格闘家
「ハアァッ!!!」
「ウラァッ!!!」
ガギン!!!
空中で黄色い姿をした両者の蹴りがぶつかり合う!反動でお互いよろめくが、すぐに体勢を立て直し、今度はパンチを繰り出す!
「せいッ!!!」
「ラァッ!!!」
ガン!!!
「くっ!?」
「この!?」
またも拳同士が激突し、お互いに吹き飛ばされ、ジャガンは近くの宙に浮いている椅子に着地し、イザベラは少し後退し、空中で停止する。そして二人同時に息を思いっきり吐き、そして思いっきり吸う!
呼吸を整え終わるとジャガンはまた空中に飛び出し、イザベラもそんなジャガンに向けて突進する!
「まだまだぁ!!!」
「もう一丁!!!」
ガァン!!!
「………いつまでやるんだ……あれ……」
激戦を繰り広げる彼女達の下、誰もいないリングの横でこのビッグマッチのただ一人の観客であるユウは先ほどから延々と同じことを繰り返している二人を見上げながら呆れていた。
「正直、これ結構疲れるし、首も痛くなってきたんだけど……」
無数の瓦礫を浮かせているのも決して楽じゃない。首は言わずもがな……というか、別に上を向かなければいけないわけではないから、それはやめればいいだけなのだが……そこはやはり、同じネクサスの仲間、口ではのんきなことを言っても、心の中では心配していて目が離せないのだろう。
「とっとと、そんな奴倒しちゃってよ……アイムさん……」
彼の願いが天に届いたのかどうかは定かではないが、決着はすぐそこまで迫っていた……。
「でいやぁっ!!!」
「ふんッ!!!」
ガギン!!!
もはや何度目かわからない拳の衝突。そしてまた距離を取り、次の攻撃に備える。けれど、今回は少し違っていた。
ユウ同様、この攻防に飽き始めている者が一人……イザベラである。
(いつまでもこんなことやってられるか!……っていうか、何で空中戦であいつとあたしが拮抗しているんだよ!!)
彼女は本来有利なはずの自分が決め手を欠いて、ここまで戦いがもつれ込んでいることに強い苛立ちを覚え始めていた。
(もう我慢ならない!次で決めてやる!使う気はなかったけど“あれ”で仕留めてやる!!)
彼女はついに切り札を切る決断をした!それは彼女の中の格闘家としての最後のプライドが消え去ったことも意味している。
「行くぞ!!!アイム!!!」
「――!?……なんだかわからんが、受けて立つ!イザベラ!!!」
今までと違う雰囲気を醸し出すイザベラにアイムも気付くが、彼女はそれを感じたところで怯んだり、臆したりするような人間じゃない!むしろ、何か企てているならその企てごと叩き潰してやると考える剛の者だ!……良くも悪くも。
いや、今回は良くはない。結果論だが、悪い部分が出た、悪いということになってしまったというべきか……。
「ハアァッ!!!」
「オラァッ!!!」
ガン!!!
意気込みとは裏腹に、さっきと比べて特に何の変化もない激突……かに見えた。
ザシュッ!!!
「――!?」
「はっ!やってやったぜ!」
アイムは何か妙な音を聞いた。それが自分の脚を貫かれた音だと気付くのにさして時間はかからなかった……何故なら激痛が身体をかけ巡ったからだ!
「――痛ッ!?……イザベラ……!?あんた!?」
体勢を崩し、落下するアイムが見たのはイザベラのパンチを放った手とは逆の手、その甲から飛び出している長い針のようなもの……。その表面には真っ赤な血が滴っている。
それが自分の血であることを、敵から遠ざかりながらアイムは理解した。
「アイムさん!?」
ユウは赤い線を引きながら落下するジャガンを念動力で受け止め、そっとリングの上に降ろした。
「大丈夫ですか!?」
リングで倒れるアイムにリング横から声をかけるユウの姿はまるでセコンドのようだった。そのセコンドに屈辱にまみれるファイターが答える。
「大丈夫……じゃないな……」
強がりを言いたいところだが、百人が見たら、百人が致命的と判断するであろう自らの姿を省みて、アイムはピンチであることを認める。
「……よりによって脚を……いや、相手からしたら当然か……わたしから機動力を奪うのは……この状況なら尚更……」
最大の武器であり、彼女の戦いの生命線が今、絶たれた。
ただでさえ、今回の戦いでは瓦礫を飛び移る三次元的機動が必要なのに、それが不可能になったということは、勝敗が決した、決してしまったということである。
「まさか………まさか!武器を隠し持っていたとはな!!」
アイムは未だ立ち上がれずにいる自分を、上空から見下ろすイザベラに非難の言葉を投げかける。
だが、当のイザベラの方はというとまったく悪びれる様子はない。
「ふん!武器だぁ!?これはあたしの一部だ!ブラッドビーストになったら生えてきたんだよ!っていうか、それを言うならお前のピースプレイヤーも武器だろうが!」
「――ッ!?でも!だったら、ブラッドビーストもドーピングになるんじゃないか!?」
「そうだな!お互い反則しているってことで、イーブンだな!!」
「くっ!?」
舌戦もイザベラの方が優勢だった。確かに、かつてアイムたちが行っていた生身の格闘技の試合だったら、ピースプレイヤーの使用は間違いなく反則だろう。そして、ブラッドビーストもドーピングの範疇に入る。お互いに相手を非難できる立場にないのだ。
結果、言いくるめられたアイムはさらに悔しさと無力感を増幅させただけだった。
「……あの時から……ナナシと戦った時から……わたしは何も変わっていないのか……!プロの格闘家ではあっても……プロの戦士ではないのか……!」
アイムは穴が開いた自分の脚を見ていると、嫌な記憶が蘇ってくる。
以前、ナナシに言われたことがずっとアイムの心に引っかかっていた。これは実戦だと、試合ではないと……。そして、今あの時と同じく格闘家としての常識に縛られた結果、予想外の攻撃に対応できず、自慢の脚を貫かれてしまうミスを犯した。
同じ失態を二度も繰り返してしまったこと、それが彼女の心を折ろうとしていた……。
「違うよ!アイムさん!」
「――!?ユウ………?」
心の中でギブアップという単語が浮かんだその瞬間、小さなセコンドが声をかけた!
その眼差しは力強く弱ったアイムを無言で叱咤している。
「違う……って……確かに、格闘家として戦い続けたわたしは間違っていたのかも……」
「だから!それが間違っているんだって!」
「……えっ?」
アイムにはユウの言葉の意味がまったく理解できなかった。それはそうだ、彼が彼女に言おうとしていることは、今の彼女の考えを真っ向から否定し、同時に今の彼女の全てを肯定することだからだ。
アイムが全力で自分自身を変えようとした結果、見失ってしまったもの……それを伝えようとしているのだ。
「アイムさん……確かにピースプレイヤーの戦いは、実戦は格闘家としての経験や知識だけで、対応できないこともある……だから、それに対抗できるように、負けないように努力し、変わろうとすることは大事だ……でも……でも、それは格闘家アイム・イラブを否定することじゃない!」
「!?」
そう、アイムはいつの間にか過去の自分を否定していた。ネクロ事変のこともあったからであろうが、彼女は変わろうとするあまり、今までの自分を卑下し、無下にしていたのである。
「格闘技の常識じゃ通用しないこともあるけど、格闘技を……リングの上で戦い続けたあなただから見える光もあるはずだ!僕も!ネクサスのみんなも!それに期待しているんだ!だから!過去を!今までの自分を否定しちゃダメだ!!」
「ユウ………」
ユウはまるで自分に言い聞かせているようだった……いや、そうなんだろう。
彼も壊浜の件で色々と考え、今のアイムのように自己を否定したりもした。だが、それではダメだと、彼なりの答えを必死につむぎ出したのだ。
「フッ……年下のあんたに教えられるとはね……」
「アイムさん!」
アイムは脚を震わせながらリングの上で立ち上がった!彼女の心はネクロ事変以降で一番、いや、生まれてから一番、燃え滾っている!
(わたしは情けないよ……こんな簡単なことにも気付かないなんて……そして、誇らしい、それを気付かせてくれる仲間ができたことを……!)
アイムの感情がジャガンに伝わり、力に変わる!しかし、ガリュウと違い、ダメージが回復するわけではない。あれはガリュウ固有の能力……怪我をなんとかしなければいけない状況は未だ変わっていないのだ。
「ユウ……」
「はい!」
「三分だ……三分であいつを倒せなかったら、タオルを投げろ……」
「はい……」
タオルを投げろ……つまり、あと三分間が限界、そのたった三分をイザベラが耐えたら、自身の敗北を認めるということをアイムはユウに言っているのである。
アイムは痛みをこらえ、両足に……もちろん獣人に貫かれた脚にも、激痛に耐えながら力を込めていく。
「では………行ってくる!!」
決意の咆哮と共にジャガンはダメージなど感じさせない軽快な動きで瓦礫に飛び移り、待ち構えるイザベラの下へかけ上がって行く!
「ふん!そんな身体で何ができる!!!」
イザベラは手の甲から針を伸ばす!どうやら一度使ったら、躊躇する心もなくなったようだ。その針は満身創痍のジャガンなど、あっさり捉える……はずであった。
「同じ攻撃!二度も食らうか!」
だが、ジャガンは針を紙一重で避け、イザベラの周囲を猛スピードで回り出す!
「な、なんでだ!?脚に穴開けてやったのになんで!?さっきまでと同じように……いや、さっきより速く動ける!!!」
イザベラは戸惑いを隠し切れない。怪我を負った相手のスピードが落ちるどころか、増している!彼女の長いキャリアの中でもそんな相手は初めてだった。
理由としては至極単純で、特級ピースプレイヤーであるジャガンが、装着者であるアイムの感情を力に変換しているからではあるが、そんな規格外のマシンの知識など持っていない格闘家であるイザベラには凄まじい執念がアイムを自分以上の化け物に変えたように思えて、背筋が凍った。もちろんアイムは人間のまま、怪我も治ってはいない。そのことをイザベラが冷静になって思い出したら、いくらでも打つ手はある……。
だから、アイムは獣人が混乱している間に一気に決着をつけなければいけなかったのだ。
(ユウにはカッコつけて三分って言っちゃったけど、多分一分も持たない……様子を見ている暇なんてない!)
覚悟を決めたアイムが歯を食い縛り、固く拳を握りしめ、痛みに耐え、力いっぱい足で瓦礫を蹴り、イザベラに向かって飛んで行く!
「ちぃっ!?もうお前は終わったんだよ!」
こちらへ弾丸のように突っ込んでくるジャガンを針を伸ばして迎撃するイザベラ!
「だから!二度と食らわないとさっき言っただろうがぁ!!!」
しかし、針はジャガンの耳元を横切り、虚しく通過して行く。そして、ついにジャガンの射程距離にイザベラが入った!
「この一撃に!全てをかける!!!」
ジャガンが全力で拳を振り抜き、イザベラの顔面を砕く!……はずだった。
スッ………
「!?」
「あたしも言ったよな………あんたは終わってるって!」
イザベラは拳が当たる直前で横に移動し、攻撃を回避した。自由に飛べる彼女からしたら、当然のこと。だが、今まで、散々ジャガンとやり合いながらも一度も相手の攻撃を避けるような真似はしなかった。それは彼女の最後のプライドか、こういう場面を想定して、隠していたのかは定かではない。
ただ、確かなのは今、この瞬間イザベラは自身の勝利を確信したことだ!
「落ちろ!アイム・イラブ!!!」
イザベラが空中で無防備になったジャガンに殴りかかった!とどめに拳を選んだのは格闘家としての意地だろう!
さっきとは逆にイザベラの拳がジャガンの顔面に襲いかかる!
「まだだ!そうだろ!ジャガン!!」
グン!
「……はぁ!?」
先ほどのお返し……というわけではない……アイム自身もそんなことできると思っていなかったし、どうやったかもわからない。
ただ事実として、ジャガンはイザベラがやったように空中を動き攻撃を回避した!
「イザベラぁ!!!」
「ぐぅ!?」
そのままがら空きのイザベラの顎に再び拳を向かわせる!予想外の反撃にイザベラの反応も遅れる!
「オラァッ!!!」
スカッ………
「はっ!?脅かしやがって……」
遅れはしたが、間に合わないほどではなかった。ジャガンの拳はイザベラの顎を僅かに掠めただけ……起死回生の一撃をかわされたジャガンはまた真下のリングに落ちていくしかなかった。
「アイムさん!」
ユウが約一分前にやったように、落ちてきたジャガンを念動力で受け止め、そっとリングに降ろした。
彼の目には悲しみが滲んでいた。仲間が、アイムが負けたと思っているのだ。
イザベラもそうだ、自分が勝ったと信じている。
この場で唯一アイムがすでに勝利を手にしていることに気づいているのは、他ならないアイム自身だけだった。
「大丈夫だ、ユウ……今度は本当に……」
「アイムさん……?」
「正直、半信半疑……確信なんてなかったけど、当たった瞬間わかった……わたしの、わたし達の勝ちだ!!!」
「それって一体…………」
ドスン!!!
「!?」
「ほらね」
突然、大きな音とともにリングが揺れた!一瞬、ユウは自分が念動力で浮かしている瓦礫が落ちたのかと思ったが、その目に映ったのはイザベラ……ふらふらと立とうとするが立てずにいるイザベラだった!
「「なんで……?」」
敵同士のユウとイザベラが同時にハモりながら疑問を口にする。
ジャガンはそんな頭に?マークを大量に浮かべているユウに背を向け、落ちてきたイザベラにゆっくりと近寄りながら今、彼女の身に起きていることを説明する。
「ユウ……あんたのおかげだ……あんたのおかげで思い出せた……!わたしが格闘家だってことを……!そして、考えた……格闘家としてこいつに勝つ方法を……!」
ジャガンは勝利を噛みしめるようにイザベラの周りを歩き、背後を取る。
「で、以前に練習で顎にパンチがかすって、軽い脳震盪を起こしたことも思い出した……それがこいつにも……ブラッドビーストにも通用するんじゃないかって……元々人間、半分は人間……羽が生えて、針が生えても基本の構造は一緒なのかも……結果はこの通り……!」
「ぐぅ!?」
ジャガンは背後からイザベラの首に腕を回す。所謂チョークスリーパーだ!
「さっきのも効いたんなら、これも効くよなぁ!!!」
「ぐぅ!?……ガッ!?……あぁッ!?」
酸素が!血流が!脳に届けなければいけないものがジャガンの腕によって塞き止められる。
イザベラは身体を必死にじたばたさせ、脱出を試みるがジャガンはびくともしない。ただでさえここまで完璧に極っていれば、どうすることもできないのに、今のイザベラはさらに脳震盪で身体に力が入らない最悪のコンディションなのだから。
アイムの宣言通り、あのパンチが顎にかすった時にこの勝敗は決していたのだ。
「……ッ!?……ぐ……あ……………」
イザベラの動きが完全に停止する。意識が深い闇の底に沈んだのだ。
「終わったか…………ッ!?安心したら……急に痛くなってきたな………」
興奮状態で大量に分泌したアドレナリンが忘れさせてくれていた痛みが蘇る。けど、もういい。もう終わったのだから……。
「アイムさん!」
ユウがリングの上に上がってきた。その表情はさっきまでとは打って変わって晴れやかだ。
「タオル………必要なかったですね」
ユウが親指を立て、誇り高き勝者を称える。
「フッ……それもこれも、あんたのおかげさ。名セコンド……!」
お返しにと、アイムも親指を立て、小さな名伯楽を称えた。




