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夜陰にストロボ  作者: アラヤ
一章 電脳ノ一
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一章 電脳ノ一 ②

 ゼッケンは、戦争体験における自身の心臓となった。このゼッケンをカメラで撮影されると、その時点で脱落と認定される。


 つまり、死を意味するのだ。


 ゼッケンに書かれた無表情な数字の羅列は、返って気味が悪かった。もちろん、実際に死ぬわけではなかった。戦争体験において死んだ人間は、高校の隅に位置する体育館へと向かう必要があった。そして、体育館に一度入ると、七日間の罰を受けなければならなかった。


 罰について、詳しい内容は知らされなかったが、強制労働や拷問といった仕打ちが平然と行なわれているという噂を耳にした。生徒たちは、実際の死と同じように戦争体験における死を恐れていた。


 コンクリートの板をつなぎあわせたような雑な作りの小屋は、どこか空気が淀んでいて、むき出しの蛍光灯の明かりは頼りなかった。地面は掃き切れなかった砂がうっすらと覆っていた。この薄汚い小屋が、啓介が所属する小国の拠点となる基地だということは、受け入れがたかった。


 他の擬似国家は、大きな校舎を与えられていた。しかし、この小屋しか与えられていな小国は、本来分担されているはずの雑務や軍事会議のすべてを、同じ場所で行わなければならなかった。小国家は、所詮噛ませ犬くらいにしか思われていないのだろう。


 戦争体験では、いくつかの国に分かれて争われ、生徒は自分の望む国に所属することができた。ほとんどの生徒は大人数の国、いわば大国に籍を置いた。大国とは、学科ごとに設立される擬似国家だ。牛込高校では、学習過程ごとに三つの学科が設置されており、それぞれの学科の一年生から三年生が、ひとつの軍を構成していた。


 どの軍に籍を置くかは、個人の自由だった。さらに言えば、軍を新たに設立することも自由だった。どの軍に籍を置くかは、夏休み前の国籍登録期間に申請して決定した。


 この登録が済んでしまうと、国籍の変更は原則として不可能だった。各軍の大臣(という名の役職に就いた生徒)が許可した場合、「帰化」と呼ばれる国籍変更も可能ではあったが、そんな許可が下りることはあり得なかった。


 小国は、征圧されるリスクも高く、自らが死亡する可能性も高かった。小国に籍を置きたい生徒は少なく、ほとんどが学科ごとの大国に籍を置くことになった。年度によって小国が誕生しない場合も多かった。


 戦争体験で得られるものは賞金だった。高校の行事では有り得ないような金額が、軍の領土に合わせて分配された。賞金の使い道は、各軍に委ねられていた。賞金は、学科ごとに備品を購入することも、個人で山分けすることもできた。


 すなわち、もし仮に、小国が陣地を広げることができれば、個人の分配は大きかった。リスクを負ってでも叶えたい野望を持つ少数は、みずから大国を離れ、小さな国家を設立するのだ。


 武藝科を専攻している啓介は、大国の武藝軍ではなく、小国の電脳軍の所属を選択した。それは決して野望があるとか、そう言った前向きな理由によるものではなかった。


 啓介も一年生だった昨年の戦争体験では、周りと同じように大国である武藝軍に所属していたし、今年も多くの人と同じように大国への所属を考えていた。


 しかし、今年は事情が異なった。武藝軍への登録には消極的にならざるをえない理由があった。


 啓介は、クラスの友人から敬遠されていた。それは、啓介の身勝手な行動が招いた結末だった。


 表面では仲よく話しているようでも、その目は笑っていないように思えてならなかった。根拠のない疎外感に日々悩まされていた。


 毎日登校して、教室に入る前に一度足を止めて、気持ちを落ち着かせなければならないほどだった。啓介は、クラスメートと目を合わせるのも苦痛で、俯いたまま自分の席に着くのだ。


 武藝軍に所属しては、同じ武藝科のクラスメートと五日間も生活を共にする。耐えられそうになかった。しかし、いくら武藝軍に所属したくないとは言っても、他の学科の国家に登録するのは、御法度に近かった。啓介は国家登録になかなか踏み切れずに、悩んでいた。


 国民登録の受付が締め切られる直前のことだ。葛藤の中にある啓介に声をかけたのは、コンピュータ部の慎也だった。学科こそ違ったが、昔からの友人だ。


 今年の戦争体験ではコンピュータ部を中心に、ひとつの国家を設立させるそうだった。コンピュータ部の部長を務める上島康平が、その国家の大統領に就くという話だった。


 上島は、プログラミングの全国大会で優勝したことで騒ぎとなったことがあり、啓介も名前を聞いたことがあった。


 頭脳明晰の男が秘策を引っ提げて、国家を設立するという話を、慎也は得意げに話した。具体的な策は軍事機密ということで伝えられなかったが、その計画は啓介を十分に惹きたてた。気づけば、啓介はその小国の一員となっていた。


 上島は相変わらず小屋の壁際の椅子に座り、目をつむり、腕を組んで瞑想を続けていた。丸みを帯びたその体を、さらに丸めてじっとしていた。啓介が小屋に入ってから、その体勢を崩すことはなかった。頭の中では、さまざまな思考が巡っていることだろう。


 正式にこの国家の一員となった今でさえ、秘策というものの内容は、いまだに聞かされていなかった。啓介は不信感を覚え始めていた。しかし、彼を慕った四十人あまりが、この国家に登録したことを考えると、相応の策があるに違いなかった。


 多くの人が時の流れるのを待っている中、数人は各々の仕事をすでに始めていた。啓介には理解のできない難解な計算をし続ける者もいる一方、ただ掃除をする者もいた。


 何も知らない人が、この光景だけを見れば、戦争体験が間もなく始まるとは、思いもよらないだろう。しかし、このゆっくりと流れている空間の中でも、それぞれの胸の中には、緊張と興奮が満ちているに違いなかった。


 数人の幹部たちは、身動きひとつしない上島を囲い話し合いを進めていた。他の国では、参謀を設置するなど、分業化がなされていた。戦争体験の期間、他の生徒がジャージーを着て生活するのに対し、参謀の幹部たちは高校の制服を着て過ごし、戦闘に加わることはなかった。


 しかし、この小国では、大統領の他は、全員がジャージーを身につけ戦闘に加わる必要があった。ボタンがはち切れそうな制服は、ジャージーの集団の中では、異質な存在感を放っていた。


 会議を開いているその輪も、ほとんど全員が戦闘可能な身なりだった。その様は一見雑談している兵士たちに見えたが、内実は軍の方針を決定する会議なのだ。


 輪の中には、色白で、顔の半分は占めるほど大きさの眼鏡をかけた男の姿があった。啓介をこの国に招いた慎也だった。


 啓介と慎也は、小学校からの幼馴染だった。当時、啓介は校庭で遊ぶことが多い活発な子どもだった。一方で、慎也は教室の中で遊ぶことが多かった。


 慎也は、クラスのほとんどが触れたことのないコンピュータを持っていて、一目置かれていた。学校での休み時間も教室に置かれたコンピュータを数人で囲み、盛り上がっていた。コンピュータにのめり込む慎也と、それを尻目に校庭へと飛び出していた啓介との間に、接点はあまりなかった。


 しかし、ひとつだけ将棋という共通の趣味を持っていた。


 慎也が将棋教室に通うのに対して、啓介は父に教わっただけだったが、それでも将棋が二人を結びつけたことには変わりなかった。雨の日、校庭では遊べず教室に残ることを余儀なくされたときは、頻繁に啓介と慎也は将棋盤を挟んで向かい合った。


 どの対極も序盤は啓介が優勢のようにも思えた。地道に囲いを作る慎也に対し、啓介は序盤から攻撃を仕掛けた。啓介の猛攻に、慎也の居城は見る見るうちに破壊されていった。このまま王将を追い込めば、啓介は勝利を手にできるように思えた。


 だが、追い込んでいたはずの慎也の王将は、ギリギリのところで、自陣を飛び出し、逃げ切られてしまった。啓介の持ち駒は底をつき、攻撃の術をなくすのだ。


 慎也は、啓介から奪った持ち駒で簡素な新しい囲いを作ると、反撃を始め、あっという間に決着はついた。これがお決まりのパターンだった。大きな眼鏡の上から覗く得意げな眼差しは、いつも啓介をげんなりとさせた。


「惜しかったんだけどなあ」


「いや、惜しくはないな。啓介の持ち駒から考えて、囲いが崩されないことは分かっていたよ。王将の逃げ道があることには気づかなかったの?」


「逃げ道?」


「将棋の基本だよ。たとえ王将が追い込まれたとしても、王だけは逃げられるように、逃げ道を作っておくんだ」


 慎也は、よく将棋に対して講釈をした。王の逃げ道の話は、何度聞かされただろうか。啓介が追い込んだあとに、慎也の王将が自陣から抜け出したのは、当初から用意していた逃げ道を利用したのだ。


 熱のこもった弁は、いつまでも続いた。その解説を聞いて、啓介は、自身と慎也との間には、大きな実力の差があったことに気づかされた。あまりにも慎也に批判され、啓介は将棋を指したことに対して、申し訳ない気持ちにすらなった。

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