感謝
「うおっと!」
「ふん」
真夜中のクラブ、素顔を隠した二人の人物が華麗にステップを踏む。さながら、仮面舞踏会と言えば聞こえがいいが、実際は自分たちの命を狙う触手の群れを避けているだけに過ぎない。
しかも、この二人は仲間ではなく、宿敵同士と言っていい間柄。何故そんな両者がこうして肩を並べているのか、その片割れである紅き竜を模した機械鎧を纏ったナナシ・タイランにはまったく理解できなかった。
「俺を助けに来ただと……?寝言は寝て言え!つーか、その仮面の下でいびきかいてんのか!?あぁん!?」
良家のボンボンらしからぬチンピラまがいの言動……。けれど、そういう態度を取られても仕方ないと、言われた方も理解している。
「ずいぶんと喧嘩腰だな。まぁ、当然か……元はと言えば、こんなことになっているのは誰でもないこの俺のせいだからな」
仮面の人物、ネジレは悪びれもせず、淡々と今回の件の諸悪の根元が自分であると認めた。もとよりこの仮面にとっては別に悪いことをしているつもりはないのだろう。それに翻弄される方はたまったもんじゃないが………。
「で、その黒幕様がどんな思惑でこんなところへ……?まさか、自分が間違っていることにようやく気づいたとか……?」
できる限り嫌味たっぷりでナナシがネジレに改めて問いただす。ネクロ事変以来、振り回されっぱなしの相手にせめてほんの少しでもダメージを与えてやろうと言い放った言葉だったが、意外にもそれは芯を食っていたようだった。
「ふん、勘がいいじゃないか、ナナシ・タイラン。認めたくないが、俺は間違いを犯した……そのミスを取り返すためにここに来た」
「……何?」
意外な答えにナナシもトーンダウン、というか戸惑う。
二人が会ったのは二回だけ、最初のキリサキスタジアムではお互いに遠目で見ただけ、まともに会話をしたのはネクロ事変の最終決戦前、古代の空中要塞オノゴロでの僅かな時間……。そんな軽薄な関係でも、ネジレという人物の人となりはなんとなくわかる。自分の非をあっさり認めるような奴ではないと、ナナシは思っていた。
だからこそ、今のネジレの言動が信じられなかった。ネジレ自身、そう思われていると察したのか、弁明を始める。
「お前はどうやら少し、俺のことを誤解しているようだな」
「誤解……?自分の手を汚さず、人の命をもて遊ぶクソ野郎だろ?」
あまりのひどい言われ様に、ネジレは思わず仮面の下で苦笑する。確かに端から見たら自分の印象はそんなものだろう……下等で愚劣な人間の矮小な視点から見たら。
「自分の手を汚さずか……それも誤解……意外と汗かいて頑張っているんだけどな……まぁ、その結果、大事なことを見落としてしまったんだから、誇るようなことでもないのだけど……」
やれやれと手のひらを上に向け、首を横に振る……勿論、触手を避けながら。
この仮面にとって、自身の捨て駒になって、怪物と化したナガタは談笑の邪魔にもならない取るに足らない存在なのである。
「実際、俺自身、裏から手を回して全てを操れたらとは思うよ。けど、残念ながら俺にはそんな能力がないようだ……なんてったって、これでミスは二回目だからな」
「二回目……?」
今回のミスの詳細もわかっていないのに、新たなミスが提示される。その言い方からして、過去にあったことのようだが……ナナシには心当たりがあった。
ずっと引っかかっていたあの出来事が思い出される。
「……ネクロ事変……あの時、俺を黙って行かせたのは、お前がミスしたからか……?」
「本当に勘が冴えてるな!話が早くって助かるよ!」
仮面の下のネジレの口角がグイッと上がり、テンション高めに答える。まるで、出来の悪い生徒がテストでいい点を取ったのを喜ぶ先生のように……。
ナナシ自身はというと、どこかバカにされているみたいに感じて、ネジレとは対照的に仮面の下で眉間にシワを寄せた。
「そうさ、あの時も俺はミスを犯した……それを取り戻そうとして、お前を行かせたんだ……そして、ナナシ・タイラン!君はその期待に応えてくれた!ありがとう!ナナシ・タイラン!!」
「……なんだか知らねぇが、俺はてめえを喜ばせるつもりはなかった……だから、礼なんて言うんじゃねぇよ……!」
ナナシの顔がさらに険しくなる。
詳細はわからないが、知らず知らずのうちに自身の行動がこの上から目線のろくでなしの利益になっていたことに腹が立って仕方ない!そう思うことが、さらにこの上から目線の息を吐くように人を不快にさせる陰険なクソろくでなしを喜ばせることになると理解していても、どうにも止められない。
そして、実際ネジレはそんなナナシの心を読み取り、悦に浸っている。
「だから、これは感謝の証さ。お前がしてくれたことへのささやかな恩返しだよ」
「そもそも恩を感じているなら、こんな面倒なことを起こすなよ!あと、仮面取れよ!恩人なんだろう!?俺はお前の!」
「……うん、それもそうだな……」
「………へっ?」
ナナシは世にも間抜けな声を上げてしまう。てっきり突き返されると思っていた提案をいけ好かない仮面はあっさり了承したのだ。
ネジレはゆっくりと今まで頑なにその素顔を守っていた仮面に手を近づけ……。
ガチャ………
「な!?」
「ふぅ……これでいいか……我が恩人よ」
時が止まったように感じた……。それほど……息を飲むほどネジレの素顔は美しかった。
中性的で男か女かは判断できない、いや、する必要などない!その美しさは性別なんて超越している!あんなに憎くて仕方なかったはずの仇敵に見つめられて、ナナシの胸は恐怖とは違う感情で高なった!
「ネジレ……お前………ん!?」
不覚にもその美しさに見とれてしまったナナシだが、すぐに我を取り戻す……というより、ネジレのある部分を見て、その違和感に我に返らされたというべきか……。
「それ……耳か………?」
ネジレの耳は普通の人間よりも長く尖っていた。その耳がまたネジレの現実と隔絶した美を強調しているのだが、ナナシに関しては知的好奇心の方が上回ったようだ。
「いいだろ?俺も自分の顔のパーツの中で気に入ってる部分なんだ」
そう言って無邪気に微笑むネジレに、また不覚にも胸が高鳴ってしまうナナシ……。
一方でその心の奥、本能でその言葉にある種の侮蔑……何に対してかはわからないが、自分を含めた何かを見下しているように聞こえた。
「さて……これで恩人への義理は果たしたかな」
素顔を晒したネジレは満足したように、目を瞑り、うんうんと一人で頷く。いや、まだ何も終わってないんだけど。
「お前……ただ、その素顔を俺に見せに来たのか……?俺を助けに来たんじゃなかったのか……?」
「あぁ、確かにそうだった。失敬、失敬」
手をポンと叩き、当初の目的を思い出すネジレ。その態度から本当はナナシを助けたいとか、感謝しているとかは一切思っていない、嘘偽りだったことが感じ取れる。
「では……どうするかな……っていうか、まじまじ見るとやっぱ気持ち悪いな、あれ」
気を取り直して、ナガタだったものに目を向けた。自分のせいであんな醜悪な姿になったのに、悪びれもせず気持ち悪いと言ってのけるこの外道にナナシは不快感を覚えずにはいられなかった。
そんな彼の想いなど露知らず、知りたくも思ってないネジレはニヤリとその美しい顔を歪ませた。
「素顔まで晒したんだ……それに感謝の気持ちもある……いいだろう、見せてやろうじゃないか!我がピースプレイヤーを!」
「何!?」
ネジレはそう言うと指輪を着けた右手を顔の前に持って来て、自分の愛機の名前を高らかに宣言した!
「さぁ!行こうか!『ミカエル』!!!」
眩い光がネジレを包み、その光に負けない眩い輝きを放つ金色の鎧が身体に装着されていく!そして、左手には盾を、右手には剣を持って神々しいとしか形容しようのないネジレのピースプレイヤー、ミカエルが降臨した!
「黄金の……ピースプレイヤー……いや、それよりも……」
ナナシも思わず目を奪われるが、それは金色の装甲ではなく、ミカエルの背部に存在するあるもの……それに目が釘付けになった。
「翼……コマチと……ルシファーと同じ……」
ミカエルの背中には翼が生えており、その形状はルシファーと非常に似ていた。ただし、ルシファーの場合は片側だけだが。
「ふん!あんな試作品と一緒にするな。このミカエルこそ数多のピースプレイヤーの頂点ともいうべき戦う芸術品だ!」
ナナシは素直に思ったこと、見て感じたことを口にしただけだが、それはネジレにとっては許せないことだったようで、ここに来て初めて彼の声に感情がこもる。
しかし、ナナシはというとそんな彼の言葉を受け流し、頭の中では短い間の付き合いだったが、友と呼べる存在になったコマチのことを思い出していた。
(ルシファーが試作品……!?ってことは製造元は一緒ってことだよな……いや、そもそもネジレとコマチは知り合いだったのはオノゴロでの会話でわかっていたから、それはおかしくはないか……つーか、コマチのニット帽の下、耳を隠していたのって……)
色々なものが線でつながっていってる気もするが、肝心の部分はぼやけている。むしろ中途半端な情報を得たことで霧が深まったように思えた。
「ナナシ・タイラン、呆けてる場合じゃないぞ」
シュウ!!!
「――!?……うおっ!?ヤバっ!?」
触手の強襲で、無理やり思考の迷宮から連れ戻されるナナシ!ネジレに助けられたのも、その言葉に従うのも癪だが、まずは目の前の問題を解決するのが先だ!
「ネジレ!触手を手当たり次第切り落とせ!俺がその隙に本体にデカイのをぶつける!」
ナナシはかつて壊浜でネクサスのメンバーとネームレスで行った作戦を実行しようと、この事態を引き起こした元凶に協力を求める。
感情を滾らせると紅き竜の周辺の空気が揺らめいた。先ほどはとどめを刺すには至らなかった必殺技を再び放つつもりだ!同情の念も抱きながら、黄色く光る二つの眼がナガタだったものに狙いを定める!
「触手か………言われた通り切り落としたぞ」
「はぁ!?何言って………」
ザン!ザン!ザン!ザシュウッ!!!
「――な!?」
適当なことを言っていると思った……だが、それは事実だった。目の前の光景がそれを物語っている。
ナナシガリュウの目に映る無数の触手が一斉に!同時に!切断され、ダンスフロアに力なく転がった。
ナナシは自分の目を信じられなかったが、さらに追い討ちとばかりに、ネジレが耳を疑うようなことを口にする。
「ついでに本体も……というかこの醜悪な化け物のの命を奪っておいたぞ」
「――!?そんなこと……」
ザブシュゥゥッ!!!
「………マジかよ………」
ナガタだったものの本体が十字に切り裂かれ、クラブの壁や床に鮮血を撒き散らす。さっきまで元気に動き回っていた触手を含め、その全ての動作が停止する……絶命したのだ。
ネジレによってこの戦いの意味も理解できずに巻き込まれたナガタは、ネジレによって理性を失い、ネジレによってその命を散らされた。確かに彼は犯罪者だったが、ここまでされる謂われはない。あまりにも残酷で悲惨な最期だった。
「お前の出番はなかったな……いや、そうじゃなきゃダメか……俺は助っ人に、お前を助けに来たんだから……」
「ネジレ……!」
血の匂いが立ち込めるクラブで紅き竜と金色の天使がにらみ合う。ナガタの脅威がなくなったら、当然、次は……。
神凪の守護竜ナナシガリュウはここで眼前の敵との因縁を、愛する我が国を脅かす得体の知れない野望を終わらせるつもりだ。もうすでに準備はできている。先ほどナガタにぶちこむつもりだった必殺技の準備が……。
だが、どうやら世にも美しい金色の機械鎧で完全武装しているネジレはというと、そのつもりは更々ないようだ。
「おっ?……あれは……」
緊迫したナナシを尻目にネジレは何かを発見し、触手や肉片を踏み潰しながら歩き出す。そして、それを拾い上げ……。
「フッ……無事なようだな……よかった、よかった……というわけで……ナナシ!」
ナナシに向かって投げた!
シュッ!
「――!?………これは……?」
ナナシはそれを受け取る。それは、この戦いの始まりとなった招待状と同様の手紙だった。
「これはって……お前はそれを手に入れに来たんだろ?ドクター・クラウチの居場所を」
「あっ……」
完全に忘れていた。ある意味じゃ、ネジレよりも神凪にとっては重要な人物なのに……。それを、長年に渡って国ぐるみで追い続けていた男の存在を見事に失念していた。
「他の奴……ネクサスのメンバーも心配するな。俺と同じようにダブル・フェイスとナンバー……コマチが助けに行ってる」
「コマチと傭兵が!?」
唐突に予想もしていなかった名前を続けて出されて驚きを隠せないナナシ。なぜ彼らとネジレがつながるのか……いや、つながったとしても協力するのか理解できない。
「何で……あいつらが……?」
「何でも何もあいつらは傭兵だぞ?金で雇ったに決まっているだろう」
単純明快で納得のいく答えを提示するネジレ。だが、ナナシの心は晴れなかった。
(傭兵はいい……あいつはそういう奴だ……だが、コマチは……オノゴロでの会話からして、金だけでネジレにつくとは思えない……!何があいつを……いや、やめよう……無闇に詮索するのはコマチに失礼だ……)
ナナシはそれ以上考えるのをやめた。ダブル・フェイスはともかく、彼にとってコマチは尊敬かつ尊重すべき人物なのだ。
「フッ……とりあえず、これで俺の役目は終わったな……」
ネジレは美しいミカエルを脱ぎ、これまた美しい顔を改めて晒したと思ったら、即座に仮面を着け直した。帰り支度をしているのだ。
もちろんそれを何もせず見送るナナシではない。
「このまま帰れると思うか……?ネジレさんよ……」
ナナシガリュウは依然臨戦態勢、むしろテンションはさらに上がっている!全身から熱気とプレッシャーが溢れ出していた。
けれども、殺気立つナナシを見てもネジレは動じない。彼にはわかっていた。ナナシが優先順位をしっかりつけられることを。そして、身の程を弁えていることを。
「思うさ。オノゴロの時と一緒さ。俺に構っている間にドクターに逃げられたらどうする?自慢のブラッドビースト軍団をやられて、焦って逃げ支度をしているかもしれないぞ。もし、取り逃したらまた何年……いや、何十年も手がかりを掴めないかも……まぁ、そんなにかかったらあの爺さんは天寿をまっとうしているだろうがな」
ネジレの言い分は正しい。だが……。
「確かにな……けれど……だとしても、お前を逃がしても厄介なことになるだろうが……!」
口ではそう言うがナナシの胸の奥で心はぐらぐらと揺れている。ドクター・クラウチのことも気になるがそれ以上に……。
ネジレはそのナナシの心を理解して仮面の下で微笑んだ。
「じゃあ、戦うか?俺とミカエルの力を見て勝てると思うならな」
「……ッ!?」
ナナシにはネジレに勝てるビジョンが見えていなかった。ネクサスとネームレスの力を合わせて倒した怪物をたった一人で、ほんの一瞬で、倒したこいつに勝つ方法がまったく思いつかなかった。
「ちっ……わかったよ……今はクラウチのじじいを優先する……」
「賢明だな」
ネジレの予想通りナナシは分別のある人間だった。もちろん彼にとっては苦渋の決断に他ならないのだが……。
ネジレはそんなナナシの悔しさのこもった視線を背中に受けながら再びクラブの出口に歩き出す。
(仕方ない……ネジレのことはいずれネクサスのメンバーと話し合って……)
「あっ!ナナシ・タイラン!」
ナナシが無念さをこらえながら、今後のことを考えようとした時、ネジレが振り返り、声をかけてきた。
「……なんだよ」
「お前に感謝しているのは本当だ。ありがとう……そして、これからも頑張ってくれ」
その言葉に裏があるのはわかっていた。だが、今のナナシにはその真意を知ることも、その思惑を潰すこともできない……。
ただ、今はクラブから出ていくネジレを見送ることしかできないのだった。




