第131話「王都異変の兆し」
王都ラナシェルを離れてから、十日が経っていた。
ユウリたちは古代遺構《ルマニア環礁》の調査を終え、飛空艇で南西海上を漂っていた。
青く静かな海がどこまでも広がり、薄曇りの空を裂くように白い飛行航跡が伸びている。
甲板に立つユウリの髪を潮風がなびかせた。
βが浮遊しながら彼の隣に寄る。光体の輪郭は穏やかで、観測波の粒子が微かにきらめいていた。
《報告。世界各地に残るゾルド干渉痕――残り三箇所、観測完了。異常値は減少傾向です。》
「思ったよりも早く落ち着いたな。」
ユウリが呟く。
《はい。ただし、祈導波の歪みは完全には消えていません。局所的な“祈りの乱流”が発生しています。》
「……人が多く集まる場所ほど、祈りが濃くなる。つまり都市部の可能性が高いな。」
ティアが甲板の手すりに腰かけて、遠くの雲を見上げた。
「主様、しばらく平和だね。あの王都の戦いが、もう昔のことみたいだよ。」
リアナが微笑んだ。
「平和は、祈りがつないでいる時間です。けれど……それも永遠ではありません。」
その言葉に、βの光が一瞬だけ揺らいだ。
《……観測更新。異常波、検知。》
甲板の空気が、ピンと張りつめる。
ユウリが顔を上げた。
「位置は?」
《王都ラナシェル方向。祈導庁の構文層から、未知の祈り波形を受信。通常通信ではありません。》
「祈り波形……人の、心の信号か?」
《はい。感情波の形式で直接届いています。解析を開始します。》
βの瞳が淡い紫に染まり、空気が光に満たされる。
リアナとセリスが祈りの波に気づき、目を閉じた。
「……これは、王族の祈り。」
リアナが静かに息を呑む。
セリスが風を揺らし、耳を傾ける。
「確かに。穢れがない。深い悲しみと、迷い……それでも“誰かを信じる声”。」
βの光が脈動した。
《解析完了。――送信者、ラナシェル王国王女、セレスティーネ。》
「王女が? どうして今……?」
《祈導庁の制御層に異常が発生しています。祈り構文の一部が、ゾルド系信号に侵食されています。》
ユウリが眉をひそめる。
「つまり、また“奴ら”が動いているってことか。」
《はい。王都の防衛祈導網に、自己増殖型の制御式が混入しています。放置すれば全市域が制御下に置かれます。》
ティアが拳を握りしめた。
「主様、行こう! あの人たちを、もう苦しませたくない!」
ユウリは短く頷く。
「……ああ。β、航路を王都へ固定だ。」
《了解。アーク・ノヴァ、進路再定義――目的地、王都ラナシェル。》
船体が低く唸り、蒼白い推進光が海面を照らす。
甲板を駆け抜ける風が、仲間たちの頬を打った。
ミナが空を見上げる。
「ねえ、みんな。あの光――」
雲の切れ間に、王都の方向から一筋の光が昇っていた。
祈りの形をした、儚くも確かな輝き。
リアナが胸に手を当てた。
「王女の祈り……まだ、希望は消えていません。」
ユウリはその光を見据える。
「なら応えるだけだ。あの祈りを、“再定義”してやる。」
βの瞳が淡く光った。
《了解――航行モード、上昇。祈導層へ突入開始。》
アーク・ノヴァが雲を割り、空へと駆け上がっていく。
その先には、再び蠢き始めた人の祈りと、秩序の影が待っていた。
◇◇◇
王都ラナシェル。
巨大祈導塔の最上層、薄明の光が差し込む祈祷室。
その中心に、ひとりの少女が静かに膝をついていた。
金糸の髪が揺れる。
祈導衣の白が淡い青光に染まり、周囲の空気にかすかな震えを生む。
「……また、祈りの層が乱れています。」
補佐官の声がかすかに震えた。
セレスティーネ王女は目を閉じ、両の掌を合わせたまま答えた。
「ええ。潮流制御層の回復から、まだ十日しか経っていないのに……」
光の粒が舞う。
塔全体を包む祈導網がざらつくように歪み、祈りの音が乱れている。
「神殿の祈導官たちは?」
「……数名が倒れました。祈りの回路を通じて、精神干渉を受けたようです。」
セレスティーネは眉をひそめ、祈導盤に視線を落とした。
盤面を走る魔導文字の中に、黒いノイズのような構文が混ざっている。
「これは……“ゾルド・ガルバ”の干渉式。再び……。」
唇を噛む。
十日前、あの塔の地下で見た光景が脳裏に蘇る。
無数の魔導線が燃え、祈りが悲鳴を上げて消えていったあの日。
――ユウリたちが、命を懸けて守ってくれた王都。
「……このままでは、また同じことが起きる。」
彼女は立ち上がり、祈導盤の前へ歩み寄る。
周囲の侍従たちが息を呑んだ。
「王女殿下、危険です! 今は接続を――」
「祈りを止めれば、民の光も止まります。」
セレスティーネの声は静かだった。
その瞳に宿るのは、恐れよりも決意。
「私は“王家の祈導者”。ラナシェルの民が苦しむ時、祈りを絶やしてはいけない。」
彼女は手を伸ばし、祈導盤の中央へ触れた。
指先が淡く光り、同時に痛みが走る。
それでも手を離さない。
「……お願い。もう一度だけ……届いて。」
空気が震えた。
祈導塔の上層に、白い光の柱が立ち昇る。
祈りの波が幾重にも重なり、塔全体を包み込む。
しかし――同時に。
祈導盤の下層で黒いコードが蠢いた。
ゾルドの残滓が、祈りを“媒体”に再侵入を始めたのだ。
光と影が交錯する。
セレスティーネの体がふらつき、侍従が駆け寄る。
「殿下! このままでは――」
「まだ……です。まだ、祈りは……届いていない。」
声がかすれる。
その時、祈導塔の外で雷鳴のような音が響いた。
雲を裂いて、蒼い光の航跡が空を横切る。
セレスティーネがはっと目を上げた。
「……この光、覚えています。」
彼女の瞳に、涙が滲む。
「《再定義者》の皆さん……あなたたち、戻ってきてくれたのですね。」
彼女の祈りの波が、蒼い空へと伸びていく。
その光は、空を駆ける《アーク・ノヴァ》と共鳴し、
王都全域に新たな光を灯した。




