第35話:星詠鳥の導きと、託された想い。私たちの旅は、まだ終わらないわ!
「星影の巫女様は、あなたなんかに渡しません…!この“星詠鳥”の末裔、水無月氷華が、お相手します!」
泉の底の社に響き渡った、凛とした少女の声。突如として現れた彼女――水無月氷華と名乗る、鳥の羽根の髪飾りをつけた少女は、その小さな体に不釣り合いなほど鋭い氷の短剣を構え、「黒き月影」の新たな刺客の前に立ちはだかった。その翡翠色の瞳は、強い決意と、そしてどこか悲しげな光を宿している。彼女の周りには、まるで吹雪のように冷たい空気が渦巻いていた。
「ほう…“星詠鳥”の生き残りか。随分と懐かしい顔を見たものだ。だが、雛鳥がいくら背伸びしたところで、この私――“深淵の海魔”アルゴスを止められるとでも?」
三叉の槍を構えた刺客アルゴスは、嘲るように氷華を見下ろす。その体からは、海の底のような、深く重いプレッシャーが放たれていた。
「瑠々ちゃん、先輩、今のうちに!」
氷華が叫ぶ。彼女は、私たちを逃がすために、一人でこの強大な敵に立ち向かおうとしているのだ。その小さな背中が、あまりにも儚く見える。
「でも、あなた一人じゃ…危険すぎるわ!」
私が思わず叫ぶと、氷華は私に向かって力強く微笑んでみせた。その笑顔は、まるで氷の華のように美しく、そして強い意志に満ちていた。
「大丈夫です、星影の巫女様。私は、この日のために生きてきたのですから。それに、私には、この“星詠鳥の鈴”があります。この鈴の音が、きっとあなたたちを導き、そして私に力を与えてくれるはずです。さあ、早く!」
そう言って彼女が胸元から取り出したのは、以前私に託した、あの小さな鈴だった。その鈴は、淡い青白い光を放ち、周囲の水を清浄な気で満たしていく。その光は、まるで氷華の魂そのもののようだ。
彼女の言葉に促され、私たちは一瞬ためらったものの、秋月先輩と冬城に両腕を支えられながら、なんとか立ち上がり、社の出口へと向かった。振り返ると、氷華がたった一人で、アルゴスの操る無数の水の槍を、氷の短剣と舞うような体捌きで巧みにかわしながら、果敢に立ち向かっている姿が見えた。その小さな背中が、とても大きく、そしてあまりにも健気に見えた。
なんとか泉のほとりまで戻った私たちは、息も絶え絶えにその場に座り込んだ。緋和が、心配そうに私たちの顔を覗き込んでいる。その大きな瞳は、不安と恐怖で潤んでいた。
「瑠々ちゃん、先輩、冬城くん、大丈夫!?あの子は…氷華ちゃんは、どうなったの!?」
「…彼女が、時間を稼いでくれている。でも、長くはもたないだろう。あの刺客の力は、尋常ではない」
冬城が、苦々しげに呟く。彼の瞳には、先ほどの戦いの疲労と、そして氷華への案じるような、そしてどこか…焦りのような色が浮かんでいた。彼にしては珍しく、感情が表に出ている。
「私たちも、早くここから離れないと…でも、氷華ちゃんを置いていくなんて…私、そんなことできない…!」
私がそう言うと、秋月先輩が私の肩を優しく、しかし力強く抱いた。その腕は、震えていた。
「夏海さん、今は彼女の言葉を信じよう。そして、僕たちがここで無駄に時間を過ごすことが、彼女の覚悟を無駄にしてしまうことになるかもしれない。今は、生き延びて、次の封印を守ることが、僕たちの使命だ。そして…必ず、彼女を助けに戻ろう。約束する」
先輩の言葉は冷静だったけれど、その声には深い悲しみと、そして揺るぎない決意が込められていた。彼の言う通りだ。今は、前に進むしかない。そして、先輩の「約束する」という言葉が、私の心に温かく響いた。彼の瞳が、私を真っ直ぐに見つめている。その瞳には、私への絶対的な信頼と、そして…それ以上の何かが込められているような気がした。
その時、私の手の中にあった「星詠鳥の鈴」が、チリン、チリン、と澄んだ音を立てて、まるで生きているかのように激しく鳴り響いた。そして、鈴から放たれた淡い青白い光が、まるで道を示すかのように、森の奥の一点を、力強く指し示したのだ。その光は、まるで氷華の魂が私たちを導いているかのようだ。
「これは…!もしかして、次の封印の場所を…!氷華ちゃんが、私たちに…!」
「…星詠鳥の導き、か。古文書の記述は、正しかったようだな。あの小娘、ただの巫女ではないらしい」
冬城が、その光を見つめながら呟く。その声には、驚きと、そしてほんの少しの…敬意のようなものが含まれていた。
私たちは、氷華の想いを胸に、そして鈴の光が示す方角へと、再び歩き始めた。私の心の中には、感謝と、申し訳なさと、そして必ず彼女を助けに戻るという強い決意が渦巻いていた。そして、この鈴の音が、なんだか氷華ちゃんの声のように聞こえて、涙が溢れそうになるのを必死で堪えた。
最初の封印を守り抜き、新たな手がかりを得たものの、私たちの心は決して晴れやかではなかった。「黒き月影」の脅威は去っておらず、彼らの背後にはさらに強大な黒幕の存在がちらついている。そして、氷華の安否も気にかかる。彼女のあの凛とした姿、そして美しい翡翠色の瞳が、私の脳裏に焼き付いて離れない。
旅の途中、険しい山道で私が足を踏み外しそうになった時、秋月先輩がとっさに私の腰を支えてくれた。その瞬間、彼の体が私に密着し、彼の温かい吐息が私の耳元にかかる。
「だ、大丈夫かい、夏海さん!?怪我はないか?」
先輩の顔が、すぐ間近にある。その整った顔立ちと、心配そうな優しい瞳に、私の心臓はまたしてもドキドキと大きく跳ねた。
「だ、大丈夫です…!ありがとうございます、先輩…!その…助けていただいて…」
顔を真っ赤にして俯く私に、先輩は「君が無事で良かったよ。でも、あまり無理はしないでほしい。君のその…細い体が心配だからね」と、私の髪を優しく撫でた。その手の感触が、あまりにも優しくて、私はもうどうにかなりそうだった。この人の隣にいられるなら、どんな困難だって乗り越えられるかもしれない、なんて、柄にもないことを考えてしまう。
「…別に、私、そんなに弱くないですから!先輩こそ、油断しないでくださいね!」
思わず、いつもの調子でツンとした言葉が口から出てしまう。ああもう、なんで素直に「先輩の優しさ、すごく嬉しいです」って言えないのよ、私は!先輩は、そんな私を見て、困ったように、でも嬉しそうに微笑んでいた。
一方、冬城は、少し離れた場所を黙って歩いていたが、ふと、私が寒そうに身を縮めているのに気づいたのか、無言で自分の着ていた上着(それは彼の体温でほんのり温かかった)を私の肩にかけてくれた。
「…風邪でもひかれたら、足手まといになるからな。別に、お前のためにしているわけではない」
相変わらずの憎まれ口だけど、その声には、どこか不器用な優しさが滲んでいるような気がした。そして、彼が私の肩に上着をかける時、その指先が私の首筋に微かに触れ、思わずゾクッとしてしまう。彼の纏う、石鹸のような、どこか冷たくて清潔な香りが、私の心を落ち着かせるようで、そして同時にざわつかせる。
「…別に、あんたに言われなくても分かってるわよ。それに、あんただって、さっきちょっと無理してたじゃない。顔色、まだ悪いわよ。自分の心配でもしてなさいよね!」
私も、負けじとそう言い返すと、冬城は一瞬驚いたような顔をして、そしてすぐにふいと顔を背けた。その横顔が、ほんの少しだけ、柔らかい表情をしていたような気がしたのは、気のせいだろうか。この男との関係も、少しずつ変わってきているのかもしれない。なんだか、ムカつくけど、目が離せない。
古文書に記された次なる封印の場所、「風の記憶が囁く天空の社」への道は、まだ遠い。
瑠々の力の「代償」とは具体的に何なのか。冬城が回収した「透明な光る欠片」の正体と目的は?秋月先輩の「古い木箱」と資料室の「木箱」の関連性は?そして、夢で見た秋月先輩の冷たい瞳と冬城くんの黒い翼の影は、一体何を意味しているのだろうか…?さらに、あの「赤黒く輝く不吉な星」は、今も私たちの頭上で妖しい光を放ち続けている。
多くの謎と危険をはらみながらも、瑠々たちは仲間たちとの絆を胸に、次なる試練へと旅立つ。彼女の白い肌は、旅の厳しさで少しだけ日に焼けたかもしれないけれど、その瞳の奥の輝きは、以前にも増して強く、そして美しくなっていた。
希望と不安、そして甘酸っぱい恋の予感を残し、この旅の先に、一体何が待ち受けているのだろうか。そして、私のこのドキドキする想いは、どこへ向かうのだろうか――この、秋月先輩への真っ直ぐな想いと、冬城への、なんだかよく分からないけど気になる、この複雑な気持ちは…。




