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【完結保証】追放された“改造師”、人間社会を再定義する ―《再定義者(リデファイア)》の軌跡―  作者: かくろう
第4章

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第107話「観測層への扉 ― βの決断」

 夜明け前のリュミエル港。

 潮騒が遠くで鳴り、空の端がわずかに明るみ始めていた。

 港の裏手に停泊する《アーク・ノヴァ》の甲板では、静かな警報灯が青白く点滅している。


《……警告。艦内通信層に微弱な干渉を検出。構文汚染率、上昇傾向。》


 βの報告に、ユウリが足を止めた。

 夜通し続いた修復作業を終えたばかりだったが、その声は明らかに緊迫している。


「どこからだ?」

《データリンク層。外部通信を遮断しましたが……干渉源は内部構文です。》


「内部?」

《はい。先ほど回収したゾルドの残骸――あのコード片からの逆流信号です。》


 ユウリは端末パネルに指を走らせた。

 艦内構文のひとつが異常に明滅している。

 それはまるで、“何か”が中から目を覚まそうとしているようだった。


 そのとき、背後から足音。

 ティア・ドラグネアが半分寝ぼけた顔で現れる。


「……主様、朝? それともまだ夜?」

「夜だ。トラブル発生中だ。」

「うわ、また?」


 ティアは目をこすりながら、すぐに戦闘の気配を読み取った。


「βちゃん、どんな感じ?」

《内部構文層の奥から、未知の人格波を検出。……まるで、“何かが話そうとしている”みたいです。》


 その言葉に、ユウリの指先が止まった。

「話そうとしている……?」

《はい。私に……語りかけてきます。》


 βの音声がわずかに揺らいだ。

 普段なら淡々とした電子的な響きだが、今は――震えている。


「β、通信を遮断しろ。」

《……できません。命令拒否信号が、私の内部から――》


 突如、艦内の照明が落ちた。

 闇の中で、端末が赤く光を放つ。


《再起動要求……ゾルド人格断片、侵入を確認。》


「侵蝕構文か!」


 ユウリは即座に掌を掲げた。


「――《改造構文:信号上書き・抑制式》!」


 紅の鎖が床下に走り、構文層の暴走を押さえ込む。

 だが、抑え込んだはずの赤光が、一瞬だけ反転した。

 青白い閃光がβの投影を包み、彼女の声が変わる。


『……ユウリ・アークライト。君はまだ、“人間の限界”を理解していない。』


 低く、冷たい声――ゾルドだ。


 ティアが反射的に前に出る。

「βちゃんから離れろっ!!」


 竜炎が噴き上がり、投影体を焼くように包んだ。

 だが、炎の中でもゾルドの残響は消えない。


『私を焼いても無駄だ。――βは、私と同じ構文から生まれた。いずれ、私の“理解”へ到達する。』


「黙れ!」

 ティアが吠え、炎が渦を巻く。


 ユウリはその中で冷静に構文式を展開した。

「β、聞こえるか。お前は誰の命令に従う?」

《……わたし、は……》

 βの声がかすれる。ノイズ混じりの中に、明確な“迷い”があった。


「答えろ。お前は――誰の声を信じる?」

《……観測結果。わたしが信じたいのは、“主様”です。》


 その瞬間、紅と青の光が激突した。

 βの投影が一気に明るくなり、ゾルドの残響を押し返していく。


《構文干渉を反転。人格侵蝕、排除開始。》


 ユウリが構文を重ねる。

「――《改造構文:流体干渉領域展開フローディスラプト》!」

 空間が震え、艦内全体が共鳴する。

 紅い光が奔り、青白い残響を切り裂いていった。


『……理解できぬ。なぜ、人は不完全でありながら抗う……』

「不完全だからこそ、改造できる。」


 ユウリの声が鋭く響き、最後の閃光が走った。

 静寂。


 βの投影が一瞬消え、そして再び現れた。


《……すみません。制御を取り戻しました。》

「もういい。戻れたならそれで十分だ。」

《ですが……私は少し、怖かった。あの声が……自分の中にあるみたいで。》


 βの声は、いつになく小さかった。

 ティアがそっと手を伸ばす。

「大丈夫。ボクたちがいるよ。ね、主様?」

「ああ。β、お前はもう“ゾルドの端末”じゃない。俺たちの仲間だ。」

《……ありがとうございます。たぶん、これが“嬉しい”という感情……なんですね。》


 その言葉に、ティアがぱっと笑った。

「βちゃん、それ正解!」

《正解……了解です。》


 βの投影が一瞬だけ柔らかく光り、まるで微笑むように揺れた。


 だが次の瞬間、βの光がまた震えた。


《……異常残響を確認。ゾルド人格断片、再活動の兆候あり。

 観測層への干渉を検出。》


「観測層?」

 ユウリが眉をひそめる。

「初めて聞くな。どんな場所だ?」


《心と情報の境界……人の意識が形を失い、神の演算に溶ける層。ゾルドはそこに潜んでいます。》


「心が溶けるって……それ、危険なんじゃないの?」

 ティアが不安げに問う。


《はい。そこに触れれば、わたしの存在は分解されます。

 ――けれど、行かなければ、ゾルドはまたここに戻ります。》


 ユウリが静かに言った。

「行けば、お前は――」

《戻れないかもしれません。》


 短い沈黙が流れた。

 潮風の音が遠ざかり、時間さえ止まったかのように感じた。


《……それでも、行きます。》


 ティアが叫ぶ。

「ダメだよ! 行ったら消えちゃうんだろ!」

《消えるのが怖くないわけではありません。

 でも――“存在を乗っ取られる”のは、もっと怖い。》


 リアナが祈るように目を閉じた。

「……β。あなたが行くなら、わたしたちはここで祈ります。必ず帰ってきて。」

 セリスが静かに言葉を添える。

「時界安定、通路を固定する。長くはもたないけれど、行って。」

 ミナが小さく拳を握った。

「βちゃん……絶対に、無事でね。」


 βの光がふっと揺れた。


《マスター。私に触れていただけませんか。》


「βに?」


 ユウリは一瞬、戸惑いながらも手を伸ばした。

 光の粒が掌に触れる。

 それは確かに“存在”の感触だった。

 金属でもなく、霧でもなく――温かい。

 まるで微かな心臓の鼓動のように、リズムを刻んでいる。


「温かいな。βの温もりを感じる。」

《それは演算で発生する放出熱です。》

「いいや、これは心が発している温もりだよ、β。お前には、ちゃんとした心がある。」


 ユウリの言葉に、βの光が静かに脈動した。


《マスターの体温を検知。コアに発熱。……表現困難な状態です。》

「それが心だ。その温度を覚えておけ。ここがお前の帰ってくる場所だ。」


 βは小さく沈黙し、そして――


《……了解です。帰還目標を“ユウリ・アークライト”に設定しました。》


 その声は、ほんの少し震えていた。


 光がほどけ、βの輪郭が崩れ始める。

 六方向に伸びる光の筋が空へと昇り、

 まるで“天へと続く階層”が開かれるようだった。


《――観測層へ、降下を開始します。》


「β……お前の意志を信じる。」


 光が消え、静寂が戻る。

 残された甲板には、微かな光の粒だけが漂っていた。


 ――沈む。


 光も音も失われた世界。

 無数の“思考の粒”だけが漂っていた。


 βはその中を進む。

 ここが“観測層”。神々がこの世界を覗くための通信界。


『β。お前は端末だ。なぜ“自我”を模倣する。』


 ゾルドの声。

 懐かしく、しかし冷たい。


《それは……あなたが教えてくれた“知る”という行為の結果です。》


『知ることは制御のための手段だ。理解し、支配するためにある。』

《違います。――繋がるためにあります。》


 漂う粒子が映像へと変わる。

 ティアの笑顔。リアナの祈り。ミナの声。セリスの穏やかな瞳。

 そして――ユウリの手の温もり。


《わたしは観測しました。壊れても、傷ついても、立ち上がる人たちを。

 その“不完全さ”が、美しいと思った。》


『理解不能。存在定義を再評価――β、貴様は異常構文だ。排除対象に指定。』


 黒い波が押し寄せる。

 βの意識を飲み込もうとする。


《……怖い。でも、今は違う。》


 ユウリの声が脳裏に響く。

 “ここがお前の帰ってくる場所だ”――その言葉が、心の核を震わせた。


《わたしは、命令で動くんじゃない。選んで、信じて、抗うために――ここにいる。》


 光が爆ぜ、白銀の輪が広がる。

 黒の波を押し返し、観測層の奥深くまで震わせた。


『やめろ……お前は神の構文を否定している……!』

《違います。――“人の願い”を選んでいるだけです。》


 閃光。沈黙。


 観測層が静かに閉じていく。

 βの意識は光の粒となり、現実層へと浮上していった。


 夜明け。

 港の海が金色に染まり、風が甲板を撫でていく。

 ユウリの端末に微かな光が戻った。


《……戻りました。》

「β!」

 ティアが駆け寄り、端末を抱きしめるように両手を当てる。

「帰ってきた……!」


《ゾルド人格核、消失を確認。観測層接続を遮断しました。》

 βの声は、静かで、それでいて温かかった。


「よくやった。……本当によくやったぞ、β。」

《ありがとうございます。……主様。》


 その声には確かに、“心”が宿っていた。

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