紅茶
「この部屋だよな」
「えぇ、この部屋です」
目的の部屋にたどり着いたナナシとマイン。しかし、すぐに部屋の中には入ろうとはしなかった。
「時間は……?」
「はい………待ち合わせの時間の……三分前ですね」
「なら、早く着き過ぎて、嫌な顔されるってこともないかな」
意外かもしれないがナナシ・タイランという男はこういう気遣いができるのだ。
「………私が言ったんですよね……早く着き過ぎると相手に失礼だって……遅れたら悪いからって、ナナシさん三十分前に来ようとしましたよね……」
「うっ………」
訂正、ナナシはそんな気遣いできる男じゃなかった……時間には厳しいみたいだが。
ナナシはコホンと咳払いをして、無理やり仕切り直す。
「んじゃ……マインさんの言う通り、ちょうどいい時間なので……」
ピンポーン……
部屋の前のインターホンを鳴らす。しばらく待っていると……。
ガチャ………
「よく来たなナナシ……とマインさんだね」
扉が開く。そしてそこから男が顔を出し、ナナシ達に話しかけた。
その男は鍛えられた身体に、顔には立派な髭を蓄えており、どうやらナナシとは顔馴染みのようだが……。
「すいません……どちら様でしたっけ?」
どこかで見たこともある気がするがナナシの方は完全にその男のことを忘れているようだ。
けれど、結構失礼で、ショックなことを言われた相手は怒ったり、悲しんだりする様子はない。幸か不幸か以前にも似たような経験をしていたからだ。
「まぁ……会ったのは結構前だし、オレも変わったからな。ケイにも最初気付かれなかったし……」
「ケイ………」
男の言葉の中に出てきたのはナナシの数少ない友人の名前………それが彼の記憶を掘り起こした。
「あっ、もしかして『マサキ』さん!?」
「おっ、思い出しやがったか」
「えぇ、髭なんか生やしているからわかりませんでしたよ」
心の中のもやもやが解消して、テンション上がるナナシ。そんな彼の服を後ろから置いてきぼりになっているマインがちょいちょいと引っ張った。
「ナナシさん……その人は……?」
「あぁ、悪い悪い……紹介するよ、この人はマサキさん。俺の通っていた士官学校のOBで、昔、俺やケイに色々仕込んでくれたんだよ」
「ご紹介に預かったマサキです。今ナナシが説明した通り、彼らに色々と……まぁ、あれはオレがチームを率いる訓練でもあったんだけどね」
マサキは自己紹介を終えるとマインに軽く会釈した。マインも慌てて頭を下げて自己紹介し返す。
「マイン・トモナガです。今、ナナシさんと一緒にお仕事させてもらっています」
「君のことは聞いてるよ。評判通り優秀そうだ」
不意に褒められたマインは照れて、もう一度頭を下げた。そんな彼女にマサキは優しく微笑みかける。
「こいつと一緒なんて大変だろう?学生時代も問題児だったからな」
「いやいや、マサキさん!俺はましな方だったでしょうが!」
マサキの言葉をナナシが必死に否定する。それなりの付き合いの長さになってきたが、恥ずかしくて取り乱すナナシの姿はマインには新鮮だった。
その珍しい姿を引き出したマサキの方は、ナナシとは逆にしみじみと昔を思い出していた。
「確かにな……あのメンバーじゃ、お前が一番ましだったかもな……良く言えば個性豊かだったが、悪く言えば我が強く、マイペースな奴らばっかりだったからな。そんな問題児たちが今は……ケイは諜報部、ハジメはAOF、ジェイクはP.P.バトルの選手、そしてナナシは新生ネクサスのリーダー……オレは感慨深いよ」
「なんか年寄りくさいですよ………まぁ、気持ちはわかりますけど……」
ウンウンと一人で頷きながら感動するマサキ。恩人にナナシも同調する。
(考えてみれば、あの時の経験があったからネクサスのメンバーともそれなりに上手くやれているのかもな……コミュニケーションも、戦闘中の連携も……)
ナナシも感慨に耽る……その姿はまるで。
「ナナシさん……マサキさんのこと、年寄りくさいって言ってましたけど、今のあなたも大概ですよ」
「えっ………マジ?」
「マジです」
ナナシが再び恥ずかしがると、マインもマサキも笑った。とても幸せな空間でとても幸せな時間が流れる。
しかし、ここには楽しい思い出話に花を咲かせに来たわけじゃない。
「そろそろ、入って来てもらえないか?積もる話は後ですれば良かろう」
「あっ……」
部屋の奥から声が聞こえると、今度はマサキが恥ずかしそうな顔をした。完全に当初の目的を忘れていたのである。
「そうだな……とりあえず、入ってくれ」
マサキは大きな身体をどけ、二人に入室を促す。
「それでは……」
「お邪魔します……」
ナナシとマインが入室するとマサキはドアを閉め、彼らの後をついていく。
先頭を行くナナシはまたまた庶民感覚を爆発させ、キョロキョロと豪勢な部屋を観察する。
「ほえ~凄いね………」
「ナナシさん!いい加減、恥ずかしいからやめてください!」
ナナシを叱責するマインを最後尾から見て、マサキはまた嬉しくなった。
(いい仲間に恵まれているな、ナナシ……心の底から信頼できる人と出会えること……何気ない、大したことないことのように思えるかもしれないが、それ以上に幸せなことはないんだぜ)
戦士として、人生の先輩として信頼に足る仲間と出会えることの大切さと幸せをマサキは知っている。
特にある事情で今の彼には身に染みてわかっているのだ。
「マサキさん」
「んん!?」
「呆けてないでくださいよ」
「すまん、ちょっと考え事をな。で、なんだ?」
「先、行ってください。そっちの方が都合いいでしょう?」
自分の思考の世界にトリップしていたマサキをナナシが引き戻し、先導するように促す。
都合がいいと言ったが、単純にナナシはこの先に待つ得体のしれない人物とのファーストコンタクトを嫌がったのだ。
ぶっちゃけ、ただの人見知りと面倒くさがりが発動しただけのことである。
「それもそうか………わかった」
マサキはナナシの提案を了承し、二人を抜かして、部屋の奥へと進んで行く。ナナシとマインはその後を人一人分空けて、ついていった。
「ネクサスのナナシ・タイランが到着しましたよ、『影法師』……って、ずっと聞き耳立ててたんだよな」
「人聞きの悪いことを言うな、マサキ……人を盗聴犯のように……」
「あながち間違ってないでしょうに」
「フッ、まぁ、そう言われると否定できないのが辛いところだな」
一番奥の、一番大きな部屋にぽつんと一人立っている人影にマサキが親しげに話憎まれ口を叩くが、最低限の敬語を使っていることから、その影法師と呼ばれた人物の方が立場が上だということがわかった。だが……。
「――ッ!?」
「ん!?」
ナナシとマインがその影法師に緊張感を覚えたのは、地位のある人物だからだと思い萎縮したからだけではない。その影法師が何故か全身漆黒のピースプレイヤーを纏っていたからだ。
一瞬、マインは声を出しそうになったが、必死にこらえた。ナナシの方は影法師という名前を脳内で検索する。すぐにヒットしたのは、先ほどケイの話が出たからであろう。
「そうか……影法師って……諜報部のトップか……?」
「あっ!?」
ナナシの言葉で遅ればせながらマインも影法師のことを思い出した。二人とも彼?と面識はないが、名前だけなら神凪の軍事に多少明るい者ならばみんな知っているほどの有名な名前だ。
そう、有名な人物ではなく、有名な“名前”なのだ。
「影法師って確か……神凪の諜報部のトップが代々受け継いできた名前……」
「そうだ。そして影法師の名前を受け継いだ者は自分の本当の名前も、顔も捨てる。男か女か、老人か子供か、そもそも一人じゃなくて、複数の人物かもしれない……ただ神凪という国の目となり、耳となり、影となって情報を集める。そういう狂信じみたこの国一番の忠誠心を持った不審人物こそがこの人だよ」
「マサキ、独断と偏見だらけの補足説明、どうもありがとう」
皮肉混じりのマサキの説明に、皮肉混じりの礼で返す影法師。マサキの人懐っこいキャラクターが成せる技か、諜報活動で培った影法師のコミュニケーション能力のおかげか、二人の絶妙な距離感で、とてもいい関係性を築いているのがわかる。
ただ気になるは、気になるが今はこの二人の関係や当代影法師の正体などは今のナナシにはどうでもいいのである。
「で、その一番の不審人物が俺に何のようでしょうか?」
「忠誠心を省略しないで欲しいんだが……まぁ、いい。とりあえずまずは座ったらどうだい?」
「立ち話もなんだしな」
「それもそうか。マイン」
「はい」
影法師とマサキに促され、見るからに高そうな椅子に腰を下ろすナナシとマイン。
テーブルを挟んでマサキも座ると、後ろからトレーにポットとカップを乗せて影法師がやって来る。
「コーヒー派だと聞いているが、今日は紅茶で我慢してくれ。昔、潜入していたところで色々と教わって、それからハマってしまってね」
てきぱきと準備をする影法師……勿論、ピースプレイヤーを装着したまま。
(シュールだ……)
(シュールな絵ですね……)
(何度見てもシュールだな)
三人がそんな奇妙な光景に見とれている間に、影法師は準備を終え、カップに適温の紅茶を注ぎ、三人の前に差し出す。
「さぁ、召し上がれ」
「じゃあ、いただきます……って、あなたは飲まないんですか?」
「飲むよ……ほら」
ガシャン!
影法師の口元だけ装甲が解除され、中身が露出する。そしてそのまま新たに自分のために淹れた紅茶を口に含む。
「うん!美味く淹れられたよ!ほら、みんなも!」
影法師が自画自賛しながら、三人に紅茶を飲むように勧める。その口調、口元の感じから若者のような印象を受けた。
(影法師の正体は実は若手のやり手……いや、俺達に合わせて何人かいる影法師の中で一番若いのを寄越したのか……?そもそも、目の前にいるこいつが本当に影法師っていう必要もないか……話をするだけなら、影武者でいいもんな……)
紅茶を飲みながら、眼前の機械鎧の中身に思いを馳せるナナシ……。
「お味はどうだい?」
「えっ………」
「いや、だから紅茶の味は?」
考え事の最中に話しかけられ、ナナシが現実に戻って来る。影法師はじっとナナシの顔を覗き込んでいるが、正直、紅茶の味なんてわからないくらい集中していたので、感想を聞かれても困る。
「お、美味しかったです。僕は確かにコーヒーを良く飲みますが、紅茶も嫌いというわけではありませんし、時々、いただくんですけど、今まで飲んだ紅茶の中でトップクラスに美味しいです」
「そうか、それは良かった」
「それよりも今日は何で僕達を呼んだんですか?」
「ああ、済まない……また話が逸れてしまったね」
なんとかナナシは紅茶の感想を誤魔化すことと、話を戻すことに成功する。ちなみに実際の紅茶の味はマインとマサキが普通に飲んでいることから、少なくとも不味くはないようだ。
影法師はナナシの答えに満足すると再び口元に装甲を戻し、ようやく本題に入る。
「それでは………ナナシ・タイラン、君にはある島に調査に向かってもらいたい」
「島……?」
ナナシの頭に?マークが浮かぶ。この話を聞いてから、ナナシは彼なりに何を言われるのかを色々とシミュレーションしていたが、影法師の発した言葉はその中にはないまさしく予想外の発言であった。
「あぁ、『ツドン島』という島だ。聞いたことは?」
「いや………マインは?」
「私もちょっと………」
ナナシが首を横に振り、マインが頭を傾ける。その反応は影法師の想定通りだった。
「だろうな。ツドン島は外界からの接触を断っているからな」
「断っているって……それが出来る位、辺鄙な場所にあるのか?もしくは人間が立ち入れない位の危険な環境、危険なオリジンズが住み着いているとか?」
「あぁ、大体そんな感じだ。マサキ」
「あいよ」
影法師が声をかけると、マサキは傍らに置いてあったタブレットをテーブルの上に出し、画面に地図を映し出す。それを見ながら、影法師が説明を続ける。
「知っての通り、海路も空路もオリジンズの存在で時期によっては使えなくなることがこの世界では多々ある。ツドン島はそれの最たるもの、最上級と言っていい」
「最上級……?」
「ツドン島の周りは年がら年中、空も海も強力なオリジンズが生息していて、簡単に近づけないんだ」
「天然の要塞ならぬ天然の守備隊、防衛部隊だな」
マサキが上手いことを言ってやったみたいな顔をしてるが、ナナシ達は無視して話を続ける。
「ほとんど島内の情報はないが、かろうじて『グイテール』という王族が治めるその名も『グイテール王国』という人間のコミュニティがあることはわかっている」
「それだけ?」
「それだけだ………だから、諜報部隊から調査員を送り込んだんだが………」
饒舌だった影法師の口が重くなる。それに比例するように、先ほどまであんなに楽しそうだったマサキの顔も険しくなっていた。
その雰囲気でナナシは事態を察する。
「連絡……つかないのか……?」
「あぁ……正確には回収だな……ツドン島周辺は特殊な磁場が発生しているようで、神凪からでは、通信全般不可能だ。だから、ある方法で島から回収する日時をあらかじめ決めていたんだが、彼は……勿論、一回だけじゃなく、不測の事態も想定して予備の日も用意していたが、それも全て失敗……」
「つまり、それで俺にそのツドン島に行って、その調査員がどうなっているのか……生きていたら連れて帰って来いってことだな」
「話が早くて助かるよ」
ナナシは今日ここに呼ばれた理由を理解した……したが、それでも腑に落ちないことがいくつか……。
「でも、何で俺なんだ?普通に考えれば、諜報部から出すのが、筋じゃないのか……?」
ナナシの言葉は最もだ。影法師も頷いて肯定する。
「君の言う通りだし、私としても諜報部のトラブルは諜報部で解決したい……けれど、無理なんだ………」
「何でだ……?」
「単純に人が出払っているんだよ……ドクター・クラウチやネジレの調査でね……」
「クラウチとネジレだって!?」
急に馴染みのある……が、できればあまり聞きたくない名前を出されてナナシの声のボリュームが上がる。
その興奮した声の向けられた影法師は対照的に冷静にコクリとまた頷いた。
「ネジレは最近の神凪で起きた大事件、ネクロ事変と……合わせて、とりあえずクラウチ事変と呼ぼうか……それに壊浜もか、全てに関わっているネジレは今、諜報部の最大のターゲットだ」
「それはわかるが、クラウチは……?あいつはもうすでに……俺の目の前で死んだんだぞ」
「確かにクラウチは死んでいるが、これまで何をしていたか、どうやって私達の目から逃れていたのかを探ることは今後のためにも必要なことだよ。何よりネジレと接触しているからな……ネジレを追い詰めるためのヒントにもなるかもしれない」
「そうか……そうかもな」
諜報部から人を出せない理由にはナナシも納得した……が、肝心の自分が選ばれた理由はまだわかっていない。むしろ、今までの話だと……。
「でも、それなら俺じゃなくても……軍の奴なら、誰でもいいだろう?」
「だって、暇だろう?」
「へっ………?」
「他のメンバーが療養中でしばらくネクサスは君以外活動できないんだろ?」
「あぁ……そういうこと」
完全に腑に落ちた。そして、ナナシは自分が大きな勘違いをしていたことに気がついた。
「何で開店休業中のネクサスに……って思ってたけど、むしろ開店休業中だから都合が良かったのね」
「その通り」
ナナシは気持ちがみるみると落ちていく……。もっと自分でないと絶対いけないような理由があると思っていたが、そうじゃなかったことにガッカリしているのだ。
しかし、そう思うのは早計……影法師の話はまだ終わっていなかった。
「あと、君のお父様、ムツミ・タイラン大統領が推薦してきたんだよ」
「親父が?」
ネジレやクラウチほどではないが、予想だにしなかった父親の名前が出て、ナナシは驚く。いや、それ以上に……。
「親父の性格だと、そういう仕事のこととかに俺の名前を出すなんてあんま考えられないんだけど………」
「いやいや、大統領直属部隊に息子を入れといて何を言ってるの」
「うっ……そういやそうだな……」
影法師の辛辣かつ的確な言葉にぐうの音も出ない。よくよく考えたらめちゃくちゃコネで仕事していた。
「まぁ……甘やかすとか、利益を得る為ではないからいいんじゃないかな?今回の件も君にとって大変なことになるかもしれないが、いい経験になるだろ、特に今の君には……って言ってたし」
「今の俺には……どういう意味だ……?」
「さあ?そこまではわからないな……?」
影法師が両手のひらを上に上げた。そのおどけたような、見ようによっては腹が立つジェスチャーを眺めつつ、頭を掻いてナナシは父親の真意を考えたが、まったくわからなかった。
そんな悩むナナシに影法師が決断を迫る。
「このまま考えるよりも実際にツドン島に行った方が早いんじゃないか?というか、そうしてもらえると、私はとてもありがたいんだが……改めて聞こう、君はこの任務受けてくれるか?ナナシ・タイラン……」
ナナシは今度は腕を組んで悩み始める。目線も忙しなく動かしているとある疑問に気付いた。
「うーん、話はわかった……わかったけど、その前にマサキさんは何でここにいるんだ?今までの話を聞くと、関係なさそうに思えるんだが……」
「オレか?オレは………」
隣でマインも無言で頷く。確かにこれまでの話でマサキに関連性があるようなことは出て来なかった。
二人の視線がマサキに集中するとマサキは一瞬何か躊躇するような素振りを見せたが、景気付けにと紅茶を一気に飲み干し、重い口を開いた。
「……ツドン島に行った調査員『トクマ』はオレの士官学校時代の同期だ……」
「同期……」
「あぁ、お前とケイの関係に近いかな……」
太ももの上でギュッと拳を握るマサキ……きっと親友と呼べる間柄だったのだろうと、その様子から伺える。
「本当はオレ自身が今すぐツドン島に飛んで行きたいんだが、情けないことにネクロ事変の前に頻発していたオリジンズの対処で怪我しちまって……」
「そうだったんですか………」
「まぁ、怪我はもう治ってるんだが、まだリハビリ中っていうか………下手に本調子じゃないオレが行って、ミイラ取りがミイラになったら元も子もないからな……」
タブレットに映し出された地図を見つめるマサキ……。冷静に淡々と語っているが、本当は無念で仕方ないのだろう。
けれども、もうすでにその葛藤を乗り越えた彼は顔を上げ、ナナシに目線を移す。
「それに今、オレはオノゴロの防衛任務にあたっているんだ」
「オノゴロって……あのオノゴロか!?」
「あぁ、オレは考古学者でもメカニックでもないから詳しくはわからないが、あれ、また飛べるようになりそうなんだ」
「へぇ………」
ナナシにとって、オノゴロはあまりいい思い出がある場所とは言えなかったが、先日のシムゴス戦での活躍から最近はちょっとだけ印象が良くなっていたのでまた飛べるようになるという話は素直に嬉しかった。
「シムゴスを倒すために使った主砲はあの一発で完全にいかれちまって無理みたいだけどな……それでも強力な兵器であることは変わらない。そして、それを邪な目的のために利用しようと考える悪党もこの世の中にはたくさんいる……今のオレにできるのはそいつらから神凪の盾に生まれ変わろうとしているオノゴロを守ることだと思っている。だからツドン島は……トクマのことは……ナナシ、お前に頼みたい」
「マサキさん……」
頭を下げるマサキ……。これもまた、今の彼にできる精一杯のことなのだろう。
その姿に心打たれたというわけではないかもしれないが、隣の影法師がマサキを援護する。
「さっきは、暇だからとか、ムツミ大統領の推薦だとか言ったが、大切な部下の命運を預ける人間をそんな理由で決めたりしない。私自身、この任務には君が向いていると思っているからこうして頼んでいるんだ」
「俺がか?どこらへんが?言いたくないが、臨機応変さとか、柔軟性みたいなの、まったくないタイプだぞ」
ナナシの自己評価では、彼の潜入調査の適正は低い。あまり乗り気に見えなかったのもそのせいである。しかし、影法師の評価はまったく逆であることに戸惑いを覚えた。
これはナナシが頭脳面を重視しているのに対し、影法師はナナシの別の能力を買っているからである。その能力とは……。
「君の……ナナシガリュウの力、フルリペアは後方からの援護を受けられない任務では重宝すると判断したんだよ。不意の怪我などを、支援も無しに自分一人で解決し、任務を続けることができるなんて、諜報部からしたら羨ましいとしかいいようがない」
「……あぁ……確かに……そう言われれば、能力に関しては単独の潜入調査向きかもな……俺」
納得……というか、感心してしまう。これまでナナシはノーガードの殴り合い、ダメージレースで有利を取れるというバカみたいなごり押し戦法ぐらいにしかフルリペアを活用していなかったから、影法師の言葉は目から鱗だった。
「というわけで、どうかお願いできないだろうか……?」
マサキに続いて、影法師も漆黒のマスクに包まれた頭を下げた。自分より立場が上の二人にこうして頼まれるとナナシもなんだか申し訳ない気持ちになってくる。
ナナシは腕を組み、彼らとは逆に上を向いて、ホテルの品のいい天井を見つめた。
(……二人の気持ちもわかるし、俺が選ばれた理由にも納得がいった……けど、個人的に、一応ネクサスのリーダーってことになっている俺が、活動再開の目処も立っていないのに、神凪から離れてもいいのだろうか……)
ナナシが即決できないのは、めんどくささや自信の無さもあるが、それ以上にネクサスの仲間達のことが心配だからだ。それこそトクマを思うマサキと何ら変わらない感情が彼にブレーキをかけていた。
けれど、そのブレーキを解除したのもマサキの心だった。
(でも、マサキさんもトクマさんの下に行けない無念さを押し殺しながら、自分の今できることを必死にやっている……今、俺がネクサスのみんなの側にいて何ができる……?だったら、俺が、ナナシガリュウが必要とされていることをやった方がいいんじゃないか………よし!)
「マイン!」
「はい!?」
突然、話しかけられ、マインが慌てた。しかし、すぐに落ち着きを取り戻す……ナナシが彼らしくない真剣な面持ちで真っ直ぐ彼女の目を見て来たからだ。
「ネクサスを………みんなを頼むぜ……!」
「………はい。きっと、みんなで帰って来たあなたを出迎えに行きますよ」
マインはすぐにナナシの心情を察し、力強く頷いた。マインの覚悟も確認すると、ナナシは冷めた紅茶を一気に飲み干し、その目を前方の影法師とマサキに向ける。
「ネクサスのナナシ・タイラン!その任務受けさせてもらうぜ!!」




