第109話「潮騒の休息 ― 南海の島国到着」
夜明けの光が水平線を照らす。
《アーク・ノヴァ》の甲板には潮の香りが満ち、遠くでは白い波が跳ねていた。
リュミエル港を発って数日──海風は次第に暖かさを増し、雲は金色に染まる。
穏やかな波に揺られながら、港へとゆっくりと入港する。
潮風には甘い果実の香りが混じり、遠くでは鳥たちが陽気に鳴いていた。
――久々に、世界が“平和”を許してくれているようだった。
「……着いたな。南海ナイレア諸島」
ユウリが呟く。ナイレア諸島、ラナシェル国。
港に見える街は、白い石造りの家々が立ち並び、青い屋根が陽光を弾いて輝いていた。
ヤシの葉が風に揺れ、香辛料と果物の匂いが混じる。まるで絵本の中の楽園のようだ。
「わあぁぁ……すごいっ! 主様、見て! すっごいきれい!」
ミナが甲板から身を乗り出し、両手を広げて歓声を上げる。
ティアも尾をぱたぱたと振りながら笑った。
「主様! ほら、海だよ! 泳いでいい!?」
「今すぐはダメだ。まだ港の手続きが……」
「うー、主様のけちぃ!」
リアナが微笑む。
「ティア、まずは感謝の祈りを捧げましょう。無事にここまで来られたのですから」
「リアナ姉は相変わらず真面目だね~」
ティアが頬をふくらませる。
βが静かに報告を挟んだ。
《環境データ解析完了。気温26度、湿度やや高め。マスター、補給と休息を推奨します》
「了解。……よし、今日は休みだ」
ユウリの言葉に、全員が一斉に歓声を上げた。
「ふう……ようやく着いたな。砂と熱風の旅とは、さすがに違うな」
ユウリが眩しそうに目を細めると、隣でティアが翼をぱたぱたと揺らしながら笑った。
「主様、海が青い! あんなに広い水面、初めて見た!」
「泳ぎたいの?」
「もちろん! ボク、竜力を抑えたら沈まないし!」
ミナはというと、すでに港の屋台に目を輝かせていた。
「ねぇねぇ、あれ見て! 果物山盛りのかき氷だって! リアナお姉ちゃん、行こ!」
「ミナ、待ちなさい。まず宿を確保してからです」
リアナは苦笑しつつも、目を細めて潮の香を吸い込む。
「……不思議ですね。祈りでもないのに、心が洗われるようです。」
セリスは静かに髪を風に流しながら、港町の喧騒を見つめていた。
「この温度差……生態系も魔力も、まるで別の世界です。」
「休むのも仕事のうちだよ、セリス。」
「理解しています。ですが――陽光が、少し眩しすぎて。」
そう言って彼女が僅かに目を細めた瞬間、緑の髪が光を弾き、宝石のように輝いた。
◇◇◇
昼下がり、白砂の浜辺。
風が柔らかく吹き、波が足元をくすぐる。
ティア、ミナ、リアナ、セリス、βがそれぞれ“水着”姿に着替えていた。
ユウリは一歩離れた岩の上に座り、思わず視線を泳がせた。
(……いや、これは訓練ではない。冷静に観察だ……観察……決して邪な思いで見ているわけではない)
波と笑い声が混じる音。
ティアたちが、久々の“少女らしい時間”を楽しんでいる。
「……すげぇな」
思わず呟く。
――ティア。
竜鱗模様をあしらった赤と黒のビキニ。
彼女らしい、凛々しくも快活な装い。
波間を蹴るたび、飛沫が金色に輝く。
彼女の存在そのものが太陽だった。
笑うたび、角が光を受けて、宝石みたいに輝く。
(まさに竜の娘……燃えるような生命力だな)
「主様、見て見てーっ!」と手を振る姿が、あまりに自然で、胸が温かくなる。
――ミナ。
水色と薄紫のフリル付き水着。
その小柄な体にはまだ幼さが残るけれど、笑顔はどこか誇らしげ。
幻影で作ったイルカを追いかけて、子供たちに混じってはしゃぐ姿はまるで“夏の妖精”。
彼女が走るたび、足跡が光の粒を残す。
風よりも軽やかで、儚くて、けれど確かに生きていた。
(無邪気って言葉が、彼女そのものだな)
――リアナ。
白と金のビキニ。
普段の祈導服姿からは想像もできないほど、女性らしいライン。
金の髪が日差しに照らされ、肌がほのかに光を反射する。
その姿は――“清らかな色気”とでも言うべきか。
彼女は浜辺で砂を払いながら祈るように手を組んでいて、
その横顔を見た瞬間、胸の奥がほんの少し、痛くなった。
「……あれは反則だろ」
小声で呟く。誰にも聞かれないように。
(まるで……天使が海に降りたみたいだ)
――セリス。
エメラルドグリーンの薄布を纏った、ロングスカート風の水着。
足首に光の輪が浮かび、歩くたびに風が巻き上がる。
まるで人間ではなく、海の精霊が姿を借りているかのよう。
瞳の緑が波に溶け、視線を向けるたびに胸がざわついた。
静かな、でも強い存在感。
(……幻想の精霊が、そのまま現れたようだ)
それを見てユウリは、ふっと笑みをこぼす。
戦いばかりの日々の中で、こうして笑い合える時間があることが、どれほど貴重かを噛みしめていた。
そのとき、海辺の陽光に溶けるようにして――白銀の光がふわりと現れた。
◇◇◇
夕方。潮が引き、金色の砂が広がる。
ミナが果物を抱え、ティアは貝殻のネックレスを作っていた。
リアナは陽に焼けた肩を隠すように布を羽織り、セリスは涼しげに扇を揺らしている。
ティアが口を尖らせる。
「主様、さっきリアナ姉ばっかりジロジロ見てたよね~?」
「み、見てない。観察だ」
「観察って便利な言葉だねぇ」
「いや、違う意味で!」
ミナが無邪気に笑いながら言う。
「でもリアナお姉ちゃんのおっぱいおっきいもん! 仕方ないよね!」
「み、ミナ!? そんな……っ!」
リアナは顔を真っ赤にし、胸元を押さえた。
すると、静かにセリスが一言。
「なるほど。ユウリは胸の大きな女性が好みなのですね」
「ち、違う! なんでそうなる!」
「では、時空干渉で肉体を操作してみましょうか?」
「えっ!? そんなことまでできるのか?」
「ジョークです。ユウリをからかうのは楽しいですね。定期的に実施してみます」
「できればやめてくれ」
セリスの口元に、かすかな笑み。
彼女が“冗談”を覚えた瞬間だった。
「いいなぁ……リアナお姉ちゃんのおっぱい、ふわふわでおっきくって」
「み、ミナちゃん!? そ、そんなにまじまじ見ないで!」
「だって、柔らかそうなんだもん~」
「ティアちゃんもミナちゃんも……もう!」
そして――とどめを刺したのはリアナだった。
「こ、この脂肪の塊がお役に立てますでしょうか……?」
「やめてリアナ! 言い方がちがう!!」
ユウリが真っ赤になり、ティアは腹を抱えて笑う。
βが静かに記録しながら言った。
《記録:この現象、“羞恥”と呼ばれます》
「β、お前も覚えなくていい!」
笑い声が波音に混ざり、空まで届いた。
《観測開始。気温、湿度、魔素濃度……安定しています》
神託端末β。
アーク・ノヴァの投影装置を介して、砂浜にホログラムとして降り立った。
淡く透ける少女の輪郭。髪も瞳も光でできているのに、風を受けて揺れて見えた。
《水着文化:理解困難。……解析のため、擬似衣装データを生成します》
光の粒が彼女の体を包み、やがて淡い水色のワンピース型の“光衣”が形を成した。
「おお……似合うな」
ユウリの口から自然に声が漏れる。
実体などない。ただの光の姿。
それでも、波の反射を受けたβの輪郭は、まるで生命を帯びて輝いていた。
《評価:肯定的。マスターの視線、平均値より1.4秒長いです》
「……観測すんな」
「βちゃん、それ反則~!」ティアが笑う。
「解析対象にされる気分は、なかなか複雑ですね」とリアナも微笑んだ。
βは小さく瞬きのような光を放った。
《……この時間、温かいですね。太陽のせいだけではない気がします》
「人が笑ってる場所には、温もりが集まるんだ」
《では、これが“幸福”……という現象ですね。観測、完了です》
βの光がやわらかく揺らぎ、仲間たちの輪に溶けていった。
日差しは午後に傾き、波の音が子守唄のように響く。
ティアは貝殻を拾い、ミナは砂の要塞を仕上げ、リアナは照れながらスカーフを直し、セリスは静かに皆を見守る。
ユウリは、そんな彼女たちを眺めながら思った。
――この時間こそ、戦う意味だ。
《マスター》
「ん?」
《今日のデータを記録しました。……保存名、“幸福の浜辺”でよろしいですか?》
「それでいい。永久保存だ」
《了解。では――この光景を、永遠に残します》
海風が吹き抜け、笑い声が響いた。
戦いの果てに見つけた、ひとときの平穏。
その中心で、βの光は穏やかにまたたき、仲間たちを包み込んでいた。
――彼女がいつか本当の身体を得るとき、
この“温もりの記録”が、きっとその心臓になるのだろう。




