2.アカロンはやっぱりアカロン
ナオセナオセナオセと壊れた魔法人形のように繰り返しながら、ゴブリンはなおも執拗にネネユノへ右腕をのばす。
ファヴはネネユノを抱いたまま、それをひらりと躱して距離をとった。……しかしなんとそこへ、狙ったかのように転がり落ちたはずの左腕が飛んできたのである。
まるで意志を持っているかのごとく指を広げ、ネネユノの腕を掴まんとしていた。
「ひぃっ」
「ユノちゃん!」
間一髪、そばにいたクローが杖でゴブリンの左腕を叩き落し、手首を踏みつける。それでもなお、指は何かを求めて動いていた。
「キモいキモい! なんで動いてんのこれ!」
「クロー、ネネユノを頼む」
「おまかせあれー……ってか、やっぱこいつユノちゃんだけ狙ってんな」
ネネユノを降ろしたファヴは、剣を構えて再びゴブリンへと立ち向かう。
と言っても多少体躯が大きい程度では、人質を持たないゴブリンなどファヴの相手ではない。次の瞬間には頭部と胴体が切り離され、悲鳴さえあがらなかった。
一方クローは、ネネユノに防御魔法をかけながら、己の足の下にある左腕をしげしげと見つめる。ネネユノも釣られるように覗き込めば、ゴブリンの左手の甲にはどこかで見た覚えのある模様があった。
「もしかしてこれ……魔族の契約紋じゃね?」
「あっ。そういえばフリーランド伯爵にもこの模様あった!」
「ファヴが言ってたやつか――おわっ!」
本来の持ち主はすでに絶命しているにもかかわらず、左腕はクローの足の下から飛び出たかと思うと、またしてもネネユノへとその指先を向ける。
が、跳躍する寸前でファヴの剣がそれを地面に縫い付けた。
「悪い。油断したわ」
「いや、俺もまだ動くとは思わなかった。魔族の影響下にあったせいだろうな」
ネネユノはその辺に転がっている細い枝で、左腕をつんつんと突くがもう動かない。甲に刻まれた振り子と斧の紋章も時間経過とともに薄くなっていく。
城の北に位置する塔で見たフリーランド伯爵の契約紋もすぐに消えてしまったっけ、とネネユノは以前の出来事を振り返っていた。
「魔族……バルバーソって言ってたっけ?」
ネネユノの問いにファヴが頷く。
「高位の魔族だ。特に、人間を別の生き物へ転化する能力に秀でている。古くは多くの魔物を従え、人間を蹂躙した」
「その話はもっと聞きたいとこだけど、そろそろシャロンがキレそうなんだよなぁ」
「もうキレてるわよ! わかってんなら手伝いなさいよね、クロー!」
背後を確認すれば、シャロンがひとりで周囲の魔物をまとめて相手どっていた。
その数、十は軽く超えるだろう。どうりでゴブリンと相対する間に他の魔物に襲撃されなかったわけだ、とネネユノは口をポカンと開けた。
「そんくらいひとりで片付けられるだろーに」
「か弱い乙女に向かってなんてこと言うのかしら!」
「かよわいの意味知ってっか?」
「一緒に片付けてやりましょうか?」
クローとシャロンはいつも通りすぎるくらいにいつも通りだ。
それはきっと、アカロンの死を前にしてネネユノの心を軽くしようとしているのだろう。そんな心遣いくらいはネネユノにもわかるようになっていた。
だったら自分もいつも通りにするべきだ。アカロンが魔物になったって、死んでしまったって、悲しくはないよと教えてあげなくては。
「お金はシーフが盗んでたし、持ってないよねぇ」
手に持ったままだった細い枝で、ゴブリンの身体を突く。すると右肩から斜めに掛けたカバンの口が開き、ごろりと音を立てて棒状の何かが転がり落ちた。
「これ、私のだ。アカロンが買ってくれたやつ」
ネネユノが拾い上げたのは小振りな戦棍である。先端に金属でできた紡錘形の飾りのついた細い棒で、長さは彼女の指先から肘にも足りないくらいだ。
パーティーを追放された際に、宿屋に置きっぱなしだったこれはアカロンが回収したのだろう。
『は? お前、武器も持ってねぇのかよ。ヒーラーなら杖くらい……いや、これ買ってやる。聖職者がよく使うし鈍器にもなってちょうどいいだろ』
アカロンのパーティーに加入してすぐのことだった。
当時ネネユノは、時魔法を隠して治癒士の振りをしていたものの、杖などの治癒士用の武器は持っていなかった。
己の手だけを頼りに治癒を行う者も少なくないので、治癒士であることを疑われることはなかったが……魔法職であっても武器は持つべきと考える人間のほうが多い。
杖や魔導書、あるいは魔法札などを用いたほうが魔力を効率よく動かすことができるのだから、それも当然のことではあるのだが。
それもあってか、アカロンは素手だと理解するなり戦棍を買い与えてくれたのである。孤児院を出たばかりで心細かったネネユノにとって、この戦棍は仲間として受け入れられた証でもあった。
「そうか。思い出の品だな」
「うん。……武器を買ってやったんだから戦えって前衛ポジに押し出されたけど」
あれは死を覚悟した。
まさか魔法職を剣士より前に出すとは。敵ではなくアカロンをぶん殴ってやろうと何度思ったことか。
一瞬寂しさを感じたのは気のせいである。アカロンはいつだってアカロンなのだ。
「俺たちといる時に使うことはないだろうが、念のために持って行くといい。次に王都へ戻ったら、もっと質のいいものを準備する」
「ん、ありがと」
拾った戦棍は懐かしい手触りがする。
アカロンが死んだって自業自得だし悲しくない。だけどほんのちょっとだけ、やっぱり寂しい気がした。
「よし、先に進むぞ。ダンジョンはもう目と鼻の先だ。魔族の襲撃にも警戒を怠るな」
ファヴがクローとシャロンに声を掛ける。
了解と返事をするふたりはもう、魔物を片付け終えていた。このパーティーでは先頭に立たなくていい。代わりに彼らを絶対に死なせないぞと、ネネユノは心で誓う。
「そろそろトルヴァルドの隊と合流できるはずだが」
「えーっ! このダンジョン担当してたのってトルヴァルドなのぉ?」
シャロンが足を止め、特大の溜め息をついたのだった。




