プロローグ:Natural
神凪の首都、鈴都のあるホテルのエレベーターに一組の男女が乗っていた。別に恋仲というわけではなく、あくまで同僚、ビジネスパートナーで、今回も仕事のために、このホテルにわざわざやって来た二人の表情は固い。
「なんでわざわざこんな場所に呼び出すんだ?面倒くさい……」
男の方、ナナシ・タイランは単純にこの仕事への不信感と面倒くささで不機嫌になっているようだった。
「そうですね………それにネクサスはドクター・クラウチ……シムゴスとの戦いのせいで今は開店休業中みたいな状態なのに……また何か危ないことを……」
女性の方、マイン・トモナガは胸の奥で蠢く不安感のせいで顔が曇っている。
少し前の仕事で彼女達の所属する神凪大統領直属部隊、ネクサスは壊滅的な被害を受け、マインは未だにその時感じた恐怖と無力感を払拭できていないのだ。
「リンダさんの力が戻ってくれればいいんですが……アイムさんの治療に力を使い過ぎて……」
今までの戦いではリンダ・メディクという人知を越えた回復治療役のおかげで、普通なら即入院、何ヵ月もかけて戦線復帰をするところを、全部すっ飛ばして来た。ある意味、現在の状況は普通の人間や組織と同じ状態に戻っただけなのだが、今までそれに慣れてしまったマインの不安は強い。また、ネクサスとしての一つの強みを失ったという喪失感もあるのだろう。
「比較的元気な蓮雲やユウは鍛え直すとか言って、どっかに行っちまったし、アツヒトは故郷で療養するって帰っちゃったしな……」
「そうですね………シルバーウイングもまだ修理中ですし………」
言い終わった後にナナシはミスしたことに気付いた。敢えて今の彼女に不安を煽るような言葉をかける必要性などないのだ。慌ててナナシは取り繕う。
「まぁ……俺一人しか動けないのは、先方もわかっているはずだから、大した任務じゃないだろうさ」
「確かに………そうですよね」
マインの顔に笑みが戻る。穏やかな彼女の表情を見て、リーダーとして、そして一人の友人として役目をまっとうしたナナシは胸を撫で下ろした。
「せっかくだから、帰りになんか美味いものでも食って行こう。あとランボに差し入れも」
「ランボさん、最近ケニーさんと一緒に花山重工に入り浸っていますからね」
「俺が昔、使っていたプロトベアーを弄ってるんだろう?どんな風になるのか楽しみだ」
チン………
「おっ、着いたみたいだな」
会話も弾み出し、気分が軽くなったところで、目的の階に着き、扉が開いた。二人はエレベーターの外に出て、キョロキョロと辺りを見渡す。
「約束の部屋は………と……」
「こっちです、ナナシさん」
「おう」
マインに先導され、ナナシはホテルの廊下を未だにキョロキョロと挙動不審に目線を動かしながら、歩いていく。
「凄い豪勢だな……こんな所に泊ってる奴ってどんなんだろう………?」
「みっともないから、やめてください。というか、ナナシさんって良家の生まれなのに、なんでそんなに庶民的なんですか……?」
「……親の育て方が悪……いや、良かったのかな?」
「どっちでもいいから自重してください。恥ずかしいですから」
他愛もない会話をしながら、廊下を進んで行くナナシとマイン。
彼らが向かう方向と逆からこれまた男女が一組歩いて来た。
「おぉ、ちょうどエレベーターが来ているぞ。待たずに済んで、ラッキーだな、ネームレス」
「レイラ、君は大財閥のトップなのに、そういうところは普通……というか、なんか子供っぽいよな」
「ふっ、褒め言葉として受け取っておこう」
こちらも恋仲ではなく、パトロンとその援助を受ける者、金銭と利害関係だけで繋がった仲だが、それなりに長い付き合いになったからか、お互いに親近感が湧いているのが会話の内容から見て取れる。
そのまま二人はタイミングよく到着していたエレベーターに乗り込んだ。あともう少し早く来ていたら、色々と面倒なことになっていたかもしれないので、本当にタイミングバッチリだった。
エレベーターのボタンをレイラが押すとドアが閉まり、鋼鉄の箱は二人を下に、一階に運んで行く。
「思いのほか、お前が探していた人物が早く見つかって良かったよ」
依頼を受けたパトロン、レイラ・キリサキは満足そうだった。
ネームレスからの頼まれ事は二つ目だが、一つ目は未だに達成できずにいた。それをレイラはずっと気にしていたのだ。レイラとネームレスの関係を考えると気に病む必要などないのだが、大財閥のトップである彼女のプライドがそれを許さなかった。
だからこそ、彼女は今回のネームレスのお願いを叶えられたことが嬉しくてたまらないのだ。
「あぁ……君には感謝している……」
一方の願いが叶ったはずのネームレスの顔は険しい。強く思いつめているような、激戦地に向かう兵士のような面持ちをしていた。
「本当に君には世話になりっぱなしだったな……ありがとう」
エレベーター内の照明をキラキラと反射させるきれいな金色の髪が生えた頭を下げるネームレス。けれども、感謝の言葉を受けたはずのレイラの顔から笑みが消える。
ネームレスの言葉はまるで……。
「なんだ、その物言いは……?まるでもう二度と会えないようじゃないか……?」
そう、ネームレスの言葉はまるで別れの挨拶……。レイラは当然、やる事を終えたらまた自分の所に戻って来ると思っていたから、その言葉にははっきりと不快感を覚えた。
「……今回、俺はかなり無茶をするつもりだ。もしかしたら、もうここには……神凪には戻ってこれないかもしれない」
ネームレスはレイラの目を見れなかった。先ほどの言葉通り、彼女にはずっと世話になっていたが、まだ何も返していない。その負い目が目線を逸れさせた。だが、それがわかった上でネームレスは自らの命をかけて、ある人物と会わなければいけないと思っていた。
どんな言葉かけられても揺らぐことのない固い決意を秘めた彼の姿を見て、レイラの眉間のシワがさらに深くなっていく。
彼の不義理を許せないのではない、彼の卑屈さに嫌気が差したのだ。
「ネームレス……私を止めるつもりはない……そんな資格もないからな……でも一つだけ友人として、キリサキ財閥のトップとしてアドバイスをさせてもらう」
「アドバイス………?」
「不吉なこと、縁起の悪いことは口に出すな。実際にそうなってしまうぞ。弱気になっている時ほど、前向きな言葉を出す……はったりでもいいから」
ネームレスは面を食らった。自分に助言をするなどレイラらしくないと、ましてやその内容が自己啓発的精神論だとは全くもって予想できなかった。
らしくない困惑するネームレスの表情を見て、レイラも彼が自分のことを、今のアドバイスをどう思っているのか察した。
「意外か?私がこんなことを言うなんて……?」
「あ、あぁ、経営者である君のアドバイスならもっと論理的なものかと……」
ふっ、とレイラは鼻で笑った。きっと同じようなことをこれまでも部下やインタビュアーに言われて来たのだろう。
「経営者だからだよ、ネームレス。どんなにデータを集めても、念入りに準備をしても予想外のことは起こる……結局のところ、最後は“運”なんだよ」
「なんだか……やるせないな……」
彼女の言葉は、これまでの人生全て自らの努力と知恵で乗り越えて来たと自負しているネームレスには受け入れ難いものだった。
そういう考えをしてしまうから、今の彼は追い詰められているのだということをネームレス本人以上にレイラは理解していた。
「あぁ……しかし、だからといってびびって何もしないのは愚かだ……時には無理やりにでも自分を奮い立たせなければいけないこともある……自分はできる!なるようになる!ってな具合にな」
「そういうものか……」
「そういうものさ。自分自身の力だけで何でもかんでも解決できると思うのは傲慢だ。世界を一人の人間がどうこうできることはないし、そういう世界になってもいけない」
レイラはかねがねネームレスを見ていて自分に厳しすぎるところがあると思っていた。それが先日のシムゴスの戦いでさらに悪化した……。彼女は詳細を知らないが、戦いの内容を知ればそうなるのもわかるだろう。ネームレスにとってトラウマとも言うべきことが二つも同時に起こったのだから。
これはそんな落ち込む彼へのアドバイスであり、エールであった。そして、その成果はあったみたいだ。
「フッ……確かに傲慢かもな……」
ネームレスの顔が僅かだが緩んだ。レイラの言いたいこと、自分への気遣いを理解したのだ。けれど、言葉だけで解決するなら、こんなに苦労していない。
彼の心には未だに“傲慢さ”がこびりついている。
「忠告ありがとう……胸に刻み込んだよ」
「それは、良かった」
しかし、何はともあれエレベーター内の雰囲気は良くなった。二人は視線を交差させ、微笑み合う。そして、話が終わったのを見計らったように……。
チン………
エレベーターが一階に着いた。二人はエレベーターを出て、そのままホテルの外へ向かって歩き出す。
「まだ出発まで時間があるだろう?何か美味いものでも食べに行こう。意地でもここに戻って来たくなるような美味いものを」
「そうだな、またご馳走になろうか」
「まったく……いつか倍返ししろよ」
「あぁ、いつか必ず……あっ、あとさっきのアドバイス“なるようになる”はあまり言わない方がいいぞ」
「ん?何でだ……?」
「前にムカつく奴が同じことを言っていたんだ……っていうか、眩しいな……」
他愛ない会話を続けながら、ホテルの外へ出ると太陽が燦々と輝いていた。
ムカつく奴、ナナシ・タイランより一足先にネームレスは新たな戦場に踏み出した。




