一番
「お邪魔しま~す……」
神凪の首都鈴都の片隅にある、なんの変哲もないクラブ。そこになんの縁もゆかりもないナナシ・タイランが訪れる。当然、踊りに来たわけではない。
周囲を見渡すと、中も特に変わった様子はない。けたたましい音楽とけばけばしい照明が点いてないことと、人がいないことに若干の違和感を覚えるが、それは閉店中ならどこのクラブも一緒だろう。
「ん……」
「き、来たか……」
「おっ、いたか………やっぱし、君か……もしかしたら、君はここに来ないかも……なんて思っていたよ……」
ナナシは自分以外の人影を発見する。
その人影はびくびくと見るからに怯えており、必死に声を振り絞って来訪者に言葉をかける。とてもじゃないが、待ち受けているって感じではない。
対照的にナナシは余裕綽々といった様子で、まるで馴染みのお店に遊びに来たみたいにリラックスしている。
「お、お前には恨みはないが……こ、ここで死んでもらう……」
強そうな言葉を使おうとするが、全く慣れてないのか、たどたどしく、尻窄みに声が小さくなっていく。
その姿にナナシは哀れみの視線を向ける。別にバカにしているわけではない……本当に哀れんでいるのだ。
「確か……ナカタ……だっけか……?」
「『ナガタ』だ!……あっ…ナガタです……」
ナナシが男の名前を呼ぶが、間違っていたらしく、男は、ナガタは声を荒げる。普段からよく間違われるのだろうか、ついいつもの癖で言ってしまったが、すぐに我に返り、俯いてしまう。
ナナシはそんな彼を益々、可哀想に思った。
「なぁ、大人しく投降しないか……?悪いようにはしないから……そもそも、君は偶然巻き込まれただけ、俺が君と戦う理由もなければ、君が俺と戦う理由もないはずだ……」
(――!?……そ、そうだ……あの男の狙いは他の奴……こいつの言う通り…おれは巻き込まれただけ……)
ナナシがナガタに降伏を迫った。こんな物言いができるのも余裕があるから、そして他のメンバーと違ってナガタとの因縁などないから……というより全く面識がない。一週間前のミーティングで初めて存在を知ったぐらいだ。当然、ナガタもナナシのことなど知らない。
ナガタという男はナナシの言葉通り偶々、他のネジレお目当ての囚人と一緒に移送されていただけなのだ。
「君が犯したのは詐欺だろ……?真面目にやれば、数年で自由の身になれるはずだ……ここで逃げたり、ましてや見ず知らずの俺と戦って罪を重ねることはないだろう……?人間、いくらでもやり直せる……俺の仲間のように……!」
「ッ!?」
ナナシはできるだけ穏やかに、かつ論理的にナガタの説得を試みる。
服役中の囚人だとしても、今回の件に巻き込まれたとしか言いようのないナガタには同情の余地があるし、一人の人間として彼の更正を願う気持ちもある。ナナシ自身、犯罪こそ起こしてないが、清廉潔白な人間ではないし、今の同僚はみんな脛に傷を持っている。だからこそナガタにもしっかりと罪を償ってやり直して欲しいのだ。
だから、ゆっくりと彼に近づき、手を差し出す。
「お、おれは………」
ナナシの手を取ろうとナガタが手を伸ばした!ナナシの心からの言葉はナガタの心にも届いたのだ!彼自身、模範囚として今までやって来て、ナナシの言うように正当な手順を踏んで、胸を張ってシャバに出たいと思っている……思っていたが。
「君にある選択肢は二つ……ネクサスのメンバーと戦うか……それとも俺にこの場で殺されるかだ……賢明な君ならどちらがいいかわかるよね……?」
「――!?」
ナナシの言葉で傾いた心が、自分を拐った仮面の人物、ネジレにかけられた言葉によって真逆に戻される!
フラッシュバックした恐怖が彼の心を蝕み、間違った選択を選ばせてしまったのだ!
「お、おれは!お前を倒す!!!」
「……バカたれが……!」
差し伸べられた手を振り払い、その身体は不気味な形に変化していく。
「ウラァァアッ!!!」
悲鳴にも似た声を上げ、自分を救おうとしてくれた者に握手ではなく、拳を差し出す!
「……ナナシガリュウ……」
ガァン!!!
一瞬、目の前の男が光りに包まれたと思ったら、二本の角を生やした真っ赤な竜が現れ、その竜にナガタは虫を払うように裏拳で吹っ飛ばされた!
「……老人を相手にしているようなちんけの詐欺師じゃ、俺には勝てないよ………」
ナナシ、余裕の理由……それは単純にナガタが強くないから。彼はナナシが言ったように老人相手にセコい詐欺を働いただけで、戦闘訓練を受けたり、格闘技経験があるなどの情報はない。
ハザマ親衛隊のヨハンや蓮雲の兄弟子、呂巌は勿論、自称海賊のジュンゴよりも、残りの二人を含めても間違いなく一番弱い。今回のブラッドビースト軍団最弱の男なのである。
「これで……終わり………ん?」
勝利を確信したナナシだが、ナガタを殴った手に粘着性の白い糸がくっついていることに気づいた。その糸を目で辿っていくと吹っ飛んだナガタの口へと繋がっていた。
古代にいた蜘蛛のように糸を吐けるのが彼の能力だった!
「お、おれだって!やれるんだぁ!!!」
ブゥン!!
「うおっ!?」
自ら吐いた糸を両手で持ち、思い切り振り回す!ナナシガリュウを壁に叩きつける算段だ!床から足が離れ、紅き竜が宙を舞う!
初めて見る能力に加え、腐ってもブラッドビースト、予想以上のパワーでナナシは一瞬自身の肉体のコントロールを奪われる!……そう、ほんの一瞬だけ。
「よっと」
ガン!
「うぇっ!?」
ナナシガリュウはすぐに状況を把握すると、空中で身体を器用に動かし、体勢を整えるとぶつけられるはずの壁に両足でしっかりと着地した。
驚きのあまり、突拍子もない声を上げるナガタに、ナナシが反撃する。
「お返しだ」
「うわあぁぁぁっ!!?」
ナナシはその手にくっついた糸を掴み、力の限り振り回す。その言葉の通り、今ナガタにやられたことをそっくりそのままやり返したのだ!
「う!?この!?」
ナガタは口から出ている糸を切り離すと、新たに口から糸を吐き、天井にぶら下がる。
「やるじゃねぇか」
ナナシはその軽快な動きに素直に感心しながら、床に降りる。そこにまた糸を手に持ち、振り子のように反動をつけ移動するナガタが飛びかかる!
「ていっ!」
「いや、当たらんて……」
「くそッ!?でも………まだまだぁ!」
あまりにわかりやすい軌道……難なく避ける。だが、一回で懲りずにナガタはクラブを縦横無尽に飛び回り、紅き竜に四方八方から襲いかかる!
「せいッ!!」
「よっ!」
「ウラァ!!」
「もう一丁」
「このぉ!!」
「見えてるって」
しかし、結果は変わらず、ナガタはナナシガリュウに傷をつけるどころか、触れることすらできない。
あまりの圧倒的、絶望的な実力差にナナシは再び彼を哀れみ、もう一度説得を試みる。
「これでわかったろ?君じゃ俺には勝てないよ。今ならこのことも不問にする……だから投降するんだ」
「バカにしてんじゃねぇよ!」
ナナシ的には優しく語りかけたつもりでも、受け取ったナガタ的に見下されているように感じた。いや、普段の彼ならそんなことは思わない。
(ブラッドビーストになると性格が好戦的、凶暴になる奴がいるって聞いていたが……どうやらこいつもそうらしいな。変身した時点で説得は不可能ってわけか……)
ナナシも彼の見た目以外の変化に気づき、泣く泣く説得を諦めた。
「仕方ない……ちょっと痛い目、見てもらうぞ……!」
渋々というか、嫌々、めんどくさそうに本腰を入れる。彼にとってナガタはそれぐらいの相手でしかないということだ。
しかし、それはさすがにナガタを甘く見すぎだ。
「だーかーらぁ!バカにしてんじゃねぇよ!!!」
「ん……?んん!?」
ナガタは手に持った糸を力いっぱい引っ張るとナナシガリュウを中心に輪になった糸が縮まり、紅き竜をぐるぐる巻きに……。これでは竜というより蛇、文字通り手も足も出ない状態にされてしまった。
「おれが策も無しに、飛び回ってると思ったか!全てはこのために!まんまと引っかかったな!!!」
自棄になっているようにさえ見えたナガタだったが、その実、自身の能力を活かした策を用意していた。ナナシ自身もこれには反省するしかない。
「いやぁ……確かにちょっと舐めすぎだったな……悪かったなナガタ……あと、タガワに申し訳ないな……」
ナナシは目の前の詐欺師と、幼き頃から世話になった執事に謝罪した。何故ここでタガワと思うかもしれないが、ナナシにとってこの状況で真っ先に思い浮かぶのが彼の名前だった。
「タガワ……!?何言ってんだ!自分の置かれた状況、わかってんのかよ!?」
渾身の作戦が成功したナガタだったが、その作戦に嵌まって絶体絶命のはずなのに余裕の態度を崩さないナナシに苛立つ。
実際のところ、ナナシは余裕なのだから仕方ないのだが……。
「わかってるよ……あんま、これ、あいつの武器って感じで使いたくないんだけど……ガリュウブレード!」
スパッ!
「……えっ!?」
紅き竜は両腕に銀色の刃を召喚すると、自然の成り行きで、その上に巻き付いていた糸が切れた。
ナガタ、渾身の策が破られた瞬間である。
「ん?そう言えば角から電撃出して、焼き切れば良かったか………」
そして、自由になったナナシが何気なく口にした言葉は、ナガタをさらに絶望させた。これ以外、他の方法でも脱出できたと言っているのだから……。
愕然とするナガタにナナシは語りかける。自分の余裕、そのもう一つの理由を……。
「ナガタ……俺はネクサスの中で、最も才能とか素質というものがない……簡単に言えば一番弱い……一応、リーダーなのにな……」
卑屈にも聞こえるが、ナナシなりに客観的な視点から分析して、たどり着いた結論だった。
「俺があいつらと並んで戦えるのはこのガリュウのおかげだ」
事実、ガリュウが使えなかった壊浜ではストーンソーサラーのユウに一方的にやられた。
「でもな……唯一、俺があいつらに胸を張って勝ってると言えることがある……」
ナナシは幼き日のことを思い出す。最高で最悪だったあの日々を………。
「ナナシ様、今日からこのタガワがあなたを鍛えます」
とある日、突然、タイラン家の執事兼ボディーガードが、その家のご子息に一方的に通告した。
「鍛える……?強くなれるの!?武器とか使えるのか!?」
自分の身にこれから何が起こるのかわかっていない少年は目を輝かせ、無邪気な表情で執事の顔を見上げた。
執事は好奇心旺盛な少年に目尻を下げ、口角を上げた穏やかな微笑みを浮かべながら、首を横に振った。
「武器を使うのは、まだ先ですね。まずは成長に合わせての身体づくり、基礎体力の強化、そして徒手空拳、格闘術ですね」
「えぇ~!剣とか銃とか使いたいよ~!」
執事の言った内容がいまいちわかっていない少年は不満を口にする。執事は少年の肩に手を置き、膝を突いて彼と目線を合わせた。
「武器の使い方もいずれ教えます。早く習いたいなら、私のレッスンをしっかりと受けてくださいね?」
「むぅ~」
「大丈夫ですよ、ナナシ様ならきっと乗り越えられますよ」
その日から執事とお坊っちゃんの修行の日々が始まった。
「ナナシ様、今日からは武器を使った訓練を始めます」
「ようやくか………」
月日は流れ、少年の顔から幼さが消え始め、声も低く、男のものに変わったある日、ついにレッスンは次の段階に移行した。
「あの時は、こんなに時間がかかるとは思わなかった……」
「いえいえ、私からしたら十分早いですよ。ここまで来るのに、もっと時間がかかると思っていました」
相変わらずニコニコと優しい表情をした執事の顔を見上げる。修行を始めた日よりは角度がなくなったが、まだわずかに執事の方が大きい。
「それでは……これを」
おもむろに傍らに置いてあった長い棒……なんの変哲もない棒を手に取り、少年に渡す。
「えっ、まさか棒術………」
「そのまさかです」
少年の顔に明らかな不満の色が浮かび上がる。
「なんか地味じゃないか……」
「地味じゃないですよ。立派な武器です。それにこれまでナナシ様を見て来て、気付いたのですが、あなたはある程度、距離を取って戦う方が向いています。棒術や槍術から始めた方がいい」
執事はもう一本、自分用の棒を手に取りながら、棒術を教える理由を少年に説明する。しかし、少年は納得いかない。
「距離取った方が、って……なら銃でいいだろう……?」
文句たらたらな少年に、やれやれといった感じで執事が軽くため息をつく。
「銃もいずれ教えますよ」
「いずれじゃなくって………」
「では、こうしましょう……私の身体に一撃……たった一撃でも与えられたら合格……次の武器の習得に移る……どうですか……?」
執事の物言いは若干煽っているようで、少年のこの時期特有の自尊心と反骨精神をものの見事に刺激した。
「一撃……たった一撃でいいんだな……」
構えを取る少年……。
「えぇ、一撃……たった一撃でいいんですよ。きっとナナシ様なら三ヶ月もあれば出来るはずです」
さらに煽りながら、こちらも構えを取る執事……。
「この野郎……今日で終わらせてやる……!」
「残念ながら、それは無理です」
「よく頑張りましたね。これで武器の習得訓練は全て終了です」
「よ、ようやくか………」
月日はさらに流れ、少年の身体は完全に大人のものに、顔も精悍な戦士の顔に、ついに見上げていた執事と同じ目線で立って話せるようになったその日、長きに渡ったレッスンが終わりを迎えた。
「結局、棒術だけで四ヶ月……それから槍に、ナイフに、斧に、拳銃に……本当、世界中の武器を習ったんじゃないか、俺……」
その鍛え上げられた身体と、身に染みた技術が濃密な期間を過ごしたことを物語っている。けれど、それも今日で終わりだと……かつての少年は思っていた。
「では、これから最後のレッスンを行います」
「はあっ!?まだあるのか!?」
「あるんです」
自身の言葉に驚くもはや少年とは呼べない男に、執事は満足げな笑みを浮かべ頷く。
「最後のレッスンは実戦訓練。と言っても、まぁ今までと同じ私に一撃を入れてくださいって話なんですけど」
「なんだ……そんなことか……」
男は安堵する。執事から提案されたことは今まで嫌というほどやってきたことと何ら変わらない。あることを除いては……。
「ただし、実戦訓練ですからね。ほんの少し私も本気出させてもらいますよ」
「本気って………今までのは………おおっ!?」
男の目線が上に向いた。ようやく追いついたと思っていた執事が突如一回り大きくなったのだ。
その身体は鱗で覆われ、先ほどまで笑みをこぼしていた口から無数の鋭い歯が覗いている。まるで古代にいたピラニアのようだった。
「た、タガワ……!?お前!?」
子供の頃から知っている執事の見たこともない姿に狼狽える男……。
そんな男の顔を見て、執事だったものは微笑む……。だが、今までも笑みを絶やさない人だったが、この姿でそれをすると印象はまったく違う。獲物を仕留める直前のハンターのそれだ。
「これがタガワの真の姿、真の力……鏡星のブラッドビースト軍団の一員として、あなたのお父様、ムツミ・タイランを苦しめた技と力……その身で存分に味わってください」
「無理無理無理ぃ!?」
(あの時は本当にびびったな……)
最高で最悪な修行の日々……。それが今回のナナシが余裕の態度を崩さない理由。彼はブラッドビーストとの戦いに慣れているのだ。
事実、今もショッピングモールでの戦いも彼にしては珍しく主導権を握り続け、相手を圧倒している。士官学校では残念ながらその成果をあまり発揮できず、タガワに申し訳ないと思ったこともあったが、あの日々を乗り越えたからこそ今の自分がある。ネクロ事変も壊浜の戦いもあの日々があったから、どうにかできたのだと……。
タガワには感謝してもしきれない。そして、同時にナナシにとって、胸を張って自慢できる数少ない出来事……それこそタガワとの修行の日々だった。
「ガリュウロッド………」
執事に一番初めに教えてもらった武器を呼び出す。タガワの見立ては正しく、様々な武器の使い方を習得したナナシの中でも得意で愛着のある武器だ。
その武器をナガタを威圧するようにブンブンと振り回してから、構えを取る。
「悪いな、ナガタ。俺は対ブラッドビーストにおいてはネクサスの中で一番強い……なんてったって、世界で一番強くて、おっかないブラッドビーストに鍛えられたからな!」




