チャンピオン
「……思ったより、ちゃんとしているな……」
アイムがその場所を見て感じた第一印象がそれだった。
そこは吹き抜けになっている二階建ての建物で、廃墟と言って差し支えないぐらいの小汚ない場所であった。とてもじゃないがちゃんとはしていない。もとよりアイムがそう評したのはこの建物のことではない。
建物内の中心、二階にいる人からも良く見えるように設置されたこの場に似つかわしくない小綺麗で立派なリングを指して、言ったのである。
「思ったよりねぇ……ふん!表舞台で活躍するあんたにはそうなんだろうね……!」
そのリングの上、ロープにもたれながら女はアイムに話しかけた。女はかなりの大柄かつ筋骨隆々で、格闘家というより、陸上選手や球技をやっているように見えるスレンダーなアイムとは対照的に、これぞ格闘家!格闘技やってます!というようなあからさまな体型をしている。
そして、実際に彼女は格闘家だ。
「堕ちるとこまで堕ちたな……『イザベラ』……」
名前を知っていることから、イザベラとアイムが面識があることがわかる……というより、神凪で格闘技ファンを公言する者なら彼女達の因縁を知っている者も多いだろう。
「堕ちたか……デビューまもなく、チャンピオンを倒して、スターダムを駆け上がったあんたらしい上から目線だね!」
ロープから離れ、言葉とは真逆にリングの上からアイムを睨み付けるイザベラ……。その顔は憤怒と怨嗟で塗り固められている。
そのほの暗い感情を向けられている当のアイムは涼しい顔をしている。彼女に対して、後ろめたいことなどないのだ。
「お互い様だろ。そっちだって、勢いに乗る新人を華々しく倒して、落ちてきた人気を取り戻そうとしたんだろうが」
「ぐっ!?」
イザベラは言い返せなかった。
アイムの言う通り、当時の試合が成立した背景には、チャンピオンを倒して更なる注目とファイトマネーを得ようとする新人のアイムと、人気に陰りが見え始めたチャンピオンのイザベラ、双方の利害が一致した結果であり、アイムだけが一方的に利益を得たわけではない。
「ましてや、あんたが勝負に負けたのはわたしより弱かったから……わたしを責めるのは筋違いだ」
「この……」
「更に言うと、その後スランプに陥って、連戦連敗……まったく勝てなくなったのも、挙げ句の果てに、地下に潜って違法な賭け試合を生業にするようになったのも、わたしとは関係ない……!」
堰を切ったように口から言葉が絶え間なく溢れ出るアイム……。口では関係ないと言っていたが、彼女なりにイザベラのその後は思うところがあったのだろう。
「今でも鮮明に覚えているよ……あんたが逮捕された日のことを………」
「そうさ!警察のガサ入れがあったあの日、勢い余って一人の警察官を殺しちまって、今やあたしは犯罪者さ!!」
「それもわたしには関係ない!」
まさに栄光からの転落、汚れたチャンピオン……イザベラはそのやり場のない怒りを、彼女の中では全てのきっかけになったアイムにぶつけようとしている。
当たり前だが、そんな八つ当たり、アイムからしたらたまったもんじゃない。
「イザベラ……もう一度言う……あんたがそうなったのはわたしのせいじゃない。あんた自身の責任だ!」
転落したチャンピオンを更に突き放すアイム……きっとほんの少し前の彼女だったら、そこで終わっていただろう。だが、今の彼女は違う。堕ちる人間の気持ちもよくわかるのだ。
「けど……関係ないけど……今のわたしにあんたを責める資格もない……だから!ここで大人しくこちらに従ってくれるなら、悪いようにはしない……刑務所に戻って罪を償うんだ!」
今の、ネクロ事変を経験したアイムは自分を逆恨みする哀れで愚かな元チャンピオンに手を差し伸べた。彼女を救うことが彼女なりの贖罪だと思っているのかもしれない。
「ふん!誰があんなところに!あたしは誰にも縛られない!止められない!それがチャンピオンって奴だろう!!」
歪んだチャンピオン観を持っているから、こうなってしまったのか、チャンピオンになったから歪んでしまったのかはわからない……。ただ確かなのは今、アイムとイザベラ、因縁の再戦のゴングが鳴らされたということだ!
「やはり………そうなるかッ!イザベラぁ!!!」
一週間前、イザベラの顔をフェリチタで見た時からこうなることは予感していた。彼女なら自分の助けなど拒絶するだろうと……だから、落ち込みもしないし、迷いもしない!
「蹴散らすぞ!ジャガン!!」
アイムはリングに向かって走り出し、跳躍!光と黄色い装甲、彼女の愛機ジャガンを纏いながら、華麗に、そしてド派手にリングイン!
その勢いのまま、挨拶代わりに飛び蹴りを放つ!
ガァン!
建物内に硬いものがぶつかり合ったような音が響く!いや、硬いもの同士がぶつかり合ったのだ!
「……なんだ……初めて戦ったが……ピースプレイヤーってのは、大したことないなぁ!!」
ジャガンの蹴りをブラッドビーストに変身したイザベラが片腕で、軽く受け止める!
皮肉にもその身体はジャガンと同じく黄色とそして黒色で彩られており、その周囲に警告を促しているような外骨格は古代に存在した蜂を彷彿とさせた。
「ふん!」
攻撃を防がれたジャガンは空中でくるりと回転しながら、リングに降り立った。
「わたしもブラッドビーストと戦うのは初めてだ……!」
ジャガンはリングの感触を確かめるようにぴょんぴょんと跳びながら、イザベラとの間合いを測る。
片やイザベラは久々のリングに、因縁の相手と、滾る条件が揃っているのに我慢などできるはずもなく……。
「なんだよ………チャンピオンらしく、先手を譲ってやったのに……もう終わりかよ!!」
イザベラの拳が最短距離、最高速度でジャガンに迫る!
「その程度!」
「まだまだぁ!!」
ジャガンは避けるが、すぐに二擊目が来る!
ガァン!
「――ッ!?重いな……思っているよりもずっと……!」
ジャガンはイザベラのパンチをガードするが、その威力が想定を上回っていると感じた。ベースにあるのは過去の試合の記憶であり、イザベラはブラッドビーストになっているからパワーも上がっているのは当然のことなのだが、それを言うならアイムも今はジャガンを装着している。むしろ、彼女は自分の方が有利で優れていると思っているから、そう評したのだ。
別に過去に一度勝っているから思い上がってるわけではない。仲間にある話を聞いたからだ。
(昔はともかく、今はブラッドビーストがピースプレイヤーに勝っているところなどないと聞いていたが……これは油断できないな……!っていうか、ナナシとランボも当てにならないな!嘘つきどもが!!)
アイムはナナシやランボに聞いた話と今、自分が体感していることにズレを感じた。
そのズレは製造コストや安全性、兵器としての信頼性のことを語っているナナシ達と、あくまで戦闘能力のことしか考えていないアイムという意識のすれ違いから生じたものだが、彼女がそんなことに気付くはずもなく、心の中で彼らを罵倒する。
「ハハハッ!すげぇだろ!このパワー!存分に、嫌というほど味あわせてやるよ!」
イザベラはアイムの反応に気分を良くし、一気にギアを上げた!パンチとキックを上下左右に絶え間なく打ち続ける!素人目から見ると荒々しく、力任せの攻撃に見えるだろうが、目の肥えた者からすると、そのラッシュは理にかなった緻密で計算された美しささえ感じる代物だった。
さすがはチャンピオンの座まで上り詰めた者と言ったところだが、相手もただ者ではない。ましてや、イザベラが刑務所にいる間に、ナナシやシルバーウイングと激闘を繰り広げ、現在進行形で格闘家としてはもちろん、ピースプレイヤー装着者として急成長中のアイムである。
イザベラの暴風雨のような攻撃も当時よりも洗練された体さばきと、当時から抜きん出ていた目の良さで冷静かつ的確に捌いていく。
「確かに……パワーとスピードは上がったみたいだが、技術は前に戦った時よりも落ちてるんじゃないか……?」
「ぐっ!?この!生意気なんだよ!!!」
軽くあしらわれ、それに激昂するイザベラ……そこに王者の威厳はない。
盛者必衰、世代交代はどんなものにも訪れる。あの時のアイムとイザベラの試合はまさにそれを象徴していた。もちろん、そのことを簡単に受け入れられないのはわかるし、それに抗おうと必死に足掻くのも悪いことではない。実際、努力の末カムバックしたり、年を重ねてから第二の全盛期と呼ばれるほどの活躍を見せるスポーツ選手もいる。ただし、それが実現できるのは正しい道を歩いた者だけだ。その道も人によって違うが、イザベラに関しては間違いなく、間違っていた。
彼女は自分の状況に目を背け、他人に当たることしかできなかった……今もそうだ。
一方のアイムは罪を犯しても、それに目を逸らさず向き合えている。その差がリングの上でわかりやすく現れていた。
「ちょこまかと!鬱陶しいんだよ!!」
ブゥン!!!
「この……!?」
イザベラのアッパーカットが空を切る!苛立ちが募り、つい攻撃が大振りになってしまったのだ 。先ほどまでの教科書に載っているお手本のようなフォームとはかけ離れた不恰好な姿……。
そんな惨めな元王者の隙を見逃すようなアイムじゃない!
「やはり………弱くなってるよ!あんた!!」
ガァン!!!
「ぐはっ!?」
ジャガンの回し蹴りが、がら空きのイザベラの腹部にヒットし、その巨体が吹っ飛ぶ!ロープに助けられ、リングアウトは免れたが、イザベラのプライドはボロボロだ!
「……硬い……まるでピースプレイヤーを蹴ったみたいだ……耐久力は上がっているか……!」
その足に伝わる感触から、イザベラの皮膚がもはや人間のものとは別物になっていると理解する。けれども、そんな人ならざる者を前にしても、アイムの心は動じない……いや、むしろ高揚している。
(そんな場合じゃないってわかってるけど、こうやってリングの上で戦っていると、格闘技の試合をやっているようで、否応なしに気分が盛り上がってしまう!しかも、相手はプロの格闘家……元とは言えチャンピオンならば尚更だ!)
格闘技としては反則、禁じ手を連発したナナシや、イザベラ以上の、というか正真正銘の人外であるシルバーウイングと戦ってきたアイムにとって、多少固いぐらいで、戦い方は正統派の徒手空拳でやり合ってくれるイザベラとの戦闘は楽しささえ覚えた。しかし、そんな楽しい時間はすぐに終わってしまう。
その姿同様、イザベラの心も変わり果てていた。今の彼女には格闘家のプライドよりも、形振り構わず復讐を遂行することが最優先なのだ。
「舐めやがって………こんな姿になって身体能力が上がっただけだと思ってんのか!?こういうこともできるんだよ!!」
イザベラの背中から薄い半透明の羽が四枚生えるとそれがアイムの動体視力で捉えられないほどの、文字通り目にも止まらぬスピードで羽ばたく!
そして、そのままイザベラの巨体が宙に浮かぶ!
ブゥン……
「ハハハッ!どうだ!アイム!これがあたしの新しい力だ!」
イザベラの興奮した声が建物中に響き渡る!一方、それを見つめるアイムの心は先ほどまでの高揚感が嘘のようにみるみる冷めていく。
「……またかよ……はぁ……」
アイムは深いため息をついた……。
空を飛べる相手とは二回目。驚きもしないし、恐れもしない。ただただ失望する。
「久しぶりに……ちゃんとした殴り合い……ちゃんとした格闘技ができると思ったのに………」
端から見ても、モチベーションが下がっているのがわかるほどの落ち込みよう。それほどアイムは期待していたのであるイザベラという格闘家に……そのプライドに……。
「……本当にただの犯罪者に成り下がってしまったんだな……仮に戦いになっても決着は格闘技で……わたしはそう思っていたし、イザベラ……あんたもそう思っていると信じていた……どうやら勘違いだったようだね……」
もう一度、深いため息をつくアイム……。その言葉の裏にはチャンピオンにまで上り詰めた格闘家であるイザベラに対するリスペクトがあるのだが、嫉妬と妬みで歪んでしまったイザベラにとっては挑発とさして変わらなかった。
「勝手な……勝手なことを!わたしがこうなったのは!お前のせいだろうが!!!」
怒りを爆発させたイザベラは二階から一階に急降下!格闘技の試合ではあり得ない角度からパンチが飛んで来る!
「だから……見飽きてんだよ!しかも!シルバーウイングより遅いじゃないか!!」
イザベラは速い!……確かに速いが、あの時のシルバーウイングほどではなかった。当然、あの生意気で傲慢でスピード自慢のAIにカウンターを合わせられたアイムにとって、対処できない速度ではない。
「これで……KOだ!!」
イザベラの進行ルートに拳を置く。予想通りにいけば、その拳に勝手にイザベラが突っ込んで、この勝負は終わるはずだった……悲しいかな、そうはならなかったが。
「誰が遅いって!?」
フッ……
「何!?」
イザベラは拳にぶつかる直前、軌道を変え、ジャガンの横に回り込む!
「誰がKOだって!!!」
ガァン!!!
「ぐっ!?」
そのまま蹴りを放つ!……が、驚異的な反射神経と身体能力でジャガンはかろうじてガードに成功する!けれども、威力は殺し切れず、先ほどとは逆に自身がロープに叩きつけられる!
「ざまぁねぇな!アイム!油断してるから、そうなるんだよ!」
ようやく有効打を与えたイザベラが再び上昇しながら、アイムを貶す!アイムに負けたあの日から今日まで、夢にまで見た光景が目の前に広がっているのだ。嬉しくって仕方ない!
「……その言葉……甘んじて受け入れよう……」
アイムは唇を噛み締める。イザベラの指摘通り、自分でもみっともないとしか思えない不手際だった。
(トップスピードはそれほどでもない……だが、わたしは奴を捉えられなかった……!つまり、奴の速さの真骨頂は最高速よりも、小回りにある!気付こうと思えば、気付けた……そもそも集中できていたら、ガードじゃなく、回避できたはずだ!)
彼女の推察通り、イザベラのトップスピードはシルバーウイングには僅かに及ばない。その代わり彼女の旋回性能は最新鋭のマシンすら凌駕していた。だとしても、今のアイムとジャガンの組み合わせなら対応できるレベルでしかない。だからこそ彼女は自分自身が許せないのである。
「今ので目が覚めたよ……これは格闘技の試合ではないんだよな……そうだ……わたしは散々、それをあいつらに教えられたんだ……」
「はぁ?急にどうした?イカれちまったのか?」
「逆だよ……冷静になったんだ……ここからは格闘家アイムじゃなく、ネクサスのアイムとしてやらせてもらう!」
かつてナナシ・タイランにそう言われ、痛い目を見させられた……。人間ではないシルバーウイングの戦いに翻弄された……。
その苦い経験が、あの時感じた悔しさが、戦士としてのアイムを大きく成長させていた!
「ユウ!!」
「はい!」
アイムが叫ぶと、場違いに思える少年が建物内に入って来た!彼はずっと外でこの戦いを見守り、いつ呼ばれてもいいように待機していたのだ!
「仲間だと!?卑怯な!」
「安心しろ!戦うのは今まで通りわたし一人だ!」
「何!?」
アイムを非難するイザベラ。しかし、アイムはすぐに否定した。彼女はあくまで一対一の戦いを生業とする格闘家、ましてやリングのあるこの場所でそれに反することをするつもりはない。
「ユウ!頼んだぞ!」
「頼まれました!はっ!!!」
ユウは返事をすると同時に両手を広げた。すると、建物内の瓦礫や、観覧のために置いてあった椅子が続々と宙に浮かび上がった!
「ど、どうなってんだ!?こりゃ!?」
イザベラはその光景が信じられなかった。自分の周囲を漂う瓦礫を不思議なものを見るような目で見渡す。まぁ、ユウを、ストーンソーサラーを知らない人間からしたら確かに不思議でしかたないのだが……。
そんな夢を見ているような錯覚に陥ってる彼女を憎き格闘娘が現実に引き戻す!
「呆けてる場合じゃないぞ!イザベラ!」
「な!?」
ガン!
「ぐうぅっ!!?」
ジャガンの蹴りをイザベラが咄嗟にガードする。もしアイムが声をかけなければ、きれいにヒットして決着がついていたかもしれないが、彼女はそれをよしとするタイプではない。だからこそ、あえて声をかけたのだ。
ジャガンは攻撃を防がれた反動で、くるくると回転しながら、瓦礫に着地した……そう、宙を漂う瓦礫に。
「おま!?……そういうことか……」
イザベラは察する。この奇妙な光景を作り出した意味を………。
「そういうことだ。これはわたしの足場だ。ほんの少し前にあんたと同じく空を飛べる奴と戦って、苦労してね……だから、次に同じような奴と戦う時の対抗策を考えておいたんだ!まさか、こんな早く使うことになるとは思わなかったけど………」
宙に浮く瓦礫はジャガンの足場、新たなバトルフィールドだった。これなら空中の相手に対応できつつ、ジャガンの機動力も活かせる。まさにアイム・イラブ渾身の策だった!
(なんか、アイムさん、自分で考えたみたいに言ってるけど、発案者は僕なんだけどなぁ……)
訂正!ユウ・メディク渾身の策だった!
「ふん!こんな小細工したところで、自由に飛べるあたしに勝てるはずないだろうが!!」
イザベラはこの空飛ぶ瓦礫の種はいまだにわかっていないが、意図がわかったことで落ち着きを取り戻す。それに彼女の言葉通り有利不利が逆転したわけではない。アイムもそれは承知の上だ。
「あぁ、そのあんた言う通りだよ……でも、そんなあんたに有利なフィールドで、わたしが勝ったら今度こそ言い訳の一つも言えずに負けを認めるしかないだろう?」
「お前!?」
「さぁ、第二ラウンド!始めようか、元チャンピオン!!」




