3.雲行きがあやしい
豊満な乳房を目の前に差し出されたファヴは、しかしチラリとも見ずに置かれたカップの向きと位置を丁寧に整えたのである。
冒険者稼業はまだ2年と長くないが、それはネネユノにとって衝撃であった。男がおっぱいに興味を示さないことがあるだろうか、いやない。ないはず。
アカロンだったら条件反射レベルで飛びついているところだ。もちろん彼は胸を寄せてもらったことなどないわけだが。
給仕が悔しそうに唇を突き出しながら席を離れ、ファヴは依頼書をテーブルに広げた。ギルド内でも1、2を争う人気者の給仕にこの冷静さである。ネネユノは驚きのあまり控えめな胸を震わせた。
「依頼内容は書いてある通りで――どうかしたか?」
「えっ? あ、えっと、おっぱ……いや胸とか見ないんだなって……あああああいえ、紳士、そう、紳士だなって!」
「紳士の定義は知らないが、あの手の誘惑には打ち勝たねばならない。貞操を守るため、俺は目の前の整理整頓に没頭することで邪念を祓い――」
「そういう宗派の方?」
淫らな振る舞いを厳しく戒める神様は少ないながらも存在する。
誘惑だの邪念だのと言うからにはそういうことなのだろう、と自らを納得させたところでファヴは首を横に振った。
「いや? 神の教えは尊い。が、俺が奉じる神は婚姻はもちろん男女の睦み合いを禁じていない」
「つまり……?」
「取り返しのつかないことには慎重になるべきだ」
確かに、貞操の喪失は取り返しがつかないのだろう。彼の主張は正しい。正しいし賛同もするが――このそこはかとなく漂う頑固さ、あまり仲良くなれないかもしれない。
しかし、今大事なのは金である。目の前のイケメンが貞操第一主義の堅物であろうと、いまいち会話が噛み合わなかろうと関係ない。金こそ正義。
「えーーーーっと、それじゃあ」
「ああ。依頼についてだな。ほしい人材はランクB以上だ。当騎士団のヒーラーが任務中に負傷し、王都へ帰還することとなった。しかし任務は継続かつ急を要するため、イコニラ雨林に近いこのギルドでヒーラーを探すこととした」
ファヴの心地の良い声は、ネネユノに神殿のオルガンを思い起こさせた。特に低い音がよく似ている。神殿は好きだ。清らかな空気の中、いつだってたくさんの人間が祈りを捧げていて孤独を感じさせない。
しかし今はウットリしている場合ではない。ネネユノは姿勢を正し翠色の鋭い瞳を見返した。
「先週、北側で新しいダンジョンが発見されたんです。みんなそっちに行ってるのでランクB以上のヒーラーなんてしばらく戻って来ません。急ぐなら私を連れて行くべきです」
新興ダンジョンは冒険者にとって書き入れ時だ。調査団の護衛に始まり、新種の魔物や植物が発生すればその素材が高値で取引される。そもそも、魔物の数も多い。
アカロンたちもまた、明日には新ダンジョンに向けて出発するはずだ。
「しかし君は最近パーティーを解雇されたらしい。実力か、あるいは協調性が不足しているのでは?」
「リーダーが2日前にボーロ蜂に刺されたんです。でも私たちには内緒にしてて。それが今朝になって急激に悪化して、治すのに手間取りました。そのせいで女の子との約束に遅刻したって怒っちゃって」
話しながら改めて考えてみても、やはり理不尽だ。仕事ではまだ失敗したことなどないのに。
パーティー内の不和を理由にしたシーフのほうが、まだ納得できるというもの。
しかしファヴは目を眇め、声を固くした。
「蜂毒の症状を治すのに手間取った?」
彼の不安についてはネネユノにも理解できる。
というのもこの国に生息する蜂は弱毒で、ヒーラーならランクに関わらず即座に治せるものだ。
蜂型の魔物なら即死するほどの強力な毒もあるが、そうでなければ恐れるようなものではない。比較的毒性が強いとされるボーロ蜂でさえ、刺されてから3日や4日ほど痛みを我慢すればコロッと治ってしまう。
そのようなものに手間取ったとあれば、ヒーラーとしての適性を疑ってもおかしくないのである。
ネネユノは、ファヴが席を立たないよう彼の手を掴んだ。
「わ、私の魔法はちょっと特殊なんです。即死でなければ、どんな怪我や病気、それに麻痺みたいな状態異常も完璧に治すことができます。その代わり、時間が経てば経つほど治すのが難しくなるんですけど」
「完璧にだと……? 聞いたことがないし、そんな芸当ができてCランクのはずが」
「本当なんですぅ……。冒険者のランクテストって、毒状態になった豚を事前に用意するじゃないですか。だから制限時間内に治せなくて、Bになれないんです。新鮮な毒豚なら一瞬なのに!」
「新鮮な毒豚……」
疑いの眼差し。というより、可哀そうな子を見るような目であった。
何か言わないと断られる。そう確信したネネユノは腰にぶら下げていたサバイバルナイフを手にとり、自らの腕に突き立てたるべく振りかぶった。
が、それが彼女の肌を切り裂くことはなかった。ファヴが目にも留まらぬ速さで彼女のナイフを叩き落したのである。
「な……! 突然何をしてるっ?」
「だって試さないとわかってもらえな――」
「うぉぉぉおお? やんのかコラ!」
言いかけたネネユノの言葉は、ギルド内に響き渡った男の絶叫で掻き消された。
看板娘でもある受付女性を取り合って、冒険者同士が喧嘩を始めたのだ。彼らは基本的に短気である。このような喧嘩はギルドの日課だし、稀に死者が出ることさえ名物だの華だのと言い出すお気楽ぶり。
しかし今のネネユノにとっては渡りに船だ。
「んじゃ、ちゃんと見ててくださいね!」
腕まくりをして立ち上がり、愛すべきバカたちのほうへと歩いて行った。
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