第三章
数日後、僕は近くの居酒屋で建と久しぶりに再会した。居酒屋の暖かい灯りと賑やかな雰囲気が、僕たちの緊張をほぐしてくれる。
「大山さんから話は聞いてるよ。俺も志郎が師範ってことで異論はない」と建は言った。
「やっぱり俺が空手を指導するのはどう考えてもおかしいよ。指導は建がしてくれないか」
「わかった。師範代ってことで、俺が指導はするよ」
建は快く僕の願いを聞いてくれた。それから、思い出話が盛り上がり、小学生の頃の話になった。
「戦後、すっかり世論は変わってしまって、それまではみんなウエスタニアを目の敵にしてたのに、突然みんなウエスタニアを崇めだしただろ。俺は馬鹿だったから、深くも考えず、周りに意見を合わせてたけど、お前は違ったよな。なんでお前は一人頑なにウエスタニアを嫌い続けたんだ」
「別に嫌ってた訳じゃないよ。でも、みんなみたいにウエスタニアを支持できなかったのは、心に後ろめたさを感じたからだと思う。俺はみんなと違っても自分が正しいと思うことをしたかったんだ」
「でも、それでお前は孤立したろ。孤独じゃなかったか」
「孤独じゃなかったよ。父さんの『積極の風に乗れ』って言葉が俺の支えだった。確かに友達はいなかったけど、俺の周りにはいつも積極の風が吹いている気がして、寂しくはなかった。お前もいてくれたしな」
建は周りとうまくやりながらも、僕と友達でい続けてくれた。昔から要領のいい奴だった。
「一度旧イーステンドの復古主義者たちが、国会議事堂を占拠したことがあったろ。その時は、みんなが復古主義者たちを非難してたのに、お前は冷静だったよな」
「みんな消極の風に乗ってしまってたんだよ。消極の風は周りをどんどん巻き込んでいく。だから俺はつられて消極の風に乗らないようにしてただけだ」
「消極の風に乗るなって、大山さんもよく言ってたな」
「怒るのも、心配するのも、落ち込むのも、消極の風にのっているだけなんだ。あの当時、みんな神経が過敏になってて、心が消極の風に乗りやすかったんだよ」
その当時は戦争に関連することに関して、みんなが過剰に反応していた。復古主義者は、武力によって主権をイーステンドに取り戻すと息巻いていた。しかし、一般庶民はとにかく戦争を避けることだけを願っていた。戦前に浸透していたこの国の信仰は、いつの間にか薄れていった。
「大山さんはかっこよかったよな。国会議事堂占拠の時も、みんなにうろたえるなって一言言って、いつも通り空手の練習を始めたんだ。生涯貧乏だったけど、かっこいい人だった」
建は冗談っぽく笑いながら言った。
「人間の価値はどれだけお金を持っているかではなく、どれだけ積極の風に乗っているかだよ。大山さんは最後まで積極の風に乗り続けた」
僕は大山さんの最期を思い出しながら言った。
「そうだよな。俺はあの人から空手を学べたことを誇りに思うよ」
建の瞳が少し潤んでいるように見えた。僕もあの人から空手を学べたことを誇りに思う。
その夜、建と僕はさらに深く話を交わし、これからの道場の方向性についても語り合った。居酒屋のカウンターでお互いのグラスを持ち上げ、静かに乾杯した。
「志郎、これからの道場、どうするつもりだ?」
「まずは大山さんの教えを大事にしながら、何か新しい風を吹かせたいね。子どもたちに積極の風を感じてもらいたいんだ」
「いいね。俺も手伝うよ。これからが楽しみだ」
その後、道場での訓練が始まった。初めは不安だったが、建の指導力と僕の熱意で次第に道場は活気を取り戻していった。子どもたちの笑顔や真剣な表情を見るたびに、大山さんの教えが確かに受け継がれていることを感じた。
ある日、道場で特別なイベントを開催することにした。地域の人々を招き、大山さんの遺志を伝えるとともに、新しいメンバーの募集を行った。イベントの日、道場は大勢の人で賑わい、僕たちは心からの感謝の気持ちを込めて歓迎した。
「志郎、これからも頑張って行こうな」と建が肩を叩いてきた。
「もちろんだ。大山さんの吹かせた風に乗り続けよう」
新たな挑戦が始まり、僕たちは未来に向かって歩み出した。その道には、確かに積極の風が吹いていると感じながら。