継承
それは巨大な矛だった。
その長い柄は力強くもあり、美しくもあった。
その月明かりを反射する刃は禍々しくもあり、神々しくもあった。
えも言われぬ妖しさが、見る者全てを魅了し、畏怖させる。
豪風覇山刀とはそんな武器だった。
「豪風覇山刀……!?煌武帝の臣下の武器が何故ここに……!?」
蓮雲は兄弟子が取り出したその武器を見た瞬間、憎しみや焦りなどの感情が全て吹き飛び、代わりに脳内に大量の?マークが浮かんでくる。
幼い時から聞かせられた伝説の武器が、おとぎ話の類いだと思っていたものが現実に、今、自分の目の前に現れたのだ!
「そりゃあ、驚くよな……実在するなんて思っちゃいないし、実在したとしてもここに……神凪にあるなんて考えもしないわな……」
呂巌はその姿を見て、満足すると、愛おしそうに伝説の武器を撫でた。うっとりとその妖しさを醸し出す刀身を見つめる。ずっと欲しかった物が、師匠を殺してまで欲した物がようやく手に入ったのだ。
「あのジジイ……老師が若い奴らを集めて武術を教えていたのは、この豪風覇山刀を受け継ぐ者を探していたからだ……」
「何……!?老師が……!?」
老師は子供たちに、武術を教えるのはただの時間をもて余した老人の他愛もない暇潰しだと言っていた。もちろん蓮雲もそうだと思っていた。
今、この瞬間まで……。
「詳しい経緯はわからないが、そうやってこいつは現代まで数多の継承者を渡り歩いて来た……だから!!!」
呂巌の恍惚とした表情が一変、怒りと怨嗟の入り交じった鬼の形相へと変化していく!
「だから!おれが受け継いでやろうと言ってやったのに!あの耄碌ジジイ!“お前にその資格はない”だと!?ふざけやがって!門下生の中で最も強いこのおれを選ぶのが筋だろうが!!!」
口に出したことで当時の想いが再燃したのか、さらに目は血走り、全身の筋肉が隆起する。
そんな熱っぽい兄弟子に反して、弟弟子の心はみるみる冷めていく。冷たく、そして鋭い……自分自身を切り裂いてしまうような鋭利な怒りが彼を支配した。
「……そんなことで……そんな下らないことで……あんたは……老師を……みんなを……!」
明かされたあの日の虐殺の真相は蓮雲にとって受け入れ難いものだった。
心のどこかで、呂巌が、兄弟子が、凶行に走ったのは、やむにやまれない事情があるのだと思っていた……思いたかった!
だが、実際はただ、ちっぽけな自尊心を傷つけられたことへの逆恨み……。まさか、ここまで下らない理由で敬愛する老師や共に汗を流した仲間の命が奪われたのだとは考えもしなかった、したくなかった!
「そんな下らないことねぇ……他の奴ならともかく、お前にだけは言われたくないなァ!蓮雲!!!」
「何を……!?」
呂巌は血走った目を再び、未だに腹を押さえている項燕に向ける!
蓮雲は知る由もない……その激しい怒りが自分に向けられている理由を。
それがまた呂巌の憎しみを大きくする。
「いいだろう!証明してやる!ジジイの考えが間違っていたことを!おれこそがこの豪風覇山刀を継承するにふさわしい戦士だということを!………こいつでお前をジジイの下に送ってなァッ!!!」
呂巌は矛を振りかぶり、かつて師匠をそうしたように、弟弟子の人生を終わらせようと突進する!
「逝けや!」
ザゴォン!!!
「なっ……!?」
振り下ろされた刃は地面に大きなクレーターを開けた!項燕はかろうじて刃自体は回避したが、そこから発生した衝撃で胴体に傷が入る!
(もし……回復が間に合わなかったら……もし、足が言うことを聞くようになるのが、数秒遅かったら……おれは項燕ごと真っ二つにされていた……!しかし、この感覚……豪風覇山刀を初めて見た気がしない……どこかで……)
背筋が凍る思いとは、このことだろうと蓮雲は目の前を飛び散る砂利と自身の纏っている鎧の破片を眺めながらそう思った。だが、この感情は以前、どこかで感じたこともあると、既視感のようなものも同時に覚えた。
けれども、残念ながら悠長に思い出を掘り起こしている場合じゃない!
「だから!ちょこまかと!動いてねぇで!とっとやられちまえよ!!!」
呂巌はくるりと刃を斜め上に向けると、そのまま斬り上げる!
ザンッ!!!
「――ッ!?」
項燕の円形の盾は二つの半円に分けられた。ひびが入ったり、傷が付くことはあっても、こんなにきれいに切断されたことなど、今まで一度もなかったのに……。
地面に盾が落ちる鈍い音が暗闇に響く。
「安心しろ!お前の盾が駄目なんじゃねぇ!おれの豪風覇山刀が凄すぎんだよ!!!」
挑発、嘲笑、そして、満足……呂巌はたまらなかった。その存在を知った日から恋い焦がれ続けたその得物の予想以上の力に……その力に為す術のない、牢屋の中で憎み続けた獲物の姿に……彼の心は歓喜にうち震えている!
「さっきの!お返しだァッ!!!」
蓮雲の十八番を奪うような高速にして剛力の突きのラッシュ!いや、そもそも同じ師匠に教えを受けた二人、同じような動き、同じような技を使っても何ら不思議はない。
「ぐっ!?この!?くそ!?」
「ウラウラウラァッ!!!」
ガンガンガンガンガンガンガンガンッ!!
けれど、その同じ技がもたらした結果は真逆のものになった。
元々の呂巌の腕力に、ブラッドビーストのパワー、そして伝説の武器、豪風覇山刀の威力が加わった突きを、未だダメージが完全に抜け切れていない蓮雲が防ぎ切れるものではなかった。
避けそびれると装甲がいとも簡単に切り裂かれ、折れた槍の柄や新たに召喚した剣で受け止めようとしても、逆に弾かれ、砕かれる……。
そこから行われたのは一方的な蹂躙だった。
「はぁ………はぁ……はぁ………」
「はっ!ざまぁねぇな……!!」
全身におびただしい数の傷を負い、息も絶え絶えで項垂れる項燕を、豪風覇山刀を肩に担いでいる呂巌が見下ろしている。
端から見ても、当人たちにとっても、もうすでに勝負は着いたのだ。
「ようやく……ようやくあのジジイの間違いを証明できたぜ……!」
勝利を確信した兄弟子が得意気に語り出した。彼にとってこの戦いは、ただ二年前のリベンジという訳ではない。目の前にいる弟弟子はそれ以前に、それ以上に彼の高いプライドを傷つけていた。
「あのジジイ……おれが豪風覇山刀を寄越せって言ったら、なんて言ったと思う……?」
「……………」
「“お前には『心技体』のうち『技』と『体』はあるが、『心』がない!”だってよ……!」
「……………」
「だから“『心』を持っている蓮雲に!お前に!この豪風覇山刀を受け継がせる”って言いやがったんだよ!!!あの耄碌ジジイ!!!」
「――!?老師が……!?」
呂巌が老師を殺害するに至った理由、そして蓮雲に拘っている理由。それは優秀な自分を差し置いて、自分より劣っていると思っていた弟弟子の蓮雲が伝説の武器の継承者に選ばれたから……。つまり、ただの逆恨み、結局、逆恨みでしかないのだ。
だが、彼にとっては人の命を奪うのに、十分値する理由である。ましてやその後、一度はその見下している弟弟子に敗北することになるなんてプライドの高い彼には絶対に許せなかった。
「やはりあの日、お前に負けたのは間違いだった……!万全の状態ならお前なんかにおれが負けるはずがない!ジジイの判断も!お前がおれに勝ったのも!全部!全部!間違いなんだッ!!!」
「貴様……!」
自分以外を見下し、自分以外の考えを否定する醜く、傲慢な“けだもの”がそこにはいた。
「そして、お前がおれの手で殺されることで、そのことが証明される……ジジイにあの世で詫びるんだな!蓮雲!!!」
呂巌は自身の独りよがりな理屈を完成させるためにゆっくりと豪風覇山刀を振りかぶる。
「さよならだ!!!」
ザシュッ!!!
「ガッ!?」
妖しく光る刃は項燕の肩口の装甲を破壊し、その下にある蓮雲の肉体に食い込んだ!
闇夜に鮮血が舞い散り、蓮雲の頭に走馬灯のように過去の出来事が過る。
(申し訳ありません……老師……あなたの仇を取れなかった……)
呂巌の言葉に従ったわけではないが、老師に自身の不甲斐なさを詫びる。
(きっとおれはあなたと同じ所には行けない……今、真に理解した……強さを求めて誤った道を選んでしまった愚かさ……おれはこいつと同じ道を……)
ネクロ事変のことを思い出すと胸が締めつけられる。
老師という道標を失い、強さを求めた結果、その老師を奪った今や心も肉体も修復不能なほど醜く変質してしまった兄弟子と同じように独りよがりな理屈で他人を犠牲にしようとしていたことに、この戦いで気付かされたのだ。
(老師はおれを買ってくれたみたいだけど、買いかぶりだったようです……呂巌にも勝てず、ナナシにも……)
まさかあの時は自分を負かした相手と肩を並べて戦うことになるとは思わなかった。
(おれを信じて一人で行かせてくれたのに……またあの男に嫌味を言われる……いや、もうそんな機会はないか……)
蓮雲の意識が深い闇に沈んでいく……。
(……結局、強さとはなんだったんだ……そもそも……おれは何のために強く……)
最後の最後に心に浮かんだのは、ずっと追い求めて来た“強さ”、悪事に手を染めてまで求めた“答え”について……ではなく、何故それを自分は求めたのかという“理由”、その疑問が極限状態の蓮雲の心に問いかける。
(……なんで……おれが強くなりたかったのか……そうだ!あの日!老師やみんなを失ったあの日!大切なものを守れる強さをおれは欲したんだ!!)
そう、蓮雲が真に求めたのは敵を倒す強さではなく、守るための強さ!そのことを、この命の土壇場で思い出す!
そしてその忘れていた想いが蓮雲の消えかかっていた心の炎を蘇らした!
(こいつを!呂巌をここで止めなければ、老師たちのように理不尽に命を奪われる人が!おれのように無念に打ちひしがれる人が!そんなこと……この蓮雲が許すわけないだろう!!!)
「なんだ………?どうなってるんだ……?これ以上……進まん……!?」
一方の呂巌は先ほどまで勝ち誇っていたのが、嘘のように戸惑っていた。
あれだけ項燕の盾や装甲を紙を切る如く、簡単に切り裂いていた豪風覇山刀が蓮雲の身体に少し食い込んだだけで、それ以上はどれだけ力を入れても進まないのだ。
「なんでだ……!?あんなに鋭かった刃がなまくらになったみたいに……」
ガシッ!
「なっ!?」
呂巌が急に自分の言うことを聞かなくなった伝説の武器に試行錯誤していると、今まで沈黙していた項燕の腕が突然動き出し、豪風覇山刀を掴んだ!そして……。
ジュウ………
「――熱ッ!?」
その掴んだ部分から熱が発生し、全体が掴んでいられないほどの熱さを帯びる!
たまらず、呂巌は手を離してしまった。
「なるほど……どこかで似たような気配を感じたことがあると思ったら……お前もナナシガリュウと同じく……特級起源獣の骸で作られた……心を、感情を力に変える武器か……」
蓮雲は確かめるように、馴染ませるようにそれを触った。
「そして、どうやら……老師の見立ては正しかったようだ……」
項燕は!蓮雲は!豪風覇山刀を身体から引き抜くと高く掲げた!伝説の武器ではなく、自分の武器だと誇示するように!
「呂巌!豪風覇山刀を継承するのは貴様ではない!この蓮雲だ!!!」
ブオオッ!!!
「ぐっ……!?」
蓮雲の言葉に応えるように彼を中心に凄まじい風が巻き起こる!木々はざわめき!雲は消し飛び!兄弟子は後退する!
「バカな!?お前が!?蓮雲が継承者だと!?」
呂巌は必死に蓮雲の言葉を否定するが、その目で見たこと、その身に起こったことが、紛れもない真実なんだと訴えている。
「信じられないか………なら、試して見ろ!!」
項燕はその巨大な矛を手に前進!その姿はものすごく“様”になっている!
「でえりゃあぁっ!!!」
ザァアン!!!
「この……………ッ!!?」
豪風覇山刀で横に薙ぎ払う!呂巌は跳んで避けるが、その刃から発生した衝撃波が後ろの木々を切り落とす!
あまりのことに愕然とする兄弟子に容赦なく弟弟子が追撃!今度は縦に振り下ろす!
「もう一発!!!」
ザゴォォォォォォン!!!
「な、な、何ぃ!!?」
呂巌もその見た目に違わない獣じみた反射神経でこれまた回避!
地面にぶつかった豪風覇山刀が再び巨大なクレーターを生成する!自分が作ったものより遥かに大きいそれが呂巌の間違いを、老師の正しさを証明している。
(くそッ!本当に奴が!蓮雲が!選ばれたっていうのかよ!!?あのジジイの方が正しかったって!!!おれは認めねぇ!絶対に!!!)
現実から目を背ける呂巌……。彼のプライドの高さや思い込みの強さを考えれば当然だ。
一方で、呂巌は人としてはともかく戦士としては一級品……冷静に状況を分析できる頭も持っている。
(あの威力はヤバい……ヤバいが……!瀕死のあいつがそう何度も撃てるはずがない……このまま持久戦に持ち込めば……)
「逃げるのか?兄弟子よ……」
「――ッ!?」
心が読み取られ動揺する!いや、それよりもこの呂巌が、兄弟子である自分が、弟弟子を警戒していると思われるのが、彼のプライドが許さなかった。
呂巌はそういう男だと、兄弟子はそんな些細なことを気にするちっぽけな男だと理解して放った蓮雲、渾身の挑発だった。
蓮雲にはどうしても彼を怒らせる必要があったのだ。
(……二撃……たった二撃でこんなにも疲れるのか……!?身体も満身創痍……持久戦に持ち込まれたら、おれに勝ち目はない……!)
豪風覇山刀は蓮雲の予想通り想いや感情を力に変える武器だった。だが、その力を使うための消費、消耗は蓮雲の予想を遥かに越えていた。だから、蓮雲は呂巌を怒らせ短期決戦に持ち込もうとしたのだ。
「逃げるだと!?ふざけるな!!!お前如きにおれが尻尾巻いて逃げるわけねぇだろ!!!」
その思惑にまんまと乗る呂巌。もし、最初の予定通りに持久戦を敢行していたら間違いなく呂巌が勝利していただろう。けれども、彼は単純な挑発に引っ掛かり道を誤った……。
それは図らずもまた老師の正しさ、“心”が足りないとされた自身の評価の正当性を立証してしまったことになる。
「行くぞ!!!蓮雲!!!」
「来い!!!呂巌!!!」
お互いがお互いに全力で向かって行く!ここまでは蓮雲の狙い通り……。
しかし、唯一彼の予想を越えたものがあった。
(一本だ!最悪、腕の一本は犠牲にしても構わねぇ!!)
それは呂巌のプライドの高さ!彼はここで敗北の屈辱にまみれるぐらいなら多少の犠牲を出すことも厭わなかった!肉体の痛みよりも、精神の痛みを防ぐことを重視したのだ。
(一撃……いや、一瞬でも耐えれば!その隙に致命傷を与えてやる!!!)
弟弟子の意志と兄弟子の覚悟!そして二年間に渡る思いがぶつかり合う!
ザンッ………
「………………」
「ギャアァァァァァァァァッ!!!」
呂巌の計画通り腕を切り落とされた。ただし、両腕とも。おまけに鼻先の角まで折られている。
「グフゥ!?なんで!?」
「なんで……?簡単なことだ……この二年でおれは“心”だけではなく、“技”と“体”でも貴様を越えている」
「な!?」
「一撃目をあえてもらうつもりだったな?」
「ぐっ!?」
「図星か……いいか、よく聞け……相手の思考が読めれば、三ヶ所同時に攻撃を叩き込むことなど今のおれには造作もないことよ!!」
傲慢で自信過剰にも思える物言いだが、相手の狙いを見事に読みきり、ほんの一瞬で三ヶ所を攻撃した蓮雲と、それを防ぐことも、あまつさえ予想すらできなかった呂巌の存在がその言葉が真実だと物語っている。
「感謝するぞ、兄弟子。“心”が曇れば、“技”と“体”も真価を発揮できない……最後の最後であなたは大切なことを教えてくれた……」
淡々と感謝と別れの言葉を口にしながら、ゆっくりと兄弟子に近づき、豪風覇山刀を振りかぶる。
「ま、待て!?もう、おれには戦う力は残ってないから!刑務所に戻るから!だから!!!」
命の最後が迫ると、呂巌のプライドは今までがなんだったんだと言いたくなるくらいいとも簡単に、あっさりと折れた。
蓮雲は嫌悪感よりも虚しさを覚える。こんな奴に老師たちが殺されたのか、二年間こんな奴に縛られて生きて来たのかと……。
だが、それも今日で終わる……。
「待たない」
蓮雲は今日までの想いを全て乗せ、豪風覇山刀を兄弟子に振り下ろす!
「や!?おれは!お前の……」
「敵だろ」
ザシュウゥゥゥッ!!!
「かっ……………」
呂巌の分厚い皮膚は豪風覇山刀の刃に引き裂かれ、その下にある筋肉や骨も両断された。
二つに分かれた兄弟子だったものはどすんと音を立てて地面に落ちた。
「……終わったか………ぐっ……!?」
兄弟子であり仇敵の死を見届けた瞬間、蓮雲の身体から力が抜け、膝を突いてしまう。
ダメージと豪風覇山刀による消耗……紙一重の勝負だったと改めて実感する。
「おれもまだまだですね……老師……」
自分の未熟さを噛みしめながら、おとぎ話から飛び出し、敬愛する師匠から受け継ぐことになった伝説の武器を眺める。
「今はこんなでも……いつか、この豪風覇山刀にふさわしい男に、あなたのような真の強さを持った戦士になって見せます……!!」
立ち上がり、矛を掲げ、天の老師に誓いを立てる!
その純粋さ故に道を誤ることもあったが、今の彼にそんな心配は無用だろう。なぜなら……。
「新たな仲間と共に!!」
彼の間違いを正してくれる、一緒に悩んでくれる仲間がいるからだ!
そんなかけがえのない仲間の下へ戻るために蓮雲は歩き出す。振り返ることはない。ただ未来だけを見据えて一歩一歩足を踏み出す。
彼を祝福するように優しい風が彼の背中を押した。




