第104話「光の残滓 ― 海底構文層の影」
夜の帳が港を包みはじめていた。
海は穏やかに揺れ、潮騒だけが低く響く。
リュミエル港の外れ、崖沿いに停泊する《アーク・ノヴァ》の外殻は、月光を受けて銀色にきらめいている。
ユウリは艦内の観測室で、βの光投影を見つめていた。
宙に浮かぶ幾何演算陣が脈動し、中央には青白い信号波形がゆっくりと形を変えている。
《観測報告。残留構文の解析、進行率74%。……ユウリ様、これは単なる波形ではありません。》
「人格波の断片、か?」
《はい。ゾルド・ガルバの思考パターンを模した“観測記録体”。自律判断を行うには不完全ですが、外部通信を求める兆候があります。》
「通信?」
《はい。外部ノードに接続を要求――ただし、宛先不明。》
ユウリは顎に手を当て、考え込む。
ゾルドが残したコピー人格が“外部”へ通信を試みている。
つまり、まだどこかに「応答する相手」が存在するということだ。
「β、外部信号を遮断して隔離領域に収めろ。逆探知は?」
《難航中ですが、構文経路の一部を特定。……信号はこの港の地下層、“旧交易網トンネル”方面に向けて発信されています。》
「港の下、か……」
そのとき、ドアが開き、軽い足音が近づいた。
桃色の髪を揺らし、ティアが顔をのぞかせる。
「主様~。また難しい顔してる。ねぇ、寝てないでしょ?」
「寝てたらお前が起こすだろ。」
「えへへ、正解♪」
ティアは勝手に隣の席に腰を下ろし、βの投影を覗き込んだ。
「これがさっきの海底のやつ?」
「ああ。断片的だけど、ゾルドの人格構文が残ってた。」
「……また出てくるの?」
ティアの声がわずかに硬くなる。
戦うことに迷いはないが、あの男が放つ“冷たい支配の気配”を思い出すたび、心の奥がざらつく。
ユウリはその横顔をちらりと見て、穏やかに言った。
「安心しろ。もう奴には好き勝手はさせない。」
「……うん。でも、主様がそう言うとほんとにそんな気がしてくるんだよね。」
ティアは笑い、尻尾をゆるく揺らした。
《お二人とも、追加情報を報告します。》
βの声が柔らかく響く。
《旧交易網トンネルの奥で、微弱な魔力反応を検出しました。人為的活動の可能性が高いです。》
「地下に誰かが潜んでる……?」
《はい。波形の特性から推定するに、“構文実験”を行っている可能性があります。》
ユウリの瞳がわずかに細くなる。
港の平和な表の裏で、ゾルドの技術を模倣している者がいるのだとすれば――放置できない。
「ティア、準備しろ。夜明け前に潜入する。」
「了解っ。ボクも戦えるモードにするね!」
「β、アーク・ノヴァの通信を待機モードに。必要なら空から支援を入れろ。」
《了解。観測リンクを保持します。お気をつけて。》
◇◇◇
夜半。
港街の喧噪が消え、波音だけが響く。
ユウリとティアは裏通りを抜け、廃倉庫街の奥へと進んでいた。
潮の匂いに混じって、油と鉄のにおいが漂う。
街灯のない路地を抜けると、朽ちた鉄扉が現れた。
「ここが旧交易網の入口……?」
「ああ。βの指示通りなら、構文の発信源はさらに地下だ。」
ユウリが掌をかざすと、赤い構文が扉をなぞる。
錆びついた金属が音もなく崩れ、静かに開いた。
地下通路は暗く、湿気を含んだ風が吹き抜ける。
ティアの瞳が金色に光る。
「主様、誰かの匂いがする。……人間、三人。あと、何か変なのが一つ。」
「変なの?」
「うん。人っぽいけど、人じゃない。……冷たい。」
その言葉と同時に、通路の奥から光が漏れた。
青白い魔法灯がぼんやりと揺れ、その下に複数の人影。
白衣をまとった技術者らしき者たちが、何かの装置を操作していた。
中央には――銀の筒状の機械。
その表面には、ゾルドの紋章に酷似した構文痕が刻まれている。
「……やっぱりな。」
ユウリが呟いた。
「これは、ゾルド式の“人格端末”を再現しようとしてる。」
ティアが一歩前に出ようとした瞬間、βの声が通信越しに響く。
《警告。内部で人格波の再起動を検出。装置が自動起動しています!》
金属の筒が震え、ひび割れた構文痕が赤く光り始めた。
白衣の者たちが叫び、後退する。
「だめだ、止まらない! 制御層が――!」
空気が震えた。
そして、声が響く。
『……修理者……。再会とは、皮肉だな。』
暗闇の中に、蒼く光る片眼。
ゾルド・ガルバ――そのコピー人格が、再び現れた。
◇◇◇
ティアの瞳が燃えた。
「主様、ボク行く!」
「待て。奴はまだ完全じゃない。暴走を利用して、構文ごと封じる。」
ユウリが構文陣を展開する。
紅の光が走り、空間の亀裂が広がった。
「《改造構文:信号上書き・抑制式》!」
ゾルドの体を縛るように、無数の赤い鎖が絡みつく。
『……人の理で神の模倣を封じるか。滑稽だな。だが、それでこそ“再定義者”だ。』
「口が回るうちは、まだ壊せるってことだ。」
ティアが吠えた。
「《龍炎走》――ッ!!」
轟音とともに紅蓮の奔流が走り、コピー人格の外殻を焼き尽くす。
青い光が一瞬、天井を貫いた。
やがて静寂が訪れる。
残されたのは、崩れ落ちた装置と焦げた床だけ。
ユウリは呼吸を整えながら、βに報告した。
「β、残留波は?」
《消失確認。人格端末、完全消滅です。》
「よし。」
ティアが笑い、肩で息をした。
「主様、終わった……ね。」
「ああ。だが――」
ユウリは足元の残骸に視線を落とす。
黒焦げになった金属片の奥で、微かに光が瞬いた。
《観測補足。残留コード片、自己修復を開始。これは……新しい形式の複製式です。》
βの声が低くなる。
ゾルドの“人格複製”は、進化していた。
港の夜風が吹き抜け、波音が再び戻る。
しかし、その静けさの裏で――確かに、何かが“目を覚まそう”としていた。




