第47話:緑の迷宮と、心の鏡。この涙、きっと強さに変わるよね!?
森の主の言葉と共に、私たちの目の前に現れたのは、緑の蔦と色とりどりの花々でできた、美しくも複雑な、そしてどこか生きているかのように絶えずその形を変える迷路だった。その壁は、まるで私たちの心を試すかのように、時には優しく誘い、時には厳しく行く手を阻む。そして、迷路の中からは、森の動物たちの姿をした、しかしどこか禍々しい気を放ち、その瞳に深い悲しみを宿した幻影の獣たちが、次々と姿を現し始めた。その獣たちの鳴き声は、まるで助けを求める叫びのようにも、あるいは私たち人間への呪詛のようにも聞こえた。
「きゃっ!な、何これ!?道がどんどん変わっていくよぉ!それに、あの狼さん、なんだかすごく怒ってるみたい…うう、怖いよぉ、瑠々ちゃん…!」
緋和が、不安そうに私の腕にしがみついてくる。その小さな体は、恐怖と寒さ(迷路の中は、なぜかひんやりとした空気が漂っていた)で小刻みに震えていた。彼女の可愛らしい顔も、今は心なしか青ざめ、その大きな瞳には涙が滲んでいる。こんな状況でも、彼女の頭の上の星形のヘアピンだけは、健気にキラキラと輝いていた。その輝きが、まるで私たちの小さな希望のようだ。
「大丈夫よ、緋和。私が絶対に、ここから出してあげるから。それに、寒かったら、私のこの上着、半分貸してあげるわ。私たちは、親友でしょ?それに、あの動物さんたち、本当に私たちを襲おうとしているわけじゃないのかもしれないわ…なんだか、すごく悲しそうに見えるの。きっと、何か理由があるはずよ」
私は、緋和の手をぎゅっと握り返し、できるだけ力強い声で言った。そして、自分の着ていた旅装束の上着の片袖を、そっと緋和の肩にかけてあげた。その上着からは、ほんのりと私の匂いがして、緋和は少しだけ顔を赤らめた。でも、本当は私も、この先の見えない状況に、言いようのない不安を感じていた。私の手も、少しだけ震えているのが自分でも分かった。それでも、緋和の前では、しっかりしなくちゃ。私の白い肌は、迷路の薄暗がりの中で、まるで月光のように青白く見えているかもしれない。
「…どうやら、この迷路は、ただ物理的に突破すればいいというものではなさそうだな。この変化する壁、そしてあの幻影の獣たち…あれは、我々の心の迷いや、自然に対する無意識の罪悪感、そして隠されたトラウマを映し出しているのかもしれん。下手をすれば、永遠に心の闇に囚われることになるぞ」
冬城が、腕を組み、鋭い視線で迷路の奥を見据えながら、冷静に分析する。その銀髪が、迷路の中を吹き抜ける不思議な風に揺れ、その隙間から覗く黒曜石のような瞳は、全てを見透かすかのように鋭く光っている。彼の横顔は、こんな状況でも、なぜか人を惹きつけるような、危険で、そして抗いがたい魅力を持っていた。
「心の迷い…罪悪感…トラウマ…?だとしたら、私たちはどうすれば…この迷路を抜けられるというんだ…?」
秋月先輩が、息をのむ。その瞳には、深い苦悩の色が浮かんでいた。彼は、神社の家系に生まれた者として、自然への畏敬の念を誰よりも強く持っている。だからこそ、この試練は彼にとって、特に辛いものなのかもしれない。彼の額には、玉のような汗が浮かんでいた。
私たちは、緋和の「こっちの方が、なんだか優しいお花の匂いがするよ!それに、あっちからは、なんだか鉄錆みたいな嫌な匂いがする…」という、意外な嗅覚の鋭さを頼りに、慎重に緑の迷路の中へと足を踏み入れた。しかし、進めば進むほど、迷路はますます複雑になり、そして幻影の獣たちの攻撃も激しさを増していく。鋭い牙を剥く狼の幻影は、まるで裏切られた友の怒りを体現しているかのようだ。巨大な角を振りかざす鹿の幻影は、踏みにじられた誇りの悲しみを感じさせる。そして、毒の霧を吐き出す蛇の幻影は、嫉妬や憎悪といった負の感情そのもののように見えた。
「くっ…!キリがない…!こいつら、倒しても倒しても、次から次へと湧いてきやがる…!まるで、俺たちの心の闇そのものだというのか…!」
冬城が、銀色の短剣を振るい、幻影の獣たちを次々と切り伏せていくが、その数は一向に減らない。彼の額には玉のような汗が浮かび、その呼吸も徐々に荒くなっている。彼の黒い旅装束は、獣たちの爪によって所々引き裂かれ、そこから覗く白い肌が痛々しい。
秋月先輩もまた、神社の清浄な気の力で獣たちの邪気を祓おうとするが、その効果は限定的だ。彼の白いシャツは汗で濡れ、その下の鍛えられた筋肉のラインがうっすらと浮かび上がっている。その姿に、不謹紳にもドキッとしてしまう私。彼は、時折苦しげに顔を歪め、何か辛い記憶と戦っているようにも見えた。
(ダメだ…このままじゃ、みんな疲弊してしまう…!何か、何か方法があるはず…!森の主は言っていた。「自然と調和し、万物を慈しむ心」が試されると。だとしたら、力でねじ伏せるだけではダメなのかもしれない。この獣たちの悲しみを、私たちが理解しなくては…)
私は、必死で頭を巡らせる。この迷路は、私たちの心を映す鏡なのだとしたら、答えは私たちの心の中にあるはずだ。
「きゃあああっ!助けて、瑠々ちゃん!」
その時、緋和が幻影の蛇に足を噛まれそうになり、恐怖で顔を引きつらせて悲鳴を上げた。私は咄嗟に緋和を庇い、自分の腕を蛇の牙の前に差し出す。その瞬間、蛇の鋭い牙が私の白い腕に食い込み、焼けるような激痛が走った。
「瑠々ちゃん、ダメ!逃げて!」
緋和が泣き叫ぶが、私は構わず、蛇の幻影の瞳を真っ直ぐに見つめた。その瞳の奥には、怒りだけでなく、深い悲しみと、そして人間への拭いきれない不信感が渦巻いているように見えた。それは、まるで誰かに裏切られ、傷つけられた魂の叫びのようだ。
「…ごめんなさい…私たち人間が、あなたたちの住むこの美しい森を、そしてあなたたちの心を、たくさん傷つけてきたのね…その痛みを、私たちが理解していなかった…。でも、私たちは、もう二度とそんなことはしないと誓います。だから、どうか…私たちの想いを、私たちの本当の心を、信じてください…!私たちは、あなたたちと、この森と、調和して生きていきたいんです!」
私は、心の底からそう叫びながら、胸に抱いた「星詠みの竪琴」を奏で始めた。その音色は、最初は小さく、頼りないものだったけれど、私の真摯な想いと、仲間たちへの信頼、そしてこの森への慈しみの心が込められるにつれて、次第に力を増し、清らかで、そしてどこまでも優しい、魂を癒やすようなメロディーとなって、迷宮全体に響き渡っていく。私の黒髪が、竪琴の音色に合わせてふわりと舞い、その白い肌は、まるで森の木漏れ日のように、柔らかく、そして神々しいほどの光を放っている。その瞳には、涙が滲んでいたけれど、それは決して絶望の涙ではなかった。
すると、どうだろう。あれほど激しく私たちを攻撃してきた幻影の獣たちが、ピタリと動きを止め、その瞳から禍々しい光が消え、代わりに穏やかで、そしてどこか寂しげな、しかし安堵したような光が宿り始めたのだ。そして、彼らはゆっくりと、まるで私たちに道を示すかのように、森の奥へと静かに姿を消していった。その最後に見せた表情は、まるで「ありがとう」と言っているかのようだった。
「…夏海さん…君は、本当に…なんて優しい心を持っているんだ…そして、その歌声は…まるで、森の女神のようだ…」
秋月先輩が、息をのんで私を見つめている。その瞳には、深い感動と、そして私への…それ以上の熱い想いが溢れているように見えた。彼のその真っ直ぐな視線に、私の頬がまた熱くなる。
「…フン、まあ、たまにはお前も役に立つこともあるようだな、夏海瑠々。その歌声…悪くなかったぞ。それに、その腕の傷…早く手当てしないと、痕が残るぞ」
冬城もまた、そっぽを向きながらも、その口元にはほんの僅かだけ、柔らかい笑みが浮かんでいるように見えた。そして、彼が私の腕の傷に、そっと自分の清潔なハンカチを当ててくれたのは、きっと気のせいではないはずだ。その不器用な優しさに、私の心臓はまたしても、キュンと小さく跳ねた。この男、本当に分かりにくいんだから!でも、その冷たい態度の裏に隠された温かさを、私は少しずつ感じ始めていた。そして、彼のハンカチからは、彼と同じ、石鹸のような、どこか清潔で、そして少しだけ甘い、落ち着く香りがした。
「瑠々ちゃん、すごーい!瑠々ちゃんの歌、まるで魔法みたいだったよ!私、感動して涙が出ちゃった!それに、瑠々ちゃん、さっきすっごく綺麗だったよ!まるで、本物の巫女様みたいだった!」
緋和が、満面の笑顔で私に抱きついてくる。その純粋な想いが、私の心を温かくする。
緑の迷路を抜け、私たちがたどり着いたのは、森の最深部、ひときわ巨大な大樹の根元に広がる、神秘的な泉だった。その泉の水面には、まるで鏡のように、私たちの心の奥底にある「真実の姿」が、より鮮明に映し出されていた。
秋月先輩の鏡には、瑠々を優しく守り導き、そして共に未来を切り開こうとする、頼もしくも情熱的な騎士のような姿。その瞳には、揺るぎない愛と正義の光が宿っている。
冬城の鏡には、過去のトラウマを完全に乗り越え、仲間と共に新たな希望を見出し、そしてその赤い瞳の力を正義のために使う、孤高だが誰よりも優しい戦士の姿。その背中には、もう妹の幻影はなく、代わりに瑠々の姿が寄り添っているようにも見えた。
そして、私の鏡には…大切な仲間たちに囲まれ、自分の力を信じ、そして誰よりも優しい笑顔で、世界に愛と希望の歌を、そして幸せを届ける、美しくも力強い、真の星影の巫女の姿が…。その瞳には、もう迷いはなく、ただ未来を見据える強い光が輝いていた。
「これが…私たちの、本当の姿…そして、私たちの進むべき道…?」
私は、息をのんでその光景を見つめた。それは、あまりにも眩しくて、そして希望に満ち溢れていた。
『…そうじゃ。それが、お前たちの魂が持つ、真実の輝きじゃよ。そして、お前たちの心の鏡は、決して曇ることはない』
森の主の声が、優しく、そしてどこか誇らしげに響き渡る。
『お前たちは、見事にこの森の試練を乗り越えた。その清浄なる心と、仲間を信じる強い絆、そして何よりも、万物を慈しむ愛の力…それこそが、この地に眠る“地の記憶の封印”を守り、そして強化するための、最も大切な鍵なのじゃ。そして、お前たちのその想いこそが、この世界の未来を照らす光となるじゃろう』
森の主がそう言うと、泉の水面が眩い光を放ち、その中心から、緑色に輝く、美しい葉の形をした、温かく脈打つ勾玉が現れた。
「これは…“大地の勾玉”…これを持つ者は、大地の力を借り、そして森の精霊たちの声を聞き、彼らと心を通わせることができるだろう。星影の巫女よ、これを受け取るがよい。そして、この世界の未来を、お前たちのその手で、その愛で、切り開いていくのじゃ」
私は、震える手でその勾玉を受け取った。それは、温かく、そして力強く脈打っており、私の心に新たな勇気と希望、そして大きな使命感を与えてくれるようだった。
三つ目の封印は、こうして守られたのだ。そして、私たちの絆は、この試練を通して、さらに強く、そしてかけがえのないものへと深まったのを感じていた。私の胸のドキドキは、もう止まりそうにない。




