VRイベントに行っただけなのに
翌朝、メールを開くと『参加ありがとうございます』というヘッダのメールには、イベント会場の場所と時間、なんと参加費無料とあった。
え? 当選したのか! やったー。僕は部屋で独り小躍りした。
イベントの当選メールなんて久しく見てなかった僕は歓喜の舞と、我が目を疑ってメールを読み返すという動作を何度も繰り返した。
◇◇◇◇◇◇
今日はイベント当日。
集合場所のビルに行ってみると、数人の集団が居た。
みなさん能面付けてたり、以前の周年で販売されてた羽織着てたりと、一目ででん同士とわかる身なりだ。
僕もらでんちゃんの缶バッチを付けたバッグを見えるように持って
「こんにちはー、みなさん早いですね」と声をかけた。
「こんにちは初めまして、グーミーです」と言ってスマホのSNS画面を見せながら挨拶してくれる人を皮切りに、
他の人もスマホの画面を名刺代わりに見せてくれた。
「初めまして、夜光貝です」言いながら僕も、スマホのSNS画面を見せた。オフ会ではよくある光景だ。
しばらく談笑していると、スタッフが僕らを手招きして、
「こちらへどうぞ」と開放された扉へ促された。
そわそわして中に入ると、バッグの中身と身分証のチェックを受けた。
今時は物騒な事があるのでこういったイベントでは必須なんだそうだ。
チケット代わりのスマホ認証の後、いよいよ会場へ。
入り口でVRゴーグルを受け取る。まるでダイビングで使う水中マスクのようだが前面は完全に覆われていて、このまま被っても前が見えない目隠し状態。
僕が真っ暗闇に戸惑っていると、
「失礼しますね」と言ってスタッフさんがゴーグルの操作したとたん、視界が開けた。
「カメラを通して前が見えてると思いますが、どうですか?」
「はい、大丈夫です」僕は周りををキョロキョロと首を動かしながら見渡した。
「イベント中はそのゴーグルを外さない様にお願いします、ではそのまま前に進んであの扉からお入り下さい」
間隔を開けて、一人一人会場に入って行く、僕は最後尾だ。
扉をくぐると、そこには別世界があった。
目の前に、金色がふんだんに使われた柱、その柱には肖像画があり、天井には古代ギリシャのような絵がある。
「ここは……アポロンの間?」そうかルーブル美術館か!
あっけに取られて周り中をキョロキョロしていると、壁にある一枚の絵画が目を引いた。
「これはフェルメールの《デルフトの眺望》だよな……」ルーブルに無いはずの絵だ。
「さすがに気付きましたか」左側からの声に振り向くと、そこにらでんちゃんが居た。
「え? うわびっくりした!」
すぐ横でらでんちゃんが、
「ようこそ! らでんのルーブル美術館へ」
ニコニコ顔で両手を広げドヤッている。
僕は握手して貰おうと手を伸ばしたが空振りして、らでんちゃんの身体を通り過ぎてしまった。
そうかこれがVR、バーチャルとリアルの融合なのか! すげえーな。
「ルーブルに私の好きなフェルメールの作品を置いてみました。あははーどうですか? すごいでしょ?」
そう言えばらでんちゃん、ルーブルに行ったのに入れなかったんだっけ。
「何か言いましたか?」圧が飛んできた。
「いえ〜何でもありませんよぉ」
僕はポリポリと頭を掻いた。
「ところで《デルフトの眺望》を解説して下さいますか?」
らでんちゃんがとんでもないリクエストを僕にしてきた。
「ちょっ、逆でしょうそれ、僕がらでんちゃんの解説を聴く立場ですってば」
「たまには人の解説を聞きたくなるんですよ、あはは、さぁお願いします」
まぁせっかく推しがリクエストしてくれたんだし、
僕は《デルフトの眺望》を指差し
「この絵を見た時、視線は奥にある新教会に誘導されますよね?」
らでんちゃんは頷きながら
「色彩による遠近法?」と聞いてきた。
「色彩とも、空気遠近法とも違うような気がします。遠くを見る時って、手のひらを額にかざしたり、帽子のツバで余計な光を遮るじゃないですか?」
らでんちゃんは手のひらを額あたりにかざしながら「なるほど遠方を見る時の定番ポーズですね?」
「そうです、その手のひらの役割がこの絵の手前にある暗い雲です」
そのまま下を指さし
「足元は明るくても目線の大部分は陰影を意識した船や建物、ひときわ白い新教会とその先の明るい色の雲へと流されていきませんか?」
「僕はこの絵を見る度思うんです。フェルメールはデルフトから出て行きたかったんじゃないかと」
かなりざっくりと僕の感想をらでんちゃんに伝えたが、多分ちんぷんかんぷんだろう。
「なるほど〜、そんな事を小学生の内から感じてたのですね?」
らでんちゃんは閉じた扇子を顎にあてながらクスッと笑った。
「え?」僕はギクッとして固まってしまった。
僕がフェルメールに興味を持ったのは、小学生の高学年から中学生だった頃だ。
もう何十年も前の事をなぜらでんちゃんが知っているんだ?
「あの……なんで……」
おそるおそる、らでんちゃんに聞いたが
「そろそろお時間になります」スタッフさんが僕とらでんちゃんの間に入ってきた。
スタッフさんの後ろから、
「明日、例の美術館に行ってみて下さい、きっと面白い人に会えますよ」
らでんちゃんはそう言いながら手を振り、スタッフさんの影から消えていった。
「お疲れ様でした」スタッフさんがVRゴーグルを外すと、そこには何も無いがらんとした部屋があるだけだった。
短い時間だったが、僕は間違いなくらでんちゃんと一緒に居た。
だけど、それと同時にらでんちゃんが怖くなった。
なぜ僕の過去を知っているんだろうか?
明日、例の美術館に誰が居るんだろうか?
そんな事をぐるぐる考えながら外に出てみると、僕と一緒に入場した筈のでん同士は、もう誰も居なかった。
他の人達はどんな話をしていたんだろうか。
僕は独り、帰路につくしかなかった。