ドアマットヒロインの母親はよく死ぬ
不遇ヒロインの母親はスタート前から死にがち。
──夢を見た。
今、お腹に宿っている私の娘が生まれた後の夢だ。
夢は娘の人生を私に見せていた。
……私の娘は幸せになる。
最後には。
そう、最後には……?
「はっ……! はぁ、はぁ、今のは……」
真夜中。
目を覚ましたのは自室のベッドの上だった。
嫌な夢を見たの。
夢? ううん、あんな夢……。
妊娠で不安だから、いいえ、いいえ。
……アレは夢なんかじゃなかった。
きっと未来の娘が辿る……。
だったら、あの夢の通りなら私は……死ぬ。
──私は死ぬワケにはいかない。
他ならない娘の為にも。
◇◆◇
「アリッサ。可愛い娘を産んでくれたね」
「……そうね。貴方」
ニコリと私は夫であるレオナルドに微笑みかけた。
伯爵家の娘として培った、本心を隠す微笑みだ。
レオナルドを適度にあしらいながら長年、屋敷に務めていた信頼できる使用人にだけ残って貰う。
「……領地で隠居されているお父様とお母様に手紙を書きたいわ。それと……医者を呼んで欲しいの。レオナルドには気付かれないように」
「え?」
真剣な目で執事と侍女の目を見た。
私は落ちた体力ながらも気力を振り絞って行動を開始する。
……夢で見たのは、私の娘、テレサローゼの半生だった。
まだ赤ん坊のこの子は幼くして母親を亡くす。
テレサの母親。
そう……つまり『私』は死んでしまう。
私が死んで居なくなった後。
半年も待たずに夫のレオナルドは再婚する。
死後なのだから後妻を迎え入れるのは別にいい。
だけど問題なのは後妻の連れ子だった。
……瞳の色と髪の色がレオナルドのものと同じの美しい少女だった。
……どう見てもレオナルドの子。
そう、つまり不貞の証だった。
母親の私が死に、伯爵代理であったレオナルドは後妻と不貞の妹を屋敷へ連れ込む。
その妹は、テレサローゼが持つあらゆる物を欲しがった。
後妻はテレサローゼに姉として振る舞い、あらゆる物を妹に譲るように叱責した。
レオナルドは姉のテレサを庇う事はなく、後妻と妹だけを可愛がった。
ロクな環境を与えない癖に勉強だけはさせて、政略でテレサの婚約者を決める。
娘のテレサローゼのあらゆる持ち物は奪われた。
私が娘に残した形見すらも。
果ては婚約者すらも妹はテレサから奪う。
一方的に突きつけられた婚約破棄と、目の前で妹を選ぶ娘の元婚約者の姿。
娘はそこで限界を迎えたのだろう。
伯爵邸から逃げ出した。
娘がボロボロになりながら、護衛すら付けられずに一人で屋敷の外に出て行く姿を夢で見た。
心配で心配で仕方なかった。
だけど、どんなにテレサローゼの傍に駆け寄りたくても私はこの時、死んだ後。
何も手助けする事が出来ない事がとても悲しかった。
……でも、娘はその先で運命の出逢いを果たす。
そこからは逆転劇だ。娘には最終的には幸せが訪れる。
そう、この子は幸せにはなるのだ。
「……テレサ。テレサローゼ。貴方は運命の出逢いをしたい?」
夢の記憶を頼りにすれば私は生き残れる。
だけど娘は、あの運命の相手に出逢えない可能性が高くなるだろう。
幸せに笑う未来の娘の姿がぼんやりと思い浮かんだ。
……私は、もしかしたら娘の幸せな未来を奪ってしまうかもしれない。
◇◆◇
「な、何ですか?! 貴方達は!?」
両親と共に警察隊が伯爵家に押し入ってきた。
「……令状はある。始めてくれ」
夫のレオナルドを無視し、警察官達に家宅捜査を進めさせた。
「お義父さん!? 一体これは何の真似ですか!?」
「アリッサはどこだ?」
「は?」
そんなやり取りが開け放たれたドアの向こうから聞こえる。
私は夫の入れた紅茶のカップを音を立てて割った。
中身がベッドの横で溢れる。
その音を聞き付けた警官達が私の部屋に突入してくる。
「ゴホッ、ゴホッ……げほっ、ぐっ、うぅ!」
「大丈夫ですか!?」
「うぐ、あ……、レオナルドの紅茶……、飲んだら、凄く、気分が悪く、て」
私は紅茶を少しだけ飲んで、本当に気分が悪くなって仕方なくて、演技と本気の両方で吐き気を訴える。
「すぐに病院へ! 早く! 娘も保護して!」
「アリッサ!」
「ひっ……ぎっ、」
私は近付いてくるレオナルドを引き攣った顔で見て怯えて見せた。
「なっ……」
「た、助けてっ、殺される……!」
見ず知らずの警官に助けを求める。
すぐさま彼らはレオナルドを私から遠ざけてくれた。
「アリッサ!」
「アリッサ……!」
父と母が来た事に安堵する。
緊張の糸が切れたせいで意識が朦朧としてくるけど、まだ何とか耐えた。
「お父様、お母様……お願い、テレサを、娘をレオナルドの傍に近寄せないで……、あの子を守って……警察の方、お願い、娘にも毒を飲ませるかも……」
一生懸命に伝えるべき事だけは伝える。
父母と警官が顔を見合わせ、頷き合う。
私はそれを確認すると意識を失った。
◇◆◇
覚悟はしていたけれど、やっぱり怖かったし、無謀だった。
……どこか一欠片、レオナルドを信じる気持ちはあったけど。
使用人に調査を命じていた事がたしかとなり、やはり私は夢の通りだったのだと確信するしかなかった。
レオナルドはあの日、私に紅茶を用意してくれた。
その紅茶には毒が入っていた。
私が用意したのではなく、夢の通りにレオナルドは行動したのだ。
即死するような毒ではなかった。
ただし、長年服用するようであれば死に至る。
そんな遅効性の毒だった。
お陰で病院に運ばれるまで私も保ったのだろう。
でもバレないようにするにしては毒の量が多かったと言う。
あの時、私が飲んだのは少しだけだったが、レオナルドは分量を測り間違えたようだ。
……レオナルドは不貞を働いていた。
それだけでなく伯爵家の資金の横領もしていた。
金銭類は浮気相手である女に貢がれ、蓄えられていた。
その相手の女は現在、妊娠しており、父親はレオナルドであると証言したと聞いた。
女の名前も確かめた。
……夢で聞いた後妻の名前だった。
体調が戻れば顔の確認だけさせて貰う。
そうして後妻の顔まで私の知ってる通りなら、間違いなくあの夢は予知夢だったのだろう。
私は夫に毒殺され、娘のテレサだけを地獄のような屋敷に残すという未来を何とか覆す事が出来た。
それから両親には再び家に戻って貰い、乳母を雇い、しばらく療養とテレサの養育に力を注いだ。
レオナルドとは離婚。
殺人未遂と横領の罪で牢獄に入って貰った。
不貞の相手を一方的に確認させて貰ったところ、やはり夢で見た後妻だった。
……おぞましい。
いずれ伯爵家を乗っ取るつもりだったのだ。
どの道、最後には覆されたとはいえ、長くこの家に寄生する予定だった。
「……テレサ。貴方が大きくなるまで、私は生き残るからね」
私は私の死ぬ未来を覆した。
テレサが屋敷の中でレオナルドや後妻とその娘達に苦しめられる事はなくなった。
それに夢の中ではクビにされる筈だった長年の使用人達の生活も守る事が出来た。
それも嬉しい事の一つだ。
なぜあの夢を見たのかは分からないけれど、私は神に感謝した。
「お母様!」
「ああ、テレサ。よく頑張ってるわね」
「えへへ」
テレサは元気に明るく育ってくれた。
夢の中のように何をしても褒められる事なく、妹と比較されて侮辱されるような事もない。
私はテレサが頑張った事はしっかりと褒め、いけない事をしたなら叱った。
……父親が居ない生活をさせてしまっているけれど、居ない方が良い親も居る。
離婚した女伯爵の私に縁談もあった。
良いと思える男性と出逢う事も。
だけど。
私はレオナルドの事で夫を迎えるのが怖いと言い訳して、すべて断ってきた。
けど……実際は、違った。
レオナルドの毒殺未遂を私は随分と前から覚悟していた。
傷つくような愛情もとっくに失っていた。
だからすべての男性に偏見や恐怖を抱いているワケではなかった。
ただ。
私はテレサローゼの運命の出逢いを邪魔してしまった。
不幸な境遇から華麗に返り咲く物語のヒロインのような人生を送るテレサ。
最後の光景だけを見れば憧れさえ抱きそうなハッピーエンドを迎えるテレサ。
私はその未来を潰した。
苦しい幼年時代を味わわない代わりに、きっと平凡な人生を歩むのだろう。
私に出来るのはテレサローゼが、それでも幸せな人生だと感じられるようにするだけだ。
「お母様。釣書が来ているのですって?」
「ええ。そうね。貴方も年頃だからね」
「ふふふ」
成長したテレサは、とても可愛らしく育った。
とても健康的だ。間違ってもひもじい思いなどさせていない。
ただ元気過ぎるのが玉に瑕だけれど。
「あら、素敵な男性」
「……この相手は」
テレサが目を留めたのは……あの日、夢で見た、後妻の娘に絆されてテレサに婚約破棄を突き付けた男だった。
「侯爵家の令息だったの、こいつ」
「こいつ? 随分な言い方だわ。お母様、知ってるの?」
「会ったことはないわね……。テレサ、この男だけは止めておきなさい。貴方を必ず不幸にするわ。それに放っといたら、どうせ問題を起こすわよ」
「ええ? まぁ、顔が整ってるだけで好みとは違うから良いけど」
好みではないのか。
そう言えば夢では、そもそもレオナルドが勝手に決めた婚約だったわね。
夢の中のレオナルドめ。侯爵家という身分に釣られたに違いない。
爵位が上とはいえ、婚約の申し込みを断るぐらいは出来る。
それに私が生きていて父母の協力を得つつ、伯爵家の切り盛りをし、後妻達と違って過剰な浪費もしていない。
なので伯爵家に落ちぶれる要素は今の所なかった。
我が家は困っていないので、わざわざ侯爵家に取り入るメリットは全くない。
「この男に目を付けられる前に他の婚約者を用意したいわねぇ」
「……お母様、侯爵令息のこと、どれだけ嫌いなの?」
娘への一方的な婚約破棄、ぜったい許さない。
◇◆◇
やっぱり夢で見たテレサの運命の相手は現れなかった。
もう随分と昔の夢になる。
私の記憶も朧げだ。
侯爵令息も写真を見るまでピンと来なかった。
私はこの先ずっとこのモヤモヤを抱えて生きていくのかもしれない。
テレサローゼには予知夢の事は話していない。
『本当は出逢う筈だった運命の相手』の事なんて知っては、平凡な結婚に不満を抱いてしまうかもしれない。
テレサが幸せになってくれれば、相手なんてどうだっていいのよ。
ただ求めるとしたら、テレサに誠実で優しく、貧しい思いをさせず、頼りになって、ついでに逞しければ。
「お母様? もしかして私の婚約相手を高望みしてませんか? 友達が続々と婚約関係を結んでいくのですが」
「あら。私は娘に相応しい最低限の条件を考えているだけよ」
「本当かなぁ……。行き遅れになったら、例の侯爵令息だけが残るかもしれませんよ?」
「それだけはダメ。それならもう一生独身を覚悟しなさい」
「そんなバカな」
「アレだけはダメよ」
「侯爵令息がアレ扱い……」
どうしましょうか。難しい問題だわ。
養子を迎える?
養子に足る男が居るなら、そもそもその子と婚約させるべきよねぇ……。
「あのぅ」
「あら、なぁに?」
「……カーラス子爵がいらっしゃってます」
「あら。またいらっしゃったの」
カーラス子爵は、同年代の茶会で出逢った男性だ。
名前はウィル・カーラス。
子爵位だけれど領地を持たない人。今は王宮で勤めていらっしゃるわ。
同年代のお茶会参加者、という事で年齢は私に近い。
近いのだけれど。
「こんにちは。お邪魔してすみません。アリッサ様」
「ええ。ここのところ、毎日だもの。もう慣れてしまったわ。どうぞ座ってくださいな」
「ありがとうございます。テレサローゼ嬢もこんにちは」
「はい。ごきげんよう、カーラス様。ふふ、今日も頑張って下さいね」
「い、いやぁ、ははは」
カーラス子爵がテレサと仲睦まじく笑い合っている。
その頬は赤く染まっていた。
「……うん。そうね。出来れば年齢の近い相手をと考えていたけれど。仕方ないわ」
「え?」
「テレサ。カーラス様はどうかしら?」
「……えっ」
テレサが私の言葉に驚く。
「たしかに年齢は離れているけれど、2人は仲も良いみたいだし! カーラス様は中々に有望よ? 独身だし、子爵だし。彼に婚約者になって貰うのは?」
「えっ、私の方が?」
「そうよ?」
そういう話をしてたのじゃない。
「……カーラス様、なんにも伝わってませんよ。何なら誤解されてますよ」
「……けっこうストレートにアピールしてるのに」
「まぁまぁ、息がピッタリじゃない? 2人共! まるで共通の目的を持った同志のようだわ!」
これは思わぬ掘り出し物かもしれないわ!
テレサの運命の相手とは違うけれど、娘にとって良い人なら何にも問題ないわ!
私は天啓を得たと上機嫌になったわ。
「ダメですね、これは。昔からお母様は頑固な所が……そして鈍い」
「それは知ってます」
まぁ、仲良しだわ! ふふふ。
これは決まったも同然じゃなくて?
色々と手続きを進めてしまいましょう。
私はカーラス様を今度は、こちらから招き、何度もテレサと出逢えるように取り計らった。
まだ恥ずかしいのかテレサもカーラス様も必ず私に同席を求めてくるのが初々しいわ。
そう思っていた矢先だった。
「お母様。紹介したい人が居ます」
「……紹介?」
改まってそんな事を言ってくるテレサに私は首を傾げた。
「呼んで良いでしょうか」
「え、ええ」
テレサに招かれて伯爵家の庭に現れた男性を見て、私は思わず声を上げた。
「あっ」
その男性は……夢で見た、テレサローゼの運命の相手だった!
「こちら、クレアス・ハルート様。ハルート公爵家の次男です。2年ほど隣国へ留学されていたのですけど、少し縁があって」
テレサローゼはほんのりと頬を染め、恥ずかしそうにしている。
それにクレアス様もテレサを愛おしげに見つめて。
「ああ、テレサ、テレサ……。ようやく出逢えたのね? 良かった、本当に良かった! 貴方達は運命の相手よ!」
「えっ」
私は涙を流して喜んだ。
テレサローゼは幸せになれる! そう確信した。
きっと出逢うべくして出逢った2人。
夢の中のように不幸な境遇に落とされる事なく、私と共に笑って生きて、それでも出逢えた。
なんて素晴らしい事なのかしら!
「お母様、そんなに喜んでくれるなんて」
「ああ、もう。これで思い残す事はないわ!」
「お母様!? 思い残す事はあって下さい! あとお名前を紹介しただけなので、もっとちゃんとクレアス様のお話を聞いて!?」
そう言えば現実でも誠実で優しい彼とは限らないわ。
あくまで夢は夢だもの。
入念なチェックが必要ね!
テレサに悪い虫はつけないわ!
「急に現実的になるのもやめてください。リアリストなの? ロマンチストなの?」
「ふふふ。沢山お話しましょう。ああ、それにテレサにもようやく話せるわ」
「話?」
「ええ。私が昔に見た夢の話」
それから私はクレアス公子の事をしつこく聞いた。
いくら運命の相手とはいえ、すぐさま結婚を許したりせず、まずは婚約関係を持って様子を見る事も。
事前の素行調査も必須ね!
そして……私は昔見た夢の話も聞かせた。
ずっと心残りだったこと。
私の行動でテレサの将来の幸せな結末を否定してしまったのではないかと。
「……お母様。私、お母様が生きていてくれて、本当に幸せだったと思っています。ですから……生きてくれて、私の傍に居てくれて、本当に嬉しいです。その選択を後悔なんてなさらないでください」
「テレサ……。ええ、貴方達が出逢ったのだもの。私、心残りはないわ」
「いえ、ですから心は残してください。今、ご健康ですし、毒を飲む機会もないですよね? 生きて下さい。長生きして!」
ええ、まったくの健康なのだけれど。
毒の後遺症もないし。
「あ、でも」
「はい」
「カーラス様のこと、どうしましょう……。せっかくテレサと婚約を結べるとあの方も喜んでくれていたのに」
「いえ、それはだから……。ああ、もう私から勝手に言いますね?」
「え?」
私は首を傾げたわ。
「ウィル・カーラス様が好きなのは私ではなく、アリッサお母様です!」
「……えっ」
テレサは呆れたように言う。
「どなたが見ても明らかだったと思うのですけれど。お母様。お母様も再婚なさっては如何でしょう?」
「え、え? でも」
「……私とクレアス様の出逢いが叶わない事がずっと後ろめたかったのですよね? ですが、もうそんな憂いはなくなりました。……お母様。私は、貴方にも幸せになって生きていて欲しい。優しい相手と結ばれて欲しいのです」
「……テレサ」
「ずっと話はしておりました。まさか、お母様が私とクレアス様の事で悩んでいたとは思わず……ですが事情を知った以上はもうお母様に我慢はさせません」
「我慢なんて。私は……貴方が幸せに生きてくれれば、それで良かったのよ、テレサ」
「はい。私、幸せになります。……ですから一緒に! 一緒に、幸せになりましょう? 私の愛しいアリッサお母様」
私はテレサローゼと手を取り合って。
そうして微笑み合った。
……私の人生は、まだまだ始まったばかりみたい。