プロローグ:Nocturne
神凪の首都、鈴都……そこに存在するショッピングモールは今日が休日ということもあって、大いに賑わっていた。とはいえ、そろそろ太陽の姿が完全に隠れる頃。小さな子供を連れている人達は帰路につき始めていた。
「ふぅ~」
そんな幸せの象徴のような家族をカフェでコーヒーを飲みながら見送る男が一人、物思いに耽っている。
(平和だね~……みんな幸せなんだろうな……一方の俺は……あれから結局、何の進展もなかったな。手がかりの一つも掴めないとは……)
彼の心はずっと停滞している仕事のことでいっぱいだ。そのことを考えていると、どんどんコーヒーが苦くなっていくような気がした。
「面白かったですね、映画」
「あ、あぁ……そうだな……」
彼の対面で何かを読み込んでいた女性の声が、思考の迷宮に迷い込みそうな男を現実に引き戻す。
「なんですか?その素っ気ない返事……お父様の映画なんですから、もっと……なんていうか真剣に……」
「親父の映画だからこそ、真剣に語れる訳ないだろ……?恥ずかしい……ケニーからチケットをタダで貰って、マイン、君がしつこく一緒に行こうって誘ってくれなきゃ、多分一生観ることはなかっただろうな」
彼らが先ほど観た映画はこの国の英雄と呼ばれ、今も大統領として尽力しているムツミ・タイランのドキュメンタリー映画。
けれども、息子のナナシ・タイランからしたら、ただただこっぱずかしいだけの代物だった。
最近、らしくもなく思い悩んでる彼を気遣って、気晴らしにとケニーが貰い物のチケットを渡し、マインがわざわざ付き合ってくれたのにどうやらあまり効果はなかったようだ。
「でも、世間ではかなり好評みたいですよ」
「まぁ、親父が大統領の座につくまで色々あったからな……評価はともかく、話題にはなるだろうよ」
ナナシはそう言いながらコーヒーを口に含み、またショッピングモールの出口へと歩く家族に目を向けた。
しかし、頭の中では別のことを、父親が大統領になる時に起こり、現在の自分の状況を作り出したあの事件のことを……。そして、その事件で暗躍し、今も自分を悩ましているあのいけ好かない仮面のことを思い出していた。
「そう言えば、知ってますか?ナナシさん?」
「ん?」
マインが再びナナシを引き戻す。せっかくここまでお膳立てしたのだから、今日一日ぐらいは何もかも忘れて楽しんで欲しかった……というより、基本的に適当でめんどくさがりのナナシが最近、妙に仕事に入れ込んでいるのがマイン自身も不安だった。
「今回の映画が好評だったから、またムツミさん、映画になるみたいですよ。今度はドキュメンタリーじゃなくて、俳優さんを使ったやつで」
「あぁ、リンダもそんなこと言ってたな……なんか、最近人気の若手イケメン俳優が親父の役をやるんだろ?親父のキャラわかってんのか……?息子としては勘弁してくれよって感じだよ……」
ナナシからしたら、この恥ずかしさというか、むず痒さが今後しばらく続くかと思うと億劫だった。ましてや、無骨で若い頃から奇妙な風格を持っていた父、ムツミをキラキラしたアイドルみたいな俳優が演じることに納得できなかった。
それはどちらかと言えば父への尊敬の念があるからこその感情だというのを自覚しているから、またナナシは気恥ずかしかった。
「でも、噂の俳優さん、顔立ちはどこか似ていますよ……若い頃のムツミさんに……つまり、今のナナシさんに……」
「俺に……!?………そ、そうかなぁ~」
マインの言葉に照れくさそうに鼻を掻くナナシ。あからさまなお世辞なのだが、これは効果は抜群だったみたいだ。
普段は蓮雲やシルバーウイングのことを小バカにしているが、ナナシも彼らとそう変わらない。むしろ、たま~に、繊細な部分が顔を出すのがタチが悪い。ナナシ自身ももっと単純に生きられたらと常々思っていることから、もしかしたら蓮雲達への当たりの強さは羨んでるだけ、ただの嫉妬なのかもしれない。
「ちょろい……」
「ん?今、なんか……」
「言ってません」
とりあえず計画通りナナシの元気を取り戻したマインは少し冷めてしまったコーヒーを飲んだ。
「んで、これからどうする……?」
一足先にコーヒーを飲み終えたナナシが次の行程をマインに尋ねた。今日は映画を観ることしか決めてない。後は成り行き任せ、なるようになるというナナシらしいノープラン。
「それでは……美術館なんてどうですか?」
「美術館……!?」
「嫌ですか……?」
「嫌ではない……美術館自体はな……美術館は嫌いじゃない……むしろ、ごちゃごちゃしているところよりも好きだ……でも……」
歯切れの悪い言葉を発しながらナナシの眉間に深い溝が彫られる。言葉通り美術館に行くことは別に嫌ではない。
問題はこの近くの美術館と言ったら……。
「もしかしてだけど……君が行こうって言ってる美術館って……?」
「はい。『イツキ・タイランのスーパーグレイトフルドラゴン美術館』です」
ナナシが目を覆う……。子供の頃から散々弄られて来た彼のトラウマだ。
「なんで……何が楽しくて親父の映画観た後に、爺さんのバカみたいな美術館に行かなきゃならねぇんだ……」
「いえいえ、むしろちょうど良くないですか?」
「良くない!」
マインは面白がってるが、ナナシにとってはとてもじゃないがそのコンボは耐えられない。
マインの方もさすがに苛め過ぎたかと反省し、別の提案をする。
「そう言えば、今日はアツヒトさんが地元の海南町から戻って来る日ですよね?」
「あぁ……確かに……」
「じゃあ、アツヒトさんと合流して、ご飯でも食べましょうか」
「それはいい!美術館なんかよりもずっといい!これでアツヒトが奢ってくれれば尚いい!」
「本当……ケチ臭いですよね……」
「ほっとけ!」
再び元気を取り戻したナナシを見て、マインの顔も綻ぶ。穏やかな空気が両者の間を流れる中、店を出ようと二人ともてきぱきと支度をする。
「忘れものはありませんか……?」
「ない。そもそもそんな荷物ないし」
「そうですか。だったら、行きましょ………」
「キャアァァァァァァァァッ!!?」
「「!?」」
突然、ショッピングモールに響く悲鳴!
外を見ると出口に向かってがむしゃらに人々が走っている。まるで何かから逃げるように……。
「ナナシさん!?」
「マイン!君はとりあえずここにいろ!」
そう言うとナナシはカフェを飛び出し、出口へと向かう人の流れを逆走して行った。
「これじゃ……まるであの時と……」
マインはその背中を見て思い出した。彼と出会った日のことを……。あの時から始まった一連の事件を……。
そして、理解する。最近ナナシが柄にもなくナイーブになっていた訳を……。
きっと野生の勘で、この国を守り続けてきた血の疼きで、そしてこの一連の事件のメインキャストとして、気づいていたのだ。
新たな戦いが始まろうとしていることに……。




