同類
ショッピングモール、そして囚人移送車の襲撃から一週間後、ネジレが決闘の日と勝手に指定したその日がやって来た……といっても、もうすでに、太陽は沈み、後一時間もすれば“明日”になってしまうが……。
そんな黒が支配した闇夜、神凪郊外の廃校の体育館に美しい金髪の男が足を踏み入れた。
「来てやったぞ!ネジレ!!」
その男、ネームレスは体育館に入るなり、自分を呼び出した男の名を叫ぶ!しかし、その声は虚しくこだまするだけで彼の憎き想い人には届かなかった。
ネームレス自身もそのことはわかっているのか、特に苛立つ様子もない。
(まぁ……あのふざけた招待状にはここで待ち受けている奴と戦えと書いてあっただけ……あいつ自身が出てくるとは思っていないさ……だが、一体誰と……)
ガラッ……
「……来たか」
ネームレスの疑問に答えるように彼が入ったのとは逆方向のドアが開き、一人の男が入って来た。
その男は鋭い眼光でじっとネームレスの緑色の眼を睨み付けている。
「久しぶりだな……ネームレス……とは言っても言葉を交わすのはこれが初めてだがな……」
どうやら、男は自分のことを知っているようだったが、ネームレスには覚えがない……というより、そもそも暗がりで顔もよく見えなかった。
「悪いな……俺はあんたのことなんか知らないし、知りたくもない……ネジレとドクター・クラウチの居場所を教えてくれればそれでいい……」
言葉の通り、ネームレスは目の前の男に興味などない。彼の目的はあくまでこの下らないパーティーの企画者だ。
「フッ……」
男は笑った。暗がりの中でも微かな笑い声が聞こえたので、ネームレスも彼が笑ったことはわかった。ただ何故笑ったのかはわからない。蔑ろにされる自分を自嘲したのか、それとも……。
「結局、“加害者”ってのは“被害者”の顔など覚えていないのだな……」
「何……!?」
彼の笑顔の理由、それは目の前の愚かなテロリストを侮蔑したのだ!ネームレスは先ほどまでが嘘のように全神経、全意識を男に向ける。
「そんなに知りたいのか……?オレのことを……お前の罪を……」
男は一歩前に出て、ネームレスによく見えるようにと、うつ向きがちだった顔を上げた。
ネームレスが目を凝らすと確かにその顔をどこかで見た記憶がある。
(さっき奴は俺を加害者だと……だとしたら……あの時の………ネクロ事変の……!?)
ようやく固く閉じていた記憶の扉が開いた!その顔に見覚えがあるのではない、覚えさせられたのだ!作戦の障害の一つとして。あの時見た写真より髪が伸び、痩せているが、間違いない。
ネームレスの胸の中では最近は怒りに隠れ、鳴りを潜めていた罪悪感が蠢き出す。
「お前は!?ハザマ親衛隊のヨハン!?」
「そうだ!真っ先にネクロにやられたヨハンだよ!!」
ヨハンは今度は自虐的に笑った。しかし、その目は全く笑ってなどいない。それはまさしく獲物を狩るハンターの目だった。
「何故、お前がここに!?それにネジレの招待状にはここに来るのは囚人だと……犯罪者だと……」
ネームレスがヨハンをすぐに思い出せなかった理由の一つがそれだ。前大統領の親衛隊が囚人になっているとは思いもしなかったのである。
「正確には囚人になるかもしれない……だ。他の親衛隊のメンバーはただ職務をまっとうしただけ……ただのビジネス的なつながりだが、オレはハザマさんともっと近しい関係。だから、今まで行った不正に関わってるんじゃないかと、事情聴取を受けていた……で、ずっと黙秘を続けて囚人たちと一緒くたに移送される存在まで落ちぶれたって訳さ……」
ヨハンはずっと黙秘を続けていたとは思えないほど流暢に自分の今の境遇を話した。
ネームレスはその話と先ほどの発言を聞いて、自分に対してヨハンがいい印象を持っていないことはわかったが、一つだけどうしても理解できないことがあった。
「ヨハン……お前が俺を恨むのはわかる……わかるが、それはネジレも一緒じゃないのか……?何故、奴の指示に従う……?」
それは一週間前、奇しくもナナシ・タイランが感じた疑問と一緒だった。いや、彼らの関係、これまでのことを知っていれば誰しもそう思うだろう。
「フン、ネジレの奴に従っているわけではない……奴のことも許してなどいないさ……」
「なら……?」
「だが!それ以上に!オレはお前が許せない!オレとお前は同類のはずなのに!どうして!?」
「……何を言っているんだ……?」
ネームレスはヨハンの言葉を理解できなかった。理解できたのは彼が自分に対して思っている以上の強い憎しみを抱いていることだけ……。
「ご託はもういい!戦いに来たんだろう!?なら戦おうじゃないか!!」
「待て!?俺は……」
ネームレスの制止も聞かず、ヨハンの身体は彼の闘争心に呼応し、みるみる変化していく。
特に巨大化した大きな耳、腕についた皮膜のような羽……その姿はまるで古代に存在していたコウモリという獣のようだった。
「行くぞ!ネームレス!!」
黒々とした毛に包まれた巨体が一直線にネームレスに向かって、跳躍した!
「くそっ!?やるしかないのか!?咬み千切れ!ガリュウ!!」
主人の呼び掛けに応じ、左手首にくくり付けられた黒い勾玉が、光とともに漆黒の竜を模した鎧に変わり、ネームレスに装着される!
ガンッ!
変わり果てたヨハンの拳を手のひらで受け止めるネームレスガリュウ。けれども、それ以上のことは何もしない、したくない。
「やめろ!俺はお前と戦いたくない!いや、戦う資格などない!!」
「はっ!その程度の言葉でやめるくらいなら、最初からここには来てねぇんだよ!!」
ザッ!!
「くっ!?」
ネームレスは必死に訴えるが、ヨハンは聞く耳を持たない。続け様にもう一方の手で目の前の黒竜の黄色い眼に向かって貫手を放つ!ネームレスは頭をほんの少しだけ動かし、耳のすぐ横で空気を切る音が聞こえるほどギリギリで回避した!
「オレはお前たちのせいで全てを失った!!悪いと思っているならとっとと殺られろ!!」
ブンッ!!!
今度は回し蹴りを繰り出すヨハン!しかし、それも黒竜は身体を反らし避ける。
だが、回避しているだけでは戦いに勝利することはできない。そして、ネームレスには勝たなければいけない理由がある。例え、また罪を重ねることになっても……。
「悪いとは思っている……俺がやった事は間違っていた……」
「なら!!」
「それでも!今、お前に負ける訳にはいかない!奴を!ネジレを止めるために!!」
ネームレスガリュウの漆黒のボディーが一瞬で闇に溶けていく。覚悟を決めたのだ!自身が叩き落とした相手を再び貶めることを!
(……できるだけ、速やかに無力化する……それが加害者であった俺のせめてもの……)
覚悟は決めたが、納得した訳ではない。ネームレスは武器を呼び出さず、徒手空拳で、なんとかこの得体のしれない怪物を制圧しようと試みる。
ヨハンの後ろに回り込み、首筋に手刀を放つ!
(もらった!)
「バレバレなんだよ!!」
「――な!?」
ガギン!!!
「――ッ!?」
ネームレスが攻撃を繰り出そうとした瞬間、ヨハンは振り向き、カウンターでパンチを放つ!黒竜は咄嗟に攻撃をキャンセルし、両腕でガードをする……が、その威力を殺し切れず、大きく吹っ飛ばされた!
黒竜は空中で一回転して着地、それでも止まることが出来ず、二歩、三歩とさらに後ろに下がってようやく停止した。
(今……奴は俺が見えていたのか……!?あのタイミング……そうとしか考えられない……)
姿を消した上、死角からの神速の一撃、本来なら回避不可能なはず……だが、目の前の獣人は避けただけでは飽きたらず、反撃までしてきたのだった!
ネームレスは困惑した。そもそも経験豊富、いくつもの修羅場をくぐり抜けてきた彼でもちゃんとしたブラッドビーストと戦うのは初めてだったのだ。
(これが、本当のブラッドビースト……シンスケとは全く違うな……)
彼が自らとどめを刺し、そして現在こうして戦っている理由でもある弟分のことが頭に過る。
シンスケはブラッドビーストになるとネジレとドクター・クラウチから仕入れたと思われる薬剤を自身に打ち込み、結果、醜い肉の塊に成り果てた。知性も理性もなく暴れまわる“それ”を命を奪って止める選択肢しか、あの時のネームレスにはなかった。
けれど、“それ”と今、目の前にいるヨハンは何から何までまったく別物、似ても似つかない存在だった。
(ただ、目につくものを反射的に攻撃していた化け物とは違って、こいつには人間としての知恵と経験がある……あれはあれで厄介だったが……これはこれで……)
実際、今目の前にいるヨハンは下手に追撃せずにこちらの様子を伺っている。まるで、獲物を品定めするように……。
(ガリュウのステルスアタックを見破ったのはブラッドビーストの共通の能力によるものなのか……それとも奴の固有能力なのか……もし、共通のものだとしたら、今後の戦いに……)
ネームレスはヨハンへの対抗策を考えているうちにブラッドビースト全体への対抗策へと思考が飛躍していった。それは彼自身の対ブラッドビーストの経験不足、そして今後の対ネジレ、ドクター・クラウチのことを思ってのことだろうが、目の前に敵がいる状態で考えるのは迂闊、集中していないといった謗りを受けても仕方ないだろう。
ましてや、彼が対峙している相手はハザマ親衛隊に席を置いた男なのだから……。
「呆けてんじゃないよ!!」
「――!?」
心ここに在らずなネームレスをヨハンが強襲する!人間の時より一回り太くなったその脚で体育館の床を蹴り、一瞬で距離を詰める!
「ラァッ!!」
「くっ!?」
貫手が黒竜の喉元に迫るが、黒竜は身体を半身にすることで回避する!しかし、ヨハンもそれは予想済み!逆の手で黒き竜の頭部を狙う!
「ちっ!?」
ガンッ!
たまらず、腕で払いのけるが、ヨハンは構わず追撃を敢行する!
ガンガンガンガンガンガンッ!
ヨハンの凄まじい貫手のラッシュを、時に避け、時に腕で防御してなんとか凌ぐ……凌ぐだけ。ヨハンへの罪悪感から手が出せないというのも勿論ある。だが、それ以上に自分の知識にないブラッドビーストという存在を警戒しているのだ。
そして、そんなことを考えている間にもヨハンの攻撃は続いている!
ガンガンガンガンガンガンギャリッ!!!
「ッ!?」
ヨハンの貫手がネームレスガリュウの装甲をついに抉り取った!あくまでほんの表面、削ったと言った方がいい程度のものだが、俄然、獣人は勢い付く!
「はっ!どうした!?その程度か!?テロリスト!!強さ自慢らしいが、パワーも!スピードも!カツミさんの足元にも及ばないんだよ!!」
「このッ!?」
敬愛するかつての上司の名をも出して、憎きテロリストを煽るヨハン。その言葉はフラストレーションを溜めていたネームレスには効果が抜群だった!戦士としてのプライドを踏みにじられたことによって、闘争心を蝕み、リミッターをかけていた罪悪感を怒りの炎が上塗りする!
「それを言うなら……お前もネクロより遥かに弱いんだよ!!」
ゴスッ!
「ぐぅッ!?」
腹に蹴りを入れられ、“く”の字に折れ曲がりながら後退する獣人!歯を食いしばり、身体を起き上がらせると、その視界には……。
「……いない……?また消えたのか……小癪な奴……!」
黒竜の姿は確認できなかった。再び夜の闇に溶け込んだ黒き竜は先ほどのリベンジと言わんばかりに再び背後に回り込む!
(さっきのカウンター……狙ったのか、はたまた偶然か……確かめさせてもらおうか!!)
拳を振り上げた黒竜が闇の中から現れる。けれど、ヨハンはそれを読んでいる、見えている!
「だから!バレバレだってのッ!!!」
再放送のようなカウンターがネームレスガリュウの顔面に飛んで来る!だが、その後の展開は真逆のものになった。一度見た攻撃が通用するほどネームレスは甘くない!
ブウンッ!!!
ヨハンの拳が空を切る!読まれていたのはヨハンの方!いや、こうなるように誘導されたのだ!
「お前が俺の動きを読めていようが、いまいが、どっちでもいいんだよ!!」
ネームレスの攻撃に対してのカウンター……に対する更なるカウンター!その振り上げた拳を目の前の獣人に振り下ろせば、この戦いは終わる!……が、結論から言えば、ネームレスはそれができなかった。
ヨハンの発したたった一言が戦況を一変させた。
「終わりだ!ヨハン!!」
迫り来る拳!獣人の顔面を砕き!意識を断つ一撃!それが炸裂しようとしたその時!
「……オレも壊浜出身だ……」
「――ッ!?」
「バカが……」
ザシュッ!!!
「なっ……!!?」
ヨハンの言葉で動きを止めたほんの一瞬……その一瞬でネームレスガリュウは獣人の鋭い爪に二つの黄色い眼を抉られた。




