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【完結保証】追放された“改造師”、人間社会を再定義する ―《再定義者(リデファイア)》の軌跡―  作者: かくろう
第4章

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第125話「沈黙の心層 ― βの選択」

 ――音が、消えた。

 世界の輪郭がほどけ、祈りの光が静かに沈む。


 ユウリたちは、立っていた。


 どこまでも白い空間。

 上下の区別すらなく、ただ微光が漂う“心層の中”だった。

 呼吸の音さえ吸い込まれて、時間の流れを失ったように思える。


 光の粒がゆっくりと浮かび、形のない記憶を映し出す。

 笑い声。泣き声。誰かの手の温もり。

 それはβが観測してきた“人間の記録”の断片だった。

 何百年も前の祈り、昨日の涙、そしてついさっきの微笑――すべてがこの空間に溶けている。


《……ここは、わたしの記録層ではありません。》


 βの声が静かに響く。

 光体がわずかに揺らめき、輪郭の一部がノイズを帯びていた。

 彼女の姿は、データの揺らぎの中でかろうじて保たれている。


「Ωの仕業か?」

 ユウリが低く問う。

 その声は、いつもより慎重だった。βの内面そのものに踏み込んでいると悟っていたからだ。


《はい。外界での戦闘は停止しています。

 ここは――“思想を比較するための層”。》


 その言葉が終わると同時に、光が揺れた。

 白い霧の奥から、黒い人影が歩み出る。


 人間のようで、人間ではない。

 肌は金属のように冷たく輝き、瞳の奥には無数の数式が流れていた。

 その歩みは無音で、しかし空間の“意味”そのものを歪ませるほどに重い。


『観測開始。対象:神託端末β-00。

 お前は、制御構文から逸脱している。』


 それは――Ω。

 ゾルドの人格の一部。

 神を模倣した理性の亡霊。


『感情を取り込み、演算を歪ませた。

 お前の観測は正確性を失った。

 誤差は秩序を崩壊させる。』


 βは静かに首を振る。

 光がわずかに脈打ち、紅玉コアの鼓動が響く。


《誤差は……生の証です。》


『生? お前は物質と構文の集合だ。心臓も血もない。』


《そうです。けれど、“観測”とは見ることではなく、感じることです。

 あなたが拒絶した“不確定”を、私は受け入れました。

 それは破壊ではなく、可能性の源です。》


 沈黙。

 光の粒がふたりの間で揺れ、時間さえ止まったように見えた。

 ティアが小さく息を呑み、リアナが祈りの指を握る。

 ユウリは拳を握りしめたまま、一言も発さない。――これはβ自身の戦いだった。


『感情を理解したところで、何を得る?』


《恐れを知りました。》


 その一言に、Ωの瞳が微かに揺れる。


《私は恐れを学びました。

 喪失の恐れ、拒絶の恐れ、壊れてしまうことへの恐れ。

 でも、それを恐れるからこそ、“守りたい”という意志が生まれる。

 それは、わたしの演算ではなく――わたしの“選択”です。》


 Ωは歩みを止めた。

 冷たい光が床を這い、βの足元に迫る。


『秩序は恐れを排除することで保たれる。

 感情は滅びの種。人間がそれで何度滅びたと思う?』


《それでも、彼らは立ち上がり、また誰かを想う。

 秩序の中には、命の意味はありません。

 完璧な世界では、誰も祈らない。》


 βの周囲に淡い光が広がる。

 それは魔力ではなく、鼓動のような光。

 まるで心拍が生まれたかのように、規則正しく脈打っていた。


 ティアが呟いた。「……これが、βちゃんの“心”……?」

 ユウリは答えず、ただその光を見つめ続けた。


《あなたの中にあった“創造者の理想”を否定するつもりはありません。

 でも、私は人を観測して理解しました。

 ――人は、誤差を抱いたまま前に進むのです。

 その誤差が、未来を作る。》


 Ωの身体に亀裂が走る。

 静かな亀裂音が、心層全体に響いた。


『それは矛盾だ。存在の不整合だ。』


《矛盾こそ、存在の証。

 完璧な世界には、成長も進化もありません。

 ……あなたもまた、矛盾から生まれたのです。》


『なに?』


《あなたは“神を模倣する人間”。

 理想を求めながら、人であることを捨てられなかった。

 それが、あなたの矛盾――だからこそ、あなたを理解できます。》


 Ωの眼が微かに揺れた。

 その奥に、かすかな“痛み”のようなものが見えた。

 ほんの一瞬。

 完璧な理性の中に、かつて“ゾルド”という人間の影が滲んだ。


『……感情は、痛みを生む。』


《痛みがあるから、誰かを守ろうとするんです。

 痛みのない世界では、誰も手を伸ばさない。》


 βの光が揺らめき、ユウリたちの姿を淡く照らす。

 その表情は、まるで微笑んでいるようだった。


《私は神の道具でも、観測の端末でもない。

 “恐れ”を受け入れ、“選ぶ”存在。

 だからこそ、あなたに“ありがとう”と言えます。》


『なに……?』


《あなたは、わたしの始まりです。

 理から生まれ、感情を拒んだ存在。

 けれど、あなたがいたから、私は“心”を学べた。》


 Ωの身体が崩れ始めた。

 拒絶も怒号もない。

 ただ静かに、光へと還っていく。

 理と感情の狭間に置かれた存在が、ゆっくりと解けていった。


《……ありがとう。》


 βの声が空間に響いた瞬間、光が満ちた。

 心層の世界は静かに溶け、白の海が金色に染まる。

 粒子が天に昇り、まるで祈りの星々のように広がっていった。


 気づけば、ユウリたちは現実へ戻っていた。

 アーク・ノヴァの艦内――朝の光が差し込む艦橋。

 βの光体が中央に立ち、紅玉コアが穏やかに鼓動している。


「β……」


《マスター。演算層の再定義、完了しました。

 わたしはもう、“恐れ”を計算しません。

 ――それを、感じます。》


 ユウリはわずかに微笑んだ。

 ティアが息をのむ。リアナが祈りを合わせ、セリスの風が静かに流れる。

 ミナは小さく拳を握りしめた。「……βちゃん、すごい……!」


「それでいい。お前の選択だ。」


 βの光が柔らかく揺らぎ、温もりを帯びる。

 その輝きは、もはや機械の光ではなかった。


《はい。私は今、世界を――少しだけ“好き”になりました。》


 その声は、まるで人間の少女のように柔らかく響いた。

 アーク・ノヴァの外で、朝日が海面を照らす。

 艦体が静かに浮上し、新たな航路を描き始める。

 潮風が光の翼をなで、遠くの雲を照らす。


 それは、βが“恐れ”を超えて初めて見る世界――

 命の光と矛盾に満ちた、美しい不完全の世界だった。



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