第13話「純聖再生 ―人は神に祈らずして救われる―」
夜が明け、雨はやんでいた。
冷たい朝の風が高原を渡り、焦げた地面の煙を優しく攫っていく。
遠くで鳥の声が小さく響き、灰色の雲の切れ間から一筋の陽が射し込んだ。
――廃村の礼拝堂跡。
崩れた壁、ひしゃげた鐘楼、砕けた聖像。その中心に、三つの影が佇んでいた。
ティアは倒れた柱に腰を下ろし、火打石を軽く打つ。
乾いた音が二度、三度、空気を裂いて消えた。
ユウリはそのそばで、倒れている少女の体を抱き上げる。
「……まだ、間に合う」
その声は低く、確信と祈りのあいだにあった。
少女――リアナ・エルセリア。かつて“神の代弁者”と呼ばれた聖女。
白いローブは泥にまみれ、聖印は砕け、かつての面影は薄れていた。
その胸には、黒い痣が浮かび上がっている。
まるで生きているように蠢き、心臓の鼓動と同じリズムで震えていた。
「ご主人様……この子、変な匂いがする」
ティアが眉をひそめる。
鼻先を寄せると、焦げた金属のような匂いがする。
「炎でも血でもない……もっと、“呪い”の匂い。こんなの初めてだよ」
「ああ。神罰の構文が、魂の層でループしてる」
ユウリの声は静かだが、拳がかすかに震えていた。
「“神に背いた信徒”として、存在そのものに罰を刻まれたんだ。
……これじゃ、祈りどころか、息をするたびに信仰を抉られる」
リアナの唇がわずかに動いた。
「……神の声が……もう、聞こえないんです……
わたしは……祈れない聖女なんです……」
その声は、祈りを失った人間の悲鳴のようだった。
震える手が、無意識に胸の聖印を探す。けれど、そこにはもう何もない。
ティアが少し俯く。
「神様って……人を救うんじゃないの? ボク、こういうの嫌い」
ユウリは短く息を吐き、崩れた天井の向こう――朝の空を見上げた。
青と金の境目に、雲を透かして光が差し込む。
その光を見て、彼はわずかに笑う。
「……だったら、俺が書き換える」
リアナが小さく息を呑んだ。
「え……?」
「神が与えた構文を壊す。お前の“魂コード”を、俺の手で再定義する」
ユウリは立ち上がり、右手を掲げる。
指先に青白い光が灯り、魔方陣が幾重にも重なり合う。
風が逆巻き、瓦礫の欠片がふわりと浮かぶ。
《スキル発動:コピー&改造(Copy&Modify)》
《対象:魂構文/状態=神罰汚染》
「ご主人様……本気?」
ティアが思わず声を張る。
「だってそれ、“神の領域”だよ! そんなことしたら、また怒られるよ!」
「神に喧嘩を売るのは、もう慣れた」
ユウリは目を細め、唇の端で笑った。
「俺は信仰なんかじゃ動かない。直すべき欠陥があるなら、改造する――それだけだ」
青い光がリアナを包み込む。
同時に、空から白金の光が降り注ぎ、地面の封印陣が再び目を覚ます。
雷のような音とともに、神殿跡の空気が震えた。
《警告:神格システム干渉検知》
《世界秩序:修正プログラム起動》
「うるせぇ。更新なんざ、こっちでやる」
ユウリの詠唱が低く響く。
《構文再定義:救済優先(Code Redefine: Priority Salvation)》
青白い光が金色へと変わる。
リアナの胸の黒痣がじゅっと音を立て、霜が溶けるように消えていく。
そこから柔らかな光があふれ、涙のように床へと落ちた。
「……あ、あたたかい……」
リアナの瞳がゆっくりと開く。
その中には、かつて神に向けた純粋な信仰ではなく――“生きたい”という願いが宿っていた。
彼女の頬を光がなぞり、白い肌に生命の色が戻る。
息を吸い、吐く。
そのたびに周囲の空気が震え、陽光が屈折して虹色に滲む。
「神が棄てたのなら、俺が救う。
“命令”じゃない、“願い”としてな」
ユウリの言葉と同時に、世界が軋んだ。
空の雲が裂け、無数の光輪が降り注ぐ。
まるで天が割れ、神のシステムそのものが書き換えられるように。
《構文改変成功:神罰構文→純聖再生(Pure Holy Regeneration)》
光が爆ぜた。
リアナの背から、純白の羽がゆっくりと展開する。
それは聖女の象徴だった翼ではない――“人の意志”が紡いだ、自由の証。
金と白の粒が風に乗り、空を満たす。
廃村全体が光の中に沈み、まるで新しい朝を迎えるようだった。
「……これが、“人の奇跡”」
リアナの声が震える。
頬を伝う涙が光を反射して、まるで小さな星のように輝いた。
ティアが呟いた。
「ご主人様の光より……やさしい」
「俺のは改造用だ。こっちは、本物の“救い”だよ」
光が収まり、静寂が訪れる。
風が吹き抜け、礼拝堂の欠けた窓から朝日が差し込む。
リアナはゆっくりと立ち上がり、ユウリを見つめた。
その目に宿るのは従属ではなく、決意。
「ユウリ様……今度こそ、わたしは“神に仕える聖女”ではなく、“あなたに仕える人”として生きます」
「好きにしろ。だが、もう“従う”んじゃなく、“選べ”。
それが――お前自身の信仰だ」
リアナは静かに微笑み、深く頷く。
光翼が消え、陽光が三人の影を並べた。
「行こう、ご主人様。次は……この空の向こうにいる“堕獣”を倒そう」
ティアが槍を構える。
その目は真っすぐで、獰猛な炎を宿していた。
「……ああ。神が生んだ欠陥は、俺たちが修正する」
風が吹き、廃村の鐘がひとりでに鳴る。
崩れた聖像の上で、光の粒が舞い上がり、空へ溶けていく。
三人の影が伸びて、朝の光に溶けた。
――その歩みが、世界の“再構築”の第一歩になることを、まだ誰も知らな




