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第1話:ツンデレ陰陽師JK、かく語りき。「普通が一番なんですけど?」

第一章:日常の亀裂と宿命の序章


けたたましいアラームが鼓膜を揺さぶる。布団の中でうだうだともう5分…いや、いっそ全力ダッシュで間に合わせるか…なんて馬鹿げた計算が頭をよぎる。昨夜見た夢のせいか、妙に体が重い。割れた鏡、血に濡れた古い札、そして誰かの助けを求めるような掠れた声…そんな断片的な映像が、まだ瞼の裏に焼き付いている。ふと手首に目をやると、一瞬だけ、痣のような淡い影が浮かんだ気がした。…気のせいか。寝不足ね、きっと。

襖の向こうから響く祖母の咳払いに、私のささやかな抵抗はあっけなく霧散した。はいはい、今日も一日、頑張りますよ。


「瑠々、また昨夜、部屋で奇妙な洋楽なぞ聴いていただろう。心の鍛錬が足りておらん証拠じゃ」

食卓に並ぶのはヘルシーな和食。けれど、祖母の小言が今日のメインディッシュだ。クラシックだって言ってるのに、何度言ったら分かるのかしら、この石頭。おばあちゃんの読経より百万倍マシだっての。

「…別に、勉強のBGMですけど何か?」

不貞腐れた響きが我ながら可愛げない。もっとマシな返事ができないものか。


玄関には案の定、「本日、北東の方角、凶。この護符を忘れずに」という達筆メモと古風な護符。毎朝ご苦労なこった。ひったくるように掴んで、スクールバッグの教科書の影、一番奥底に押し込める。こんなもの、クラスの誰かに見られた日には、どんな噂が立つか分かったものじゃない。枕元に落ちていた、見覚えのない一枚の鳥の羽根のことは、とりあえず忘れよう。可愛いキーホルダーの方がよっぽどご利益ありそうだなんて、口が裂けても言えないけれど。


「いってきます」

誰に言うでもなく呟き、家を飛び出す。今日も一日、どうか何事もなく、普通の女子高生として過ごせますように。私の切実な願いは、いつだってそれだけだ。


通学路の途中、電柱の陰にぼんやりと佇む人影が視界の隅を掠める。今日もご出勤か、あの地縛霊。特に害はなさそうだが、毎朝のエンカウントは正直うんざりする。全力で視線を逸らし、早足でその場をやり過ごす。見えない見えない…私は普通の女子高生…!霊感なんてこれっぽっちもありませんからー!と心の中で叫びながら。ふと、すれ違ったサラリーマンの顔が一瞬、能面のように歪んで見えた気がしたが、きっと気のせいだ。街角の新しいカフェのポスターも、なんだか奇妙な文字で書かれているように見えたけど、寝不足のせい、うん。


教室のドアを開けると、親友の春風緋和が弾丸のように駆け寄ってきた。

「ねぇねぇ瑠々ちゃん!聞いた?旧音楽室のピアノ、夜中に勝手に鳴るんだって!絶対、音楽室の幽霊だよ!」

緋和は目をキラキラさせ、朝からテンションMAXだ。この手のオカルト話が三度の飯より好きな彼女。でも、その噂、いつから聞き始めたんだっけ?先週まではそんな話、影も形もなかったような…。

「ふーん、くだらない。ただの気のせいでしょ」

興味なさそうな声色を装う。本当はちょっとだけ、ほんの爪の先ほどだけ、気にならなくもないけれど、そんな素振りは見せられない。

「えー、瑠々ちゃんは夢がないなぁ!ロマンがないよ、ロマンが!」

緋和がぷうっと頬を膨らませる。うん、知ってる。私にロマンなんて似合わないことも、緋和がすぐにいつもの笑顔に戻ることも。


ホームルーム直前、廊下でふと視線を感じて顔を上げると、そこにいたのは憧れの秋月浩希先輩だった。柔らかな日差しを背に、今日も先輩は爽やかで、なんだか世界がキラキラして見える。

「やあ、夏海さん。今日もいい天気だね」

優しい声と笑顔が、まっすぐ私に向けられる。途端に、心臓がドクン、と大きく脈打った。まずい、顔が熱い。絶対赤くなってる。

「…別に、先輩に挨拶されたからって、嬉しくなんてないですから!」

しまった!まただ!口から飛び出したのは、トゲトゲした、我ながら最低最悪の言葉。先輩は一瞬きょとんとした後、少し困ったように眉を下げて微笑むと、「そうか、じゃあまた」と軽く手を振って去っていく。その去り際、先輩が一瞬だけ、何か言いかけたような、心配そうな表情を見せた気がしたけれど、気のせいだろうか。

ああもう、穴があったら入りたい…!嬉しいに決まってるじゃない、バカバカ私のバカ!なんであんな可愛くないことしか言えないのよぉ!と、心の中で盛大に頭を抱えた。ふと足元を見ると、先輩が落としたらしい、綺麗に畳まれたハンカチが落ちていた。拾い上げて、追いかけようか一瞬迷ったけれど、結局声をかけられず、私はそのハンカチをそっとポケットにしまった。…後で、緋和に頼んで返してもらおう。


放課後。緋和が私の腕を掴み、有無を言わさぬ勢いで引っ張っていく。

「やっぱり気になる!音楽室のピアノ、見に行こうよ、瑠々ちゃん!」

「えー、面倒くさい…それに、どうせ何もいないって」

渋々ながらも、結局彼女の勢いに押し切られてしまうのは、もはや様式美だ。私たちは、今はほとんど使われることのない旧校舎の、その奥にある音楽室へと向かった。

旧校舎に一歩足を踏み入れた途端、空気がひやりと変わったのを肌で感じた。なんだか、音が妙に反響して、自分の足音さえも不気味に聞こえる。


ひんやりとした廊下を進むにつれて、どこからともなく、ピアノの音が微かに、でも確かに聞こえてくるような気がした。気のせいだと自分に言い聞かせたけれど、旧音楽室の古びた木の扉に近づくほど、その音は徐々に輪郭を帯びてくる。それは、単調で、どこか拙く、そしてひどく物悲しいメロディーだった。でも、それだけじゃない。なんだか、聞いていると頭の奥がズキズキするような、不快な響きが混じっている。まるで、誰かが無理やり鍵盤を叩かされているような…。


「きゃー!やっぱり!本当に鳴ってる!なんか、黒い影みたいなのがピアノのところに見えた気がするし、ピアノの音が頭に直接響いてきて気持ち悪い…!」

緋和は小さな悲鳴を上げ、私の腕にぎゅっとしがみついてくる。その重みと震えが、私の背筋にもじわりと冷たいものを走らせた。これは、ただの噂じゃなかったのかもしれない。


「やっぱり帰ろ!私、もう無理!」

緋和はそう叫ぶと、脱兎のごとく廊下の向こうへ消えていった。あっという間に、静寂と、不気味なピアノの音だけが残される。

「…ったく、言い出しっぺのくせに」

ため息が漏れる。でも、このまま放っておくのも、なんだか胸騒ぎがする。それに、もし本当に何かいるのなら、怖がりの緋和がまた近づけなくなるだろう。仕方ないわね…ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、様子を見てくるだけなんだから…!と、自分に言い訳をして、私は意を決して、旧音楽室の重いドアに、そっと手をかけた。


ドアノブに触れた瞬間、ビリッと微かな静電気が走ったような気がした。そして、ドアの隙間からは、カビ臭い空気と共に、さらに冷たい空気が漏れ出してくる。

ギィ…という軋む音と共に、ドアがゆっくりと開く。


薄暗い音楽室の中は、カビと埃の混じったような、独特の匂いが充満していた。窓から差し込む夕暮れの赤い光が、床に長い影を落とし、グランドピアノの黒いシルエットを不気味に浮かび上がらせている。

そして、その光の中に、ぼんやりとした人影が見えた。

息をのむ。

それは、私たちと同じ制服を着た、女の子の姿だった。肩まで伸びた黒髪が、俯いた顔にかかり、表情は窺えない。その細く白い指が、おぼつかない手つきで、それでも懸命に鍵盤を叩いていた。その演奏は、悲しいというより、むしろ何かに追い立てられているような、切羽詰まった印象を受けた。

間違いない、霊だ。

全身の血の気が引いていくのを感じる。逃げ出したいという本能と、なぜか目が離せないという奇妙な引力が、体の中で激しくせめぎ合う。でも、その女の子の霊からは、不思議と強い負の感情は感じられなかった。むしろ、その背中からは、どうしようもないほどの恐怖と、助けを求めるような必死さが滲み出ているように見えた。


ふと、女の子の霊が顔を上げた。

夕日の赤い光が、その横顔を微かに照らす。まだ幼さを残した、どこか儚げな顔立ち。そして、その瞳は、まるで泣き濡れたかのように、潤んでいるように見えた。

目が、合ってしまった。その瞬間、時間が止まったような錯覚に陥る。そして、脳裏に、断片的な映像がフラッシュバックした。――暗い部屋、誰かの怒鳴り声、そして、鍵盤に叩きつけられる細い指…。

「…っ!」

思わず短い悲鳴が漏れそうになるのを、必死で堪える。


「…あんた、誰?」


静まり返った音楽室に、私の掠れた声が、やけに大きく響いた気がした。心臓が、まるで警鐘のように、ドクドクと大きく鳴り続けていた。女の子の霊は、何も言わず、ただ怯えたような瞳で、私をじっと見つめ返してくるだけだった。

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