迷コンビ
「ここに……ここにドクター・クラウチが………」
山にポツンと一軒だけ立っている怪しげな洋館、今回の戦いの首謀者が待ち構えているこの場所に最初にたどり着いたのは、金髪の男、ネームレスであった。
キョロキョロと緑色の瞳で屋敷の全貌を観察し、周囲を警戒する。
「罠……は無さそうだな……」
洋館は不気味な雰囲気を醸し出していたが、あくまでそれだけ……。外から見ただけでは特に変わった仕掛けなどがあるようには思えない。
「……さて……どうするか……そうだな……こそこそ侵入するのは、俺の流儀じゃない。正々堂々と正面から行くか……!!」
ネームレスは一番大きく立派な玄関の前に立ち、ここから突入することを決断する。
流儀などと格好つけているが、実のところ、単純に色々考えるのが、めんどくさくなっただけだ。
「……よし、そうと決まれば……」
パカッ……
「――!?……この音……前に……」
洋館の扉に手をかけた瞬間、後ろから何か音が聞こえた。どこかで聞いたことがある気もするが、ネームレスは思い出せない。だが、今はそんなことはどうでもいい。こんな場所に来るのはただ者ではないはずだ。
意を決してネームレスは振り返り、その正体を問いただす。
「誰だ?」
「…………ワタシ、ポンチオ・マラデッカ、イイマス」
「…………それが開口一番に言うことか……?俺たち、そんな冗談言い合う仲じゃないだろうに……ナナシ・タイラン……」
振り返ったネームレスの視界に映ったのは、黒いオリジンズに跨がっている黒髪のナナシ・タイランだった。
「じゃあ、野生のくそバカテロリスト発見!……とでも言えば良かったか?」
「さては貴様!何を言っても俺は傷つかないと思っているな!?」
「嘘だよ、嘘。くそバカはいらねぇよな。ただのテロリスト」
「お前……!!……いや、反論はできないか……はぁ……」
ナナシ的には緊張を和らげようと言ったつもりだが、あまりにその場にそぐわない、それでいてまだ癒えていない傷を的確に抉る冗談にネームレスは呆れ返り、そして軽く落ち込んだ。
「まぁ……この状況で俺の精神を嬲りにかかって来ることはともかくとして、冷静に考えれば、ここに来る奴となるとお前たちネクサスの誰か……さっきの音もそのオリジンズの足音か……道理で聞いたことがあるはずだ。そんなことにも俺は気付かないほど、取り乱していたか……」
ナナシの発言は結果として、ネームレスの心を解きほぐすことには成功した模様で、黒き竜は自分が思っている以上に平常心を欠いていたことを自覚した。彼の立場からしたらそうなるのも仕方ないことなのかもしれないが……。
「そういうことだ……よっと」
ナナシは黒嵐から降り、乗った時と同じように首筋を撫でた。
「黒嵐、お前はここで待機な」
「ヒヒン」
賢明なこの獣は短く嘶き、ナナシの指示を了承した。ナナシはその答えに満足すると、ネームレスの下へ歩き出す。
「というわけで、お供しますよ、ネームレス君」
「ふん」
懲りずに下らないことを言いながら、ネームレスの横に立つと、扉に手をかける。大柄な男が二人並ぶと、よりその扉の大きさが強調される。
「んじゃ、悪の秘密基地に突入!」
「いいから、扉を開けるぞ」
「わかってます……よっと!重いなぁ!まったく!」
ガゴッ!
その見た目通りの重さと、古さによる立て付けの悪さから扉は大の大人の男が結構な力を込めないと開かなかった。
そして、その訪問者を拒絶するような扉の奥には、壁に高そうな絵が何枚も飾られた廊下が続いていた。
「手紙ではこの奥の書斎だな……行くぞ、ネームレス」
「言われなくても……というか、お前が仕切るな」
「そんなつもりはない。お前が勝手に自分を下に置いてるから、そう感じるだろうよ」
「……お前、思ってるより性格悪いな」
「お前には負ける」
文句を言いながらも素直にナナシの後に続き、廊下を進んで行く。ところどころ軋んで、歩く度に嫌な音が鳴る。
「………お化けとか出そうだな……」
「………そうだな………」
「………怖いか………?」
「………怖くない………」
「………本当?」
「………本当」
実際は二人とも怖いのだろう。だから無駄に情けない会話を続ける。
キョロキョロと忙しく眼球を動かし、ターゲットとお化けを探すが、どちらも見つからず、書斎の前まで無事にたどり着く。
「クーラウチくん……遊びましょう……」
「お前はふざけたことしか喋れないのか?」
「ほっとけ」
口ではそう言うが、この場ではナナシの空気読めてない言葉に救われている部分もある。お化けはいまだに怖いが、ここに来た時の妙な緊張感はいつの間にかネームレスの心からすっかり消えていた。
「えーと……この本棚の………ふん!」
ガコ………
「よし、あったぞ」
ナナシはネジレから受け取った手紙に書かれた通り、本棚を動かし、地下室に向かう隠し階段を発見する。
「こんなところに……ずいぶんと凝っているんだな」
ネームレスはその妙に気合の入ったギミックに驚くというよりも感心した。
一方のナナシは特に何の感慨も受けない。ひとえに似たようなギミックを持っている場所をすでに知っていたから。
「ハザマの趣味だな。今、ネクサスのアジトとして使っている場所も地下に隠し部屋がある」
「そうなのか………図太いな……」
「あ?」
「ハザマの遺産を勝手に拝借して使っているなんてクラウチもお前らも神経が図太いなと……」
「一緒にするな………もう行きますよ」
延々と下らないおしゃべりをするナナシとネームレス、出会い方が違っていれば親友とまではいかなくても、いいビジネスパートナーぐらいにはなっていたかもしれない。
今は形容し難い微妙な関係になってしまっている二人はのんきな会話を続けながら、その隠し階段に足を踏み入れる。
「………………」
「………………」
さっきまでが嘘のように会話が止まる。その階段の先に在るものが放つプレッシャーが彼らの口を重くしているのだ。一段下がるごとに気持ち悪い空気が身体中にまとわりついてくる。
その不快な空気に負けずに階段を降りきると、そこには厳重に閉じられたこれまた大きな扉があった。
「……この先にドクター・クラウチとネジレが……」
ふと、ネームレスが彼のターゲットの名前を声に出す。彼はそいつらを始末するために戦い続けて来たのである。だが、悲しいかな一つ大きな勘違いをしている。
そのことをナナシが指摘してあげる。
「ネジレ?あいつなら多分いないぞ」
「………はあっ?」
急に何を言っているんだと、ネームレスは眉を八の字にして、僅かに首を傾けた。
「あいつ、俺を助けに来たんだよ」
「はあぁぁっ!!?」
首の傾きは戻った代わりに、目を見開き、声が大きくなった。
「で、この手紙を渡して、どっかに行っちゃった。だから、ここにはいないよ」
「はあーーーーーーっ!!?」
地下にネームレスの声が響き渡る!叫ぶしかなかった!だって、ナナシの言った言葉は彼には一個も理解できなかったから。
「どういうことだ!?助けに来た!?ネジレがお前を!?ナナシ・タイランを!?ネジレがナナシ・タイランを!?」
「お、おう」
「何でだ!?」
「こっちが聞きたいよ……」
今にも飛びかかりそうな勢いで質問するネームレスの迫力に、ナナシは気圧される。
彼自身もネジレの行動には疑問しかなく、答えたくても答えられないのだ。
「わかった!助けた助けないは、この際置いておこう!あいつの行動や考えなんて常人には理解できない!したくもない!だが!奴を見逃したのはどういう了見だ!?お前も奴を追っていたのだろう!?千載一遇のチャンスじゃないか!?」
ネジレの行動の意味不明さはネームレスも重々理解している。むしろ理解できないのはネジレを逃がしたナナシの方だ。
ネームレスはその端正な顔を歪ませ、更なる勢いでナナシを問い詰めた。ナナシはめんどくさそうに頭を掻き、できれば言いたくないことを嫌々口にする。
「強かったから……」
「はあっ!?」
「だーかーら!強かったんだよ!めちゃくちゃ!俺よりも!多分、お前よりも!ネジレは強いんだよ!」
情けないことを半ギレで叫ぶナナシ!彼だって、ネジレを見逃したくて見逃したわけではない。できることなら、とっととこの厄介極まりない因縁に終止符を打ちたかった。しかし、眼前で見せられたネジレの力にそれは無理だとわからせられた。
ここに来るまでに考えを整理してきたはずなのに、燻っていた憤りをよりによって一番みっともない姿を見せたくない相手に刺激される。
不本意にもヒートアップしてしまったナナシだが、反比例してネームレスは冷静さを取り戻す。
「そんなに………そんなに強かったのか……?あいつは……ネジレは……?」
冷たく真剣な眼差しでナナシを見つめるネームレス……。ナナシの方もそれに呼応するように、落ち着いていく。
「あぁ……奴のピースプレイヤー……ミカエルと言ったか……かなりのものだ……」
「そうか………」
「それに………」
「それに……?」
ナナシは口ごもる。個人の推測を……しかも、決戦の直前に言うべきではないと思ったからだ。
しかし、ネームレスの眼がそれを許さない。
「……俺よりお前の方が分が悪いぞ」
「………そうか……」
なんとなくネームレスはそう言われることを予感していた。むしろ、あの豪華客船での戦い以降、ナナシに対してある種の劣等感を抱き続けている。重苦しい空気が二人を包む。
「……ネジレのことは今は忘れろ。先ずはドクター・クラウチだ……って、何で俺がお前に気を遣わなくちゃいけないんだよ!」
「フッ……確かに……むしろ、俺もお前に気を遣われるなんて気持ち悪くてたまらない……余計な気遣いは無用だ」
「お前って奴は本当に……!!」
かなり無理やりだが、双竜はなんとかモチベーションを再び上げることに成功した。こういうことができるのは、二人の相性は悪くない、根っこの部分では似ている証拠だろう。本人達は決して認めないだろうが。
「もういい!行くぞ!」
「あぁ……!!」
ガチャ………
「やぁ……ネジレがいなくって悪かったね……」
「「うっ!?」」
扉を開けるとだだっ広いと言っていい空間に、一人の老人が立っていた。その老人は小柄で痩せ細っているから、なおのこと部屋が広く感じる。
ただ、それよりもナナシとネームレスにとってはさっきの会話が聞かれていたことが少し……結構恥ずかしい。
仕切り直しと言わんばかりに、ナナシはコホンと咳払いをしてから話し始めた。
「ドクター・クラウチだな……?まどろっこしいのはお互い嫌だろうから率直に言う………おとなしく投降しろ」
「断る」
予想通りの反応……ここで白旗上げるならとっくの昔に捕まっているであろう。けれど、ナナシは諦めずに説得を続ける。
「じゃあ、どうするつもりだ……?俺たちがここにいる意味はわかってるんだろ……?あんたのご自慢のブラッドビーストが負けたってことだぜ……?」
「わかっているさ」
あえて、挑発的なものいいをしたが、クラウチは眉一つ動かさなかった。ならばとナナシはさらに攻撃性を強める。
「そもそもブラッドビーストなんて時代遅れなんだよ」
「……………」
若干、ほんの僅かだがクラウチの顔が険しくなった。ナナシ、そしてネームレスはそれを見逃さなかった。
「なぁ、ネームレス、お前もそう思うだろう?」
「あぁ、ピースプレイヤーやストーンソーサラーに対して、ブラッドビーストの利点は短期間でそれなりのものを大量に用意できるコストパフォーマンスの良さだ……一昔前まではな……」
眉間のシワが深くなる。彼にとってはあまり言われたくないことなのだろう。それをしたり顔で言われると……。
「当時に比べて技術は進歩し、ピースプレイヤーは低コストで大量生産可能になった」
「ストーンソーサラーの方も練度や習熟度、個人個人の能力の差の大きさが問題だったが、各地で学校を作って幼い頃から教育することによって、それも解消されつつある」
「ちっ………」
我慢できず、舌打ちをする。限界は近い……。
「つまり、もうこの時代にブラッドビーストの役目なんてないんだよ」
「今回の戦いがそれを証明している……お前の長年の研究は無駄だったってことだ」
「貴様ら!何もわかっていない!愚か者どもが!知ったような口を聞くな!!!」
その小さな身体のどこから出ているのかと疑問に思うほどの大きな声でドクター・クラウチは吠えた!きっと今二人に言われただけじゃなく、彼の長い人生の中で同様のことを言われ続けて来たのであろう。その積み重ねが、溜まりに溜まったものが、今噴火したのだ!
そして、双竜はそれを待っていた!
「ネームレス!」
「おう!」
二人が一斉に走り出すと、それぞれの手に巻かれた赤と黒の勾玉が輝く!
「かみ砕け!ナナシガリュウ!!」
「咬み千切れ!ガリュウ!!」
一瞬の光とともに二人の男が二匹の竜へと姿を変える!赤と黒、身体の色は違うが目の色は同じ黄色、そして、その眼で今同じものを見ている……今回の事件の元凶、憎きドクター・クラウチだ!
「この………」
「遅い!」
「無駄な抵抗はよせ!」
「ぐっ!?」
ゴン!
クラウチが何かしようとしたが、時すでに遅し、双竜は老人に飛びかかり床に抑えつけた。客観的に見ると過剰戦力による老人虐待だが、彼らからしたらそれだけ警戒する人物なのだ、このクラウチというジジイは。
「……爺さん、終わったんだよ……あんたの時代は……」
優しく語りかけるナナシ……。彼の中では老人相手にここまでのことをするのに抵抗があったのだろう。
「ふん!余生は冷たい刑務所の中で懺悔しながら過ごすんだな」
片やネームレスは辛辣だ。彼の故郷、壊浜が荒れ果てた原因の一つでもあるこの老人を許せないのは当然であろう。
だが、これでようやく長きに渡る神凪とクラウチとの因縁が、真の意味で神鏡戦争が終わる……はずだった。
「くくく………」
「……何がおかしい……?」
「おかしいさ………まだ何も終わっていないのに……」
双竜の下から、かすかに笑い声が聞こえた。まだ終わっていないのだ。クラウチにとってはこれからが自身の研究結果の発表会の本番である!
「お前らが突入する前に準備は終わっている!見るがいい!私が長年の研究の末にたどり着いたブラッドビーストの!いや、科学の到達点を!!」




