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夜陰にストロボ  作者: アラヤ
一章 電脳ノ一
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一章 電脳ノ一 ④

 池から離れ、さらに雑木林をしばらく進むと、芝生に覆われた開けた空間と、その中心に建てられた橙色のテントが見えてきた。橙色のテントは、得点基地だ。この得点基地を占領している時間に比例して、自国に得点が加算される。


 このテントは、敵陣に最も近い自陣の得点基地だった。テントの外には、数人の仲間がすでに見張りをしていた。軽く挨拶を交わし、先を急いだ。


 小隊長の慎也の指示のもと、着実に偵察は遂行された。実際に敵陣の得点基地に接近するのはひとりだけで、双眼鏡で敵陣の様子をうかがった。


 啓介はその後方で待機する役目を担った。もしも最前線のひとりが、敵兵に見つかった場合は、即座に応戦するのだ。さらにその後方で、慎也が無線で連絡を取り続けていた。


 道のない木々の間を、慎也の先導で迷わずに進み、五か所の得点基地の偵察を終えた。


 幸いなことに敵兵には見つからず、戦闘に発展することもなかった。木陰で気温も気にならず、体力の消耗はほとんどないはずだったが、小隊の仲間は全員、滴るほどの汗をかいていた。


 慎也が無線を手に取り、本部への任務完了の連絡を済ませると、すぐさま自陣の得点基地の見張りをするように命じられた。偵察前に脇を通った得点基地だった。得点基地の見張りは、偵察に比べれば、幾分か気の楽なものだった。全員から安堵の息が漏れた。


 先程の基地に戻ると、涼しげな顔をした他の小隊が見張りを続けていた。その様子は、偵察をしていた啓介たちとは対照的だった。気の抜けた純粋な一年生の顔を見ると、この後の悲劇を想像し、気の毒に思った。見張りをしていた仲間たちは、啓介たちの小隊を見ると、交代の時間だと察したのか、そそくさと基地を去る準備を始めた。


 橙色のテントの下に入ると、汗がすっと引くのを感じた。重いリュックを、テーブルの上に投げ落とすと、近くのパイプ椅子に沈み込んだ。


 そのまま気絶してしまいたかったが、都合のいいようにはならなかった。同じ小隊の仲間が麦茶を持ってきてくれたが、礼を言う前に飲み干した。


 慎也に目をやると、得点基地の引き継ぎに必要な手続きに手を焼いていた。ボールペンで数枚の書類に書き込むと、最後にタイムカードを機械に通して印字した。


 タイムカードによって、この得点基地を啓介たちが占領していた証拠になる。これを元に戦争体験で争う得点が加算されるのだ。


「まったく時代遅れだ」


 慎也が珍しく強い口調で、言い放った。


「今の時代、タイムカードなんて使っている企業は絶滅しようとしている。それだけじゃない。こんなに古いデジタルカメラなんて化石同然だし、トランシーバーで連絡を取るなんて戦争映画の見過ぎだよ」


 ひとり言なのか誰かに対して向けられた言葉なのかははっきりとしなかった。コンピュータの扱いに長ける慎也にとって、戦争体験で扱うものは、すべてが古臭く感じるのだろう。


 扱うものだけでなく、戦争体験自体も然りだ。慎也は椅子に腰掛け麦茶を口に含むと、話を続けた。


「そもそも学校というところは、古いものに囚われすぎている。教室の黒板だって、なくしてしまえばいい。授業の内容をスクリーンに映し出したら、どんなに時間が節約されるか。制服が決まっているのだって、おかしな話だよ。カバンからジャージーまで、全部指定されたものを使わなきゃならない理由がわからない。欧米の高校では考えられないよ」


 慎也は、そこまで吐き出すと、眼鏡越しの目を啓介に向けた。何の気なしに、慎也の話すのを見つめていた啓介は、視線が合い、ハッとした。


「そうだ。近いうちに、コンピュータ部の次のプログラミングテーマを決めなくてはいけないのだけど、こんなのはどうだろう。戦争体験の得点計算や、得点基地の支配状況を管理できるソフトを作るんだよ。今度、みんなに提案してみようかな」


 疲労を感じさせない口調で語った。眼鏡のレンズも、一層艶やかに見えた。活き活きとした表情を浮かべる慎也を、啓介は羨ましく思った。


 そして、嫉ましくもあった。戦争体験に精一杯で、忘れかけていた日常を思い出した。思い出したくない日常を。慎也とは対照的な啓介の立場が、くっきりと浮き上がった。


 慎也は、啓介の様子がおかしいのに気がついたのか、顔を曇らせた。希望に満ちた展望を語っていた快活な口調はどこかへと消えていった。申し訳なさそうに啓介を見つめ、腫れものに触れるかのように、優しい声色で沈黙を破った。


「啓介は大変だったよな」


 冬に起きたことを慎也は知っていた。直接話したことはなかったが、慎也の耳に届いていないはずがなかった。啓介をこの国に招いたのも、噂を聞きつけてのことだったのだろう。


「怪我をしてしまったのは、運が悪かったと受け入れるしかないよ」


「違う」


 啓介は、部活を辞めた。小学生のときから続けていたテニスを辞めたのだった。確かに、冬にアキレス腱を痛めたことは、部活をやめる引き金となった。


 しかし、啓介にとって怪我をしたことは、むしろ運がよいことにも思えていたのだ。啓介が部活を辞めたのは、怪我のせいではなかった。


「違うってどういうことだよ?」


「病院では、怪我は半年も安静にすれば治るって言われた」


 現に、啓介の足は完治していた。医者からは、戦争体験で走り回ることも許可された。部活の練習にも問題なく参加できるということだった。それでも、啓介の心は部活を続けることを拒んでいたのだ。


「じゃあ、どうして?」


「自信がなくなったんだ。何もかも」


 慎也は困惑していた。クラスの違う慎也には、怪我が原因で、部活を辞めたと伝わっていたのだろう。しかし、啓介のクラスには、スポーツ推薦で入学した猛者しかいなかった。


 啓介の怪我が深刻なものではないということは、感づかれていたのだ。もちろん、部活を逃げ出したことも知られていたに違いない。


「テニスが一番上手いのは、自分だと思っていた」


 慎也は静かに啓介の言葉を待った。

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