40.もしかしてみんな荷物だと思ってる?
1時間後、ネネユノとシャロンは、多目的室から早々にシャロンの私室へ移動していた。
窓際のテーブルに向かい合って座り、シャロンがジトっと半眼でネネユノを見つめている。開け放った窓から入る風が、ダンスレッスンで火照った肌に心地いい。
「ユノちゃんって運動神経悪くないと思ってたけど」
「えぇっ? そっ、そりゃ月侯騎士団から見たらアレかもだけど、身軽さとか足の速さではランクBのシーフと張り合えたし」
「そうよねぇ。ふた月一緒に過ごしたけど戦闘中も変だなって思ったことはないわ。経験値不足はあるにせよね」
目の前には紅茶と並んでシャロンが出してくれたスコーンがある。クロテッドクリームは用意がないけど、なんて彼女は言ったが、ネネユノはクロテッドクリームがわからないので問題ない。
真ん中で割ってイチゴのジャムを塗っていると、シャロンが溜め息をついた。
「なんでダンスできないのかしら」
「はゎ……できてなかった? 完璧だと思ったのに」
「ちょぼちょぼしてたわ」
「ぅ。そのちょぼちょぼってなに? ファヴも言うけどよくわかんなくて」
「ああ、そうか。いつものちょぼちょぼ走りにも似てるわね。腰が引けて、足が……。ううん、それを食べたら城内の鏡のある部屋に行きましょう。見たほうが早いわ」
シャロンのダンス特訓は完璧にこなしたはずなのに、彼女が浮かない顔のままなのはまったく解せない。しかし、今のネネユノにとってそんなことは些事である。やっと食べ物にありつけるのだから!
スコーンは表面にツヤがあるのとないのがある。ネネユノはツヤがあるほうが好きだ。そっちのほうがなんとなく高級そうだし、美味しそうだし、実際美味しい。
そして手の中にあるこれはツヤツヤっとして、「早くお食べなさい」と高飛車にネネユノに命じている気がする。ご命令のままにガブリといこうと、大きな口を開けた。
「クルルップー」
鳩が翼を広げて窓から飛び込んで来た。
ネネユノはテーブルのど真ん中に降り立った鳩に驚いて、スコーンを取り落としてしまう。
「あぁっ!」
「あら、クリスティンね」
「クルゥ☆」
「クルゥ☆じゃないよ食べないで! ちょっと!」
鳩のクリスティンが転がったスコーンを突きまわし、無情にもスコーンに穴が開いていく。
シャロンはクリスティンの脚から手紙を抜き取って読み上げた。
「なになに? ……ユノへ。至急、北塔へ来られたし?」
「わ、私っ?」
「うん。ファヴがユノちゃんを呼んでるみたい。北塔って言ったら貴族用の牢獄ね。牢獄って言っても綺麗なお部屋よ。罪が確定するまでは下手なことできないもの」
シャロンが案内すると言うので、ネネユノはついて行くことにした。結局スコーンさえも、食べられないままだ。
席を立ったネネユノにクリスティンが「クルッポー」と鳴く。絶対いつか丸焼きにしてやると、ネネユノは心に誓った。
北塔はシャロンの言う通り綺麗で快適そうな場所だ。
ふたりが入り口の番兵に所属と名を告げると、すぐにファヴが迎えに来た。
「わざわざ来てもらってすまない。事は急を要するんだ」
「きゃ、わっ、ちょっ」
ファヴは言うが早いかネネユノを担ぎ上げ、階段を駆け足で上り始めた。シャロンもそれに続く。
確かにネネユノはファヴやシャロンに比べれば体力はないが、それにしたってこの荷物的な扱いはそろそろ考え直してほしいものである。
到着した先は塔の6階。人々が慌ただしく出入りしている部屋だ。中にはヒーラーらしき人物の姿もある。
「通してくれ。それから人払いを」
ファヴがそう言うと人々の動きが一旦ピタリと止まって、そしてぞろぞろと部屋から出て行った。室内に残ったのはファヴ、シャロン、ネネユノ……そして、見知らぬ男がひとり。
その男はベッドの上でもがき苦しんでいた。貴族用と言うだけあって、ふかふかのベッドだ。
「毒を飲んだ。吐かせたが、おかげで長く苦しんでいる」
「生かす?」
「頼む。普通の治癒魔法は効かなかった」
「なによそれ。そんな毒、聞いたことないわ」
シャロンの困惑する声を聞きながら懐中時計を取り出す。
「毒飲んだのはいつ?」
「恐らく1時間ほど前」
懐中時計の針をくるっと回すのは、イメージを掴みやすくするため。短詠唱で魔術を行使するなら結果のイメージは具体的であるほどいい。
「“戻れ”」
男の身体が一瞬だけ青白く光り、そして呼吸が落ち着いた。
ファヴがチラっとネネユノの手に視線を投げる。
「1時間分にしてはずいぶん早い。さては指輪をしてないな?」
「クローが持ってる。指輪なしのコントロール練習中にシャロンにさらわれたんだもん」
「まぁいいか……。いや、おい、これは――!」
そこで言葉を切ったファヴが指し示したのは男の手で、彼の左手の甲には不思議な紋章が浮かび上がっていた。振り子と斧のような図だ。
月侯騎士団はもちろん冒険者、とりわけ魔術を使う者なら必ず知っている紋章でもある。
「こ、これ魔族の契約紋だ! どの魔族か、まではわかんないけど」
「振り子と斧は確かバルバーソだな」
「あれっ……消えた?」
浮かび上がった紋章は3人の目の前でスッと消えてしまった。
それと同時に、男が目を覚ます。
「ん……ここは」
「お目覚めですか、フリーランド伯爵。ここは北塔の6階です。眺めがいいですよ」
「フリーランド伯爵……?」
どこかで聞いた名前だな、とネネユノは首を傾げる。
フリーランド伯爵と呼ばれた男は顔を上げて3人を見ると、深いため息をついた。
「その制服、月侯騎士団か。あの毒まで解毒するとは――」
「解毒されない自信があったわけですね、その毒は。……魔族にもたらされた毒ですか」
「なっ、何をそんなデタラメを!」
「話なら別の者がお聞きしますので」
激昂する伯爵を諫め、ネネユノたちは部屋を出た。入れ替わるように外で待機していた近衛や、ちょっと偉そうな男たちが入っていく。
「クローのためにもあの男を死なせるわけにいかなかった。助かったよ」
ファヴはそれだけ言って階段を駆け下りる。きっとどこかに報告しに行くのだろう。まったく、いつも忙しそうな男である。
ひと仕事終えたところで、何か食べたいなあとお腹をさするネネユノの手をシャロンが掴み上げた。
「んじゃ、お城のホール行きましょう。鏡があって練習になるわよ」
「やですぅ……っ!」
ネネユノは階段の手すりにしがみつこうとしたが、シャロンに担がれるほうが一歩早く、触れることさえできないまま。
月侯騎士団には人権もないらしいと、やっと悟ったのであった。




