第19話:あんた、誰なの!?その赤い目…まさか、マガツモノ!?…でも、私、もう逃げないって決めたんだから!
「…ようやく見つけたぞ、黒き月影の残党め。そして、夏海瑠々…お前は、俺の獲物だ。誰にも渡しはしない。お前の魂も、その力も…全て、俺がいただく」
保健室の窓を突き破って現れた冬城紫苑の言葉は、私の耳を疑うような、そして背筋を凍らせるようなものだった。彼の瞳は、まるで地獄の業火のように赤く爛々と輝き、その口元には獰猛な獣のような、挑戦的で、そしてどこか悲しげな笑みが浮かんでいる。雨に濡れた銀髪が額に張り付き、その白い肌は月光を浴びて青白く光っている。その姿は、美しくも恐ろしい、まさに「夜の眷属」そのものだった。
え、獲物って…私のこと!?それに、魂も力もいただくって、どういう意味よ!?この男、やっぱり敵だったの!?さっきまでの、ほんの少しだけ感じた親近感みたいなものは、全部私の勘違いだったっていうの!?
「冬城紫苑…!なぜ貴様がここに…!その忌まわしき赤い瞳…まさか、貴様も“こちら側”の人間だったとはな!いや、その禍々しい気配…貴様は、もはや人間ですらないのか!」
月影先生が、驚愕と怒りに顔を歪ませながら叫ぶ。彼女の背中の黒い翼が、より一層大きく広がり、禍々しいオーラを放つ。その美しい顔は、今は憎悪に染まり、まるで魔女のようだ。
「フン…貴様らのような下等な存在と一緒にするな。俺は、俺自身の意志でここにいる。そして、夏海瑠々は、俺が手に入れる」
赤い瞳の冬城は、まるで別人格のように、荒々しくも洗練された動きで月影先生に襲いかかる。その手には、いつもの銀色の短剣が握られているが、今はその刀身が不気味な赤いオーラを纏い、まるで生きているかのように脈打っている。そのオーラは、私の肌をピリピリと刺すような、危険な感覚を伴っていた。
空間を切り裂くような鋭い剣戟の音が、保健室に響き渡る。二人の戦いは、人間のそれを遥かに超越しており、私はただ息をのんで見守ることしかできない。冬城の動きは、以前見たものよりも遥かに速く、そして比べ物にならないほど強大だ。彼の一太刀が空を切るたびに、衝撃波が発生し、周囲の棚や薬品瓶がガタガタと激しく揺れ、床に叩きつけられて砕け散る。
な、なんなのよ、この展開は!?冬城のやつ、一体何者なの!?それに、あの赤い目…まさか、あいつもマガツモノの一種とか…!?いやいや、でも、私を助けに来てくれた…のよね…たぶん…!でも、「俺の獲物」って言ってたじゃない!もう、わけが分からない!頭が混乱して、どうにかなりそうだわ!
「おのれ、裏切り者が…!組織を抜けた貴様に、何ができるというのだ!その力は、いずれ貴様自身を滅ぼすぞ!」
月影先生が、鋭い爪を振りかざし、冬城に襲いかかる。しかし、冬城はそれを紙一重でかわし、逆に彼女の翼の付け根を赤いオーラの短剣で深々と切り裂いた。その動きは、まるで精密機械のように正確で、そして一切の躊躇がなかった。
「ギャアアアアッ!」
月影先生の甲高い悲鳴が響き渡る。彼女の美しい顔は苦痛に歪み、その瞳には初めて焦りの色が浮かんでいた。その姿は、先ほどまでの余裕綽々な態度とは比べ物にならないほど、追い詰められているように見えた。
「…貴様らのようなやり方では、真の力は得られん。俺は、俺のやり方で、全てを手に入れる。そして、夏海瑠々の力もな」
冬城は、冷酷な声で言い放つ。その赤い瞳は、一切の感情を映していないように見えた。でも、その言葉の端々に、何か執着にも似た強い想いが込められているような気がして、私は思わずゴクリと唾をのんだ。
激しい攻防の末、月影先生は深手を負い、その体からは紫色のオーラが霧のように薄れていく。その黒い翼も、力なく垂れ下がっている。
「くっ…覚えていろ、夏海瑠々…そして、裏切り者の冬城紫苑…!お前たちのその忌まわしき力は、必ず我が組織のものとなる…!我々の悲願は、必ず達成されるのだ…!必ず、また会いに来るわ…夏海瑠々…あなたの全てを味わうために…!」
そう言い残すと、月影先生は黒い煙と共に、まるで霧が晴れるようにその姿を消した。嵐のような静寂が、破壊された保健室を包み込む。床には、割れたガラスや薬品の匂いが充満していた。
月影先生が去った後、冬城は激しく咳き込み、その場に膝をついた。彼の赤い瞳も、徐々に元の黒曜石のような色に戻っていく。その額には玉のような汗が浮かび、呼吸も荒い。まるで、激しい運動をした後のように、その肩は大きく上下していた。
「…余計な詮索はするな。俺は、俺の目的のために動いているだけだ。お前を助けたわけではない。たまたま、俺の目的と一致しただけだ」
彼は、何かを隠すように顔を背け、ぶっきらぼうにそう言ったが、その声は明らかに弱々しく、そしてどこか苦しげだった。その強がりが、なんだか少しだけ…可愛く見えたなんて、絶対に本人には言えないけど。
私は、彼の豹変ぶりに混乱しつつも、彼が自分を助けてくれたという事実に、言いようのない複雑な感情を抱いていた。素直にお礼を言うべきか、それとも問い詰めるべきか…迷っていると、彼の体がぐらりと傾いだ。その白い肌は、さらに青白くなっているように見える。
「あ、危ない!」
思わず駆け寄り、彼の体を支える。思ったよりもずっと細いその体は、微かに震えていた。彼の体重が、私にずっしりとのしかかってくる。その近さに、私の心臓がドキドキと音を立てる。彼の髪からは、雨と、そしてほんの少しだけ甘いような、不思議な香りがした。
「あ、あの…さっきは、その…ありがとう…助かったわ…。でも、あの赤い目、一体…?それに、私のこと、獲物とか言ってたけど…それって、どういう意味なのよ!ちゃんと説明しなさいよね!」
私の問いかけに、冬城は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに「…お前には関係ないことだ。それに、あれは…ただの戯言だ。気にするな」とそっぽを向き、壁に寄りかかって荒い息を整えている。その白い首筋に、赤い痣のようなものが一瞬だけ浮かんだ気がしたが、すぐに消えてしまった。彼の横顔が、少しだけ赤く見えたのは、きっと夕日のせいなんかじゃない。この男、もしかして、照れてる…?いやいや、まさかね。でも、その不器用な態度が、なんだか放っておけないような気もして…。
そこへ、息を切らして秋月先輩が駆けつけてきた。彼は、冬城から「夏海瑠々が危険だ。保健室へ行け」という、それだけが書かれた簡潔なメッセージを受け取り、何事かと飛んできたのだ。
保健室の惨状と、傷つき、そしてなぜか私に支えられている冬城の姿、そして何よりも、拘束が解かれ、少しやつれたものの無事な私の姿を見て、先輩は顔面蒼白になりながらも、安堵の表情を浮かべた。その瞳は、心配と安堵で潤んでいるように見える。
「夏海さん!大丈夫か!?一体何が…!冬城くんも、君は…!怪我はないか!?」
先輩は、私の無事を確かめるように、思わず私の両肩を掴んだ。その手は、力強く、そして温かかった。その温もりが、私の強張っていた心を少しずつ溶かしていく。
「先輩…私、怖かった…でも、冬城くんが…助けてくれて…」
私が言いかけると、先輩は私を強く抱きしめた。突然のことに、私の思考は完全に停止する。先輩の胸の中に顔をうずめる形になり、彼の心臓の音が、トクントクンと大きく、そして優しく聞こえてくる。その温かさと、石鹸のような清潔な香りに包まれて、なぜか安心して涙が溢れてきた。こんなに誰かに強く抱きしめられたのは、初めてかもしれない。
「もう大丈夫だ。僕が絶対に君を守るから。もう、君を一人にはしない。怖い思いなんて、絶対にさせない」
先輩は、私の頭を優しく撫でながら、力強く、そしてどこか切ない声でそう誓った。その言葉と真剣な眼差しに、私の心は決まる。もう、自分の運命から目を背けない。この優しい人を、そして大切な友達を、私が守るんだ。
「先輩…私、逃げません。自分のこの力とちゃんと向き合って、大切な人たちを、この学園を守れるようになります!だから…見ていてください!私、もっと強くなりますから!」
私は、先輩の胸の中で、そう力強く宣言した。その時、私の瞳には、きっと強い意志の光が宿っていたはずだ。
家に帰った私は、おばあ様に今日あったこと、そして自分の決意を全て打ち明けた。おばあ様は、静かに私の話を聞いた後、深く頷き、その皺の刻まれた手で、私の手を優しく握りしめた。その手は、驚くほど温かかった。
「…ようやく覚悟が決まったようじゃな、瑠々。お前なら、きっと乗り越えられると信じておったぞ。その強い瞳…若い頃のわしにそっくりじゃ。ならば、お前に夏海家当主としての最初の試練を与えよう。それは…我が家に伝わる古文書に記された、“七つの星の封印”の謎を解き明かし、それを守護することじゃ。それができなければ、お前も、この世界も、破滅を免れん。心してかかるのじゃぞ」
おばあ様の言葉は厳しく、しかしその瞳の奥には、私への深い愛情と信頼、そしてほんの少しの寂しさのようなものが宿っているように見えた。
瑠々の新たな戦いが、今、始まろうとしていた。古文書の本格的な解読、そして「七つの星の封印」とは一体何なのか…?冬城の赤い瞳の秘密、そして彼が私を「獲物」と言った真意は?月影先生率いる「黒き月影」の真の目的は?秋月先輩のまっすぐな想いに、私はどう応えるのだろうか?そして、私のこの力は、本当にみんなを守ることができるのだろうか…?
その夜、私は再びあの囁き声を聞いた。「…時は満ちた…星の配置が、災厄の到来を告げている…封印は、もう長くはもたない…覚醒の時は近い…汝の魂が、世界を救う鍵となるか、あるいは破滅の引き金となるか…」。そして、窓の外、月明かりの下に、黒いマントを羽織った、冬城とはまた違う、新たな謎の人物の影が一瞬だけ見えたような気がした。その影は、まるで私を誘うかのように、静かに闇の中へと消えていった。
この学園で、そして私自身に、これから一体何が起ころうとしているのだろうか。私の心臓は、恐怖と、そしてほんの少しの…いや、無視できないほどの期待で、高鳴り続けていた。そして、私の唇には、まだ先輩の腕の温もりと、冬城くんの不器用な優しさの余韻が、微かに残っているような気がした。このドキドキは、きっと、まだ始まったばかりなのだ。




