プロローグ
かつて「写真を撮られると魂を抜かれる」という迷信があった。光という概念も曖昧な時代に、自分の虚像が一瞬にして写し取られれば、自身の内側に潜む魂が抜き取られたような気分になるのも無理はない。
現代では、カメラの普及によって、「写真」が極めて身近なものになった。携帯電話やスマートホンにも小型のカメラが埋め込まれ、記憶しておきたい光景は、気軽に記録できるようになった。
無数に撮影される写真からは、以前の不気味さや一種の妖艶さは失われてしまった。写真は、ただ情報を伝え、記憶を補完する手段となったのだ。
しかし、カメラが魂を抜きとるという迷信は、あながち間違っていないかもしれない。夏の終わりの近づくこの季節、学生時代の記憶が蘇るのとともに、私はそんな思いに耽る。
一眼レフカメラやデジタルカメラだろうと、スマートホンに付属したカメラだろうと、被写体となった人間の生々しい叫びは、その写真に宿る。撮られた人間の魂が抜き取られたように。高校生だった私は、写真に撮られることを、そうやって畏れていた。
私が通っていた牛込高校では、「戦争体験学習」なるものが、夏休みの終わりに開かれていた。この高校に通う生徒たちが、自由に疑似国家を作り、賞金を目当てに争いを繰り広げる。その戦闘で使われる武器は、もちろん銃といった殺傷能力のあるものではなかった。
戦争体験の武器は、カメラだった。遥か昔、人の魂を抜き取ると恐れられた、あのカメラだ。どこにでもある変哲のないデジタルカメラを使って争い、ひとたび写真に撮られれば、命が奪われるという具合だ。
この戦争体験は、戦後間もなく開始された。カメラを利用するようになったのは、それからずっと最近のことだが、少しずつ形式を変えて受け継がれてきた伝統だった。
都内に校舎があった牛込高校は空襲によって焼き払われ、山の裾野の現在の校舎に移転された。移転を機に、広大な敷地を手に入れた牛込高校では、その敷地を持てあましたのか、戦争体験という突飛なプログラムが組まれることになったのだ。
憲法九条を含む新憲法施行直後の日本で、軍事訓練とも受け取れる戦争体験の実施については議論が重ねられた。しかし、反戦教育を目的とし世界情勢の動向を擬似的に捉えるという大義名分のもと強行された。
賛否両論ありながらも続いてきた戦争体験だったが、私が学生だったときに大きな事件が起こった。まさに私が参加した戦争体験での出来事だ。
数人の勇者が人々の心を一つに、大きな革命的事件を起こした。不思議な導きによって、大小様々な歯車は見事に噛み合い、莫大なエネルギーを生み出した。
私自身もあの革命に関わった。そう言ってしまってよいだろう。私自身は小さな歯車だった。彼らに比べれば、私は目立たない存在だったに違いない。しかし、小さいながらも欠かすことのできない歯車だったのだと、今でも信じている。