第五章
ある日、夕方の練習が終わり、道場の片付けを済ませた後、僕は建と優里を交えて、畳の上に座り込んで話をした。
「優里、最近の調子はどうだい?」建が穏やかな口調で問いかけた。
「順調よ。少しずつだけど、自分の気持ちをコントロールできるようになってきた」優里は微笑んで答えた。
「それはよかった。優里の成長は目に見えてわかるよ」僕も微笑みながら言った。
「でも、まだまだよ。試合になると緊張して、心が乱れてしまうことが多いの」優里は少し困ったように話した。
「それは自然なことだよ。試合での緊張をどうコントロールするかが次の課題だね」建は優里に優しく言った。
「そうね。でも、どうやったらもっと強くなれるのか、具体的な方法が知りたい」優里の瞳には真剣な光が宿っていた。
僕は少し考えてから言った。「空手は体だけでなく、心の鍛錬でもあるから、精神の鍛錬をしてみるのがいいかもしれない。建、そうだろ?」
建はうなずいて話し始めた。「精神を鍛えるには空手の稽古だけじゃなく、自分自身と向き合う時間も大切だ。例えば、座禅を組むことも有効だよ」
「座禅?」優里は驚いた様子で尋ねた。
「そう、座禅を組んで心を落ち着かせることで、普段から心の乱れを抑えることができる。心が静かになれば、試合でも冷静に対応できるようになる」建は穏やかに説明した。
「座禅、やってみることにする」優里は決意を込めて言った。「具体的にどうすればいいの?」
「まず、あぐらをかいて、手を足の上で組むんだ。」
建は道場の畳の上で、実際にやってみせた。「それから、何も考えないようにする」
「それだけ?」優里はあっけにとられて言った。「そんなの簡単じゃない」
「それが意外と難しいんだ。人間は絶えず何かを考えている。思考を止めることは簡単なことじゃない」建はそう言って、目を瞑った。「優里もやってごらん。目を瞑って、思考を止めるんだ」
「わかったわ」優里はそう言って、座禅を組んで、目を瞑った。僕も、二人と同じように座禅を組んだ。
しばらくすると、優里はしびれをこらすように言った。「確かに難しいわね。何かを考えてしまうわ。何も考えないってことを考えてしまう」
「もう少し、頑張ってごらん。何も考えないって思ってる自分を、空から観察する気持ちになってみて」僕は優里に声をかけた。
それから僕たちは黙って座禅を組んでいた。しばらくすると、優里は嬉しそうに声をだした。「何かわかった気がするわ。心の中が静かになったのを感じた。清々しい感じだわ」
「それが、積極の風に乗ったってことだよ。なぁ、たける」僕は建のほうを見て、微笑んだ。
「ああ。はじめての座禅でそこまでいけるのは凄いぞ。やっぱり優里はいい筋をしてる」建は感心したように言った。優里は嬉しそうにはにかんでいた。
その後、僕たちはさらに具体的な練習メニューや、日々の生活の中での心の持ち方について助言をした。建は自身の経験を交えてアドバイスを送り、優里は熱心に耳を傾けた。
ある日のこと、優里がふと話を切り出した。「実は、家の問題も少しずつ良くなってきたの。母も私が道場で頑張っていることを認めてくれるようになってきたわ」
「それは素晴らしいね。積極の風に優里が乗っている証拠だよ」僕は心から喜んで言った。
「ありがとう。でも、まだ完全に母との問題が解決したわけじゃないから、これからも頑張らないと」優里は少し緊張した面持ちをしながらも、前向きな姿勢を見せた。
「俺たちも協力するから、一緒に頑張ろう。」建が力強く言った。
「ありがとう、建さん。」優里は感謝の気持ちを込めて頭を下げた。
その後、優里は座禅を日課に取り入れ、精神の鍛錬に励んだ。建と僕は彼女をサポートしながら、道場の運営にも力を入れていった。
数ヶ月後、優里は再び試合に挑むことになった。彼女は座禅の効果もあって、以前よりも落ち着いた心で試合に臨むことができた。試合の結果は見事な勝利で、優里の成長が実感できる瞬間だった。
「積極の風に乗ってる感じ、少しはわかった気がするわ。」試合後に優里が微笑んで言った。
「その通りだ。君は立派に積極の風に乗っているよ。」僕は優里の肩を叩いて言った。
建も満足そうにうなずいた。「これからも一緒に頑張ろう。積風会をみんなで盛り上げていこう」
こうして、僕たちの道場は一歩ずつではあるけど、確実に成長していった。大山さんの教えを胸に、僕たちはこれからも積極の風に乗っていくつもりだ。