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夜陰にストロボ  作者: アラヤ
一章 電脳ノ一
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一章 電脳ノ一 ③

「おい、啓介」


 名前を呼ばれて我に返ると、慎也が啓介の顔を覗き込んでいた。壁にかかった時計に目をやると、すでに戦争体験の開始時刻である九時を五分以上も過ぎていた。何とも呆気ない戦争の始まりだった。


「啓介は、俺の小隊に入ることになった」


「慎也が小隊長なのか?」


「おかしいか? 我が電脳軍は、三年生が少ないから、俺も小隊長を務めないと回らないんだ」


 眼鏡越しの慎也の目は笑っているようで、どこか緊張を含んでいた。記憶の中の慎也のものとは大きく違った。将棋を指していたのが、遥か昔のように感じると同時に、戦争体験という状況に置かれていることを痛感した。


「俺たちの最初の仕事は、敵陣の偵察だ。急いで外に出てくれ」


 カメラを首にかけた。使いまわされたカメラをまじまじと見ると、細かい傷が無数にあり、激しい過去の戦闘の名残を感じ、啓介は気を引き締めた。


 慎也は、小屋の中に散り散りになっていた小隊員に次々と声をかけて、重いリュックを分担して肩に担がせた。荷物の中には、無線機や水筒、救急箱などが入っていた。そして、各人が担ぐリュックにも、背中のものと同じゼッケンが取りつけられた。


 準備が整ったことを確認すると、ぞろぞろと小屋の外に出た。薄暗かった小屋の中とは対照的に、強い日差しが眩しかった。小屋の周りには、夜間休息を取るための緑色のテントが並び、そこに反射した日の光が、夏を感じさせた。澄んだ空気を胸一杯に吸い込むと、何もかも忘れてしましそうだった。


 その光に満たされたテントの向こう側に、全身を黒い服で覆った大男が立っているのが見え、首元に冷たいものを当てられたように体が強張った。髪の毛は刈り上げられ、鍛えられあげられた肉体を持つ男は、敵でも味方でもなかった。


 それは、紛れもなく戦争管理員のひとりだった。彼らは、戦争体験の期間、音もなく出没した。木陰に隠れていることもあれば、はるか遠くからこちらを見つめていることもあった。そして、戦闘が起こったときは必ず、土から湧き出したかのように、黒い服を着た戦争管理員は集まるのだ。


 彼らの役目は、文字通り、戦争体験を管理することだった。いわば審判のような役目だった。脱落判定、つまり写真に撮影されたことを、生徒間で判断することは難しいが、戦争管理員の男たちは、中立的な立場で淡々と判定する。


 撮影された生徒のゼッケン番号を、感情のこもらない冷たい声で叫ぶのだ。生徒の間では、それは「死の宣告」と呼ばれていた。その姿は異様で不気味だった。遠くで静かに仁王立ちする彼らの姿は、死の恐怖を連想させた。


 戦争管理員は、牛込高校に勤める教職員の類ではなかった。外部の業者に委託して戦争運営委員会という組織が臨時に設置され、戦争管理員も派遣された。高校の教職員は、戦争体験には一切関わらなかった。それは、高校生の自主性を育むためだと説明された。戦争運営委員会によって定められた規定に則って、戦争体験は開催された。


 戦争管理員には脇目も振らず慎也の小隊は、着々と敵地へと向かった。登校の際に聞こえた耳が痛くなるような怒号も、構内からは遠くかすかに聞こえるだけだった。


 名前もわからない打楽器を使ったデモの音は、祭りや野外コンサートの音にも聞こえた。戦場で聞くデモの音は実に悠長に聞こえた。


 敵地に向かう道中、歩きながら慎也は偵察の内容を伝えた。その内容はシンプルで、理解は容易だった。得点基地と呼ばれるものが、構内には散在している。


 得点基地は、いわば実際の戦争でいう街のようなものだった。占領した街が多いほど、領土が広いのとおなじように、戦争体験においても得点基地を奪った数が勝敗を左右した。得点基地ごとに決められた得点が、一定時間ごとに国家の収入として、国家予算に加算されるのだ。


 敵陣の得点基地には、相応の見張りがついているのだが、その見張りの数を記録するのが偵察部隊の仕事だった。小隊のひとりが敵陣近くまで近づき、残りはそれを遠くから見守る。


 敵兵に見つかれば、小隊全体で応戦する。単純な作業だが、リスクは大きかった。敵陣に接近して様子を探る作業は、極めて危険だった。


 説明が早々に終わると、それ以上言葉を発するものはいなかった。敵兵に見つかるリスクを恐れるには、敵陣は遠すぎた。言葉を発しなかったのは、戦闘を避けるためではなかった。死と隣り合わせの現状では、他愛のない話をすることもはばかられたのだ。


 雑木林を切り裂く小道を進むと、右手に小さな池が現れ、視界が開けた。水面は睡蓮の葉が覆いつくし、その中には白い花が浮かんでいた。池というより、むしろ大きな水たまりといった佇まいだったが、木々に覆われた閉塞感を紛らわすには十分な清々しさがあった。


 列を作っていた小隊の最後尾にいた啓介は、さほど美しくもないその景色に足を止めた。何か不思議な力に引き寄せられるようだった。他の隊員も啓介に倣って足を止め、池を見つめた。


 波もなく、鏡のように静まりかえった水面は、時間が経つのも忘れさせた。池の水は、濁っており、決して清潔なものではなかったが、控えめな美を演出していた。


 他の隊員も、啓介と同様にその池に心を落ち着かせるように、言葉は発せず見つめ続けた。この空間だけは、戦争体験とは違う時間が流れているように感じられた。


「上島さんが、大統領でよかったよ」


 唐突に、慎也が呟いた。啓介が立ち止ったことに言及するでもなく、その話題は上島についてだった。


「どうして、そう思うんだ?」


「無口だし、見てくれも頼りないけど、考え方に芯が通っている。発言するときは、自分の意見をしっかりと明確にする。しっかりしているよ」


「確かにな」


 ふと、戦争体験が始まる前の出来事を思い出した。そもそも、この小国に登録したのは、上島の秘策に惹かれたからだった。その秘策をほのめかした本人から、具体的な内容は聞かされていなかったのだ。


「そういえば、上島さんの秘策ってどういうものなんだ? 仲間になったんだから、教えてくれてもいいじゃないか」


「秘策か」


 慎也は言葉を詰まらせた。


「ごめん。騙すつもりじゃなかったんだけど、実は俺も知らないんだ。具体的な内容については」


 嘘だろう。慎也の言葉を、信じたくなかった。


「他のみんなも、秘策の内容は知らないのか?」


「たぶん、知らないと思う。でも、秘策があることは事実らしい。上島さんなら、誰にも思いつかないような何かを考えているんだって、みんな信じている」


 慎也の発言に驚き、呆然とした。上島の秘策に惹かれて、およそ四十人の人間が集まったのではなく、各々が漠然とした信仰心のもとに集まったのだ。もちろん、啓介もその中のひとりだったし、啓介を誘った慎也もまた然りだった。


 自分の運命を左右する大切な選択を、根拠のない理由を元に決めてしまったのだ。戦闘に向かうことになって初めて、そのあまりの無鉄砲さに気がついた。この上なく危険な賭けに出てしまったのだ。


 しかし、この国を選んだとき、啓介の心には、あやふやながら確固たる自信があったことも、また事実だった。それは、直感以外の何物でもないのだが、その直感が、自分をよい運命に導いてくれるような予感もした。


 慎也も他の仲間も、同じ気持ちだったに違いない。この国にいれば、何か奇跡が起こるに違いない。そう感じていたから、根拠はなくともこの小国を選んだのだ。


「わかった。もう逃れようがない運命に従うしかない。俺も上島さんを信じてみるよ」


 それが諦めなのか、信念なのか、啓介自身もわからなかった。とにかく、いまは上島の指示を信じて戦うしか道はないのだ。

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