第106話「紅と蒼の交差 ― リュミエル港戦、開幕」
朝の光が昇るにつれ、リュミエル港は次第に賑わいを取り戻していた。
漁師の声、船のきしみ、そして潮風。
だが、港の一角――《アーク・ノヴァ》の停泊地だけは、妙に静かだった。
βが小さく告げる。
《観測ログ更新。……異常なし。ですが、空間振動がわずかに不規則です。》
「不規則?」ユウリが眉をひそめる。
《はい。まるで、どこか遠くから“模倣信号”が近づいているような波形です。》
ティアが甲板の手すりに腰かけて、潮風を嗅いだ。
「うーん、匂いは普通の海だけど……空気がざらついてる。主様、風が変だよ。」
彼女の竜角が微かに光を帯びる。
リアナも目を細めた。
「潮の流れが……一方向に吸い込まれているように見えます。自然現象ではありません。」
港の外、水平線の先。
黒い影が近づいていた。
それは船――だが普通の船ではない。
帆もなく、煙突もなく、ただ黒い金属の翼を広げながら、波を裂いて進んでくる。
ユウリは目を細めた。
「古代の推進式か……いや、違う。あれは――構文反応を持ってる。」
βの声が震えた。
《検出。ゾルド系構文波……一致率82%。》
「ゾルドの人格端末……まだ残ってたのか。」
ユウリの掌に紅の光が走る。
「全員、警戒。β、周囲の通信層を遮断しろ。」
《了解。遮断構文展開――》
その瞬間、風が止んだ。
波の音さえ消える。
海面が静止し、太陽の反射が黒く染まった。
――黒潮が、街を飲み込むように押し寄せた。
リュミエル港の人々が叫び声を上げる。
黒い水が意志を持つかのように蠢き、桟橋を這い上がっていく。
その中心から、黒衣の男が現れた。
濡れた髪を揺らし、蒼く光る片目を持つ――まるでゾルドの分体そのものだった。
「……ようやく見つけた。原典の破壊者、ユウリ・アークライト。」
声は機械とも人ともつかぬ響き。
ティアが即座に前へ出る。
「アンタ……ゾルドの仲間?」
「仲間ではない。“端末”。私はゾルドの残留人格――モードB。」
βが震えた声を発する。
《確認。人格パターン一致。……本体の思考波と同一構造。》
リアナが聖印を掲げ、祈りを展開する。
「この街を汚させはしません!」
光の幕が張られ、港を守るように円陣を描いた。
男――ゾルド・モードBが微笑む。
「防御? 無駄だ。お前たちの“祈り”も、構文の一部に過ぎない。」
その背後で、黒潮が人の形に変わっていく。
無数の影が立ち上がり、目のない兵士たちが現れた。
全身が黒鉄で覆われた、自律構文兵。
「主様!」
「分かってる。――《改造構文:静音領域展開》!」
ユウリの足元から音が消える。
風が止み、空気が圧縮される。
次の瞬間、ティアが炎を放った。
「――《龍炎走》!」
轟音が走り、炎の奔流が黒影を焼く。
だがすぐに、焼けた影が再生した。
「再生型構文か……!」
ユウリが眉をひそめ、βが警告を重ねる。
《構文解析中……再生トリガー:ゾルド人格波との同期。切断推奨。》
「ティア、リアナ! 敵の“本体”を見つけろ!」
「了解っ!」
「はい!」
光と炎が交差し、港が戦場に変わる。
ミナが上空から影を斬り裂き、セリスの風がその残滓を吹き飛ばす。
βのホログラムが輝き、ユウリの構文を補助する。
《主様、構文波同期完了。敵人格の中枢を捕捉――位置、港倉庫下層。》
「そこか。行くぞ、ティア!」
「うんっ、燃やしてやるっ!」
彼らが駆け出す中、ゾルド・モードBが笑った。
「いいだろう。見せてみろ――“人間の限界”とやらを。」
◇◇◇
「ティア、前衛展開。リアナは結界維持。ミナ、左側の防衛ラインを。」
「了解! 主様、派手に行くね!」
「ええ、了解しましたわ。」
「了解。幻影、展開する。」
それぞれが動いた瞬間、港全体の空気が変わった。
ティア・ドラグネアが踏み出す。
足元の石畳が割れ、炎の紋章が広がる。
「《龍炎走》――!」
竜力をまとった一撃が前方の敵群を貫き、十数体をまとめて吹き飛ばした。
だが、崩れた兵の体から黒い煙が上がり、再び形を取り戻す。
《再生構文確認。再生周期三秒、同一波長で共鳴中。》
「厄介ね……。」
リアナ・フェリエルが祈りの杖を掲げる。
「《聖樹の加護》――光よ、腐蝕を拒め!」
緑と白の光が陣を描き、再生途中の兵を硬化させた。
その表面が白く凍り、動きを止める。
「ティア、今です!」
「了解っ!」
ティアの槍が閃き、凍結した兵を粉砕。
粉塵が朝の風に舞った。
一方、左翼ではミナが幻影を散らしていた。
足音も立てず、影の中を滑るように移動する。
「――《幻走》。」
彼女の分身が三方向に広がり、敵を惑わせる。
黒鉄の兵が幻影に反応して無駄に攻撃を繰り返す中、
本体のミナが一閃。短剣が構文炉の核を正確に突き刺した。
「再生構文……視覚情報依存。なるほど、単純。」
《素晴らしい観察です。ミナさん、次は右舷側へ。》
「了解、ベータちゃん。……援護お願い。」
《幻尾烈閃、支援起動――》
βが光学支援を展開し、ミナの動きに合わせて幻影の影を増幅させる。
港の端、黒い霧の中で次々と敵が倒れていく。
海風の向こうでは、セリス・フィオリアが静かに呪文を紡いでいた。
「……《森羅融合》。」
その声と共に、海辺の木々がざわめく。
空気が緑に染まり、精霊たちが潮風とともに舞う。
彼女の周囲に形成された魔法陣が、ゆっくりと回転を始めた。
「自然と理を繋ぎ、汝らの干渉を無に還す。」
その囁きが風となって走る。
光の蔓が港の床下を這い、黒潮の構文炉を包み込むように拘束した。
ゾルドの模倣構文が一部遮断され、黒潮の動きが鈍る。
《セリスの干渉成功。構文炉の再生速度、低下中。》
「さすが……。」
ユウリが低く呟き、掌を床に押し当てる。
「――《改造構文:流体干渉領域展開》。」
紅の線が水面を走り、海そのものが反転流を起こす。
黒潮の波が逆流し、構文兵たちの脚を絡め取る。
「ティア、上から!」
「任せて!」
彼女が高く跳躍し、槍を両手で構えた。
「《龍焔槍・ヴァーミリオンスパイク》!」
紅の閃光が空を裂き、海面ごと敵群を貫いた。
その光が消えた後には、焦げた蒸気と砕けた残骸だけが残る。
《敵数、半減。ですが――》
「まだ来るのか?」
《はい。港下層から“主構文波”を検出。ゾルド・モードB、接続開始。》
低い唸りと共に、港の中央から巨大な影が立ち上がった。
黒鉄の巨兵。人間の十倍を超える構文炉の集合体。
胸部には、ゾルドの蒼光が脈動している。
『……愚かな。模倣品にここまで苦戦するとは、滑稽だな。』
空気が震え、ゾルドの声が響く。
「笑っていられるのも今のうちだ。」
ユウリが指を鳴らす。
「β、全員の魔力波を統合しろ!」
《了解――共鳴拡張:白律展開。》
白い光がチーム全員の身体を包む。
ティアの炎がより鮮やかに燃え、リアナの祈りが強度を増し、ミナの幻影が実体を帯び、セリスの精霊陣が広がる。
「行くぞ、《再定義者》!」
「了解っ!」
仲間たちの声が重なった瞬間、戦場が光に包まれた。
ティアの炎が渦を描き、
リアナの祈りがそれを包み、
セリスの風が流れを導き、
ミナの幻影が敵の目を惑わし、
ユウリの構文が全てを再定義する。
五つの光が一つに重なり、
βの声が静かに響いた。
《共鳴干渉率、最大値。主様、起動を――》
「――《改造構文・断層制御》!!」
地が裂け、港全体が震える。
光と影が交錯し、ゾルドの黒鉄の軍勢が崩壊を始めた。
『これが……“人の共鳴”か……』
ゾルド・モードBの声が、海風に溶けて消えた。
朝日が昇る。
港の海が金色に染まり、潮風が静かに吹き抜ける。
ティアが息を吐き、槍を肩に担いだ。
「ふぅ……数は多かったけど、気持ちよかったね!」
「あなた、本当に戦闘狂ね。」とリアナが微笑む。
ミナは短剣を収めながら肩をすくめた。
「幻影の制御がギリギリだった……けど、悪くない戦い。」
セリスは静かに目を閉じ、風に髪をなびかせた。
「……また、風が笑ってる。」
ユウリがみんなを見回し、短く言った。
「上出来だ。《再定義者》の名に恥じない戦いだった。」
《主様。》
βの投影が柔らかく光る。
《……観測完了。皆さんの“想い”の同期率、98.2%。》
「ほぼ完璧だな。」
《はい。これが、“仲間”の力ですね。》
ユウリが小さく笑った。
「――ああ。まだ、ここからだ。」
そして《アーク・ノヴァ》の甲板に朝日が差し込む。
金色の光が、彼らの新たな旅路を照らしていた。




