第18話:あの優しい先生が…まさか!?ていうか先輩、私のこと好きすぎじゃないですか!?…って、冬城、あんた何様のつもりよ!
冬城紫苑という名の、超絶感じの悪い(でも、悔しいけれど、息をのむほど整った顔立ちをしている)家庭教師が我が家にやってきてから数日。私の日常は、以前にも増して騒がしく、そして心臓に悪いものへと変貌していた。彼のスパルタ指導は想像を絶する厳しさで、毎日ヘトヘトになるまで扱かれている。おまけに、私の力の暴走は相変わらずで、時折家の中でもポルターガイスト現象まがいのことを引き起こし、おばあちゃんに雷を落とされる始末だ。ああ、私の平穏な日々はどこへ…。鏡に映る自分は、目の下にうっすらとクマが浮かび、少しやつれたようにも見える。でも、なぜか肌の透明感は増しているような気もして、自分でもよく分からない。
そんな中、一時閉鎖されていた星影高校がようやく再開された。久しぶりに会う緋和の太陽みたいな笑顔は、やっぱり私の元気の源だ。
「瑠々ちゃん、最近なんか雰囲気変わった?ちょっと大人っぽくなったっていうか、綺麗になったっていうか…なんか、こう、儚げな美少女オーラが出てるよ!もしかして、恋でもしてるの~?それとも、ダイエット成功!?」
教室でいきなりそんなことを言い出す緋和に、私は顔を真っ赤にして「なっ…!そ、そんなわけないでしょ!緋和の気のせいよ!ダイエットもしてないし、恋なんて…してるわけないじゃない!」と慌てて否定する。でも、緋和のニヤニヤ顔は止まらない。もう、この親友は!私の心の奥底まで見透かしているみたいで、本当に敵わない。
そして、その日、私たちのクラスに、新しい養護教諭が赴任してきた。
「皆さんはじめまして。今日からこちらでお世話になります、月影小夜子と申します。月の光のように、皆さんの心を優しく照らせるような存在になれたら嬉しいですわ。どうぞ、月影先生と呼んでくださいね」
教壇に立ったその女性は、まるで夜露に濡れた月下美人のように、儚げで妖艶な美しさを持っていた。腰まで届く艶やかな黒髪は、歩くたびに絹のようにしなやかに揺れ、切れ長の涼やかな瞳は優しく微笑んでいるけれど、その奥には何か底知れない深淵を隠しているようにも見える。その声は、まるで銀の鈴を転がすように心地よく、そしてどこか甘く、聞く者の心を蕩かすような響きを持っていた。クラスの男子生徒たちはもちろん、女子生徒たちまでもが、その人間離れした美貌と、蠱惑的な雰囲気にうっとりと見惚れている。
けれど、私は、彼女のその完璧すぎる笑顔の裏に、どこか冷たい、硝子のような硬質さと、そして得体の知れない何かを感じ取り、無意識のうちに背筋に悪寒が走るのを感じていた。
月影先生は、その美貌と優しさ、そして親身な態度で、瞬く間に生徒たちの人気者になった。特に、最近体調を崩しがちな生徒(もちろん、私もその一人だ)には、ことのほか優しく接してくれ、保健室はさながら「月影先生の秘密のお悩み相談室」の様相を呈していた。
「夏海さん、最近顔色が優れないみたいだけど、何か悩み事でもあるのかしら?あなたのその美しい瞳が、少し曇っているように見えるわ。私でよければ、いつでも相談に乗るわよ。女の子同士、秘密の話もできるでしょう?あなたの心の闇も、私が優しく包み込んであげる…」
彼女は、私を見かけるたびに、そう言って甘く誘うような声で話しかけてくる。その細く白い指が、私の頬をそっと撫でる時など、まるで蛇に睨まれた蛙のように体が硬直してしまう。その瞳は、私の心の奥底、自分でも気づいていないような深い部分まで見透かそうとしているかのように、じっと私を見つめてくる。その度に、私は言いようのない居心地の悪さと、そしてなぜか抗えないような奇妙な引力を感じていた。
そして、月影先生が赴任してからというもの、私の周囲で起こる怪奇現象(誰もいないはずの場所からの囁き声、物が勝手に落ちたり動いたりするポルターガイスト現象、誰もいないのに視線を感じる、鏡に一瞬だけ知らない誰かの顔が映るなど)は、より頻繁に、そして巧妙になっていった。それは、まるで誰かが私の力を試し、その限界点と反応を詳細に観察しているかのようだ。その「誰か」が、月影先生なのではないかという疑念が、私の胸の中で日に日に大きくなっていく。彼女の甘い香水の匂いが、なぜか私の部屋に残っているような気がすることさえあった。
そんな私の不安を察してか、秋月先輩は、以前にも増して私を気にかけてくれるようになった。その優しさは、まるで荒んだ心に染み渡る清らかな泉のようだ。
「夏海さん、顔色が悪いよ。無理しないで、今日はもう早退したらどうかな?僕が先生に話しておくから。君のその…透き通るような白い肌が、心配になるくらい青白いよ」
「今日の帰り道、僕が途中まで送っていくよ。最近、この辺りも物騒な噂があるから、君みたいな可愛い女の子が一人で歩いていたら、僕が心配で夜も眠れないんだ」
「週末、また一緒に気分転換にどこか行かないか?君の好きな抹茶スイーツの美味しいお店、新しく見つけたんだ。今度は、ちゃんと予約しておくから。君の笑顔が、また見たいからね…君が笑ってくれると、僕もすごく嬉しいんだ」
先輩の優しさは、本当に嬉しい。その温かい言葉と、私だけに向けるような特別な笑顔に、何度救われたか分からない。でも、最近の先輩は、少し…いや、かなり積極的すぎるような気がする。まるで、私を誰かから守ろうとしているみたいに。そして、その言葉の端々には、私への好意が隠しきれないほどに滲み出ている。もしかして、先輩、本気で私のこと…いやいやいや、そんな都合のいいことあるわけない!でも、期待しちゃうじゃないの、バカ!私の心臓は、先輩の優しさに触れるたびに、甘酸っぱい音を立てて高鳴り、頬は林檎のように赤く染まってしまう。
そんな私と先輩の親密な(と、緋和は目を輝かせて言っている)様子を、冬城はいつもどこからか、面白くなさそうな(あるいは、明らかに不機嫌そうな、まるで拗ねた子供のような)顔で見ている。そして、二人きりになると、決まって私に嫌味を言ってくるのだ。
「…随分とあの先輩に懐いているようだな、夏海瑠々。まるで飼い主を待つ子犬のようだ。だが、あまり浮かれていると足を掬われるぞ。お前は、常に狙われているということを忘れるな。それに、あの新しい養護教諭…月影小夜子には気をつけろ。奴からは、マガツモノとは違う、もっと質の悪い、粘つくような蛇のような“気”を感じる。君のその純粋な魂は、奴らにとっては格好の獲物だろうからな」
その言葉は、いつになく真剣で、そしてどこか私を案じているようにも聞こえた。でも、最後の「純粋な魂」とか「格好の獲物」とか、そういう言い方はやめてほしい!まるで私がか弱いヒロインみたいじゃないの!そして、なんでそんなに私に構うのよ!まるで、ヤキモチでも妬いているみたいじゃない…って、いやいやいや!そんなわけないわよね、このドSで冷血漢な男に限って!でも、彼のその鋭い指摘は、私の心の奥底にある不安を的確に言い当てているようで、否定できなかった。
そして、ある雨の日の放課後。私は、月影先生から「急ぎで相談したいことがあるの。誰もいない方がいいから、放課後、保健室で待っているわ。あなたの“力”について、もっと詳しく聞かせてほしいの」と、意味深なメモを渡された。その美しい文字で書かれた「力」という言葉に、私の胸は嫌な予感で騒めいた。
何か胸騒ぎを覚えつつも、断り切れずに保健室へ向かう。窓の外は、激しい雨が叩きつけるように降り、空はまるで鉛のように重く垂れ込めている。
誰もいないはずの、薄暗い保健室。消毒液の匂いに混じって、月影先生の甘い香水の香りが濃厚に漂っている。月影先生は、いつもの優しい笑顔で私を迎えたが、その瞳の奥には、ぞっとするほど冷たい、捕食者のような光が宿っていた。その美しさは、まるで毒を持つ花のようだ。
「夏海瑠々さん…お待ちしていましたわ。さあ、二人きりで、ゆっくりとお話しましょうか…あなたの“素晴らしい力”について」
彼女は、おもむろに保健室のドアに内側から鍵をかけた。カチャリ、という無機質な音が、やけに大きく響き、私の逃げ道を塞いだ。
「あなたのその“特別な力”、少し見せていただいてもよろしくて?」
その言葉と共に、彼女の周りに、禍々しい紫色のオーラが、まるで陽炎のように立ち昇り始めた。それは、私がこれまで感じたことのない、強大で、そして底知れぬ邪悪な気配だった。彼女の美しい顔が、ゆっくりと歪んでいく。
「あなた…一体、誰なの…!?」
「私は、あなたを新しい世界へ導く者…黒き月影の使者、月影小夜子。いいえ、本当の名前は…そうね、あなたには教えてあげてもいいかもしれないわね…」
月影先生は、うっとりとした表情でそう告げた。その唇からは、甘い毒のような言葉が紡ぎ出される。
「あなたのその力は、世界を書き換えるほどの可能性を秘めているのよ。私たちと共に来れば、あなたはもっと自由になれる。もう、誰にも縛られることなんてないわ。その美しい魂も、その類稀なる力も、全て私たちに捧げなさいな。そうすれば、あなたに永遠の喜びを与えてあげる…」
甘い言葉で私を誘惑する月影先生。しかし、その瞳は獲物を狙う蛇のように冷たく、そして飢えている。その視線は、私の肌を舐めるように這い回り、言いようのない不快感と恐怖を掻き立てた。
「…お断りしますわ。私は、私の力で、私の日常を守るって決めたんだから!あんたなんかに、私の魂も力も、絶対に渡さない!」
私が毅然とした態度で拒絶すると、月影先生の美しい顔が、みるみるうちに怒りと愉悦に歪んでいく。
「…そう、残念だわ。本当に、残念よ、夏海瑠々。ならば、力ずくであなたの全てをいただくまでよ!その美しい悲鳴を、もっと聞かせてちょうだい!」
彼女の背中から、蝙蝠のような漆黒の翼が広がり、その手には鋭く尖った黒い爪が現れる。彼女は人間ではなかったのだ!その姿は、もはや月の女神などではなく、闇に堕ちた魔女そのものだった。
強力な呪詛の言葉が彼女の口から紡がれ、紫色の茨のような鎖となって私に襲いかかる。私は咄嗟に身をかわそうとするが、鎖は生き物のように私を追い詰め、あっという間に私の手足を拘束してしまった。その鎖は、私の力を吸い取っていくかのように、ギリギリと肌に食い込んでくる。
「くっ…!離しなさいよ!この化け物!」
「無駄よ、夏海瑠々。あなたの力は、まだ目覚めたばかり。この程度の拘束も解けないようでは、話にならないわ。さあ、大人しくあなたの全てを差し出しなさい。そうすれば、苦しまずに済むものを…」
月影先生は、嘲るように私を見下ろしている。その瞳には、恍惚とした光が浮かんでいた。悔しい…!こんなところで、私が…!私の力は、こんなものじゃないはずなのに…!
絶体絶命のピンチ。力のコントロールもまだ不完全で、反撃の糸口が見つからない。意識が遠のきそうになった、その瞬間。
保健室の窓ガラスが、けたたましい轟音と共に粉々に砕け散った!
そして、黒いマントを翻し、激しい雨と風を切り裂いて窓から飛び込んできたのは――冬城紫苑だった。しかし、彼の様子がいつもと違う。その瞳は、まるで地獄の業火のように赤く爛々と輝き、その口元には、獰猛な獣のような、挑戦的で、そしてどこか悲しげな笑みが浮かんでいた。彼の銀髪は雨に濡れ、その白い肌は月光を浴びて青白く光っている。その姿は、美しくも恐ろしい、まさに「夜の眷属」そのものだった。
「…ようやく見つけたぞ、黒き月影の残党め。そして、夏海瑠々…お前は、俺の獲物だ。誰にも渡しはしない。お前の魂も、その力も…全て、俺がいただく」




