招待状
神凪の首都、鈴都……その路地裏の一角にある寂れた喫茶店フェリチタ。ごく一部の常連客……のふりをした人間しか入れない、その店の地下室には喫茶店らしからぬ設備が敷き詰められている。
そこで戦いを終えた男が思い出の味に舌鼓を打っていた。
「チョコバーは美味いな。戦いの後なら尚更だ」
ナナシ・タイランはショッピングモールでの戦いの後、逃げ遅れた人々を駆けつけた警察官に預けると、この自身が所属するネクサスのアジトにやって来たのだった。
「そんなに美味いものなのか?そのチョコバーというものは……?」
全身銀色の擬似人格AIを搭載したシルバーウイングは自分では決して味わえないその茶色い食物に興味津々だ。
「まぁな……でも、俺の場合は思い出補正が強いかな……」
「思い出……?」
ネクロ事変の最中、食したチョコバーはナナシに強烈な印象を残した。今でもチョコバーを食べる度に蘇るあのトレーラーでの会話。たった一日、数時間だけの付き合いだったが、確かに通じ合った友の顔が浮かんでくる。
「お前を見てると、なぜだか思い出すよ……あいつの顔を……」
「ほう、我を見て思い出すとは、我に似てその御仁は相当優秀だったようだな!」
「優秀だってのは合ってるが、似てはいないよ……もっと謙虚だもん」
「その言い方じゃ、我が謙虚じゃないみたいじゃないか!?」
ナナシとAIのやり取りを周りの仲間は、いつもなら微笑ましく見ているところだが、今日はそうはいかない。彼らを眺めるみんなはどこか重苦しい雰囲気に包まれていた。
ナナシから緊急事態だと召集をかけられ、続け様に諜報部の人間から、ネクサスがずっと探し続けていたネジレと接触したという連絡が入ったのだ。そうなるのも致し方ないことだろう。特にランボ、アイム、蓮雲の三人は理由はわからないが、数日前から妙な胸騒ぎを感じている。
「みんな!お待ちかねのケイが来たぞ!」
緊迫した空気をケニーの豪快な声が切り裂く。彼の後ろにはナナシとマイン以外は見たこともない、顔に笑みが張り付いたような男とぬいぐるみのようなオリジンズが立っていた。
「とりあえず自己紹介だね。僕はケイ・ヘンダーソン。そして、こっちがポチえもん。色々聞きたいこともあるだろうけど、それは後々ってことで。あぁ、君たちのことは知ってるから……ほら、僕、諜報部だから」
出鼻を挫くようにケイが割って入る隙もない早口で自己紹介をてきぱきと終わらす。彼の言うことは正しいし、そんな暇がないのはわかるが、どうしても気になる……。ケイではなく、彼の隣にいるポチえもんとやらが……。
けれど、皆一様にその気持ちを必死に飲み込んだ。
「じゃあ、まずはケイの話の前にオレから……手短に話すと、ショッピングモールの周りで怪しげな奴を何人か捕まえたという情報が入って来た」
「ブラッドビーストがまだ残っていたのか……!?」
チョコバーを片手にナナシがケニーに前のめりに質問する。彼からしたら全員倒したと思っていたブラッドビーストがまだ他にもいたとなると、ミスを犯した感じがしてとても嫌だ。当然、それでも緊急事態に最善を尽くしたということはここにいるみんなもナナシ自身も頭ではわかっているのだが。
「いや、それになる前だ」
「なる前……?」
「あぁ、話を聞いたら怪しい老人と怪しい仮面に金をやるからショッピングモールで今から渡す薬を打てと指示されたらしい。金と言ったがその前にかなり痛めつけられて、ほぼ脅迫同然みたいだったようだが……でも、捕まった奴らは訳のわからない薬を打つ恐怖の方が勝ったってことだな。薬も使わず、うじうじと街をさまよってた。まぁ、賢明と言っちゃえば賢明だがな」
「なるほどね……完全にただの捨て駒……そりゃ正気を失うような薬を渡すわな」
ナナシが納得と安心を得たのを確認して、ケニーは後ろに下がり、代わりにケイが前に出た。
「では、続いては僕が……大まかな話はケニーさんに伝えたから、もう聞いてると思うけど僕とポチえもんはネジレと交戦して、情けないことに逃がしてしまった。すんません」
ケイは申し訳なさそうに頭を抑えながら、ペコリとお辞儀したが、その薄ら笑いを浮かべた顔では反省しているようには見えない。
「お前はともかく、ポチえもんも無理だったのか……?本当に情けねぇ」
「ほっとけ」
「「「なっ……!?」」」
ナナシの憎まれ口にポチえもんが苛立ちながら返事をする……返事をしたのだ!
ポチえもんを初めて見たメンバーは勿論、タイラン家の座布団の上で大あくびをしている姿しか見ていないマインもあまりの衝撃に言葉を失い、互いの顔を見合う……夢じゃないことを確認しているのだろう。
当のポチえもんはその反応に慣れっこなのだろうか、めんどくさそうな顔をしていた。
「オレの話は今はどうでもいい……それに、それこそさっきネジレとやらに説明したばっかりで話す気にならん。というか、貴様らもプロなら今は何が一番大事かはわかっているのだろう……?」
「「「うっ……!?」」」
かわいらしい見た目に反して、淡々と大人びた口調で正論を説く獣にみんなまとめて黙らされてしまう。でも、気になるものは気になる……。
「ナナシが悪いんだよ。変な茶々入れるから」
「そうだ!反省しろ!」
「うっ!?」
こんな空気にした犯人として諜報部コンビに非難されるナナシ。実際、彼の言葉で話が逸れたのは明確なので、こちらも何も言え返せない。
とりあえずネクサスの面々が落ち着いたのを確認すると、ケイはコホンと咳払いをし、仕切り直した。
「えーっと……で、ネジレは僕にこれ……彼曰く招待状を渡し、君たちに届けてくれって……」
ケイはおもむろに手紙のようなものを取り出し、周りのみんなに見せる。ネクサスのメンバーも目を凝らして観察するが、特に変わったところも見当たらない何の変哲もない普通の紙のように見えた。
「それで……一週間後、この招待状に書かれている場所に行って戦って欲しいそうで……そこで戦ってもらって勝った暁にはドクター・クラウチの居場所を教えると……まぁ、ここまではもう聞いているかな」
誰も声を上げない。その沈黙が肯定を意味していることは明白で、ケイは一通り皆の顔を見ると、話を続けた。
「その戦う相手なんだけど……多分、今回移送されていた囚人だろうね」
これにも特に反応しない。それも皆、なんとなく予想していたことだ。
「その囚人なんだけど君たちとちょっとした……ちょっとどころじゃない人もいるけど君たちと関係があるみたいだね……」
「俺たちと……?」
これにはナナシが反応したが、ケイは首を横に振った。
「今、言った君たちにナナシ、君は含まれていないよ……僕が言ったのは……」
ケイがランボ、アイム、蓮雲の顔を順番に見て行く。彼らが感じていた胸騒ぎの意味が判明しようとしている。
「ケニーさん」
「おう」
ケイがケニーに目配せすると、ケニーはてきぱきと機械を操作し、この地下室に備え付けられているモニターにある画像を映した。
「――こいつは!?」
「!?」
「そうか………そういうことか……!」
モニターに映されたのは今日、移送される予定であり、ネジレの介入で今は行方知れず、そして一週間後に決闘すると思われる五人の囚人の顔……。
その顔を見た瞬間、ランボ、アイム、蓮雲の表情が強ばる。
特に蓮雲は口調こそ落ち着いているが、その表情は鬼の形相と言えるもので、そのぎらついた目は親の仇を見つけたようだった。いや、彼の目が捉えているのは、まさしく彼にとってはそういう憎むべき存在だった。
「うーん……知った顔はねぇな……俺は……」
一方のナナシは特に見知った顔がないようで首を捻る。
「ユウとギンは?」
「僕もちょっと……」
「我のデータにもない」
少年とAIにも確認を取るが、心当たりはないみたいで、ナナシと同じように首を捻って否定した。
「じゃあ……そうなると……」
消去法で今、ここにはいないあの男と因縁があるんだろうなと、ナナシを初めこの場にいるみんなが見当違いの推測を共有した。その時……。
「俺じゃないぜ……つーか、もう戦ったし、勝った」
「アツヒト!?」
聞き覚えのある声とともに、皆が思い浮かべていた男が潮の香りをさせながら部屋に入って来た。
「おい!?大丈夫か!?」
「おう、リンダ、心配してくれるのはありがたいが、特に怪我なんかしてねぇから……ただ、サイゾウがダメージを受けて通信ができなかった……あっ、これ、お土産」
「えっ、はい……」
駆け寄るリンダに自身の無事と今まで連絡できなかった理由を伝え、親戚のおじさんの如くお土産を渡すアツヒト。確かに大丈夫そうだ。
「そういえば……ネジレもすでに一人戦いに向かってる的な……こと……を……ごめんなさい……大事なこと忘れてました。真っ先に言うべきでした」
アツヒトの登場によってネジレの発言を思い出したケイだが、周りの冷たい視線にいたたまれなくなって謝罪をする。
事実、大事にならなかったから良かったものの、命に関わる問題だ。責められても仕方ないことだとケイも理解している。
「まぁ過ぎたことだ……誰だか知らんが彼を責めても仕方ないだろ」
アツヒトが面識のないケイの失態をフォローする。確かに今さら言っても何にもならない。
「という訳で、俺の相手はここに眠っている……マイン」
「はい……?」
「このメモに書いてある場所にブラッドビーストの死体があるはずだ。回収の手配してくれ」
「……了解しました」
アツヒトはマインに小さなメモを渡すとすぐさまマインは持っているタブレットにその内容を打ち込み、然るべきところにそのデータとメッセージを送った。
「アツヒトの戦いはもう終わったってなら……俺の相手は残りの二人の内、どちらか……」
再び、ナナシはモニターに映った囚人の顔を睨み付け頭をフル回転させるが、やはり見覚えがない。
そんなナナシに名誉挽回、汚名返上しようと彼の数少ない友達が助け船を出す。
「こっちの彼じゃない?」
「ん?なんでだ……?」
「彼はハザマ前大統領の関係者だよ。というかスタジアムで見ているはずだよ」
「……あっ!あいつか!」
ナナシはケイの助言で一人の囚人のことを思い出す。それと同時にもう一人……彼の好敵手というか、腐れ縁の男のことも……。
「確かに、こいつならハザマを守れず、父親が大統領の座を奪った俺のことを逆恨みしている可能性もあるが………」
「あるが……?」
「俺よりまずネームレスだろ?直接の原因を作ったのはあいつだ。つーか、ネジレに従うのか?」
ナナシの意見は芯を捉えていた。この頃すでにネームレスの下にも“招待状”が届けられていたのだった。ただし、画面に映る男がネジレに従うかどうかについては今、彼らの持っている情報では判断できなかった。
その男にはネジレの思い通りになる屈辱よりも、ネームレスと戦うことを優先する個人的な理由があることは今は誰も、当のネームレスでさえ知らなかったのである。
「そもそも、貴様らはこの話に乗るのか……?」
「そういえばそうだな……わざわざ……って!?えぇ!?こいつ喋れるの!?」
「アツヒト、その件……もうやったから……」
何故かネジレの提案を受ける体で話している面々にポチえもんが疑問を呈するが、アツヒトのせいでまた話が逸れそうになる。気持ちはわかるが、今は鬱陶しい……。
「で、なんだっけ……あぁ、この話に乗るかって話だったな……乗るぜ、ネクサスは」
未だ動揺が収まらないアツヒトを無視してナナシが獣の質問に答える。だが、獣がその返答に納得していないのは彼?の顔を見ればわかる。なので、ナナシは自身の考えを補足する。
「正直、ネジレのことについては今までまったく手がかりを掴めてなかった……だからこのチャンスを逃したくない……それに……」
ナナシは親指を立てて、その指で仲間を指した。
「あいつらがやる気満々だからな……」
親指の先、ランボ、アイム、そして蓮雲は一週間後ではなく今すぐにでも戦いたいといった様子で、その顔は気力で満ち溢れている。
「なるほどな……」
ポチえもんはその顔を見て納得したのか、部屋から一人……いや、一匹出ていった。ただ後から色々質問責めされるのがめんどくさいから逃げただけかもしれないが……。
それを見送るとナナシは再びモニターの方を向いた。
「なんにせよ……一週間後だな……」
ナナシの呟きに周りのネクサスのメンバーは無言で頷いた。




