第33話:ちょ、ちょっと水冷たすぎ!ていうか、この水着、透けてないわよね!?…って、先輩とあいつ、なんでそんな目で見るのよ!
泉の底、古びた社の前で、私の足首に絡みつこうとしたのは、水草に擬態した、細く粘つくような魔物の触手だった。それは、まるで悪夢の中から這い出してきたかのような、おぞましい形状をしていた。その表面はヌメヌメと光り、無数の小さな吸盤のようなものが蠢いているのが見える。
「きゃあっ!」
思わず短い悲鳴を上げるが、水中では声にならない。ただ、恐怖に引きつった私の表情だけが、水面にいる仲間たちに何かを伝えようと必死だった。
触手は、私の白い足首に、まるで蛇が獲物に巻きつくように、ギリギリと食い込んできた。その冷たく、そして粘つくような感触が、素肌を這い上がり、私の全身の血の気を引かせていく。それは、ただの物理的な拘束ではない。まるで、私の魂そのものを吸い取ろうとするかのような、禍々しい気配を放っていた。
「いやっ…離して…!」
必死で抵抗しようとするが、水中では思うように体が動かない。手足をバタつかせればバタつかせるほど、触手はさらに強く、そして深く私の体に食い込んでくる。その先端は、まるで鋭い針のように私の肌を突き刺し、微かな痛みが走った。
冷たい水が、容赦なく私の気管に入り込み、激しい咳が込み上げてくる。息が…できない…!視界が霞み、意識が遠のきそうになる。水底の暗闇が、まるで私を飲み込もうとするかのように、どこまでも深く、そして冷たく広がっている。
(ダメ…このままじゃ…私、死んじゃう…!先輩…冬城…助けて…!)
最後の力を振り絞って、水面に向かって手を伸ばすが、その手は虚しく水泡を掴むだけだった。絶望感が、私の心を支配していく。
「夏海さんっ!」
「瑠々ちゃん!しっかりしろ!」
水面で私の異変に気づいた秋月先輩と冬城が、ほとんど同時に、まるで雷鳴のような水しぶきを上げて泉へと飛び込んできた!二人とも、服のまま飛び込んだため、シャツが肌にぴったりと張り付き、鍛えられた逞しい体のラインがあらわになっている。その光景は、こんな絶体絶命の状況じゃなければ、緋和ならずとも大興奮してしまいそうなものだったけれど、今の私にはそんな余裕は全くない。ただ、彼らが来てくれたという事実だけが、消えかかっていた私の意識を繋ぎ止めていた。
先輩は、その大きな手から、まるで太陽の光を凝縮したかのような、温かく清浄な光を放った。その光は、私の足に絡みつく魔物の触手を一瞬にして焼き切り、そのおぞましい拘束から私を解放してくれた。そして、力なく沈みそうになる私の体を、その逞しい腕で、まるで壊れ物を抱きしめるかのように、優しく、しかし力強く引き寄せて水面へと浮上する。
「大丈夫か、夏海さん!?しっかりしろ!僕の声が聞こえるか!?」
先輩の顔が、すぐ間近にある。その瞳には、私への深い心配の色と、そしてほんの僅かな…怒りのようなものが浮かんでいた。それは、私をこんな危険な目に遭わせた「何か」に対する、静かで、しかし激しい怒りだったのかもしれない。彼の逞しい胸板と、至近距離のイケメンに、私の心臓は恐怖とは別の意味で、今にも張り裂けそうなくらいドキドキと高鳴っていた。こんな状況で不謹慎かもしれないけれど、先輩の腕の中は、すごく…安心する。彼の匂いが、私の恐怖を少しだけ和らげてくれるようだ。
一方、冬城は冷静に、しかしその瞳には冷たい怒りの炎を宿らせながら、魔物の本体――泉の底の岩陰に潜んでいた、巨大なナマズのような、しかし無数の赤い目を持つ異形の化け物――を見つけ出し、その銀色の短剣を、まるで雷光のように閃かせて、一瞬にしてその核らしき部分を貫いていた。その手際の良さは、相変わらず人間離れしている。魔物は、断末魔の叫び声と共に、黒い泡となって水中に溶けて消えた。
そして、冬城は、私を抱きかかえる先輩を一瞥すると、どこか面白くなさそうな、そしてほんの少しだけ…嫉妬しているような、そんな複雑な表情で、静かに言った。その声は、いつもより少しだけ低く、そして掠れていた。
「…いつまでそうしているつもりだ?夏海瑠々が溺れるぞ。それとも、人工呼吸でもして、彼女の唇を奪うつもりか?だとしたら、俺が先にするがな」
その衝撃的な言葉に、私と先輩は同時に顔を真っ赤にして慌てて離れた。もう、この男は!デリカシーってものを知らないのかしら!でも、「俺が先にするがな」って、それってどういう意味よ!?私の頭は、パニックと羞恥心で、もうどうにかなりそうだった。
なんとか陸に上がり、私は息も絶え絶えにその場にへたり込んだ。しかし、そこで気づいてしまった。水に濡れた私の白い水着は、体にぴったりと張り付き、その下の肌の色や、自分でもあまり意識していなかった体のラインを、惜しげもなく晒してしまっているのだ!特に胸のあたりなんて、もう…!まるで、薄い絹の布一枚を纏っているかのようだ。
「み、見ないでよ、この変態どもー!どこ見てんのよ!このドスケベ!」
羞恥心で顔から火が出そうになりながら、私は両手で体を隠すようにして叫んだ。白い肌には水滴がキラキラと輝き、濡れた黒髪は普段以上に色っぽく私の頬に張り付いている。その姿は、きっと今の私が見ても「これはヤバい、犯罪レベルだ」と思うくらいの、「濡れ透け美少女」状態に違いない。
秋月先輩は、顔を真っ赤にして慌てて視線を逸らし、「ご、ごめん夏海さん!そ、そんなつもりじゃ…!き、君があまりにも…その…綺麗だったから…!か、風邪をひくといけないから、これを!」と、しどろもどろになりながらも、自分の着ていた甚平の上着を脱いで、私の肩にそっとかけてくれた。その上着からは、先輩の優しい匂いがして、私の心臓はまたしてもドキドキと音を立てる。
冬城は、そっぽを向きながらも、その視線は明らかに私の体に釘付けになっており、その白い首筋までがほんのりと赤く染まっている。彼は、何も言わずに、自分の乾いたタオルを無言で私に差し出してきた。その不器用な優しさが、なんだかすごく…ムカつくけど、ちょっとだけ嬉しい。でも、やっぱりムカつく!
「瑠々ちゃん、大丈夫ー!?あ、でも、今の瑠々ちゃん、すごくセクシーで可愛かったよ!まるで、泉から現れた水の女神様みたい!写真撮っとけばよかったー!永久保存版だったのに!」
緋和の能天気な声が、この気まずい空気を少しだけ和らげてくれた…ような気がする。でも、セクシーとか女神様とか言わないでほしい!恥ずかしすぎて死にそう!
気を取り直して、私たちは再び泉の底の社へと向かった。そこには、あの謎の少女――水鏡の巫女と名乗る彼女が、静かに私たちを待っていた。その翡翠色の瞳は、全てを見通すかのように澄み切っている。
「よくぞ参られました、星影の巫女様、そしてその守り手の方々。私は、代々この霧幻の泉と、ここに眠る“水の記憶”を守ってきた者です」
彼女は、自分がこの社を守る巫女であり、「水の記憶」を通して過去の出来事や、未来の可能性の断片を見ることができると語った。そして、最初の封印を守るためには、瑠々が「水の記憶」に触れ、そこに隠された「古き災い」の弱点と、封印を強化するための「星詠鳥の唄」を、自らの魂の奥底から思い出さなければならない、という試練を与える。
「ですが、星影の巫女様。水の記憶は、時に優しく、時に残酷です。あなたの心の奥底に眠る、喜びも、悲しみも、そして恐怖も、全てを映し出すでしょう。それに耐え、真実を見つけ出すためには、強い精神力と、そして…あなたの心を支え、共に記憶の奔流に立ち向かえる、信頼できる者の魂の共鳴が必要です。その者の魂の温もりが、あなたを水の記憶の深淵から救い出す唯一の光となるでしょう」
水鏡の巫女は、そう言って、私と、そして私の隣に立つ秋月先輩と冬城を、意味ありげな瞳で見つめた。その瞳は、まるで私の心の奥底まで見透かしているかのようだ。
「あなたの心を支え、共に記憶の奔流に立ち向かえるのは、あの二人のうち、どちらですか…?あなたの選択が、最初の試練の成否を、そして…もしかしたら、あなたの未来をも左右するかもしれませんわ。さあ、選んでくださいな、星影の巫女様。あなたの魂が、本当に求めるのは、どちらの温もりですか?」
その言葉は、まるで私の心を見透かしているかのようで、私の視線は、心配そうに、そして熱い眼差しで私を見つめる秋月先輩と、相変わらず無表情だが、その瞳の奥に確かな意志と、そしてほんの僅かな期待のようなものを宿す冬城の間で、激しく揺れ動いた。
選ばれるのは、一人だけ。私のこの手が、どちらの手を求めるのか…。私の運命の歯車が、今、大きく軋みを上げて動き出そうとしていた。そして、私の心臓も、別の意味で、今にも張り裂けそうだった。




