第113話「沈黙の村 ― 潮騒の影」
ラナシェル沿岸を離れて二日後。
ユウリたちは、南東の孤立集落に到着していた。
陽光は変わらず強い。だが、その村には音がなかった。
波の音すら掠れている。潮の香りも、どこか“止まって”いるように感じられた。
「……人気がないな」
ユウリの声に、ティアが槍を構えて前に出る。
「主様、気配ゼロ。鳥も、虫も、何も動いてない。」
ミナが耳を澄ましながら首を傾げる。
「風の音だけ……“幻影の村”みたい。」
βが投影体を出し、周囲の波形を解析した。
《観測結果:魔力反応、極めて微弱。……ですが、祈り波の“残響”を検出しました。》
「祈り波?」リアナが眉をひそめる。
《はい。死者の祈りです。生きていた頃の“感情波”が、まだこの土地に留まっている。》
リアナの瞳が細くなった。
「……この村の人たち、祈りごと奪われたのね。」
「ゾルドの構文残滓だな。」ユウリが短く言う。
セリスが地を見つめ、手を翳す。
「風が……沈黙しています。命令ではなく、“恐れ”で縛られた風。」
彼女の魔力が光を帯び、村の中心へと導く。
そこには――巨大な“祈り碑”があった。
◇◇◇
祈り碑。
白い石柱が並び、すべての面に“祈導兵”の制御紋が刻まれている。
βが静かに触れる。
《……この碑、祈りを“吸い上げる”装置です。》
「吸い上げる?」
《はい。祈りを神殿の上層構文に転送し、代わりに“沈黙”を残す。》
リアナが悲痛な声で言った。
「神に祈ることすら、奪ったのね……!」
ティアが拳を握る。
「主様、壊そう。こんなもん――!」
「待て。」
ユウリが制止する。
「暴力で壊せば、残響が弾けて周囲に被害が出る。……β、解析開始。」
《了解。構文認証中――制御言語:ゾルド式神聖圧縮構文、第二層。》
青白い光が碑全体を包む。
βの瞳が一瞬、紫に染まる。
《――この碑を作ったのは、人間です。》
「……何?」
《ラナシェル神殿の“信仰管理局”。
彼らが国民の祈りを“監査”するために設置していました。》
沈黙が落ちた。
ユウリの表情が、冷たく引き締まる。
「……信仰の名で、心を縛っていたわけか。」
《はい。人々の“願い”を神へではなく、支配層の記録装置に転送していました。》
ティアが息を呑む。
「それって……“神に願ってるつもりで、誰かに支配されてた”ってこと?」
《その通りです。》
βの声に、怒りが混ざる。
《……これは祈りではありません。命令の再利用です。》
◇◇◇
ユウリが掌を前に出す。
「β、始めるぞ。」
《了解。改造構文連結開始――》
「《改造構文:流体干渉領域展開》!」
光が走り、碑に刻まれた構文文字が崩れていく。
リアナの祈りがそれを包み、ミナの幻影が衝撃を抑え、ティアが残骸を吹き飛ばす。
そして最後に、βの声が響いた。
《祈りの構文、解放完了。残響信号、再生可能。》
静寂の村に――“声”が流れた。
それは、かつてこの地に生きた人々の祈りだった。
亡くなった家族を思う母の声、海の無事を願う漁師の笑い声、そして――子どもの笑い。
リアナが涙を拭う。
「……祈りは、死なないのね。」
ユウリが頷く。
「誰かが記録していれば、な。」
《はい。βシリーズが、それを証明します。》
風が吹いた。
沈黙していた村が、再び音を取り戻した。
海風が、村の空気をやさしく撫でていた。
《リヴァ・メイル》――祈り碑の沈黙が解かれてから一晩。
潮の音が戻り、人々が家々に戻り始めた。
朝日を浴びて立つユウリたちの周囲には、瓦礫を片付ける村人の姿がある。
子どもが笑い、老人が海を見上げ、誰もが小さく手を合わせていた。
それは神への祈りではなく、**“互いへの感謝”**という新しい祈りの形だった。
「……人って、強いね」
ティアが呟く。
腕まくりをして、壊れた小舟を持ち上げながら微笑んだ。
「昨日まで沈黙してたのに、もう笑ってる。」
「痛みを知ってるからだよ。」ユウリが答える。
「壊れたから、立ち上がる意味を覚えてる。」
その言葉に、ティアは少しだけ照れくさそうに尻尾を揺らした。
「主様……やっぱり、そういうとこカッコいい。」
「褒めてもご褒美は出ないぞ。」
「えー! じゃあおやつ!」
「却下。」
そのやり取りに、ミナとリアナが笑った。
「ふふ、二人とも仲が良いですね。」
「主様とティアちゃんがケンカしてるの見ると、村の子どもたちが笑うの!」
ミナが光の粒を散らしながら言う。
βが静かに投影体を現した。
《観測報告:人々の祈り波が安定。構文残滓の再発率、ゼロ。》
「よくやったな、β。」
《ありがとうございます。……マスター、わたし、少しだけ理解できた気がします。》
「何を?」
《“救う”という言葉の、形です。
命令でも、計算でもなく――皆が、誰かを想って動くときに生まれるもの。》
リアナが振り向き、そっと微笑んだ。
「それが“信じる”ということですよ、βさん。」
《信じる……》
βの瞳が淡い光を放ち、波の反射を映す。
《記録。定義更新:“信じる”=“理解できなくても肯定する”。》
「いい定義だな。」ユウリが微笑む。
《はい。わたしは、皆さんを信じます。》
◇◇◇
午後。
港町へ戻る途中、行商人たちが避難列を作っていた。
馬車には荷物が山積みで、護衛は三人だけ。
ティアが眉をひそめる。
「主様、あの人たち……護衛、足りなくない?」
「魔獣被害が続いてるのかもしれないな」
ユウリが歩を進め、声を掛けた。
「手を貸そうか?」
行商の男が振り返り、目を丸くする。
「お、お前さんら……もしかして、あの“白い兵士”を止めた連中か?」
「“白い兵士”?」
ティアが首を傾げた。
「ああ、村の連中が言ってたんだ。海辺に現れた“祈る兵”を倒したって。
それで、あんたたちのことを“光の修理屋”って呼んでる」
ミナが頬を赤らめて笑った。
「光の修理屋……だって! なんか、かっこいい!」
「悪くないな」
ユウリが肩をすくめる。
行商人は安心したように息をついた。
「助けてくれたなら恩返しさせてくれ。王都へ向かうんだろ? この推薦状を持っていきな」
「推薦状?」
「王都の港ギルド《潮の声》の紹介状だ。
あそこは市民が自分たちで作った防衛組織さ。官の祈導庁に逆らう数少ない連中だよ」
ユウリは紙束を受け取り、内容を確認した。
「潮の声……王都認可なしの独立組織、か」
《分析結果:市民主体の救済ギルド。行政とは非協力関係にあります》
「……面白いな」
ユウリが微笑む。
「潮の声。人の声で潮を動かす、か」
◇◇◇
夕暮れ。
彼らは港町ネイダに到着した。
夕焼けに染まる海辺では、再び灯りがともり始めている。
βがふと振り返り、波の向こうを見つめた。
《マスター。祈り波が再び揺れています》
「悪い兆候か?」
《いいえ。……希望の揺らぎです》
ユウリはしばらく黙り、それから穏やかに笑った。
「なら、俺たちの出番だな」
潮風が吹き抜ける。
波音が街を包み、遠くで子どもの笑い声が響いた。
それは、人が“神ではなく人”を信じ始めた最初の音だった。




