試金石
決して気持ちのいい結末ではなかったが、ナナシガリュウは脱走した囚人の一人であり、ブラッドビーストへと覚醒を果たしたナガタとの戦いを終えた。
一応、勝利したと言っていいのだろうが、彼の心はむしろ戦う前より不安に包まれている。全てはあの仮面の、いや、仮面の下に美しくも残酷な素顔を隠していた奴のせいだ。それでもまだ今日という日は終わらない……。
ようやく突き止めたこの戦いの首謀者であり、神凪の仇敵であるドクター・クラウチの隠れ場所に行くために、クラブの外、さらに闇を深めた夜空の下に紅き竜は飛び出した。
「ん~……ちょっと遠い……というか、面倒なところにあるな……」
勝利の報酬である手紙に書かれていたドクター・クラウチの居場所は神凪の首都鈴都の郊外、小さな山の奥にある忘れられたお屋敷だった。
「つーか、フェリチタと同じくハザマの所有物なんて……データに乗ってなかったが、まだこんなデカイ家を隠し持っていたなんて……」
手紙にはそのお屋敷がハザマ前大統領が所有していた拠点の一つであると記されていた。
ナナシ自身はハザマに対しては、好意的な感情は持っていないが、特別恨みがあるわけでもない……ないが、亡くなった後も面倒ごとを増やし続けるはた迷惑なじじいにはさすがに辟易していた。
「そういえば、クラウチを神凪に招いたのもハザマか……自分のやったことぐらい全部処理してから死んでくれよ……」
クラブの電飾の明かりが点いていない看板の前で一人ぶつぶつと死人に鞭打つ。
妙にナイーブかつ辛辣になっているのはネジレの力を目の当たりにしたせいであろう。その八つ当たりに使われるハザマはたまったもんじゃないが、そうされても仕方ないことをしたと言えば、めちゃくちゃしている。
まぁ、そんなことをしてもナナシの心は晴れないどころか、ハザマの死の原因もネジレにあると思い出して余計にやるせない気持ちになるだけなんだが。
「……ここで一人言なんて言ってても、何もならねぇな……とりあえず、この手紙の場所に………いや、まずはみんなと合流するべきか……」
ナナシは気を取り直して、クラウチの下へ向かおうとしたが、他のメンバーのことを思い出し、踵を返した。
もしかしたらネジレの言っていたことも気になっているのもあったのかもしれない。だが、その行動にストップがかかる。
「その必要はない……貴様は先に行け。ここまで来てドクター・クラウチに逃げられたらたまらん」
「……ちんうん!!」
「この状況でおれを煽るのか、貴様は!?ぐっ!?ツッコミが傷が響く……!」
ナナシがその声がした方向を向くと、そこにはネクサスで一番強く、一番バカな大男が、いつも通り相棒に跨がっていた。
ただ、いつもと違う箇所が二つ、彼が大怪我を負っていることと、背中に見たこともない不思議な威圧感を纏った武器を背負っていること……。
「悪い悪い。つい」
「つい、で一応仲間であるおれにとどめを刺そうとするな……!」
「んで……お前、それどうした……?」
「怪我と豪風覇山刀、どちらのことを言っているんだ?というか、今はどちらもどうでもいいことだ……」
蓮雲はそう言うと、相棒の黒嵐から降りナナシに近づいていく。言葉こそ威勢が良かったが間近で見ると、いつも彼が発している覇気のようなものが感じられず、より彼が肉体的にも精神的にも弱っているのがわかる。
そして、蓮雲自身も自分の状態の悪さは理解しているようだ。
「できるだけ早くクラウチのことは捕まえたい……しかし、おれは見ての通り、ボロボロだ。リンダの治療を受けなくては、まともに戦えない……行っても足手纏いになるだけだ……」
普段の傲岸不遜な彼からは口にしないであろう弱音がこぼれる。それほど疲れ切っているのだろう。
「だから……せめて、脚を……おれと違ってこいつは元気だからな……」
蓮雲は目線を相棒の黒嵐に向ける。わざわざここに、ナナシに最適な移動手段を届けに来たのだ。
「お前の意図はわかった……わかったが、何で俺なんだ?他の奴のところでもいいだろう……?血を流し過ぎてそんなこと考えられなかったか……?」
ナナシの方は普段通り、質問する……嫌味を込めて。質問の内容自体は当然なのだが、何故か蓮雲に対してはナナシは妙に辛辣だ。
まぁ、蓮雲の方も同じようなもので、ここで頼れるリーダーだからとか言えばいいものを……。
「データを見た限り、貴様の相手が一番弱そうだったからさ……さすがの貴様でも余力を残して勝利していると思ってな」
「うぐっ!?お前って奴は……」
手痛い反撃に顔が歪むナナシ……。客観的に考えても確かにその通りだし、だというのに、イレギュラーなことがあったとは言え、よりによって敵の首魁に助けてもらったものだから、ナナシは何も言い返せない。
「ちっ!わかったよ!確かに俺は元気があり余ってるよ!もう一戦できるぐらいにな!」
自虐と言っていいのか、文句と言っていいのかわからないがナナシは蓮雲に当たり散らしながら、黒嵐の下へ歩いていく。
そして、その獣の間近まで近づくと、急に頭に不安が過ってきた。
「つーか、俺、黒嵐に乗ったことないんだけど大丈夫か……?」
漆黒の巨体を見上げると、その迫力に押し潰されそうになる。これに跨がるのは正直勇気が必要だった。
「大丈夫だ、黒嵐は賢いからな。素人でも安心して乗れるように気遣って走ってくれる。特に何もする必要なんてない……貴様はただ、座って声でどこに行くか指示していればいい」
「ヒヒ!」
その通りと言わんばかりに、黒嵐は胸を張り、高らかに鳴いた。ナナシはまだ不安を拭い切れてないが、なんだかんだ頼りになる仲間たちを信じることにした。
「そこまで言うなら……よろしく頼むぜ、黒嵐」
「ヒヒン!」
主人より賢いその獣の目を見つめ、首筋をそっと撫でると、了承の合図とばかりに短く黒嵐は嘶いた。
「よっと!」
ナナシガリュウはその巨体に跨がると、どっしりとしたその身体がそれなりに重量のある紅き竜をしっかりと支え、思ったよりも安心感があった。
「確かに……いい乗り心地だ」
「だろ」
「ヒヒ」
ナナシの感想に蓮雲と黒嵐もご満悦。特に蓮雲は自分の相棒が誉められることが、自分のことを誉められるより嬉しかった。
「それじゃあ………行って来るぜ、蓮雲」
「おう」
「ナナシガリュウ!……っと……その前に……蓮雲に聞いときたいことがあったんだ」
「なんだ!?まだ何かあるのか!?」
ついに決戦の地へ出発!……しそうになったところで、ナナシがある事を思い出す。肩透かしを食らった蓮雲は苛立つが、ナナシとしてはどうしても聞いておきたかった。
「いやさ、蓮雲、お前のところに助っ人は来たか?」
「……はあっ!?」
ナナシはネジレが言った傭兵たちのことが気になっていた。正確にはコマチのことだが……。
「何を言っている!おれは正々堂々と一対一で戦い、そして勝利した!!」
何のことだかわからない蓮雲はプライドを汚された気がして、さらに傷つく。
けれども、ある意味このテンションが彼本来のものなのでナナシは特になんとも思わない。
「そうか……じゃあ、ランボとアイムのところか………傭兵たちが助けに行ったんならあいつら無事だな。全部終わったら話を聞こう」
「おい!助っ人ってなんだ!?傭兵ってどういうことだ!?ナナシ!聞いているのか!?」
蓮雲を無視して、紅き竜は他の仲間に思いを馳せた。
傭兵とコマチの実力は知っている、彼らとランボやアイムが力を合わせたら敵などいないだろう。
疑問は解消されたわけではないが、仲間の無事は確信できた。
「よし!じゃあ、気を取り直して……」
「待て!取り直すな!まだ話は終わってないぞ!?聞いているのか!ナナシ・タイラン!?」
「ナナシガリュウwith黒嵐!行くぜ!!」
「行くなよ!」
蓮雲の制止を振り切り、紅き竜を乗せた漆黒の獣が夜の闇に消えて行った。
「………まったく………おれが行くまでは無事でいろよ……ナナシ……!」
彼らを見送った蓮雲も歩き出す。万全の状態で彼らに追いつくために仲間の下へ……。
ナナシと黒嵐が向かう目的地……古びた洋館で老人が一人、アンティークとおぼしき椅子に座り、物思いに耽っていた。
(……あくまで実験用だとは言え、まさか誰一人勝てないとは思わなんだ……)
自分がブラッドビーストに改造した囚人に最初から期待などしていなかったが、それでも何人かは勝つと思っていた。
その予想を遥かに下回る結果を出した愚か者どもにただただ失望する。
(しかし、データは十分取れた……!ついに長年の研究が完成したのだ!……あの時、あいつに負けてから、人生をかけて続けてきた研究が!)
昨日のことのように思い出す若き日の記憶……。
忘れたくても忘れられない屈辱の記憶……。
「わ、私の研究成果が……最強のブラッドビーストが………!?」
血の匂いが立ち込める部屋、その中には無惨にも引き裂かれ、叩き潰された大量の獣人の死体がところ狭しと床に敷き詰められている。その全てが若き日のドクター・クラウチの自信作。
それがたった一人の……いやたった一つの存在に倒されたのだ。
「ここ百年ぐらいでは一番面白かったぞ、お前」
鮮血が飛び散る部屋に低く、どこか色っぽい声が響き渡る。それは銀色の竜……生物のようであり、鉱物のようにも見える全身銀色の竜がこの惨劇を起こしたのだ。
「楽しませてくれた礼だ……お前の命は取らないでやろう……」
銀色の竜はそう言うと、みるみる人の姿に変わっていった。
竜の時と同じく銀色の髪をなびかせ歩くその姿は気高く、そして美しい……。
「ま、待て!?お前は一体……!?」
クラウチは立ち去ろうとする災厄をわざわざ呼び止める。彼の中で恐怖よりも知的好奇心が勝ったのだ。
「我は永遠の存在……と言えば、聞こえはいいが、実際はただの時間を持て余し、暇潰しに困る愚者さ。今日のこともただやることがなくて退屈だったから、生命をもて遊ぶマッドサイエンティストがいると聞きつけて、遊びに来ただけだよ」
「な!?」
なんと暇潰しで、遊びで、クラウチの今までの人生は否定されたのだ。
怒りでその身を震わせる。こんなことは彼が生まれてから初めての経験だった。
「………必ず……必ずだ!私の人生をかけてお前を殺してやる!お前を越えるブラッドビーストを生み出してやる!!!」
「そうか……それはいい。楽しみが増えたよ」
鬼の形相のクラウチに、銀髪は優しく微笑みかけて部屋を出ていった。その服に変身した彼の姿を彷彿とさせる銀色の竜の刺繍が施されているのが、クラウチの目に焼き付いた。
(あれから………何十年経っただろうか……長かったな……)
シワだらけになった手を見つめ、年月の流れを感じる。彼はあの時から自分の全てを研究と復讐のために捧げてきた。
(あいつを越えるブラッドビーストを作るため、手段を選ばずやってきた……その結果、悪人として追われる身になってしまったが……)
実際は銀色の竜との出来事の前から、非人道的実験を続けていたのだが、彼にとってはそれでもセーブしていたつもりらしく、悪いとはちっとも思っていない。そんな男が最後の枷を外した。当然、その悪意は多くの人間を傷つけることになった。その最大の被害者が神凪である。
(実験のため、バカ王を利用して鏡星と神凪で戦争させることに成功したが……まさか、よりによって竜の家紋を持つ者に我が研究成果が再び敗北するとはな……なぁ、ムツミ・タイランよ……)
彼にとって神鏡戦争はただの実験の場でしかなかったが、結果はムツミを中心とした神凪軍にまたまた自慢のブラッドビースト軍団が敗れる屈辱を味わうことになった。
(しかし、今度は!今度こそは負けん!まずはお前の息子ナナシ・タイランだ!そして息子の首を手土産にお前に会いに行ってやろう!だが、所詮ムツミ、お前も銀色の竜の前座に過ぎない!お前たち赤い竜の親子はただの試金石だ!!)
彼の心には怒りと憎しみと探求心しかない。そして、その全てが今爆発しようとしている。
(早く来い……ナナシ・タイラン……我が研究の素晴らしさを証明するために……私の正しさを証明するために………)
まるで大好物を待つ子供のように、クラウチは年甲斐もなくはしゃぎながらナナシを待つ。
彼の想いに応えたわけではないが、黒嵐に乗ったナナシもすぐそこまで迫っていた。




