈りを媒介に感染しています。》
「……つまり、王女の祈りを喰おうとしてるってことか。」
ユウリの声が低くなる。
《肯定。放置すれば王都全域の祈導層が支配下に入ります。》
風が一瞬止んだ。
次の瞬間、ティアが立ち上がる。
「そんなの、させないよ。」
彼女の瞳が赤く光り、龍気が肩の上で揺らめく。
「主様、指示を。」
ユウリは頷き、アーク・ノヴァの操作盤に手をかざした。
「β、王都上空で停止。セリス、上空から結界を張って“祈り層”の崩壊を止めろ。ティア、ミナ、下層制御へ突入だ。」
「了解。」
「りょーかいっ!」
ミナが笑い、軽やかに甲板を駆け出す。尻尾が風を切り、幻影が尾を引いた。
セリスが詠唱を始め、空気に翠の輪を広げる。
《構文連携開始。共鳴率、上昇――70……80……》
βの声と同時に、アーク・ノヴァの船体から白い光柱が伸びた。
王都の空を覆うように、幾重もの光の膜が展開されていく。
「……よし、行くぞ。」
ユウリが短く告げ、甲板から降下装置を起動させた。
ティアとミナが後に続き、光の軌跡を描きながら王都中心部へと降下する。
祈導塔の上層からは、なおも王女の祈りの光が放たれていた。
しかし、その足元には黒い影――ゾルドの残滓が蠢いている。
《マスター。観測値、臨界に到達。王都祈導層、崩壊まで残り六〇〇秒。》
「間に合う。」
ユウリの瞳に蒼光が宿る。
「絶対に――間に合わせる。」
その言葉と共に、王都の空が再び裂けた。
祈りと闇がせめぎ合う中、蒼白の光を纏った《再定義者》が地上へ降り立つ。
◇◇◇
――王都ラナシェルの空が、再び赤く染まっていた。
祈導塔の上空に、黒い光環が浮かぶ。
それはまるで、祈りそのものが汚染されたような、異様な光景だった。
《観測開始。祈導層に異常波を検出。祈り信号が反転しています。》
βの声がアーク・ノヴァの操舵室に響く。
計器の上に浮かぶ魔導コードが、次々と赤く点滅していく。
「……反転?」
ユウリが眉をひそめた。
「祈りが、誰かの“命令”に書き換えられてるってことか?」
《肯定。解析結果――ゾルド・ガルバの残滓による構文侵食。祈りを“入力信号”として利用しています。》
ティアが目を見開き、竜気が指先からにじむ。
「つまり、祈ってる人ほど狙われる……? そんなの許せないっ!」
リアナが静かに塔の方角を見つめる。
「セレスティーネ王女は……まだ祈りを止めていません。あの塔の祈りが、王都を繋いでいるのです。」
「じゃあ王女様、このままだと王都ごと……! どうしよう、主様!」
ミナが尻尾を揺らし、不安げに声を上げた。
「止めるんじゃない。」
ユウリの声が短く響く。
「“再定義”する。祈りを奪われる前に、書き換えるんだ。」
《指令受諾。改造構文演算層、稼働開始。》
βの光子体が微かに揺らめき、光の帯が操舵室を走る。
「……了解。――風を縫う。時界干渉、結束。」
セリスが小さく呟き、翠の風が甲板を包む。
その瞬間、アーク・ノヴァの艦体が低く唸りを上げた。
甲板下から淡い粒子が吹き上がり、船体を覆っていく。
「《改造構文:静音領域展開》――王都防御層、展開開始。」
ユウリが手を掲げると、空を満たしていたノイズが一気に消えた。
風が止み、音もなく、世界が一瞬“凪”のように静まる。
「……すげぇ……音が全部、消えたみたい。」
ミナが耳をぴくりと動かし、尻尾をふわりと揺らした。
《王都外縁の祈導波、遮断成功。侵食率を一時的に停止しました。》
「よし。セリス、上層結界の制御を続けろ。」
「了解。」
セリスの声が短く響き、翠の光が王都上空に広がる。
祈りの奔流が交差し、空気そのものが淡くきらめいた。
「……皆の想いを、一つに。」
リアナが胸の前で手を組み、祈りの光を放つ。
「ティア、ミナ。地上へ降りて市民を守れ!」
「了解! 主様、任せて!」
「ミナも行く! 絶対守るからね!」
ふたりが甲板から飛び出し、光の翼のような残光を残して地上へ向かう。
βが全隊通信を開く。
《全隊、王都防衛網とのリンク確立。ユウリ、制御権はあなたにあります。》
ユウリが短く頷き、紅い光を指先に灯した。
「なら行くぞ。《再定義者》――防衛戦、開始だ。」
アーク・ノヴァの艦首から白光がほとばしる。
空を覆っていた黒雲が裂け、王都に光が降り注いだ。
その光の下で、ティアとミナが地を駆け、セリスの風が結界を支え、リアナの祈りが人々を包み、βの声が全てを繋ぐ。
そして、ユウリはその中心で静かに呟いた。
「ゾルド。お前の“秩序”は、ここで止まる。」




