海賊
「うーん……潮風が気持ちいいな……」
ナナシとマインがショッピングモールでせっかくの休日を無粋な輩にぶち壊されて、ぶちキレている頃、アツヒト・サンゼンは夜の訪れを感じさせる冷たい風に吹かれながら海沿いの道を悠々と歩いていた。
(……海の匂いは落ち着くな……故郷の海南町を思い出す……まぁ、さっきまでいたんだけど……)
アツヒトはここ数日の休みを利用して、海南町に帰郷していた。これだけ聞くと、何の変哲もないことに聞こえるが、それはアツヒトにとっては複雑な感情が入り交じり、覚悟のいることだった。
(……俺は自分の大切な故郷を守るために……他人の故郷を傷つけた……結果として、どちらも守られたが……だとしても許されることではない……)
穏やかで幸せな気持ちでいっぱいだったアツヒトの心が後悔と罪悪感で上書きされていった。
彼は先のネクロ事変で故郷を人質取られ、テロリストに協力してしまった。そのことが彼の心に今も暗い影を落としていたのだった。
(……本当は俺なんか故郷に帰る資格なんてないし、帰るつもりもなかった……一生な)
彼はその罰として、愛する故郷へと戻ることを自ら禁じていた。それがせめてもの償いだと……。
しかし、彼はここにきてその禁を破った。彼の心を変節させる出来事が少し前に起こったのだ。
(……壊浜での事件を……ネームレスのあの姿……そして、奴の仲間の話を聞いたら……どうにも我慢できなくなっちまった……)
壊浜でアツヒトは故郷のためにテロに参加した男の悲しい末路と、残された者の苦悩を目の当たりにした。あれを見たら、自分の故郷が今どうなっているのかが気になってしまい、悩み抜いた結果、アツヒト・サンゼンは帰郷する決断に至ったのである。
(……正直、戻ったところで特に何かしようとか、何にも考えてなかったけど……本当にただ地元の知り合いの顔を見て、馴染みの店で飯食って、海でサーフィンして……至って普通の……だけど、とても有意義な帰郷だったな……)
潮の香りを感じながら、しみじみとここ数日のことを思い出す。
懐かしき故郷はあの頃と変わりなく、罪の十字架を背負ったアツヒトを優しく受け入れてくれた。それがたまらなく嬉しくもあり、申し訳なくもあった。
(……多少、責められた方が楽だったかもな……)
ネクロ事変という大事件に手を貸したにも関わらず、現在のアツヒトは新しい仲間が出来、こうやって休日をもらい、自由に出歩くことができるほど恵まれた環境にいる。
けれど、だからこそ、その優しさが時折彼の心の重荷になった。
(……もしかしたら……俺は“罰”を受けたかったのかもな………)
彼の本心は彼自身にもわからない。それでも、彼は進む。自分と同じ十字架を背負った者達と……。そして、そんな自分達に手を差し伸べてくれた者達と共に……。
「……ふぃーっ………まぁ、悩んでても答えは出ねぇよな……とりあえず、まずはネジレのことを片付けないと……!」
迷いを振り切るように、髪をぐしゃぐしゃと掻き、全てを飲み込むような夜の海に向かって大きな独り言を呟く。
ネジレというネクロ事変の主犯格を捕まえない限り、あの事件は終わらない。つまり、アツヒトの真の贖罪も始まらないのだ。
「あとは、この土産がみんなの口に合うかだな……」
手に持っている紙袋を顔の前まで上げ、じーっと見つめる。正直、我が故郷のお土産といっても、どこにでもあるようないたって普通の饅頭なので自信がない。
「……そこまであいつらグルメじゃないし、大丈夫だよな……」
そう自分に言い聞かせ、再び夜風を肩で切りながら歩き始める。
「……ナナシと初めて会ったのも、こんな夜の海沿いの道だったな……最悪の出会いだったけど……まさか、土産を買っていく仲になるとは思わなかった……」
もしかしたら、やたらと昔のことを思うのはこの道があの時と似ているからかもしれない。
そんな風に柄にもないセンチメンタルに浸ってていると前方から人影がこちらに向かって歩いて来た。
(……ん?……珍しいな……ここまでほとんど人とすれ違わなかったのに……)
アツヒトは何故か身構えた。彼自身も頭ではその行動を理解できていない。
ただ、彼の戦士としての経験則と、野生の生存本能が勝手にそうさせているのだ。
ザッザッザッザッザッザッ……
徐々に足音が近づいて来る。それは至って普通、当然のことなのだが、アツヒトはその音に全神経を研ぎ澄ませ、集中する。さっきまでBGM代わりに聞いていた波の音も、最早、彼の耳には届かない……。
ザッ………
足音が……人影が止まる。仁王立ちしてアツヒトの前に立ち塞がっている。
アツヒトの頭の中では様々なシミュレーションが行われていたが、残念ながらその中でも最悪の類いのものが現実となった。
「よぉ!久しぶりだな!アツヒト・サンゼン!!」
人影は突然、声をかけて来た。声からして男のようだ。いや、それよりも自分の名前を知っている。
(……決まりだな)
アツヒトが完全に臨戦態勢に入る。
暗がりでよく見えないが、身構えるアツヒトを目の前の男はニヤニヤと笑みを浮かべながら獲物を物色するように眺めているようだった。
「生憎、こんな夜道で、バカみたいにデカイ声を出すアホんだらは俺の知り合いにはいないぜ」
「ぐっ!?」
アツヒトがあえて相手を煽るような返事をする。得体のしれない相手の出方を見るためだ。
男の顔から笑みが消え、怒りと憎しみに染まっていく。どうやらかなり短気で、プライドの高い奴らしいことは、その反応だけでもわかる。
「防人がッ!舐めた口聞いてんじゃねぇぞ!!」
男の怒りはみるみるヒートアップしていく!ただ、アツヒトが気になったのはそれよりも……。
「防人だと……?お前、何者だ……?」
防人――それはかつて海南町をオリジンズ被害から守った英雄に、帝が与えた称号。現在でもその名誉ある称号は海南町で最も強く、正しい者に受け継がれている。
今その防人の名を背負っているのがアツヒト・サンゼンである。だが……。
「……今の俺にその名を名乗る資格はない……防人に用があるなら別を当たれ!」
今度はアツヒトの方が苛ついた。男はそんなつもりは全くなかったが、彼の中の地雷を踏んだのだ。
それに気分を良くしたのか、男は落ち着きを取り戻し、人を小バカにしたような不愉快な口調で語りかける。
「いやいや、おれが用があるのは間違いなくお前だよ……アツヒト・サンゼン!あの日の屈辱!倍にして返しに来た!!」
話の内容からアツヒトがこの男に何かしたのはわかったが、この男のことも、彼に何をしたのかも思い出せなかった。
「言っている意味がさっぱりわからない……俺があんたに屈辱……?やっぱ、人違いじゃないのか……?」
「てめえ!俺を!大海賊!『ジュンゴ』様を忘れたというのか!!?」
再度の挑発!そして、まんまと引っかかる短絡的な男!アツヒトの狙い通り、素性を語ってくれた。
「ジュンゴ……あぁ!……ん…?あれ……どのジュンゴ……?」
「あのジュンゴだよ!」
「だから、どのジュンゴ……?」
けれども、アツヒト的にもジュンゴ的にも残念ながら、記憶を甦らすことはできなかった。
プライドをズタズタに切り裂かれたジュンゴは今にも飛びかかって来そうだ!
「三年前!次々と海南町周辺の船を襲って!悪名を轟かしていたあのジュンゴだよ!!」
「……あ!確か三年前に俺が捕まえた奴か!」
端から見ると滑稽極まりない自己紹介をする……というかさせられてしまうジュンゴ。しかし、そのおかげでアツヒトもようやく彼のことを思い出した。
「悪いな、ナナシほどじゃないが嫌なことは忘れるタイプなんで。まぁ、別に思い返して見れば、嫌というより楽な仕事過ぎて印象残らなかったって感じだけど」
「ふざけやがって……!」
「つーか、何が大海賊だよ!船を次々と襲った……?誰もいない船に忍び込んで、金目のものをくすねていった、ただのちんけなこそ泥じゃねぇか!」
「ち、違う!!!」
「違わねぇよ!!」
「うっ!?」
事実を突き付けられて狼狽えるジュンゴ……。アツヒトが指摘したように彼はちんけな小悪党としか言いようのないしょうもない人物なのだ。
「……元はと言えば……おれが防人に選ばれていれば……」
「なんだ……お前、防人になりたかったのか……?はぁ……こそ泥の上に……それを責任転嫁……しかも、逆恨み……お前が防人に選ばれなかったのも!こそ泥に落ちぶれたのも!お前自身のせいだろう!!俺に当たるんじゃないよ!!」
「うぐっ!?」
反論の余地が全くない、正論に次ぐ正論!ジュンゴはただ悔しそうに歯ぎしりをする。
高いのはプライドだけ、実力も、弁舌も、もちろん心の有り様も何一つ、彼はアツヒトに勝っているところなどないのだ。
(肩透かしだな……海南町やネジレのことでナイーブになってたとは言え、俺としたことが、こんな小物を変に警戒して……情けないったりゃありゃしない……)
こうなると先ほどまでの自分の態度が恥ずかしくなってくる。けれど、実際にはアツヒトが最初に感じたものは正しい。
彼は自身の直感の訴えを信じるべきだったのだ。
「お前、ここにいるってことは刑期終えたんだろ?お礼参りなんてやめて、真面目にやり直せよ?人生遅すぎるなんてことはないぜ?」
アツヒトは完全にジュンゴが自身の脅威にはならないと判断し、説得を試みる。その言葉は罪人である自分自身に対しても言い聞かせているようだった。
「……偉そうに……偉そうに!説教垂れてんじゃねぇ!!!見下してんのか!?えぇ!!!」
だが、アツヒトの言葉はジュンゴには届かなかった。掛け値なしに本当に彼のためを思って発した言葉だったが、ジュンゴにはそれが上から目線でバカにされているように感じた。
プライドだけ高くて、そのくせ短気……。アツヒトが彼を見て最初に受けた印象は悲しいかな、何一つ間違ってなかった。そして、そんな人間がこの後どんな行動を取るのか……そう、暴力である。この手の人間は言葉で通じないなら、暴力で屈服させようとするのだ。
躊躇うことなく最も野蛮で、愚かな行為をジュンゴは選んだ!
「うぉおおおおっ!!!」
雄叫びを上げながらこっちに向かって来るジュンゴ!アツヒトはめんどくさそうにお土産の紙袋を持ったまま、迎撃態勢を取った。
あくまで軽くあしらうつもりで……。
「しゃあねぇ……ちょっと痛い目………あぁ!?」
軽くいなしてやろうと思っていたアツヒトの視界が予想外の光景を捉える!ジュンゴの身体が大きくなり、みるみると変化していく……。
その姿は乳白色と言ったらいいか、古代に存在していたという烏賊という生物のようだった。
「ブラッドビーストぉ!?」
「その通り!!!」
ボォン!!
ジュンゴだったものは、アツヒトの疑問に答えると、その口から黒い球体を吐き出した!
「ちっ!?サイゾウ!!」
アツヒトは紙袋を投げ捨て、サイゾウを装着する。ついさっきまでと違って本気モード全開だ!
「このッ!」
サイゾウの手甲から光の針が放たれ、黒い球体に突き刺さる!
パァン!
「何!?」
黒い球体は風船のように破裂し、勢いよく広がった。すると、まっ黒い液体が壁のようにサイゾウの視線を遮り、ジュンゴの姿を隠した!
「ミスった!目眩ましか!?」
液体が重力に負け、地面に落ちる頃にはあんなに目立っていたジュンゴの姿はどこにも見当たらなかった。
「くそッ!どこ行きやがった!?」
サイゾウはキョロキョロと頭を左右に動かし、ジュンゴを探す。
その姿をジュンゴはほくそ笑みながら見つめていた。
(フフッ……情けない……それが防人の称号を受け継いだ者の姿か……やはり間違っていたんだ!おれこそが防人になるべきだったんだ!そして、それを今、わからせてやる!)
ジリジリと距離を詰めるジュンゴ……。復讐を完遂するため、自身の価値を証明するため、一撃でこの戦いを終わらせるために!
(おれの勝ちだ!)
ジュンゴは渾身の力を込めてサイゾウに拳を振り下ろす!
ブゥン!!!
「へっ………?」
「なんてな」
ジュンゴの一世一代の攻撃は空振りに終わる。そして、その攻撃を避けたサイゾウは先ほどまでの必死な姿が嘘のように落ち着き払っていた。
そう、まさしく嘘。この抜け目ない忍者はジュンゴを誘き寄せるための演技をしていたのだ。
「ちょっとびびったが……所詮は小物なんだよ!」
逆にサイゾウのカウンターがジュンゴを襲う!その一撃で、サイゾウが、アツヒトが今まで戦った相手ならそのままノックアウトしていただろう。彼自身そのつもりで繰り出している。
しかし、相手はブラッドビースト!アツヒトも初めて戦う未知の相手だった。
グニャリ……
「は……?」
サイゾウの拳はジュンゴの変化した柔らかい皮膚によってその威力を全て吸収されてしまった。
数多の修羅場をくぐり抜け、自慢することじゃないが、今まで数え切れないほどの敵を殴って来たアツヒトにとってもそんなこと初めてだった。
「すごい……すごいよ!全然!痛くない!!」
自らの力を再確認し、ジュンゴは場違いにはしゃぎ出す。そんな隙だらけの相手にサイゾウはもう一度、拳を叩きつける!
「とりゃッ!!」
グニャリ
「ちっ!」
「ハハハッ!無駄!無駄!」
確認のために放った一撃とはいえ、これも並の相手なら大ダメージ必至の威力を持っていた。けれど、それもまた無効化されてしまう。
「本当にすごい!防人の攻撃がなんともない!“あの人”の言う通り!“あの人”のおかげだ!」
「あの人……だと……?」
ジュンゴの発した“あの人”という言葉に反応してしまう。当然だ、なんと言っても、ここ最近はその“あの人”のことをずっと探し、さっきも思い出していたのだから……。
そして、その意図せず口に出した単語が、ネクサスで一番隙の無い男に、あるはずの無い隙を生み出した!
「いただきッ!!!」
「しまっ……」
ドボォォォン!
ジュンゴのパンチに吹っ飛ばされ、サイゾウは大きな水の柱を立てて、夜の漆黒の海に沈んでいった。あの時のように……。
「海の男同士の戦いなんだ……海の中で決着着けねぇとなァ!!!」
ドボォォォン!
海の表面にサイゾウが起こした波紋がまだ残っていたが、ジュンゴ自らも海に飛び込み、それを打ち消した。




