第129話「祈りと子どもたち ― 王都《聖潮の庵》にて」
王都ミラ・ラナ南区――海を見下ろす丘に建つ小さな修道院。
名は《聖潮の庵》。
白亜の壁と青い屋根が陽光にきらめき、潮風がカーテンを揺らしていた。
ここは祈導庁の管理を離れた、民間の孤児院。
だが――祈りの響きは、どんな大聖堂にも負けないほど澄んでいた。
昼下がりの光が差し込む。
子どもたちが庭で駆け回り、石畳の隙間からは白い小花が顔を覗かせる。
木陰には、古びたベンチと潮に焼けた風鈴。
その風鈴が鳴るたび、どこか懐かしい音が響いた。
「――今日も、この子たちが笑って過ごせますように。」
リアナ・エルセリアが、花壇の前で静かに祈りを捧げていた。
白い修道衣の裾が揺れ、風の中で金の髪が光る。
その祈りは命令ではなく、まるで春の息吹のように穏やかだった。
祈りの余波が、目に見える形で現れた。
光の粒が空中にふわりと浮かび、蝶のように舞う。
「リアナお姉ちゃん、また出たっ!」
「見て見て、キラキラしてる!」
子どもたちが走り寄ってくる。
リアナはそっと微笑み、手を広げた。
「ふふ……これはね、みんなの“笑いたい気持ち”が光になったのですよ。」
「笑いたい気持ちが、光に?」
「そう。祈りは、神様だけに届くものじゃありません。
誰かを想って笑う心だって、世界を変える力になるんです。」
小さな男の子が、両手で光の粒を掬うようにして尋ねた。
「じゃあ、ボクの“お母さんに会いたい”も届く?」
リアナは膝をつき、その瞳を見つめた。
「ええ、きっと届きます。願いは、言葉にした時点で道ができるんですよ。」
「……じゃあ、ボク、毎日言うね。」
「うん。届くように、ちゃんと祈りましょう。」
リアナが微笑むと、男の子の顔にも笑みが広がった。
庭の片隅で花を摘んでいた女の子が、摘んだ花をリアナに差し出した。
「リアナお姉ちゃん、これ、あげる!」
「ありがとう。……とても綺麗ですね。」
花びらを受け取ったリアナの手に、柔らかな光が集まった。
その光を見て、子どもたちの目が丸くなる。
「魔法だ!」
「ねぇ、どうやったの!?」
リアナは首を振り、優しく笑った。
「魔法ではありませんよ。これは、みんなの“心”が形になったんです。」
その時、上空で淡く光る姿が見えた。
βだった。
光子の翼をゆるやかに広げ、静かに浮かんでいる。
《観測記録:対象リアナ・エルセリア。祈り波形、安定。周囲に安心反応多数。》
「βさん、今日も観測していたのですね。」
《はい。……けれど、これは“祈り”というより、“安心の式”と分類すべきです。》
「安心の式?」
《あなたの祈りを受け取った人々の感情波は、緊張を解き、安定します。
つまり、あなたは構文を用いず“感情で癒している”状態です。》
「……それは、いいことですね。」
リアナはふと、βに視線を向けた。
風が吹き、白い花びらが彼女の頬に当たる。
「祈りの形は一つではありません。神がいなくても、人が互いを支えられるなら、それが奇跡です。」
《……奇跡、ですか。定義不能。》
「だからこそ、素敵なんです。」
βはしばらく沈黙した。
紅玉コアがかすかに光を増し、ゆっくりと答えた。
《……暖かい。観測対象:人の“ぬくもり”。》
「それは、子どもたちがあなたに送った“ありがとう”ですよ。」
《感情値:上昇。……これが“ありがとう”。理解。》
βの光が少し柔らかくなる。
子どもたちが手を伸ばし、その光を掴もうと跳ね回った。
「すごい! 星みたい!」
「βちゃん、ボクにも光ちょうだい!」
《分配モード開始――出力、五パーセント。》
βが光の粒を散らすと、子どもたちが歓声を上げた。
それは星屑のように庭を舞い、空へと昇っていった。
「……あなたも、人の笑顔が好きになってきたようですね。」
《否定不能。笑顔の観測、好ましい。》
リアナは穏やかに微笑んだ。
そのとき、修道院の門が軋んで開く音がした。
風に乗って聞こえる足音――ユウリだった。
「……ここにいたか。」
「ユウリ様。」
リアナは立ち上がり、柔らかく礼をした。
子どもたちはすぐに彼を見つけ、駆け寄る。
「ユウリお兄ちゃんだー!」
「ねぇ、見て! リアナお姉ちゃんの光、すごかったんだよ!」
ユウリは軽く笑いながら子どもたちの頭を撫でた。
「そうか、なら俺も見たかったな。」
「明日もやる?」
「……ああ。きっとまた見られるさ。」
リアナが小さく頷いた。
「子どもたちの笑顔は、神の祝福そのものです。」
《補足。幸福指数上昇。心拍安定。……観測完了。》
「β、それは分析じゃなく感想だな。」
《訂正。観測+感想。》
ユウリが笑う。
「なら、いい。」
リアナは二人を見て、小さく笑った。
風がまた吹き、潮の香りが庭を包む。
「……ここでも、海の音が聞こえますね。」
「ああ。どんな場所でも、風があれば波は届く。」
夕日が沈みかけ、街の屋根が金色に染まる。
リアナは空を見上げ、そっと呟いた。
「この子たちの祈りが、いつか誰かを照らしますように。」
βが静かにその言葉を記録する。
《観測終了。結論――祈りとは、“理解より先に届く式”。》
王都の鐘が鳴り、潮風が白い花を舞い上げた。
その花びらの中で、リアナの祈りが静かに溶けていった。
――それは神の名を借りぬ祈り。
ただ“人のために”捧げられた、小さな光の祈りだった。




