上司
瑞々しい緑の葉っぱをつけた木々に囲まれた広場。そこは神凪の軍が演習などで使う場所だった。
彼も以前に何度か来たことがある。初めての時は頭にバカがつくほど真面目な彼は眉間にシワを寄せ、あまりにも真剣な面持ちでやって来たので、気負い過ぎだと周りの人間にからかわれたりもした。
今、ランボ・ウカタはあの時よりも険しい顔をしている。
「できれば……あんたの顔は二度と顔を見たくなかったよ……『オルソン』……」
空には雲がかかり、月を隠し、闇が地上を支配して、まさしく一寸先も見えない状況でランボはかろうじてお目当ての人物を見つけることができた。
演習場の真ん中に佇むその人影に声をかける。必死に感情を押し殺しながら……。
「私はずっと君に会いたかったよ……ランボ君………」
オルソンと呼ばれた男はランボよりも細く小柄で、失礼だが、どこか卑屈さを感じさせる見た目をしていた。
彼の方も言葉こそ丁寧で礼儀正しいが、その裏にはどす黒い感情が渦巻いている。
「なんてったって、君のおかげで私は囚人になってしまったんだからね」
「オレに当たるのはお門違いだ。あんたが横領なんてするから……自業自得だろ。しかも、それがオレにばれるとその罪をオレに被せて……」
そう、このオルソンこそがランボに濡れ衣を着せ、彼がネクロに協力するきっかけを作った横領上司だった。
ランボは今すぐにでも殴り飛ばしたい衝動を懸命に抑えつける。
「それを言うなら君だってテロリストだろ?おかしいじゃないか?同じ犯罪者なのに君は自由で、私は牢屋の中……不平等だろ?」
オルソンが嫌味ったらしく言うが、実際にその言い分には一理ある。だからこそランボは感情を殺して、彼と話しているのだ。
「……そうだ……あなたの言う通りだ……今のオレにあなたを蔑む資格はない……だからこれ以上、何も言うまい。いや、一つだけ……大人しく従うなら今回の逃亡は罪に問わない……そういうお達しが来ている」
淡々と出来る限り無感情に説明するランボ。一秒でも早く話を切り上げたいのだ。この内に秘めた怒りが爆発する前に……。
「フッ………逃亡の罪には問わないか……違うだろ!そもそも横領もおれの罪じゃない!!!」
落ち着き払っていたオルソンが突如豹変し、声を荒げた!彼の中で溜まっていた鬱憤がランボよりも早く爆発したのだ!
「横領はハザマに命じられたからやっただけだ!ハザマ大統領に!逆らえると思うか!?ただの一介の軍人が大統領様に!?それに今回の件だって勝手にやって来た奴に連れていかれただけだ!逃亡って言うより誘拐だろうが!?」
頭ではなく、心から出た言葉……責任転嫁しているようにも聞こえるが、彼の言う通り同情できる点もある。ランボもそのことはわかっている。
「だから、大人しく投降すれば逃亡したとは判断しないと言っているだろ!それに横領の件に関しては裁判所で情状酌量を訴えればいい!認められる可能性もある!……だが……」
ランボがギュッと拳を握りしめる。オルソンはもう一つの罪には言及しなかった。あえてなのか、それとも罪だとは思ってないのか、どちらにしてもランボはそれが何よりも許せなかった。
「だが、オレに自分の罪を被せたのはお前自身の責任だ!自分の保身のためのな!」
「そ、それは……」
オルソンは思わず口ごもる。それについてはハザマではなく、自分で考え、自分で主導で行ったことだ。
けれど、悲しいかな彼はそのことを反省する道徳心や倫理観を持ち合わせていない。そもそも持っていたら横領にも手を貸していないだろうが。
「あ、あれは仕方なかったんだよ!?おれが失脚したら色々と……軍の運営が立ち行かなくなるし……」
「それはない!断じてない!」
さすがにそこまで断言するのは可哀想に思えるが、オルソンの仕事ぶりを知っている者からするとそう言われても仕方ない。
それだけ彼は軍人として、上司として、人間として酷かったのだ。
「あなたは部下が些細な失敗や、自分が気に食わないことをするといつも言っていたじゃないか、“お前の代わりはいくらでもいるぞ”って!」
「うっ!?」
「下には威張り散らし、上には媚びへつらうあなたを必要としている者など誰もいない!ハザマに選ばれたのも切り捨てやすいからだろ!!」
「ううっ!?」
ボッコボッコ……しかし、ランボの言ったことは全て事実なのがタチが悪い。
(ランボ……そうだ……こいつはこういう奴だった……だからおれはこいつを……!)
沸々とオルソンの胸に怒りの炎が蘇る。二人は当時から折り合いが悪い……というかオルソンを慕っている部下など皆無だった。だが、だからといって上司である彼に反抗する者はいなかった。唯一ランボを除いて。
彼はあくまで個人的感情ではなく軍のためにオルソンを提言していたのだが、オルソンには自分自身を否定されているようで鬱陶しかった。
結局のところオルソンは保身と逆恨みという最低の理由でランボに濡れ衣を着せたのだ。
「もう一度だけ言う!申し開きなら裁判所でやれ!黙って投降しろ!オルソン!」
ランボが最後通牒を突きつける。これ以上話していると、怒りでどうにかなってしまいそうだった。
久しぶりにあった上司はあの時よりも卑屈で勝手で愚かな存在に成り果てていた。そんなどうしようもない奴に自分の人生が狂わされたことが許せなかった。
「わかったよ……ランボ……」
「そうか……」
オルソンの言葉にランボは安堵した。腐っても神凪の軍人、自分の上司の地位まで上り詰めた男だ。最低限の知性と理性は残っていたということだろうと……それが大きな間違いだった。
「わかったよ……おれはお前のことが心底嫌いだってことがなぁ!!!」
オルソンの細く小さな身体がみるみる膨張していく!彼は最終的に悪い意味で感情で物事を考えることしかできない男だった。そして、その感情の中心にあるのは自分の保身と欲望……その障害になるものはどんな手を使っても排除する執念も持ち合わせている。
考えれば考えるほど、上司には向いてない矮小な人物、それがオルソンという人間だ!
「……初めて……あんたに同意する……そして、感謝もする!オレにお前を倒す機会を与えてくれてありがとう!!!」
心のどこかで、ランボはこうなることを望んでいた。今までの言葉に彼らしくない刺が含まれていたのはその気持ちがつい溢れ出てしまったのだろう。きっとこの戦いがどんな結果を迎えてもランボは自己嫌悪に陥るのは間違いない。
結局、向かうベクトルが自分にあるのか、他人にあるのかだけの違いだけで、この二人は目的のためなら時として手を汚すことも厭わないという一番深い根っこの部分では似ているのかもしれない。
「焼き尽くせ!プロトベアー!!」
ドゴォォォォォォン!!
ランボの声とともに現れた深緑の装甲が身体の各部に装着され、手に持った銃や背部から伸びたキャノン砲が一斉に火を噴く!轟音とともに、閃光が発生し、周囲の闇をかき消した!
この爆発とともにオルソンも、ランボの心の奥に潜む恨みも吹き飛んでくれればよかったのだが……そうはうまくはいかない。
「キシャアァッ!!!」
ガリッ!
「ちっ!?」
灰色の煙をかき分け、変身を完了したオルソンがプロトベアーに襲いかかる!
彼の心とは真逆に余計なものを削ぎ落としたような美しいフォルム……その姿はまるで古代にいた豹という獣のようで、凄まじい脚力から生み出されるこれまた凄まじいスピードで一気にプロトベアーの懐に入り、鋭い爪で深緑の装甲に傷をつけていった!
「速いな………だったらぁ!!」
バババババババババババババババッ!!!
プロトベアーはマシンガンを乱射する!獣人と化したオルソンのスピードに対応するにはこれが、数で押し切るのが一番手っ取り早いと判断したのだ!
しかし、彼の上司は彼の予想を越える能力を発揮する!
「見える!見えるぞ!ランボォ!!」
オルソンの鋭さを増した目は高速で自分に向かってくる無数の弾丸を全て捉え、さらにその身に宿った抜群の反射神経で全て回避した!
「もう一丁!」
ガリッ!
「くそッ!?やはり速い!ちくしょうめ!」
再び接近を許し、攻撃を受けた。反撃のパンチをお見舞いしようとしても、そう思っている間に遥か彼方に移動している。
(……アイム並みの動体視力とアジリティ……厄介だな……臆病さもアイム以上なのが余計にタチが悪い……!)
オルソンの戦闘スタイルはアイムに近いものがあったが、彼女が格闘家として果敢にインファイトを仕掛けてくるのに対し、オルソンはヒット&アウェイに徹し、リスクを最小限に抑えていた。ランボとプロトベアーからしたら、そちらの方が対応しづらい。
(マシンガンが避けられるなら、大砲も当たらないだろう……接近戦でカウンターを狙うのも難しい……そもそも、こちらの手の内は全て把握しているはず……そういう慎重さだけは昔からあったからな……)
オルソンという男は主に上へのおべっかやハザマの威光を利用して成り上がった人物ではあるのだが、それでも腐っても軍人、最低限の戦闘訓練を受け、最低限の軍略なども身につけている。模擬戦においては自身の長所を生かし、敵の短所をつくシンプルかつ効果的な方法で成果を上げることもあった。
「はっ!戦いっていうのはなぁ!戦う前にどれだけ準備できたかで決まるんだよ!ランボ!!」
オルソンが得意げにランボにレクチャーする。すぐに調子に乗るのが、数ある彼の短所の一つだ。
そしてもう一つ、相手の立場に立って考えられない、自分がそうしたようにランボも彼のことを理解し、対策を練っている可能性を失念していることも彼の欠点と言っていいだろう。
「お前の意見にまた同意することになるとは……」
「何……?」
「見せてやろう!こっちの準備も!」
「――ジャンプ!?何をするつもりだ!?」
プロトベアーはその鈍重な見た目に反した大きな跳躍をする!オルソンはブラッドビーストになって強化された目でそれを追い続ける。
(何を考えているかわからないが、不用意な跳躍など、今のスピードを得たおれのカモでしかない……着地の隙をついてやるよ!!)
オルソンは彼の準備の中には含まれていないプロトベアーの動きに一瞬動揺するが、すぐに落ち着きを取り戻した。実際、プロトベアーの機動力ではジャンプしたところで、としか言いようがない。
彼は上空の獲物を睨み付け、自らの餌食になるために降りてくるのを待ち受ける……。
(さぁ……降りて来い!そのまま地獄まで叩き落としてやる!)
待ち受ける……。
(さぁ………………)
待ち…………。
「全然!落ちて来ねぇ!?」
混乱するオルソン!プロトベアーは上空にとどまったまま、一向に落ちて来ない!もちろん彼の事前のシミュレーションでもそんな事態は想定していない。そして今現実で、目の前で何が起こっているのかもまったく理解できない。
その時、雲に隠れていた月が久しぶりに顔を出し、その異常事態の原因を月光が照らし出す。
「――ッ!?なんだ……?何かが光って……?あいつの後ろか!?」
何かが月の光を反射し、その光がオルソンの目を刺激した。そして、それがプロトベアーの背後から放たれていることに気付いた。
「……銀……?銀色の翼……!?」
いつの間にか銀色の翼がプロトベアーから生えている!その翼が彼を空中に浮かせているのだ!
「まったく……AIづかいの荒い奴め。一つ貸しだからな」
プロトベアーの背後からランボとは違う声が聞こえる。オルソンには聞き覚えのない不気味な声だが、ランボにとっては生意気で傲慢だが頼もしくて仕方ない仲間の声だ。
「あぁ、わかってる……だが、まずはあいつを倒してからだ!行くぞ!シルバーウイング!上には上が、お前の方が速いってことを教えてやろう!!」




