第11話:短冊に願い事なんてガラじゃないし!ていうか先輩とあいつ、なんで火花散らしてんの!?
桜の木の事件から数日後、星影高校は七夕祭りの準備で、まるで魔法にかけられたように華やいだ空気に包まれていた。教室の窓という窓には、色とりどりの短冊が風にそよぎ、生徒たちの願い事がキラキラと輝いている。廊下には、クラスごとに趣向を凝らした笹飾りがずらりと並び、その下を浴衣姿の生徒たちが楽しそうに行き交う。いつもは制服姿しか見ない学園が、今日はまるで別世界だ。マガツモノだの古文書だの、物騒な日常を送っている私にとっては、こういう平和で賑やかなイベントこそが何よりの癒やしだ。
「瑠々ちゃーん!短冊書こうよー!何をお願いする?やっぱり、秋月先輩とのラブラブ成就とか!?」
緋和が、いつものように太陽みたいな笑顔で私の腕を引っ張る。今日の彼女は、淡い水色地に白やピンクの朝顔が可憐に咲き乱れる浴衣姿。帯は鮮やかな黄色で、まるでひまわりのようだ。いつもより少しだけ大人っぽく見えるアップにした髪には、小さな花の髪飾りが揺れていて、その姿は本当に可愛らしくて、思わず見惚れてしまう。
「…緋和、今日の浴衣、すごく似合ってるじゃない。なんていうか…お人形さんみたいで、可愛いわよ」
私の素直な感想に、緋和は「えへへ、ほんと?瑠々ちゃんに褒められるなんて珍しいー!やったぁ!」と、はにかみながらクルリと一回転してみせる。その仕草は無邪気で、本当に愛らしい。彼女の周りだけ、ぱっと花が咲いたようだ。こんな子が親友で、私はちょっとだけ自慢かもしれない。いや、かなり自慢だ。
「で、瑠々ちゃんは何をお願いするの?まさか、『世界征服』とかじゃないよね?」
「…別に、大した願い事なんてないわよ。くだらない。それに、私の浴衣姿、変じゃないかしら…?」
私は、緋和に強引に着付けられた、白地に紺色の撫子の柄が入った、少し大人っぽい浴衣の裾を気にしながら、ぶっきらぼうに答えた。帯は落ち着いた藤色。自分では絶対選ばないような組み合わせだけど、緋和が「瑠々ちゃんは色白だから、絶対こっちの方が似合うって!」と譲らなかったのだ。
「全然変じゃないよ!むしろ、いつもの瑠々ちゃんよりずっと綺麗!なんか、しっとりとした大和撫子って感じで、ドキッとしちゃった!」
緋和にそう言われても、やっぱり落ち着かない。でも、彼女の満面の笑顔を見ると、まあ、たまにはこういうのも悪くないか、なんて思ってしまう。私は小さな短冊にペンを走らせた。こっそり書いた願い事は、「普通の毎日が、ずっと続きますように」。誰にも見られないように、笹の一番高いところに結びつける。
放課後、いよいよ七夕祭りが始まった。校庭には所狭しと屋台が並び、提灯の温かい光が辺りを照らし出している。焼きそばの香ばしい匂い、金魚すくいの子供たちのはしゃぐ声、ヨーヨー釣りの屋台から聞こえる涼しげな水の音…。浴衣姿の生徒たちの楽しそうな笑い声が、夏の夜空に響き渡っている。私も緋和に強引に誘われ、慣れない下駄でカランコロンと音を立てながら、その賑やかな人混みの中を歩いていた。鼻緒が少しだけ痛いけれど、このお祭り気分は嫌いじゃない。
「わー!金魚すくい!りんご飴!たこ焼き!綿あめ!瑠々ちゃん、どれから行く!?あ、あそこの射的、景品が可愛いぬいぐるみだよ!」
目をキラキラと輝かせ、まるで子供のようにはしゃぐ緋和の隣で、私は人混みに少しうんざりしながらも、その熱気に浮かされるように、どこか心が浮き立つのを感じていた。
「夏海さん、緋和ちゃん。二人とも、すごく楽しそうだね」
不意に、背後から聞き慣れた優しい声がした。振り返ると、そこには涼しげな紺色の甚平に身を包んだ秋月先輩が立っていた。いつもより少しラフなその着こなしが、彼の爽やかさを一層引き立てている。その姿は、いつもの制服姿とはまた違った魅力があって、私の心臓はまたしてもドキドキと早鐘を打ち始める。
「せ、先輩!わ、私たちも今来たところです!先輩も、お祭りですか?」
「先輩、甚平すごく似合ってます!かっこいいー!まるで夏祭りの王子様みたい!」
緋和のストレートな褒め言葉に、先輩は少し照れたように頬を掻いている。その仕草がまた、たまらなく可愛いんですけど!というか、王子様って、緋和、ナイス!
「ありがとう。二人も浴衣、とても素敵だよ。緋和ちゃんのは元気いっぱいで可愛いし、夏海さんのは…その、しっとりとしていて、いつもと雰囲気が違って、すごく…綺麗だね。髪も、アップにしていると、うなじが…いや、なんでもない」
先輩からの不意打ちの賛辞、それも「綺麗」なんていう言葉に、私の顔は一瞬で沸騰寸前だ。しかも、うなじって…!そんなところまで見てるんですか先輩!?もう、どうしていいか分からないじゃないの!
「あ、ありがとうございます…!せ、先輩こそ…その…夏らしくて、とてもお似合いです…!」
しどろもどろになっている私を見て、緋和がニヤニヤしながら肘でつついくる。やめてよ、緋和!顔が熱くて爆発しそう!
そんな私たちのもとへ、まるでタイミングを計ったかのように、もう一人の人物が音もなく近づいてきた。人混みをすり抜けるその動きは、どこか人間離れしている。
「…随分と賑やかだな。お祭り騒ぎとは、平和なものだ。下々の者たちは、こういうのが好きなのか」
冬城紫苑だ。彼は、黒地に銀糸で月と星の紋様が繊細に刺繍された、見るからに高級そうな浴衣を、まるでモデルのように着こなしていた。そのミステリアスな雰囲気をさらに際立たせ、ただそこにいるだけで周囲の空気を変えてしまう。その姿は、正直、めちゃくちゃ似合っていて腹立たしい。なんでこの男は、何を着てもこんなに様になるのよ!
「冬城くんも来てたんだね。その浴衣、すごく凝っていて、よく似合っているよ」
秋月先輩がにこやかに声をかけるが、冬城は「別に、暇つぶしに来ただけだ。人混みは好きではないが、たまにはこういう喧騒も悪くない」と素っ気ない返事。そして、なぜか私と秋月先輩の間を、じろりと値踏みするような、そしてほんの少しだけ…面白くなさそうな視線で一瞥した。なんなのよ、その目つきは!まるで、私の浴衣姿を品定めでもしているみたいじゃない!
結局、なぜか私たち四人(主に緋和と秋月先輩が楽しそうで、私と冬城はどこか居心地悪そうにしている)で屋台を回ることになった。
りんご飴の屋台の前で、緋和が「わー!真っ赤で可愛いー!」と目を輝かせている。秋月先輩が「夏海さんは、りんご飴好きかい?」と、私の顔を覗き込むように優しく尋ねてくる。その距離の近さに、また心臓がドキリとする。
「え、あ、はい!好きです!あの、甘くてシャリシャリしたところとか…」
思わず即答してしまい、慌てて口元を押さえる。そんな私を見て、先輩はくすりと笑い、「じゃあ、僕が買ってあげるよ。緋和ちゃんも、一緒にどう?」と、私たちの分のりんご飴も買ってくれた。そのさりげない優しさに、私の心臓はまたしてもキュンと高鳴る。真っ赤なりんご飴を頬張る私の姿を、先輩が優しい目で見つめているような気がして、なんだか恥ずかしくてたまらない。
一方、冬城は射的の屋台の前で足を止め、驚くほどの集中力で的を次々と撃ち抜いていた。その真剣な横顔は、普段のクールな彼からは想像もつかないほど情熱的に見えて、私と緋和は思わず息をのんで見守ってしまう。そして、彼が手にした大きなパンダのぬいぐるみを、なぜか無言で私に差し出してきたのだ。
「…え?わ、私に…?なんで…?」
「…的が大きくて、一番狙いやすかっただけだ。いらないなら、そこの子供にでもくれてやるが」
ぶっきらぼうな言い方だけど、その瞳の奥には、ほんの少しだけ、からかうような、そしてほんの僅かだけ…照れているような色が浮かんでいる気がしたのは、私の気のせいだろうか。私は、戸惑いながらもそのパンダのぬいぐるみを受け取った。なんだか、すごく変な感じだ。でも、パンダは可愛い。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、夜空には満月が美しく輝き始めていた。笹の葉がサラサラと風に揺れ、短冊に書かれた願い事が、まるで星の光を浴びて踊っているようだ。
その時だった。
突如として、学園の一角がバチンという大きな音と共に停電し、生徒たちの間にどよめきと悲鳴が広がる。提灯の明かりもいくつか消え、辺りは急に不気味な薄闇に包まれた。そして、短冊が飾られた笹飾りが、風もないのに、まるで何かに操られているかのように、ザワザワと激しく揺れ始めたのだ。その揺れは、尋常ではない。
「な、何これ…!?」
緋和が私の腕にしがみつく。その手は、恐怖で小刻みに震えていた。私も、背筋にぞくりとした悪寒を感じていた。お祭りの楽しかった空気が、一瞬にして凍りついたかのようだ。
「七夕の夜…凶兆の星…まさか…」
冬城が、険しい表情で空を見上げながら呟く。その声には、普段の彼からは感じられない、確かな焦りの色が滲んでいた。
私の脳裏にも、解読した古文書の一節が蘇る。「七つの星が凶兆を示す夜、古き災いが蘇り、学舎を喰らう…」。今日の七夕の夜が、その「凶兆の夜」だというの…?
秋月先輩も、何かを察したように、厳しい表情で停電した方角を見つめている。その手は、いつの間にか、懐に忍ばせていたお守りのようなものを固く握りしめていた。その横顔は、いつもの穏やかな先輩ではなく、何かと戦う覚悟を決めた者の顔つきだった。
学園に、これまで以上の、そして得体の知れない危機が迫っている。
私の平穏な日常は、どうやら本当に、終わりを告げようとしていた。そして、この胸のドキドキは、恋のせいなのか、それとも恐怖のせいなのか、もう自分でもよく分からなくなっていた。ただ一つ確かなのは、このままではいられないということだけだ。
ザワザワと不自然に揺れていた笹の葉が、ピタリと動きを止めた。
いや、違う。止まったのではない。まるで、見えない何者かに、全ての笹が一斉に掴まれたかのように、ぎしり、と奇妙な音を立ててしなっているのだ。そして、そこに飾られていた色とりどりの短冊が、一枚、また一枚と、まるで生きているかのようにひらひらと宙を舞い始めた。
それは、幻想的な光景のはずなのに、なぜか言いようのない恐怖を感じた。
舞い上がった短冊は、夜空に浮かぶ満月を背景に、奇妙な文字や図形を形作り始める。それは、私が古文書で見た、あの禍々しい紋様に酷似していた。
「…あれは…!」
冬城が、息をのむのが分かった。彼の顔からは、いつもの余裕綽々な表情が消え失せ、代わりに焦りと警戒の色が濃く浮かんでいる。
秋月先輩もまた、その不吉な紋様を険しい顔で見つめ、「まさか…言い伝えは本当だったというのか…七夕の夜に、災厄の門が開くとは…」と、か細い声で呟いた。
そして、その紋様が完成したかのように見えた瞬間、学園全体を、まるで地の底から響いてくるような、低く不気味な唸り声が包み込んだ。それは、生き物の咆哮のようでもあり、大勢の人々の嘆きのようでもあり、聞いているだけで全身の毛が逆立つような、おぞましい音だった。
生徒たちの楽しそうな笑い声は悲鳴に変わり、屋台の明かりは次々と消えていく。まるで、学園全体が、ゆっくりと闇に飲み込まれていくかのようだ。
私の足元で、地面が微かに振動しているのを感じる。
そして、ふと気づくと、さっきまで賑わっていたはずの校庭から、いつの間にか他の生徒たちの気配がほとんど消えていた。残っているのは、私と、緋和と、秋月先輩と、冬城くん…そして、私たちを取り囲むように、濃密な、そして冷たい「何か」の気配だけ。
「…これは…ただのマガツモノじゃない…もっと、ずっと根源的で、強力な…“何か”だ…」
冬城が、絞り出すような声で言った。その額には、うっすらと汗が滲んでいる。
私の胸のドキドキは、もう恋のときめきなどではなかった。それは、本能的な恐怖。これから起こるであろう、想像もつかないような厄災への、どうしようもない不安感だった。
暗闇の中で、何かが蠢いている。それは、私たちを、そしてこの学園を、喰らおうとしている。
私は、ただ震える緋和の手を固く握りしめることしかできなかった。




