17.アップルパイって逃げるんだ
最初に口を開いたのはクローだった。これ以上ないくらいのドヤ顔でシャロンを指差す。
「ほれ見ろ、言った通りだろ」
「なにが言った通りよ。『ユノちゃん、時魔導士だったらいいな……』って恥ずかしそうに妄想垂れ流しただけじゃないの」
「そんで『えー、そしたら若返りたいいい』とかクネクネしたのお前だろ」
「時間を止めてリリーちゃんの裸を見に行きたいとか言ったバカよりいいでしょ」
「ひぇぇ……どっちもバカだよぉ……」
まさか既にそんな話をしていたとは。
妄想だと彼らは言うが、ネネユノの行動や言動から何かを感じ取っていたことは間違いないだろう。しかも微妙に悪い使い方を夢想している。
白状したことを後悔し始めたネネユノに、シャロンがひとつ咳払いした。
「じゃあ、入団が正式に認められたら王宮の図書館に行ったらいいわ。時魔法の本もあったはずよ。禁書だけど、月侯騎士団なら読めるから」
「時魔法の本……」
「そ。いろんな魔法を使いこなしてくれたら助かるわ。時魔法ならもしかしたら、魔物になった人間を戻せるかもしれないでしょう?」
さらにクローも、ちょっとお兄さんの顔になって頷く。
「オレも一緒に勉強するよ、時魔法。魔術研究はオレの仕事だし、魔法の幅を広げていこうな!」
「ふたりとも、その優しさが妄想話のせいで下心にしか見えないよぉ……」
そう言うと、クローとシャロンが互いに「お前のせいだ」と喧嘩を始めた。
ファヴはそれをにこやかに眺めている。……と、次の瞬間、ファヴはネネユノの皿に挽き肉を炒めたものを少量置いた。自分の注文した料理を少しお裾分けしてくれたようだ。
味見させてくれるのかな、とウキウキしてネネユノはスプーンで掬ったそれを口に放り込む。
「……ヴォェ」
「え、なになに? ユノちゃんから変な音出たんだけど!」
「あらやだ、誰よユノちゃんにハギス食べさせたの! これは大人の味だって言ったでしょ。ちょっと、変な汗かいてる!」
「言ったか?」
「ほら、ペーッしなさい、ペーッ」
ナプキンを差し出されたが、ネネユノはどうにか口の中のものを飲み込んだ。
ネネユノはハギスの味がわかるのである。大人なので。
「……大人の味だった!」
「いい語彙力だ、いいぞー。顔色悪いけどなー」
犯人であるファヴはシャロンからこってり絞られ、ネネユノの口腔の安全は守られることとなった。
ネネユノにたくさんの水を飲ませて一段落ついたところで、思い出したようにクローが口を開く。
「そんであのアカロン、だっけ? あいつは結局なんでユノちゃんを……。いや待てよ? あいつ確かローズちゃんの話になったとき、ちん――性域隠したよな」
「性域ってメジャーな言い回しなんだ」
「違うわよ、ユノちゃん」
「ユノちゃんの治癒が遅くて遅刻したってのは絶対嘘だと思うんだよな。ローズちゃんがそれで怒るはずないし。時魔法における治癒を物体の時間を戻すこととすると……」
クローは目を瞑り腕を組んでぶつぶつ何か言っている。
気にしなくていいわよというシャロンの言葉に従って、ハンバーグをはふはふ食べていると突然クローが「あっ」と叫んだ。
「なによ、うるさいわねぇ」
「もしかしてアイツ、ちん……、ああいや、この話はまた後でな。よーしユノちゃんたくさん食えよー」
クローは頼んでもないのにデザートを注文し、ネネユノの前に置く。
アップルパイだ。バターの香りがネネユノの食欲を誘い、早くアップルパイ殲滅に取り掛かるべく、残りのハンバーグを口の中に詰め込んだ。
「ほらほら、アップルパイは逃げないんだからゆっくり食べないと――」
「クックルゥ!」
バサバサと翼をはためかせて飛んで来たのは鳩だ。テーブルの上に降り立ち、まっすぐファヴの元へ。鳩の足には手紙が巻き付いていた。
ネネユノは口の中のハンバーグをもっちゃもっちゃと噛みながらそれを見つめる。
そういえば、このひと月ほどの間でファヴは度々こうして鳩を使って手紙のやり取りをしていたな、と思い出す。確か、魔法で任意の月侯騎士団のメンバーのところに飛ぶよう指示しているのだとか。
ファヴは団長だから、各所から指示を仰ぐ手紙が届くらしい。
「ここのダンジョンのことも陛下のお耳に入ったらしい」
「へぇ。オレらでどうにかしろって?」
「いや、他の隊を向かわせるそうだ。俺たちは予定通り帰投する」
はぇーと声にならない声を漏らしながらファヴの話を聞いていたものの、視界の隅で鳩が何度も頭を上下に動かすのがどうにも気になる。
そっと視線を下ろすと、なんと鳩がアップルパイを突いているではないか。
「ぎゃぁぁ! 私のアップルパイ!」
「クルップー」
「鳩! 許さない、鳩!」
掴みかかったネネユノの手をすり抜け、鳩が飛び立つ。目標を失ったネネユノの手は鳩の向こう側にあったアップルパイに突っ込み、その勢いのまま皿を落としてしまった。
割れはしなかったが、アップルパイは当たり前のことながらどこかに飛んで行ってしまった。そう、アップルパイは逃げたのである。
鳩が空で大きく旋回したのはネネユノを煽ってのことだろうか。少なくともネネユノの負った精神的ダメージは上昇した。
「ななななななんなんですか、あの鳩は!」
「あいつ、ああいうとこあるよな」
「気に入った子をいじめるのよね」
「気に入られたんですか……? それでこの仕打ち……」
「鳩にそこまでの脳はない。たまたまだろう」
「この団長、血も涙もないんですけど」
急いで戻れとの連絡だったらしく、新たなアップルパイが注文されることはなかった。
野営を挟みつつ徒歩で近くの都市へ向かい、王国管理の魔術塔へ。
国内に複数あるこの魔術塔では土地ごとの植生や魔物の研究が行われているのだが、最も重要な役割は転移装置である。月侯騎士団をはじめとした一部の権利者だけが利用でき、魔術塔間を自由に移動できる。
転移装置は巨大な扉の形をしており、枠にも扉そのものにもびっしりと術式が刻まれていた。
ネネユノはわくわくと目を輝かせながら、ファヴに手を引かれて扉の向こうへと足を踏み出す。……と同時に意識を失ったのであった。
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