兄弟子
猛華大陸――それは世界で一、二を争う血塗られた歴史に彩られた場所。
広大な大地に、大小、様々な国がひしめき合い、様々な理由で戦った。歴史上、唯一平和な時代だったとされるのは、数百年前に『煌武帝』が治めた数十年だけと言われている。
彼は強靭な力と忠誠心を持った十人の臣下を率い、次々と国を滅ぼし、併合、そして戦乱が佳境に入った頃に突如現れた巨大で凶悪なオリジンズ……猛華では起源獣と呼ばれる存在も、今まで倒した敵国の兵たちをまとめ上げ、討伐する。
こうして猛華大陸を統一し、その後も善政を敷いた完全無欠の煌武帝であったが、所詮は人間、寿命には勝てなかった。そして、彼が亡くなり、後を追うように十人の臣下もこの世を去ると、ありきたりな後継者争いを発端に再び猛華は数多の国に切り取られ、それらは懲りずに戦争を始めた。
現在まで猛華大陸ではそんな苛烈な状況が続いているが、それに嫌気が差し、大陸の外に出て行く者も少なくはない。
その猛華を捨てた者の中で神凪にたどり着いたのが蓮雲の祖先である。
「黒嵐……お前はここで待ってろ……」
「ひひん……」
蓮雲は長い階段の下で、相棒にそう語りかけ、首筋をそっと撫でた。
黒嵐は心配そうな眼差しを主人に向けるが、止めるような真似はしない。彼の固い決意が揺るがないことを知っているから……。
無事にまた自分の下へ帰って来ることを祈りながら、階段を昇る蓮雲の背中を見送った。
長い階段を昇り切ると、そこには古びた大きな寺があった。寺の前に広がるさらに大きな境内で子供たちが遊ぶ姿が目に浮かぶ。実際、かつてはそうだった。
元々、歴史ある寺院だから目立たないが、良く見ると寺も境内もしばらく手入れされておらず、荒れに荒れている。
そんな寂しい場所に似つかわしくない大柄な男が腕を組み、堂々と立っていた。
男は自分と同じくらい大柄な男、蓮雲の姿を確認すると、ニッと口角を上げた。
「よぉ……会いたかったぜ……蓮雲……」
「おれは二度と貴様の顔など見たくなかったよ……『呂巌』……!」
蓮雲の顔は呂巌とは真逆で見るからに怒っていて、非常に険しいものだった。彼にとって目の前にいる男はまさに殺したいほど憎い相手、そしてある意味テロリスト、ネクロに加担することになった原因でもあるのだ。
湧き上がる怒りを必死に抑え込む蓮雲の顔を見て、呂巌はさらに口角を上げる。
「つれないこと言うなよ……おれはお前の兄弟子だろ……?ここで一緒に修行した仲じゃないか?」
「ぐっ!?」
蓮雲は手のひらに赤い三日月が複数できるほど強く拳を握りしめた。
呂巌の言う通り、蓮雲はこの場所で戦いの基礎を身につけた。呂巌に直接指導を受けたこともある。強く優しい呂巌を兄弟子として尊敬していた。
あの日までは……。
「貴様!よくもぬけぬけと!二年前のあの日!この場所でおれたちに武術を教えてくれた老師を!仲間を!その手で殺した貴様がァ!!」
この寺院が寂れた、荒れ果てている理由、それはこの場所で大量殺人事件が起こったから……。そしてその犯人が今、この場にいる、蓮雲の目と鼻の先にいる呂巌その人であった。
「何故だ!呂巌!おれたちに猛華の戦いを教えてくれた老師をどうして手にかけた!!」
「はっ!」
激昂する弟弟子を呂巌は鼻で笑う。けれど、その内面では蓮雲に対する深い憎しみと恨みが渦巻いている。
「……知りたかったら、おれを倒してみな!あの日のように!いや、あの日とは違うぞ!まさかお前、老師と他の奴らの相手で体力を使い果たしたおれを倒したからって、おれより自分が強いなんて、バカげた勘違いしてないよな!?えぇ!!?」
そう、呂巌による虐殺があったあの日、蓮雲は待ち合わせの時間に遅れ、難を逃れただけではなく、そのまま疲れ果てた呂巌を下し、警察へと突き出したのだ。
呂巌はずっとそのことを逆恨みしていた。もっと言えば、そもそも彼が凶行に走った理由は蓮雲にあるのだが……。
「あれは間違いだった!万全の状態ならお前なんかに負けるはずがなかった!……だから次に戦う時は完膚なきまでに叩きのめしてやると!そのチャンスをくれと、冷たい牢屋の中で願い続けて来たんだ!願いってのは叶うんだなァ!蓮雲!!!」
待ちに待った日がやって来て、呂巌のテンションは天井知らずに上がっていく!そして、それは蓮雲も同様だ!
「奇遇だな!おれも老師たちの仇であるお前を警察に渡したことをずっと後悔していた!慈悲など与えず殺しておくべきだったとな!!万全だろうか、なかろうが関係ない!理由などどうでもいい!おれの全てをかけて今、ここでお前を討つ!!!」
お互いにそれぞれの人生を悪い意味で一変させた因縁の相手……。
二年という時間もその怒りは衰えさせることはなかった!
「はっ!兄弟子に舐めた口、聞いてんじゃねぇよ!!!」
「舐められるようなしょうもない人間だろうが、貴様は!行くぞ!項燕!!!」
同門だからか、示し合わせたように相手に向かって走り出した!
呂巌は元々大柄だった身体がさらに膨張し、鼻先から太く鋭い角が生える!その姿はまるで古代種のサイという獣のようだった。
蓮雲は勿論銀と紫の鎧、彼のピースプレイヤー……いや、骸装機“項燕”を纏う!
その手にはこちらもお馴染みの長槍が握られており、これまたお馴染み、ナナシとネームレス、双竜を苦しめた得意の突きを放つ!
「ハアッ!!!」
槍は空気を抉り、ぐんぐんと加速して行き、こちらに猛スピードで突進してくる呂巌の心臓に真っ直ぐ向かっていく!
回避不能かつ一撃必殺の一撃!……かに思われたのだが。
ガイン!
「な……に!?」
槍の切っ先は呂巌の分厚い皮膚を突き破るどころか、薄皮一枚を切り裂くこともできずに、弾かれた!
槍の柄はグニャリとしなり、項燕の攻撃のパワーがそのまま、彼の腕に返ってくる!
そして、がら空きになった懐に呂巌の鼻先の角が襲いかかる!
「はっ!こいつで逝っちまいな!!!」
ガァン!!!
「……その程度……!」
間一髪、項燕はもう一方の手に持っていた盾で開戦早々串刺しになることを防ぐ。しかし、その威力は絶大で盾には無数のひびが入った。
「ちっ!?生き延びてんじゃねぇよ!」
ブォン!!!
「ぐっ!?」
「……生意気な……!」
続けて、その丸太のような太い腕でアッパーカット!項燕の眼前ギリギリを通り過ぎた。
項燕は一歩ほど後方に下がり、回避……するだけではなく、再び槍で突くための間合いを作った。
「一撃で駄目なら……その身体を貫くまで!何度でも突いてやる!!」
凄まじい突きのラッシュ!その突きが先ほどのように呂巌の皮膚に弾かれることはなかった。
そもそも当たらなかったのである。
「くっ……!?こいつ……!?」
その鈍重な見た目に反して、軽快に、そして繊細に動き文字通り紙一重で項燕の槍を避ける呂巌!
「……さっき言ったろ……あの日の勝負は間違いだったって……つーかよ……弟弟子が兄弟子より優れているわけねぇだろうよ!!」
ガシッ!
「――!?しまっ………」
絶え間なく動き続けていた槍は呂巌の脇と腕に挟まれ、完全に停止する。そして……。
「邪魔くせぇ!!!」
バキッ!
「た……!?」
呂巌は逆の腕をハンマーのように槍の長い柄に振り下ろすと、いとも簡単にへし折った。
項燕の目の前で飛び散る破片……その破片をさらに蹴散らしながら、大きく固い呂巌の拳が迫る!
「食らいやがれッ!!!」
ガギッ!!!
拳が項燕の頬を捉え、本人の意思などお構い無しに顔の向きを変える!頭が一回転してしまうような一撃だが、その攻撃を放った呂巌の顔は晴れない。
「ちっ!?セコい真似を……いつの間に覚えやがった!」
呂巌が不機嫌な理由、それは手応えがなかったから……。何故そうなのかも熟練の戦士である呂巌にはわかっていた。
パンチが当たる瞬間、蓮雲は身体の力をあえて抜いた。下手に身構えるとダメージが大きくなると判断したのだ。結果、それは功を奏し、無抵抗な頭はパンチの威力を受け流し、最小限のダメージに抑えた。
呂巌にとってはとどめを刺し損ねたことも許せないが、それ以上に二年前にはできなかった技術を弟弟子が身につけていることが不快で仕方なかった。
「だったら!!!」
呂巌の拳が再び唸りを上げる!最小限とは言え、ダメージはしっかり受けている項燕はどうすることもできない!
バゴッ!
「カハッ……!?」
今度は威力を逃がさないように、ノーガードの身体に拳を放つ!拳は項燕の装甲を砕き、蓮雲の肋骨にひびを入れた!
反射的に腹を抑え、酔っぱらったようにふらふらと後ずさりする弟弟子を見て、兄弟子は醜悪な笑みを浮かべる。
「ほらな!おれがお前に負けるなんてあり得ないんだよ!!」
「ぐっ……!?」
高らかに腕を上げ、まるで勝利宣言をしているような呂巌を仮面の奥で虚ろな目で見つめる蓮雲……。
二年間の鬱屈した想いを発散できた者とできなかった者の明暗が分かれたようだった。
「まぁ、当然か……二年前の時点でおれとお前には圧倒的な差があった……それなのにおれは更なる力を手に入れてしまったのだからな!あのネジレとドクターなんとかには感謝してもしきれないよ!!」
「……感謝してるんなら名前ぐらい覚えろよ……バカが………!」
「あぁん!?」
最高の気分を味わう呂巌に蓮雲が水を差す……それだけしかできなかった。
さっきの一撃、たった一撃のダメージでいまだに足が思い通りに動かない。この場での最善の行動は呂巌の独りよがりでくそみたいな演説を聞き流しつつ、回復を待つことだろう。それは蓮雲もわかっている……わかっているが、どうしても我慢ならず、つい口が出てしまった。
「ふん!おとなしく回復に努めていればいいものを、一時の感情に流されやがって……どうやら老師……ジジイの見立ては間違っていたようだな……!」
「――!?老師が!?老師が何を……!?」
不意に呂巌の口から出た老師という言葉に蓮雲は思わず食い付いた。その姿が滑稽に見えたのか、呂巌は機嫌を直し、またニタニタと胸糞悪い笑みを浮かべる。
「さっきはおれを倒したらジジイを殺した理由を教えると言ったが……いいだろう……兄弟子としての最後の施し、冥土の土産だ………」
そう言うと呂巌はくるりと蓮雲に背を向け、寺の方へ歩き出した。
蓮雲は先ほど言われたことを気にしているのか、単純に呂巌の話に興味があるのか、それとも不意打ちで勝ったところでこの鬱屈した気持ちが晴れることはないと思っているのか、なんにせよ息を整え、回復に専念しつつ、その背中をただ睨み続けた。
「ネジレ……何者かは知らんが、まさかジジイが最後まで隠し場所を吐かなかった“これ”を見つけ出してくるとは……」
二年間待ち望んだ仇敵との再会で蓮雲は今まで気付かなかったが、寺には布でくるまれたなにやら長い棒のような……とにかく奇妙な物が置かれていた。
それを呂巌はおもむろに手に取る。
「蓮雲よ……煌武帝を知っているか……?」
「……?……バカにしてんのか……?」
いきなり思いもしない名前を出されて蓮雲は戸惑った。もちろん煌武帝のことは知っている。だが、今は、この戦いには、自分たちの因縁には何の関係もないと彼は思っている。
呂巌は予想通りの反応に思わず吹き出しそうになるが、堪えて話を続ける。
「じゃあ、その煌武帝に十人の優秀で忠誠心の厚い臣下がいたことは……?」
「知ってる……何で急に歴史の授業なんて始めたんだ……?」
何もわかっていない蓮雲に嘲笑と侮蔑の目を向ける呂巌。一方でこんな奴に老師は……と沸々と怒りも沸いてくる。
「その十人の臣下が何故、歴史に名を残すほどの活躍をしたか………本人の実力はもとより、優れた武器を持っていたからだ……」
「武器………!?まさか!?それは!?」
蓮雲の頭の中でようやく点と点が線で繋がった!そして、それは絶望的事実でもある。
呂巌は見せつけるように布を外し、それを愚かな弟弟子の視界に晒した!
「そうだ!これが!これこそが!煌武帝の十人の臣下の武器の一つ!アーティファクト!『豪風覇山刀』だ!!!」




