6.埋まらない経験の差
それからどれだけの時間がたったか――。
もしかしたら1分もしなかったかもしれないが、クローが細く長い息を吐き、シャロンがヘナヘナと座り込んだことで、ネネユノは危機的状況を脱したことを察した。
ファヴを見上げると、彼も神妙な顔で頷いて剣を収める。
「観察されていたな」
ファヴの独り言がネネユノのみぞおちに沈む。
既に魔族の気配はないらしいが、しかし生きた心地のしないヒリヒリするような時間は、4人に大きな疲労感をもたらした。
一行は無言のまま、あらためてイコニラ雨林に向けて出発することとなった。
イコニラ雨林は南北に長いこの国の中でも最南端の王領である。
進むごとに湿度が上がってジメジメし、暑さに弱いネネユノはそれだけで疲弊してしまう。
既に最初の街を出て10日、イコニラ雨林に到達してから3日が経過している。無駄に広い雨林の中、ターゲットを捜して歩き回っているのだ。
魔物は強くなればなるほど行動範囲が広がるため、見つけるのも一苦労である。
ただ、道中の魔物にいちいち怯えなくて済むのは、ヒーラーであるネネユノにとって僥倖だった。
魔物がいないわけではない。単純に、月侯騎士団が強すぎるのだ。
「月侯騎士団ってみんなこんなに強いんですか」
アカロンのパーティーであれば1匹でも手こずるような魔物を複数相手にして、ファヴたちは瞬き2回ほどの速度で殲滅してしまう。
ヒーラーの出る幕などまるでない。
「総勢19名。国王陛下直轄の精鋭部隊だ」
「ンまー、もし冒険者のランクテスト受けたら全員AかSには入っちゃうよなぁ」
「えっえっ? Sランク冒険者って国内に5人しかいないんですよ?」
「そうねぇ。だからアタシたちは国の脅威になりそうな特殊な魔物に特化した討伐部隊なの」
「ひぇぇ……」
そんなAとかSとかあるようなヒーラーが傷を負って戦線離脱したのである。今回の標的であるインビジブルフロッグとはよほど強いに違いない。
場違いなところに来てしまったと後悔してももう遅い。見渡す限り、鬱蒼とした樹林が続くだけの土地だ。ひとりきりでは帰ることもできない。
「今日こそ見つかるといいよなぁー。暑いし早く帰りてぇ」
クローの言葉にファヴとシャロンが頷く。
早く帰りたいという言葉には同意するが、そのためにはSランクが苦戦するような敵を相手にしなければならない。
緊張のあまり両の拳を強く握ったネネユノの頭を、ファヴが元気づけるようにポンと叩いた。
「さあ、そろそろ前回出没地点だ。ここから先は、目の前に対象がいるつもりで進め」
前回出没地点。
つまり高ランクヒーラーが大怪我をした場所ということだ。
ネネユノの顔から血の気が引いていく。
「対象がいるつもり……って?」
「そりゃあ、インビジブルフロッグってのはその名の通り、見えない蛙だかんね」
「羨ましいわよね、見えなくなったら化粧しなくてもいいんだもの」
「ほんとにな! オレなら可愛い子ちゃんの部屋を覗くなぁ。花屋のリリーちゃんの部屋な」
クローは軽い口調でそう言って片目を瞑る。
「え……見えないって、保護色とかです?」
「恐らく。だが、ただの保護色なら――」
そこで言葉を切ったファヴが拾った小石を投げた。
瞬間、近くの樹上からネネユノの足元へばさりと何かが落ちる。そっと顔を近づけて見れば、なんとそれは蛾であった。しかもネネユノが両手を広げたよりも大きな蛾だ。
こんなにも大きな生物が間近にいたとはまるで気付かなかった。
「が、が、が、が」
「叫べば死ぬぞ。とまぁ、単なる保護色なら俺たちにわからないはずがない。だが例の蛙はもっと恐ろしいものだった」
「そうよ。何をされたのかわかんなかったんだから」
「ありゃあきっと保護色と魔術的な何かの複合だね。油断してるとこをこっそり近づいて、背後からドバーンって出来たら最高なんだけどなー」
いつもの調子で軽口を叩いてはいるが、気づけば彼らの目付きはすっかり鋭くなっていた。歩き方も今までとは違ってほとんど足音をたてていない。
しかしネネユノには経験値が足りず、そのような器用な真似はできなかった。
「ユノちゃん、こうよ、こう。足をこーして……こう!」
「なんの説明にもなってねぇんだけど」
シャロンの実演にクローが呆れたように首を横に振る。
ネネユノはシャロンの真似をしてはみるものの、東方のボン・ダンスのようにしかならないし、枝を踏むパキパキという音が僅かにゆっくりになっただけだった。
「クローこそ、敵が近くにいるかもなんだから無駄口やめなさいよね」
「音より匂いに敏感なんじゃなかったっけ?」
「ならクローがいちばんダメじゃない。野営でもちゃんと体拭いてるわよねぇ?」
「おま、こんなグッドスメルガイをつかまえて何言ってんの?」
声量こそ抑えているものの、クローとシャロンのじゃれ合いは尽きない。
フロッグという名がついているからには、姿を目撃した人物もいるはずだ。クローの言うとおり、油断しているところを一気に叩けたらいいのだが。
というネネユノののんきな考えは、次の瞬間には打ち崩された。彼女を除く3名の空気が変わったのだ。エリート集団は何かを感じ取ったらしく、それぞれが武器を握り直す。
ファヴのハンドサインに合わせてクローとシャロンがその場を離れた。まるで対象を挟み込もうとしているような動きだ。
「近くにいる。が、どこにいるかはわからない。探索すべき範囲を狭めていく」
囁くような説明にネネユノは頷くことで返した。
恐らく敵の放つ殺気のようなものを頼りに対象の周りをまわって、位置を特定したいということだろう。もちろん、ネネユノにはできない芸当である。
ファヴの後にくっついて、懐中時計を握り締めながらボン・ダンスでゆっくり進んでいく。
クローとシャロンがいなくなると途端に、そこかしこから響く得体の知れない生物の鳴き声が耳につくようになった。さすが雨林は生物多様性に富むと言うだけある。が、おかげで近くにいるはずの魔物の音を探れないのだ。
姿が見えず、音も聞き取りづらいとあっては確かに難敵と言えよう。
とにかくメンバーの状態に常に気を配ることが肝要だ。負傷すれば即座に治す。それを徹底するのがネネユノの仕事で――。
「え」
ファヴやネネユノとは逆に時計回りで進むクローたちの様子を見ようと、首を横に向けた彼女の目の前に太い枝がぶら下がっていた。すっかり視界を遮って邪魔なことこの上ない。
しかし払いのけようとしたネネユノの腕に、あろうことかその枝がまとわりついたのである。
「へび――っ!」
ネネユノにとって蛇はご馳走だ。さっぱりして癖がなく、焼けばホクホク美味い。それでいて栄養もばっちりなのだから、野営のお供にぴったりな食材だ。
一方で、蛇は天敵でもある。とにかく見た目が気持ち悪いし、手も足もないのにあんなに俊敏に動けるのは理解不能すぎる。ご飯を探しているとき以外は絶対に会いたくない生き物なのだ。
腕に絡みついた蛇が鎌首をもたげ「シャー」と威嚇したと同時に、ネネユノは蛇を放り投げた。――はずだった。
「……うそぉ」
4人が先ほどまでいた辺りを目がけて投げたはずが、なぜか忽然と姿を消したのである。
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