15.隙あらばテイッ
別れの挨拶を済ませて家屋を出た後も、ファヴとシーフは何やらコソコソと話をしている。
ネネユノはどうしても先ほどの宝箱が気になって仕方がない。彼らが話しに夢中になっている間にこっそり開けてしまうことに決め、音をたてないようにそーっと歩く。と、突然背後から肩を掴まれた。
「ねぇ」
「ぎゃっ」
若いヒーラーである。
聖職者にあるまじきたわわな胸部につい目がいってしまう。
「あなたはあの騎士様の何、ですか」
「なにって……なに、ですか」
「恋人?」
聞き慣れない言葉すぎて思考が止まってしまう。コイビトとはなんでしたっけ。
動きが止まったネネユノに、ヒーラーが微笑みかけた。
「違うみたいですね、よかった」
「よかっ――うぇぇ?」
もうネネユノなど用無しだとでも言うように、ヒーラーは背を向けてファヴのほうへ歩いていく。一体なんだったんだろうと首を傾げていると、彼女がファヴの腕をとって胸を押し付けるのが見えた。
冒険者ギルドで、喫茶スペースのお姉さんがイケメン冒険者にやるヤツだ。そう理解したところで、ネネユノは宝箱へ向かう。
ファヴは貞操第一主義の堅物である。どうせまた目の前の石ころでも整理整頓するのだろう。
それより宝箱を開けるほうが大事である。
宝箱は木製、四角い箱で上部の蓋は半円柱。色は素材そのままの茶色。留め具などの金属は黒色で少しの錆が浮いている。
最もオーソドックスな宝箱だ。鍵は開いているときとそうでないときがある。まずはそれを確かめてみるべきだろう。
宝箱の前にしゃがみ込み、蓋を開けるべく手を伸ばす。
「おったかっら、おったかっらー!」
「ユノ」
「ひぃぃーっ」
底冷えのする声に風邪をひきそうだ。
ゆっくり振り返るとファヴが呆れた顔でネネユノを見下ろしていた。
「ミミックだと言ったはずだが」
「ほんとに? 絶対? 今夜のご飯賭ける?」
「賭け事はしない主義だ」
なんてつまらない人だと思いつつも、団長の言葉は絶対である。ネネユノが諦めて立ち上がれば、ファヴも出発だとばかりに背を向けて歩き出す。
今だ!
「ていっ」
「こら!」
ネネユノがペィっと蓋を開けると、ミミックがネネユノを食らうべく襲い掛かった。ギザギザの歯がぎっちり生えた口を大きく開け、ネネユノを丸吞みにしようとしたのだ。
が、我らが団長の反応速度はそれを上回っていた。彼の剣がミミックをてっぺんから貫いたのである。
「わぁ……ミミックって結構堅いはずなんだけどな」
「油断も隙もない」
「実際、油断も隙もなかったですよね。すっごい早かった、すっごーい」
パチパチ手を叩くネネユノを抱え上げ、ファヴが歩き出す。強制連行である。
顔を上げた先では、シーフとヒーラーがネネユノたちを見ていた。シーフは呆れ顔で、ヒーラーはむくれ顔で。そして彼らの足元には高く積み上がった石もある。
互いに軽く手を挙げて別れの挨拶とし、ネネユノとファヴは5層の奥へと向かった。
「ミミックに食われたら、どうするつもりだったんだ?」
「いつもなら食べられる寸前で、えっと、ンーフフして逃げる、けど」
危ない。思わず「時間を止める」とはっきり口にするところであった。誘導尋問ダメ絶対。
しかしファヴは「ンーフフ」を指摘したりはしなかった。何も言わず、ネネユノの次の言葉を待っているようだ。
「……さっきは、ファヴがどうにかしてくれる気がしてた、です」
「嬉しいな。それを信頼と言うんだ」
「信頼」
「仲間は信頼が大事だ。プライベートなことまで事細かに告げる必要はないが、基本的に嘘や隠し事はするべきでない」
とてもいい話をしているようだが、ファヴは現在ネネユノを抱えて5層の奥へ向かっているのである。生殺与奪の権を握ったままのお説教よくない。
彼の腕の中でネネユノがもじもじすると、ファヴはネネユノをそっと下ろした。背後と左手には家屋群、前方と右手には麦畑が広がっている。麦畑の奥には大きな木があるようだ。
青空はないが風を微かに感じ、ここがダンジョンの中だとにわかには信じられない。いや、ぎゃーおぎゃーおと喚く魔物の声がうるさいのでダンジョンには違いないのだが。
「この景色、懐かしくはないか?」
そう言って目を細めたファヴはどこか物悲しそうな表情だ。
「わかんない、です」
「そうか。……で、さっきの話の続きだが」
「はい」
「君がアカロンにどんな仕打ちを受けていようと我々は気にしない。たとえ卑猥なことを強要されていようとも、それが君の尊厳を傷つけることは――」
「まって?」
この団長はたまに暴れ牛のように突っ走る傾向がある。
アカロンはローズちゃんが好きなのであって、ネネユノに好意を抱いたことはないと断言できる。一度だけ「寂しい」とかなんとか言って同衾を依頼されたことがあるが、ひとりで寝ろと丁重に断った。
そういえば、ネネユノへの当たりが強くなって暴力を振るうようになったのは、その後からだったかもしれない。
「卑猥なことされたことない」
「しかしシーフが言うには、ユノを追放したのは君が彼のイチモツに余計なことをしたからだと聞いた」
「いちもつ」
「君が彼のお宝に何かしたというのなら、それを見たり触れたりする事象があったに違いないと考えるだろう? 普通、他人の性域を目にすることなどないのだから」
「性域」
いまいちファヴが何を言っているのか、ネネユノには理解できない。難しい単語ばかりだ。それに、お宝は欲しいがアカロンはお宝など持っていない。
首を傾げるばかりのネネユノに、ファヴが項垂れながら息を吐いた。
「アカロンは自分の身体的コンプレックスを解決するため、医師を頼っていたらしい。コンプレックスを乗り越え、いざローズの元へ向かったら、なんとそのコンプレックスが再発していた、と」
「よ、よくわかんないですけど、アカロンがデートに出掛けた日はボーロ蜂に刺されたとこを治してて。早くしろってうるさいから治癒範囲を広げてウワーって」
蜂刺されの患部はへその下だった。なんでそんなところを刺されるのかさっぱりわからないが、そこが患部だったのだから仕方ない。
そう付け足すとファヴは一瞬だけ確かに笑ったはずだが、すぐにそれを押し隠して祈るように十字を切った。
「やはり仲間に隠し事はよくないな。君が時魔導士だと知っていれば、そんな悲しい事故も起きなかっただろうに」
「そう言われたって――えっ?」
時魔導士って言った、この人。
言葉を失ったネネユノを見下ろすのは、いたずらっ子のように笑う翠色の瞳だった。
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1日2回更新にしたい気分になりましたので、今日からしばらくは朝とお昼ごろに更新しようと思います。
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