シャーロットちゃん
目の前に見えたと思った白い雲が、一瞬で通り過ぎていき、遥か後方へ……。
この超高速の世界でナナシは……。
「意外と快適だな……これ」
めちゃくちゃリラックスしていた。
「空は快晴、障害も何もない」
穏やかな青い空を眺めていると、これが任務だと忘れてしまいそうになる。
「操縦も全自動、目的地まで俺がすることもない」
両腕を組んで、首を回す。むしろ、やることが無さ過ぎて、暇なのかもしれない。
「Gもそんなにきつくない……ってこれはガリュウのおかげか……」
戦闘形態であるナナシガリュウの姿で何もせず、じっと座っていることに違和感があるが、その分、重力によるしんどさとは無縁だ。
「文句なしの快適さ。あえて言うなら、ラジオが欲しかったぐらいだな」
やっぱり暇なのだろう。だから、独り言を延々と言ってセルフBGMにしている。それに……。
「……俺にはトレーラーでネクサスの奴らとバカ話をしているのがお似合いってことだな……」
こうして何もせずに一人でいると、ついつい神凪に残してきた仲間達のことを思い出してしまう。早くもホームシックだ。
「……まぁ、みんなの所在と状態を把握しているだけマシか……マサキさんはトクマさんが今、どういう状況にいるのかまったくわかってないんだもんなぁ……」
ふと恩人の心情を慮った。めんどくさがりのナナシがこんなめんどくささの極みのような任務を受けたのも、マサキに同情したからである。
できることなら、彼の下に親友を帰してやりたいが……。
「でも、正直……マサキさんと影法師の話を聞いていると、トクマさんって相当優秀な人材だと思うんだけど……その人が連絡取れなくなるって……」
どうしても最悪の結果が頭を過ってしまう。これが直感だけではなく、ある程度論理的に冷静に考えた結果でも同じ結論に至ってしまうのが厄介でタチが悪い。
「いかん、いかん。ネガティブはいかんぞ、ナナシ・タイラン!無駄にポジティブでのんきなのがお前のいいところなんだぞ」
首をブンブンと動かし、頭を支配しようとする縁起の悪い未来予想図を振り払った。それはいいが、彼自身の自己評価が気になる。そこは短所でもあるような気が……。
「これもこのグレイウイングにラジオがついていないせいだな……っていうか、名前が良くない………うん、そうだ、シャーロットちゃんと名付けよう!グレイなんちゃらなんかよりよっぽどいい!」
かつて白バイにジョセフィーヌちゃんと名付けたように、どうやらナナシ・タイランという男は乗り物に女性の名前を付けたがるクセがあるようだ。
縁起を気にする性分の癖にジョセフィーヌちゃんとの末路を覚えていないのだろうか……。
「よし、そうと決まれば、二人っきりのランデブーを楽しもうぜ!シャーロット……」
「ギャース!!!」
「ちゃ!?」
ナナシの耳に不愉快な甲高い声が聞こえてきた!
横を向くとキャノピー越しに人間大の翼を持ったオリジンズの群れがシャーロットちゃんと並んで飛んでいる。言わんこっちゃない!
「マジかよ!?こんな空で襲われたりしたら、ただじゃ…………ん?」
ナナシが臨戦態勢に入ろうとしたが、その必要はなかったようだ。オリジンズの群れはみるみるうちに、後方へと追いやられていく。
奴らは、シャーロットちゃんのスピードにはまったくついて来れないのだ。
「……そう言えば、オリジンズに追いつかれないから、この方法になったんだっけ……」
振り返り、小さくなっていく怪鳥の群れを見送りながら、そっと胸を撫で下ろした。そして、頭の中では影法師の妙に勘に触る説明がフラッシュバック。オリジンズが徘徊するツドン島にたどり着くための高速戦闘機……。それはつまり……。
「オリジンズが出たってことは、目的地が近い証拠だな……」
竜を模した仮面の下のナナシの目が再び鋭さを増す。前を向き直すと、遠くに大きな影が見えた。
「あれが………ツドン島……」
グォン!
「――か!?」
突如として、シャーロットちゃんが大きく揺れ、中にいるナナシガリュウの身体も揺さぶられる!シートベルトを着けてなければ、手元のレバーに頭突きをしていたところだ!
慌てて首を起こして前を見るが、先ほどと何ら変わりない。
「な、なんだッ!?」
ナナシが咄嗟に右を向く!キャノピーの外には何もいない……。
「何が起こってるんだよ!?」
続いて左!これまた何もいない……。
「ってことは………」
彼の推測の正しさを証明するコックピットに大きな影がかかる……。
紅き竜はゆっくりと目線を上に……。
「キィィィィッ!!!」
「やっぱりかよ!?」
ナナシの頭上で、自分の全身と同じくらいのサイズ……つまり先ほどのオリジンズの全長ほどある巨大な顔がこちらを覗き込んでいた!その大きな目と視線が交差すると、その巨大な獣……むしろ怪鳥と呼ぶべきか……は興奮して、暴れ始める!
揺れる機体、紅き竜はその中でカクテルのようにシェイクされる。
「うおっ!?いっ!?この……野郎!!」
「キィッ!?」
ナナシは周囲の機械を操作し、全自動操縦を解除!手元のレバーを握りしめ、力強く動かした。
すると、主人の命令に従い、シャーロットちゃんが高速飛行したまま、きりもみ回転を始める。ちょうど天地が逆、ナナシの頭が海に向いた時、たまらず灰色のボディーから怪鳥は離れていった。
「キィィィィッ!」
それでも愛しの彼女にへばりついていた不愉快な輩は諦めずにこちらを追いかけてくる。シャーロットちゃんは体勢を元に戻し、全速力で逃げているはずなのに!
「なんだよ!?全然、振り切れねぇじゃないか!?ここら辺のオリジンズでシャーロットちゃんより速い奴なんていないって言ったのに……影法師の嘘つき!」
ナナシは知る由もないが、この怪鳥は本来このツドン島周辺に生息しているものではない、完全なイレギュラーな存在である。
だから、影法師を責めるなら嘘つきよりも、「それぐらい予想して準備しておけよ!考え無し!」と言った方がこの場合は正しいだろう。
「なんか……武器は……」
ナナシは周囲の機械をいじりながら、徐々に距離を詰めてくる怪鳥に対抗する手段を探す。そんな藁にもすがるようなナナシの記憶の底から影法師の言葉が天啓のように甦る。
「武器……?そんなものないよ。つけたら重くなって遅くなっちゃうだろう?」
「あの!アホんだら!!!」
ナナシが振り返り、故郷にいるはずの影法師に向かって吠える!さすがにオリジンズの群れを超スピードで突っ切れるからって、武器をまったく装備してないのは擁護できない。ナナシの言う通りアホんだらとしか言いようがない。
けれど、今更文句を言っても事態が好転しないのも事実……というか、もう怪鳥がシャーロットちゃんの真後ろまで迫っていて、文句なんて言っている暇がない!
「キィィィィッ!」
「この!?」
ガリッ!
「野郎!?シャーロットちゃんの自慢の翼を……」
怪鳥は加速して、戦闘機の真上を取ると、鋭い鉤爪で容赦なく襲いかかってきた!ナナシがレバーを操作し、本体への攻撃こそ避けることができたが、代わりに翼に引っ掻き傷ができてしまった。
「くそ……こっちから攻撃できないんじゃじり貧だぞ!?」
「キィィッ!」
攻撃を避けられ、体勢を崩した結果、減速して再びシャーロットちゃんの後方につく形になった怪鳥。またジリジリとナナシの心をいたぶるように近づいてくる。
「くっ!?シャーロットちゃん!もっとスピード出せないのかい!?三十六計逃げるに如かずって言うだろ!!くそ!これシムゴスの時も言ったな!?」
勿論、シャーロットちゃんは答えないし、残念ながらすでに全開、トップスピードに達している。ナナシは必死に機械を操作するが無駄な足掻きというやつである。
そして、そんな慌てふためくナナシに怪鳥は更なる追い討ちをかける!
「キィ!」
ピッ!
「えっ……?えええええっ!?」
怪鳥は口から細い光の線を吐き出し、それがあろうことかシャーロットちゃんの翼を貫通した!まるで、あの時、シルバーウイングがシムゴスにやられたように……。
「そんなのありかよ!?」
ドゴォン!
一瞬遅れて、翼から爆発音が鳴り、火が吹き出した。青い空に灰色の煙が線を描く。
こうなると、この先待ち受ける結末は誰でもわかるだろう。当然、ナナシにだってわかる。
「このままじゃ墜落……だとしても俺に為す術なんてないじゃないか!?」
高度がみるみるうちに落ちていくが、どうすることもできない。さらにスピードも落ちているから、怪鳥が追いつき、再びシャーロットちゃんの上を取っていた!
ガァン!
「キィィィィッ!」
再度、戦闘機に取りつく怪鳥。簡単な方向転換すら不可能になったシャーロットちゃんには、さっきみたいに無理矢理振り払うようなことはできない。
「くっ……ツドン島は………見えた!」
怪鳥を振り払うことを諦めたナナシが前方を確認すると、いつの間にか目的地ツドン島にはかなり接近していた。
「だったら、もうこの手しかないな……」
ナナシは覚悟を決める。愛しのシャーロットちゃんと別れる覚悟を……。
「済まない!シャーロットちゃん!」
ボン!
キャノピーが開き、そこからナナシガリュウが勢い良く飛び出す!緊急脱出装置を作動させたのだ!
シャーロットちゃんの上に乗った怪鳥の更に上に打ち上げられたナナシガリュウが木漏れ日を彷彿とさせる黄色の二つの眼で怪鳥を見下ろす。
「このままおさらば……でいいんだろうけど……それじゃあ俺の気が済まねぇ!」
ナナシの頭にさっきまでのシャーロットちゃんとの快適なランデブーを邪魔された光景と、少し前にシムゴスから情けなく逃げた情けなさ、更にそのシムゴスに翼を撃ち抜かれた仲間、シルバーウイングの姿が鮮明に映し出される!
「俺とシャーロットちゃんを引き離した罪と、嫌な記憶を掘り起こしやがった罪はきっちり贖ってもらう!ガリュウマグナム!」
ナナシガリュウの右手に拳銃が現れ、それを優しく、されど力強く両手で包み込む。今感じている怒りと鬱憤がその手を通じ、銃全体に伝わっていく……。
銃口は下にいる怪鳥に……そして引き金を引く!
「太陽の弾丸!!」
ドシュゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!!
「キィ………」
光の奔流が怪鳥と愛しのシャーロットちゃんを飲み込んでいく。
そしてそのまま光によって大部分が消し炭になり、残った欠片は押し出され、両者とも海の中へ消えていった。
「短い間だったけど、楽しかったよ。シャーロットちゃん。愛しい、愛しい僕のシャーロット」
どこかで聞いたようなセリフでシャーロットちゃんに別れを告げるナナシ……。
彼もまた絶賛落下中なのだが……。
「とりあえずパラシュートでできる限り近づいて…………ん?」
背中に取り付けられたパラシュートを開こうと紐を引っ張ったが、まったく反応がない……。
「この!なんで!開か!ねぇ……」
スポッ
「あっ………」
ナナシが力任せに紐を何度も引っ張ると、なんとそのまま紐だけがすっぽ抜けてしまった。
「安心しろ!神凪のパラシュートは優秀だ!地面まで優しくエスコートしてくれる!」
「あの!アホんだら!!!」
ドボン!!!
影法師のでたらめな発言を思い出し、それに対しての届かない文句を叫びながら、大きな水柱を立てて海中へダイブする紅き竜。目の前に無数の泡が大量に発生する。
「くそ!このがらくたが!」
不発で不要になったパラシュートを力任せに外す。海にゴミを捨てるのは気が引けるが、緊急事態なのでいた仕方ない。
(さっき見た感じじゃ、ツドン島へは泳いで行ける距離のはずだ……とりあえず、海面に上がって、方向を確認しないと……)
考えをまとめ、自身の必殺技の名前になっている太陽の光が射している方へ泳ぎ始めた紅き竜……。
そして、それを見つめる鋭い目……。
一難去ってまた一難……。
「シャー!」
「はっ!?」
ナナシガリュウより一回り大きい流線形のオリジンズが猛スピードで突進してきた!紅き竜はかろうじて回避する……が、不意を突かれたからか、海中だからか、いつもよりほんの少し反応が遅れ、体勢が崩れた。
「この……次から次へと……」
ナナシガリュウが体勢を立て直すと、すでにオリジンズはUターンして再び突進!さっきよりもスピードが上がっている!
「シャーッ!!!」
「やられっぱなしでいられるかよ!ガリュウナイフ!」
ナナシガリュウはナイフを呼び出す……ただそれだけ。微動だにしない紅竜に容赦なくオリジンズは向かってくる!
「シャーッ!!!」
「今だ!」
ブスッ…………ザシュュュュュッ!!!
突進してくるオリジンズをさっきのようにギリギリで避けたが、先ほどと違い今度は通り過ぎ様にオリジンズの腹にナイフを突き立てる。後は、突進の勢いで敵は勝手に切り裂かれていくという寸法だ。
流線形のオリジンズは少し進んだ後、動かなくなり、横になってゆっくりと海上に浮かんでいった。
(三枚下ろしにはできなかったが……ようやくこれで……うん?)
予期せぬ襲撃者を二連続で退け、一息ついたナナシだったが、またまた嫌な視線を感じた。恐る恐るその視線を感じる方向を向くと……。
「シャー!」
「シャー!!」
「シャー!!!」
「マジかよ……」
そこには今しがた倒したオリジンズの同種が視界一面に広がっていた。しかも、目の前で仲間を殺されたのを見たせいか、ひどく興奮している。当然、この後の展開はわかりきっている……できれば裏切って欲しいが。
「いいぜ……仲間をやられた気持ちはわからなくもない……来いよ?もちろん抵抗はさせてもらうがな……!」
半ば自棄でナイフを構えるナナシガリュウ……。
「シャー!!!」
彼の言葉を理解できたとは思えないが、オリジンズたちは示し合わせたように一斉に紅き竜に向かって来る!
「よっしゃあ!やってやんよ!!」
ザザッー…………ピチャッ……
「いいところだ……どうせならバカンスで来たかったな………」
波が押し寄せる白い砂浜……心地良い風が吹き、まさにバカンスに来るにはうってつけの場所だろう。だが、海から上がった紅き竜は残念ながら、そんなラグジュアリーな時間を過ごしに来たのではない。
「……とりあえず、目的地には到着……あぁん!邪魔!」
苛立ちを身体に絡みつく海藻にぶつけた。引きちぎられた海藻は砂浜に雑に捨てられる。
「つーか、やっぱトクマさん、ここに到着する前に……」
空と海でのオリジンズ襲撃をついさっきその身で体感したナナシの頭にまた不吉な想像が過ってしまう。
「あぁ!だから!いかん、いかん!ネガティブはいかん!」
コックピットでやったように頭を振り、余計な考えを振り払う。そう、ここまで来たら、神凪国民のしぶとさを信じて進むしかないのだ。
「まずは……人のいるところに行かないとな……よし!」
ザッ……
白い砂を力強く踏みしめ、紅き竜は進む……。
ナナシガリュウ、初めての神凪の外での冒険が始まった。




