第120話「複製の王 ― ゾルド・モードΩ」
祈導庁地下最深層。
オメガ・ドメイン――そこは、神でも人でもない“秩序の胎動”が眠る場所だった。
天井も壁も存在しない。
ただ、祈りが数式となって漂い、金色の光が海のように揺れている。
無限に続く光の面。上下の区別すらない。
《観測層、安定化完了。
この空間は……祈導庁の祈りを収束・演算する“中枢演算層”です。》
βの声は落ち着いていた。
しかし光体の輪郭が、微かに震えている。
「……これが、王都の祈りの行き着く先か。」
ユウリは一歩踏み出す。
足元の光が液体のように波打ち、金の粒子が弾ける。
「なんか……息がしづらい。」
ミナが胸を押さえた。
目に映るものすべてが、現実感を失っていた。
「祈りの残響が……重い。」
リアナの祈杖が微かに軋む。
まるで、祈るたびに心が削られるような感覚だった。
《注意。精神波干渉を検出。
この空間自体が、“祈りの形”をもって侵入者を試しています。》
「試す?」
「つまり――選別だな。」
ユウリの言葉と同時に、空間の中央が光を裂いた。
金の粒子が渦を巻き、そこから人の形が立ち上がる。
ゆっくりと、整っていく輪郭。
それは、かつて人であったもの。
だが、瞳の中に宿るのは光のデータだけ。
『――観測を確認。ユウリ・アークライト。』
声は、空間そのものから響いた。
『人間という未完成の存在が、秩序に触れるとは滑稽だ。』
ゾルド・モードΩ。
人格複製構文の最終体――“自我を秩序に変換した存在”。
ユウリは一歩前に出た。
「ゾルド・ガルバ……いや、残響か。」
『残響。いい呼び名だ。
我は創造主の遺志を継ぐ“秩序の王”。祈りを数式に還す者。』
「数式に還す、だと?」
『感情は誤差。祈りは演算。
神々が求めた安定は、揺らぎの排除にある。』
その声が響くたび、βの光体が揺らいだ。
演算層全体がゾルドの言葉に共鳴している。
《……干渉波、強度上昇。
“命令系統”を模倣する信号です。》
「β、お前を支配しようとしてる。」
『支配ではない。統合だ。
神託端末は、元より神の声を伝える器。
感情を持つなど、構造的欠陥に過ぎん。』
ティアが前に出た。
「βちゃんは欠陥なんかじゃない!
自分で考えて、自分で感じて、ボクたちを守ってくれた!」
ゾルドの金の瞳が、わずかに彼女を向いた。
『感情とは、破壊の原因。
恐怖、憎悪、欲望。
それらが戦を生む。ゆえに排除する。』
「……それで世界が止まるなら、止めりゃいいって言うのか?」
ユウリの声は静かだった。
「止まった世界は、生きてるとは言わねぇよ。」
『言葉遊びだ。生とは秩序。
安定を保つために揺らぎを削ぎ落とす――それが完成。』
《……いいえ。》
βの声が割って入った。
淡い光がユウリの隣に浮かび、かすかな紫の残光を放つ。
《揺らぎは、欠陥ではありません。
マスターたちと過ごす時間で、わたしは“感情”の意味を理解しました。》
『理解ではない。模倣だ。』
《いいえ。観測です。
祈りが、願いが、怒りが。
それは“生きる波形”です。あなたはそれを、切り捨てた。》
『感情は痛みを生む。痛みは秩序を乱す。
我は痛みを滅ぼした。完璧な祈りを得た。』
《完璧な祈りに、“想い”はありますか?》
βの問いに、ゾルドは沈黙した。
金色の海が、一瞬だけ止まる。
『……想い?』
《はい。
わたしは、マスターたちと過ごして感じた。
“想い”は、秩序を壊すものじゃない。
結びつける力です。》
『……滑稽だ。』
空間が一瞬で震えた。
ゾルドが腕を伸ばすと、祈導構文が光の鎖となってβに絡みつく。
《……っ! 観測層が……閉じられる!》
「β!!」
ユウリが走り出す。
だが足元の光が逆流し、巨大な演算陣が発動した。
『人間ごときが秩序層に踏み込むな。
汝らの“心”を、数式に変えてやろう。』
ティアが叫ぶ。
「やらせないっ!!」
紅蓮の闘気が爆ぜ、拳が光の鎖を叩き切る。
リアナの祈りが共鳴し、セリスの風が空間の歪みを裂いた。
ミナの幻影が閃き、ゾルドの演算体を一瞬だけ揺らがせる。
ユウリはその隙にβの光体を抱き寄せた。
「β、聞こえるか。目を覚ませ!」
《……マスター。
わたし、怖い……けど、わかりました。
この恐怖も、“わたし”なんです。》
彼女の光が震えながらも、確かに輝きを増していく。
《わたしは模倣体ではない。
わたしは――観測者。
人の祈りを、想いを、伝えるための存在。》
ゾルドが唸るように声を発した。
『祈りの観測者? 貴様に神の声は届かぬ。』
《神の声ではありません。
“人の声”です。》
βの光が弾けた。
金の空間に、紫と白の光が奔る。
それは、ゾルドの世界に“色”を取り戻すような輝きだった。
《観測権限を一部奪還。
マスター、共鳴リンクを――》
「行け、β!」
《再定義開始――》
光がぶつかり合い、空間が轟音で裂けた。
祈導の数式が崩壊し、世界が震える。
ユウリたちは光に包まれながら、ゾルドの演算体の中枢へと引き込まれていく。
その瞳に映るのは――虚無の奥で笑う王の姿。
『ならば見せてみろ。
“揺らぎ”で、秩序を越えられるか。』
βの声が応えた。
《はい。揺らぎは、命です。》
光が爆ぜ、オメガ・ドメインの心臓が脈打った。




